表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
創作の協奏曲  作者: 久遠未季
第一章 創作の協奏曲(クリエイターズ・コンチェルト)
9/78

4、「橘さん、チェリーのイラストはまだですか?」

4、「橘さん、チェリーのイラストはまだですか?」


    *


 何もかも、無茶苦茶だった。薩摩隼人は現状を見て、ため息をつく。

 ただ、問題を起こしたくて起こしている人間というのは、おそらくいないのだろう。誰も彼もが自分のことに一生懸命で、出来ることを精一杯やっているだけなのだ。スケアクロウやスノー・クロックの件との決定的な違いは、誰も「作りたくない」とか「作らない」「作れない」だとかいうことは言っていないことにある。むしろ、照月にしても「作る」だとか「作らせろ」と言っているだけであるし、ロックにしても「ボクが作る」と言っているだけだった。いや、ロックの場合は「照月には作らせない」とは言っているが、それだって、その代わりに自分が作ると主張しているのだから。

 しかし、それに引き替え、自分はどうだというのだろうか。薩摩は掲示板を眺めながら、自問する。照月は「ロックさんは薩摩さんから『機兵少女フリージア』のシナリオを奪った」と言っていたが、それは少し違う。薩摩には書けなかったのだ。物語が作れなかったのだ。何故なら、薩摩は他のメンバとは決定的に違う、いる場所を間違えてしまった人間だから。ロックには「仕事が忙しくて」と言っていたが、それは嘘だ。何故なら、今の薩摩は長期休暇中なのだから。ただ、そろそろその休暇も終わる――いや、本来の予定より随分と長く休んでいたので、さすがに本部から招集がかかったというのが実際のところなのだが。

 グループウェアの掲示板では、エターナルがロックと照月の間に立って調停しようとしていた。ただ、それも上手くいっていない印象だ。むしろ、見方によっては悪化させてしまっているといっても良いだろう。



●ワタシから一点、報告です 発信者:エターナル・ミキ

ロックさんは、「もう少し落ち着いてからボクが改めて説得する」とおっしゃっていましたが……。

意見をぶつけ合っていたロックさんと照月さんの二者で協議するのも、よろしくないでしょう。

そう思い、僭越ながら、先日、ワタシの方で個人的に照月さんと意見のやりとりをしました。

やりとりの手段はネット通話やSNSの類ではなく、メールです。


これはワタシなりの解釈ですけれど、照月さんはネット通話やSNSなど、リアルタイムに準ずる媒体でのやりとりが不得手です。

彼女本人に苦手意識があるとか、しゃべれなくなるとかいう意味ではありません。

それらの手段だと、彼女は本当に伝えたいことが伝えきれないのです。

(※時系列的にいうと、ロックさんの先の書き込みより以前から、少々やりとりをしていました)


その中で、ひとつ、ワタシが重いなと思ったことがあります。

それは『メタファがどんどんと、自分の中でのメタファでなくなっていく』という言葉でした。


表現媒体の都合で変わる部分があるということは、照月さんも了承しているようです。

また、各人が最善を尽くして、頭を悩ませたり作業していることも分っているようです。

ただ、それが分っているからこそ、否定することもできなかったようなのですね。


特に……ぼかして言うとブレるので、申し訳ないですけれど、ワタシの方からはっきり書かせていただきます。

作業遅滞している照月さんに対して、幾度か、ロックさんが具体的なシナリオ案をいくつか出されていますよね?

それが本来の『弾痕のメタファー』とはあまりにかけ離れたもので、照月さんの中の『メタファ』の世界観や雰囲気を壊してしまうぐらいのものばかりだったようです。

ただ、照月さん個人としてはそういう作風の作品も嫌いではなく、ロックさんの筆力の高さもあって、なおのこと否定することができなかったということです。

(ロックさん自体も「合わないようであれば却下しても良いですよ」という類の発言はされていましたけれど、質の高い具体案だったので、否定したくてもできなかったようです)


    *****


一応、ワタシも、『機兵少女フリージア』の監督をしていますからね。

そのあたりのことは、ある程度分かるのですよ。

本当、その意味では、ワタシは照月さんに対して強く言えない部分があります。


まあ、ワタシの場合は「別物になってもいいや」ぐらいのつもりで、実際にロックさんや薩摩さんにはそう言いましたけれどね。

それに、直接シナリオを書いたわけではないですから、微妙に立ち位置も違います。

ただ、言い換えれば、そのぐらいのつもりでいても「それをされると困る」とか「それは違う」という部分は多くありました。

訂正していただいたり理解していただくのに、結構、骨が折れましたよ。

(共有ドキュメントのコメントを見ていただければ分かると思いますけれど、ロックさんからなされる提案や具体案の類は質が高い上にある側面での正論であるため、人によっては耐えられないかもしれません……ワタシは何とか大丈夫でしたけれどね)


考えてみれば、監督とシナリオを兼任して仕上げたのって、照月さんだけなのですよね。

あるいは、「監督自身がシナリオを書けるんだから楽だろう」という意見もあるかもしれません。

けれど、全体を見渡してシナリオを構築しなければならないからこそ、むしろ難しいのかもしれません。

スポーツで選手兼任監督が困難なのと同様……という言い方をすれば、あるいは分かりやすいかもしれませんね。

(ほとんどを一人で『KUMA-SAN』を仕上げられたロックさんは例外で、こちらは別の困難はあるものの、人を介さないのでむしろある意味では楽です)


もちろん、はっきりと言えば、照月さんが逃げたという事実は事実です。

その点は、ワタシも擁護するつもりはありません。

ただ、監督という立場には相当な負担があるということは、理解しないといけません。

そしてそれは、これから監督をされる方々にとっては他人事ではないです。

(話題がぶれるのでそれ以上は書きませんけれど、このあたりを考えないと、他の方が監督をしても同じことが起きるかもしれません)


    *****


最後に、照月さんから言伝があったので、いくつか。


まず、クロスオーバーシナリオで意見が対立していたことについては、自身の無責任な振る舞いを痛感しているということです。

それに関しては、それ以上、彼女の方から何かを文句を言うつもりもないようです。

ただ、『メタファ』のことについてだけは、心残りがあるようです。

そのことについてだけは、作業を不意にしないような、責任ある行動をとらなければならないと思っているようです。


一方、やはり照月さんの中では、『メタファ』の世界観を傷つけられたという思いも強いらしいです。

そのため、我儘を承知で「自分が思うとおりのシナリオに仕上げたい」とのことです。

それらの点について、ロックさんと調整できたら……ということですね。


ワタシからの報告は、以上です。


(※所々、ワタシの意訳を含みます。もしも文面などでご不快になられた点があれば、それらの責任の一切はワタシが負いますので)



●へぇー、ボクのことをそういう目で見ていたんですね 発信者:ロック

どうやら、ボクは嫌われているみたいですね。

じゃあ、エターナルさんが照月さんを説得して連れ戻してきてくださいね。

ボクはこれから他人の作品には一切口出しせずに、あくまでもマネジメント業務だけに徹しますから。


あと、それに関連して、『機兵少女フリージア』のシナリオについて。

ボクが口出しをしてはいけないということは、あれはもう、ボクの書いたものではないですから。

スタッフロールのシナリオ担当の部分から、ボクの名前を消しておいてください。



●申し訳ありませんが 発信者:エターナル・ミキ

ワタシはこれ以上、照月さんとの意見調整に時間を割くことは不可能です。

照月さんにも事前に言っていたのですけれど、ワタシは『機兵少女フリージア』などの作業を完遂させる責任があるので。

そもそも、そうしたものごとは原則ロックさんが行なうべきことですから、その責任まで放棄しないでください。

それこそ『マネジメント業務に専念』するというのであれば、なおさらです。


また、ワタシ自身は『作品に口出しされたこと』は問題とは思っていませんよ。

もしも、ワタシがロックさんに対して、不満に思っていることがあるとすれば……。

スノーさんが抜けたとき、『そっちまで面倒みられないので』と言って見捨てたことぐらいでしょうか。

実際、スノーさんが抜けたせいで、ワタシのしなければならない作業が恐ろしく増えているのですよ。


えぇと……最近のロックさん、少しおかしいですよ?



 どうやら、リーダのロックは相当疲れているらしい。さながら先の照月やスノー・クロックのごとく、エターナルの文面を悪い方へと曲解している。悲観的になり自棄を起こしているとも言えるだろうか。それを的確に指摘するエターナルもエターナルだが、彼女はこれで平常運転とも言える。この人については、知り合ってからというよりも知り合う前からこんな感じだというのが、薩摩の印象である。

 そしてこのグループウェアの掲示板には、グループ参加者が各書き込みに『いいね』ボタンを押して同意を示すことが出来るのだが、それを見れば一目瞭然のことでもあった。エターナルの意見にはロックを除く全メンバが『いいね』を押しているのに、ロックの発言には誰も『いいね』を押さない(薩摩自身も押さなかった)。今まで、リーダであるロックの発言は誰かしらが『いいね』を押していたということを考えれば、これは異常な事態である。ちなみに『いいね』が押されていないのはこの発言だけだけではなく、この前後にあるロックの発言についても同意しているメンバはゼロだった。

 何よりも、さすがの薩摩も腹が立ったのはロックの「『機兵少女フリージア』のシナリオ担当からボクの名前を消してください」というものだった。その論理は、まるきり照月のそれと同じではないか。自分にとって少しでも気に入らない部分があったら「これは自分の作品じゃない!」と叫んで、否定して、遁走する。言い換えれば、良い出来だったら自分の名前をつけ、悪い出来ならば他の人々に責任をおっかぶせる――甘い汁だけが吸いたいと言っているも同然ではないか。

 自分自身を美化するつもりはないが、薩摩のように「やることをやれず逃げている」というほうが、まだマシに思えてくる。何故なら、既にゲーム版の『機兵少女フリージア』という作品はロックによって作られているのだから、その分の責任は少なからず発生しているのだ。ロックのそれは、子供を孕ませておきながら「認知しないし、教育費も払わない」と言っているようなものなのだろう。これは、あまりにも馬鹿にしているし、無責任に過ぎる。そして薩摩は、そういう輩が一番腹に据えかねた。たとえロックが女なのであろうと、関係ない。リーダとなって皆を率いる立場であれば、男の責任を持って事に当たるべきものなのではないか。それが『創作』という、何かを生み出す作業なのではないだろうか。

「……ロックさんらしくないぜ、それは」

 薩摩のように考えているかどうかはともかくとして、誰もロックの意見に同意しないのは――だからなのだ。

 特に、このメンバの中には『そういう人間』が多いことを、彼は知っている。

 橘なるは『明星のチューリングマシン』の中で書いているような複雑な家庭環境にあったし、他にもメンバの何人かが同様の複雑な家庭環境にあるらしいのだ。

 だから、具体的な言葉に出来なくとも、ロックの言葉に含まれるそれらのニュアンスを敏感に感じ取っているに違いない。

「オレが出来ることは、少ないが……。だからこそ、オレがなんとかしないとな……」

 正直、『機兵少女フリージア』のシナリオから逃げてから、この集まりのメンバと正面切って向かい合うことが出来ないでいた。

 特に、エターナルは薩摩が逃げたということを見通している節もあるから、なおさらのことだ。

 自分が創作者として『偽物』だと気付いてしまったから、『本物』の創作者である彼らがまぶしすぎるからということもある。

 それでも、今動き出さないで――いつ動き出すというのだ。

「オレが、出来ることは……」

 彼は呟きながら、パソコン上のネット通話アプリを立ち上げる。

 まずはリーダのロックの愚痴を聞いてやって、落ち着かせることが先決だろう。

 創作することは出来ないが、そのぐらいのことは――そのぐらいのことしか、彼には出来ないのだから。


    *


●『メタファ』の機体を描いてきた僕から、よろしいでしょうか? 発信者:ヒキワリ

あの、まずは残念という思いです。

企画が落選してしまった『メタファ』を何とかしようという思いから、全てが始まったはずなので。

僕自身、『メタファ』しか描いていなくて、でも、強い思い入れがあって。


照月さんに文句を言いたい思いもあります。

でも、言えない。

だって、僕も、照月さんの思いも理解できるから。


ただ、『メタファ』が駄目になったからって、僕はやめるようなことはしません。

むしろこの悔しさを糧に、新しいメカを描いてやります。


あの、僕は言葉があまり上手くなくて、迷惑とかもかけるかもですが……。

これからもメカ担当をやっていきますので、改めてよろしくお願いします。



「……この子、喋れるんだ」

 非常に失礼ながらも、それがエターナルの正直な感想だった。それぐらい、『弾痕のメタファー』のメカニックデザインであるヒキワリは口数が少ない。実際に顔を合せたときもそうであったし、SNSやこのグループウェアでのやりとりでもそうだった。そしてそんな彼がこれだけの文を書いてきたからこそ、彼女にとっては衝撃が大きかった。

 本当は、同じことをエターナル自身も書こうと思っていた。それも、目一杯の悪意を込めて、リーダのロックの精神を叩きつぶすぐらいの文章を。表面上はどうであれ、それぐらい彼女は腹を立てていたのである。先の書き込みも、最後の理性で温和な書き方に換えたものの、最初に書いた文面のままであればロックの心をへし折っていたことだろう。

 エターナルがこの『ロボつく大戦』改め『メカニカル・コンチェルト第一楽章~metaphor~』の制作に参加したのは、理不尽な仕打ちを受けた『弾痕のメタファー』を世に送り出すためだった。だからこそ『ロボつく大戦(仮称)』から正式名称を決めようというときに、誰よりも率先して『メタファー』という言葉をタイトルに含めることを提案したりもした。そもそも『ロボつく』で選出された企画の中で、エターナルが最も優れていると思っていたのは『弾痕のメタファー』だった。ただ、同時に一番制作が難しいだろうと踏んでいた作品が『弾痕のメタファー』であり、実際に彼女もシナリオ案を上手くまとめることができず、シナリオ参加は見送らざるを得なかったのだが。

 また、エターナルは照月という人物そのものについても、好意的にとらえていた。確かに扱いにくい人物であるし、エターナル自身もSNS上で二度ほど、彼女と激しい口論を演じたことがある。ただ、それでも嫌いにはなれなかったし、むしろそんなしょうもない照月のことを好きになっていた。何よりも、照月のような作家性は他の人間は滅多に獲得できない。ロックや薩摩あたりは「そんなことはない」と言うかも知れないが、エターナルは彼女のことを非常に高く評価していたのだ。

「結局、無期限延期……か」

 その後も掲示板では各メンバの意見交換が活発に行なわれたが、仮に照月を引き戻したとしても作業完了に目処がつかないということで、『弾痕のメタファー』はシナリオに入れることは出来ないと判断された。そしてリリース日についても、既に告知開始しているという都合もあるのでずらすべきではない。いや、ずらすこと自体は不可能ではないものの、そうするといよいよもって『メカニカル・コンチェルト』という作品が完成しなくなる懸念があったのだ。

 たしかに、今は既にある作品だけでも完成させるべきなのだろう。ロックがほとんど全てを一人で作成した『KUMA-SAN部隊』もメカイラストだけはヒキワリが引き受けていたのだし、エターナルの『機兵少女フリージア』は橘なるがキャライラスト担当だ。その意味では、辛うじて共同制作としての体をとっている。それを不意にすることが出来ないというのは、もっともな意見だ。ただ、この集まりの根本であった『弾痕のメタファーを世に送り出す』『ロボつくでの落選企画を世に送り出す』という大義名分は、実はどちらも満たさなくなってしまっていることに、皆気付いているのだろうか。忘れている人間が多いようであるが、エターナルの企画である『機兵少女フリージア』の企画書は『ロボつく』の企画書募集に応募していない。そしてロックの『KUMA-SAN部隊』は、ここ二ヶ月の間にでっち上げられた急造品だ。『弾痕のメタファー』という作品があるからこそ、辛うじて意義があったはずなのに、それがなくなった今の状況は極めて危うい。

 そう、『ロボつく』という公募を知ったのが他のメンバよりも遅いエターナルは、『ロボつく』最初の段である企画書募集の期間に間に合っていないため、そもそも企画書を応募する機会さえなかった。メンバの中で一人だけ提出できる企画がないという不公平があったので、リーダであるロックの好意で応募していないはずの『機兵少女フリージア』を他企画に混ざらせてもらっただけである。そうして他のメンバに対して負い目があるからこそ、エターナルは本来なら引き受けたくもなかったスクリプトを引き受け、活動への参加も積極的だった。制作順序が繰り上げられ、本来の意図と大きく乖離したものとなろうと、それも仕方がないと飲み込んできた。本来、ここになかったはずのものを形にさせてもらっている以上、エターナルの立場は弱い。本当はイラストの橘なるに、もっと注文をつけたいものの、それを言える立場にないという負い目があるから率先して言うこともできない。

 唯一、救いがあるとしたら、先に意欲的な書き込みをしたメカデザイナのヒキワリに相当なやる気があるということだろうか。彼は先の書き込みの後、数日のうちに、第四章として計画されていたえーるの『逆転勝機ブリュンヒルデ』のメカとキャラの彩色ラフを上げてきたのだ。それも彼のラフは十分『完成品』と言えるだけの質で、正直、ロックの『KUMA-SAN部隊』で使われているロック作成のキャライラストよりも優れていた。そして、それに応じるかのように企画主であるえーるもゲーム用プロットを完成させ、第三話までのシナリオを完成させてきたのだった。

「えーるさんと、ヒキワリさん。……今まで、全然、目立っていなかったのに」

 せめて、それに答えなくてはならないだろう。そう思い、エターナルはえーるの提出した『逆転勝機ブリュンヒルデ』のシナリオをスクリプトとして取り込み、第三話まで一気に作り上げてしまう。そのときに気付いたのだが、えーるはシナリオファイルを最初から全てSGCの台詞記述形式にして書き記しており、その他の効果音や背景切り替えなどの指示も適切にコメント形式で記述していた。そのため、スクリプトに変換する作業は二時間程度で完了した。


『もしかして、えーるさん、プログラム書いたことありますか?』

『ええ、卒業研究でプログラミングしないといけなかったので』

『ああ、やっぱり! ……記述ミスもほとんどなくて、すごく作業しやすかったですよ! すごいですよ、えーるさん!』

『いえ、それほどでもないですよ。……今まであまり参加できていなかった分、迷惑をかけないようにしているだけです』


 これは、思いもかけない人材だった。

 文章やコードを見るだけでも人柄は透けて見えるものだが、えーるのスクリプト記述混じりのシナリオは、彼(彼女?)の緻密さや誠実さが表れている。

 今まで「名前が微妙にかぶっている」とか「こんな人いたっけ?」と思っていた自分を、エターナルは恥じた。

 いや、あるいはえーるもかつてのエターナルのように、面倒を嫌って実力を隠していたのだろうか。


『実は、昔、少しだけ『吉里吉里』をいじってみたことはありまして……』

『ADVゲームを作る、あれですか?』

『あっ、いえ、結局、少しいじっただけですぐ挫折したのですけれどね。ただ、MMDは趣味でいじって、動画を上げたりはしていましたね』

『すごいじゃないですか、えーるさん!』

『いえいえ、エルさんには負けますよ。……そう、私の『ブリュンヒルデ』、もう動くようにしてくださったんですね! しっかりと動いて、ビックリしました』

『あれ、もうプレイしたのですか?』

『はい! ……あっ、それと、これはあとで掲示板にも書きますけれど『ブリュンヒルデ』の戦闘バランスは私が調整しますね。なんか、いじってみると、結構、できそうだったので』

『おお、それはありがたいです! ……さすがのロックさんも、作業が増え過ぎると心に余裕がなくなるようなので。えーるさんが戦闘バランスを担当してロックさんの負担を減らしてくだされば、その分だけ、サークルの雰囲気も良くなりますよ』

『そのぐらいでしたら、お安い御用ですよ。もっとも、私としては、エルさんの方がロックさんよりもよっぽど作業が多そうに見えるのですけれど……大丈夫ですか?』

『ワタシは大丈夫ですよー。……それこそ、『ブリュンヒルデ』のコーディングは、とてもやりやすかったですし』


 捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、えーるの本格参戦とヒキワリの本気は、いつ崩壊してもおかしくなかったサークルに新たな結束をもたらしていた。また、『メカニカル・コンチェルト第一楽章~metaphor~』改め『メカニカル・コンチェルト(前編)』の方針も固まってきた。内容は第一章に『機兵少女フリージア』、第二章に『KUMA-SAN部隊』を。そして『逆転勝機ブリュンヒルデ』の開発が順調に進んでいることもあり、前編クロスオーバーシナリオでは『ブリュンヒルデ』の主人公と主人公機が顔見せをするということになった。

 正直、特殊な戦闘システム且つメカ少女という飛び技である『機兵少女フリージア』が第一章を務め、マニアックすぎる高難易度の戦闘バランス調整がされている『KUMA-SAN部隊』が第二章というのは非常にバランスが悪い。ただ、そこに『逆転勝機ブリュンヒルデ』が顔見せ程度とはいえ参戦してくれれば、辛うじて体裁は繕えるだろうか。そのことにも、エターナルは安堵した。開発も順調で、ロックが手早く仕上げたクロスオーバーシナリオもコーディング完了し、あとは全体の調整をするばかりだった。

 それでも、不安材料がないわけではない。『ロボつく』に企画選出されているロックと橘なるは広報活動を本格化させていて、『メカニカル・コンチェルト』の作業時間を捻出するのに一苦労のようだ。ロックは「既に大体の仕込みは済ませていますから」と余裕を滲ませているものの、橘なるは『明星のチューリングマシン』の公式ブログを立ち上げて週替わり更新するなどの精力的な活動を展開している。それこそ、何かに取り付かれてでもいるかのように。『機兵少女フリージア』のイラストも遅れがちで、主人公であるリョウの彩色ラフまでは一月中に済んだものの、他はラフすら一向に上がらない。そして二月三月は社会人組が多忙になり、エターナルもその例に漏れなかった。さらに都合が悪いことには、同居している父が脳梗塞の手術で長期間入院する事態になり、嫁に行った姉も切迫流産の危険があるということで緊急入院するという面倒も起きていた。自分のやるべきことは確実にこなしていたが、他のメンバの動向に気を遣っている余裕もなく、気がつけばリリースまで二週間を切っていた。

 ただ、遅れがちだった『機兵少女フリージア』のイラストも徐々に仕上がってきていた。橘なるが「非常にお待たせしてしまいましたが」という言葉と共に、サブヒロインの彩色ラフまでは上げてきたのだ。完璧主義者の嫌いがある彼は、どうにもギリギリまで粘っていたらしい。エターナルはそれを確認し、問題ないと踏むとすぐさま「この方向性でお願いしますね」と返信する。また、クリア後のオマケとしてスタッフルームを作成する作業も進め、そちらも程なく完了していた。イラストに関してはまだ全て上がっていなかったものの、現段階の彩色ラフなどの状態で一度パッケージングし、時間の取れるメンバだけでデバッグプレイも済ませていた。リーダのロックとスクリプト担当のエターナルからは「イラスト差し替えのデッドラインはリリース前日の午後十二時です」「どうしても遅れそうな場合、事前に言っていただけると多少は融通できるかも知れませんが、それも限度がありますからね」と釘を刺すことも忘れない。

 スケジュール的にはギリギリだが、何とか間に合うだろう。紆余曲折あったものの、良い作品になった――誰もが、そう思っていた。


    *


 その書き込みが『機兵少女フリージア』の作業用掲示板に投稿されたのは、リリース前日のことだった。



●再度の確認ですが 発信者:エターナル・ミキ

橘さん、その後の報告が一切ないのですが、どのような状況でしょうか。

これ以上報告が遅滞されると、最悪、対処不能の事態が発生するので、早急なご報告をお願いします。


念のために改めて書き出しますと、

 ・チェリーの立ち絵

 ・可能ならフリージアの立ち絵差分

 ・完成済みの立ち絵に微修正したい部分があるのならその差し替え

……の三点です。


繰り返しますが、早めのご報告があるのなら色々と対処可能ですけれど、報告がないのはかなりまずいです。

あるいは、ロックさんに個人的に報告されているのかもしれませんが……。

少なくとも、肝心な私の方には一切の報告がまわってきていないです。

『ここは無理そう』『ここはいつまでに終わらせる予定』などのご提示もないので、かなり困っています。


お忙しい中であることは承知していますが、報告、連絡をお願いします!



 また、何かを見落としてしまっていた――エターナルのその書き込みを見たとき、ロックは己の迂闊さを呪った。照月が抜けて以降、エターナルとギクシャクした関係が続いてしまっていたものの、それは言い訳にはならないだろう。いや、むしろ関係修繕を測ることなくズルズルとここまで続けてしまったが故、このような事態が起こってしまったのだ。

 エターナルの企画『機兵少女フリージア』のイラストは、メインキャラクタ三人のものは完成稿まで上がっていた。そして最低限、それらさえそろっていれば、ストーリーの大部分においては問題ない。ただ、ヒロインにしてメインメカのフリージアは『フェアリードール(機兵少女)の中では、極端に人間に近い容姿をしている』ということが特徴のため、彼女だけではロボットを主題としたゲームという大義名分から外れてしまう。そのため、本来の企画から大幅に登場メカを減らしながらも、メカらしい容姿を持つ量産型フリージア『チェリー』についてだけは最後まで削らなかったのだ。そのことはシナリオを書いたロックも承知していたのだし、エターナルのキャラクタ指示書にも明記されていたはずである。ただ、そのことが、果たして橘なるには伝わっていただろうか――今になって考えてみると、ロック自身はそのことを橘に伝えていない。

 人材管理や情報伝達、ネット通話による相談などはロックや薩摩が主導している。『弾痕のメタファー』のときであろうと『機兵少女フリージア』のときであろうと、あるいは自然消滅的に廃案となった『おもてがわ企画(仮称)』のときも。原則、会議を主催したのは、ロックである。むしろ、以前、エターナルとスケアクロウが個人的に情報のやりとりをしているときに問題がこじれたので、原則的にゲーム制作情報の交換は掲示板上のみでと伝えていたほどだ。水面下の交渉などは、リーダでありマネジメント役であるロックが行なうと。

 橘なるとは、一月にも二月にも、ネット通話を行なって今後の相談をした。ただし、そのときはエターナルとの関係がギクシャクしていたので、彼女には何も言わずに会議を開いていた形だった。そしてロックはエターナルに代わって、『機兵少女フリージア』のイラスト進捗具合をたずねたのである。そのときの橘は、「本来のイラスト発注にはありませんでしたけれど、余裕があればフリージアの差分イラストを描くつもりがあります!」などとと、意欲を見せていたはずである。照月が遁走してサークルの雰囲気が悪くなっていた時期でもあるし、ロックとしてはメンバのやる気を示す材料として掲示板で報告もした。

 ただ、それを見たエターナルは「差分イラストはありがたいです! ……ただ、一応、イラストには優先度がありますので。まずは、発注しているものを優先して仕上げていただけるとありがたいです」と大筋で歓迎しながらも、しっかりと釘を刺していた。そこで橘も「優先度の件、了解しました。そうですね、まずは欠けてはいけないイラストを落としてしまわないようにします!」と返していたはずだ。そしてロックとしても、橘の積極的な提案ばかりが頭にあって、優先度をおろそかに話をまとめようとしてしまっていた自身の行動を反省したものだった。

「あのときに、もう一度、見直しておくべきだったんだ。……これは、意地を張って通すべき筋を通さないでいた、ボクのミスだ」

 橘との会議の時、エターナルを誘わなかったせいだ。あの会議にエターナルが参加していれば、橘が発注を見落としていたことに気付けたことだろう。何故なら、橘が「差分イラストを描く」という提案をしたのは「フリージアもリョウもイサミも、とりあえずは『全て期限内に完了できそう』な目処はあるので」という話題の後だったのだから。そこにエターナルがいたのなら「チェリーのこと、忘れていませんか?」と、はっきり言っていただろう。

 そもそも、エターナルの本来の想定なら、量産型フリージアという立場にあったのはクロッカスという機体だった。それをチェリーという別の機体に変えたのは、シナリオを書いたロックだ。あるいはそのせいで、キャラクタ指示に混乱が出てしまったのではないか。そしてシナリオの調整を放棄したからこそ、そこで問題が生じてしまったとも考えられる。もしも『機兵少女フリージア』のシナリオを放棄せずにいたなら、イラストが仮イラストのままだということに気づけていたのかも知れない。

「マネジメントに徹すると言ったはずなのに、それさえもできていないんだな、ボクは。何だか、色々と矛盾している。……照月さんが言っていたとおりじゃないか、これじゃ」

 何故、自分はいつもこうなのだろう。

 悔やんでも、悔やみきれない。

 特に、それで不利益を与えているのはいつも他人ばかりだ。

 なるほど、これはたしかに照月が「ロックさんが何もかも奪っていく」と吐き捨てたとおりだろう。



●大変申し訳ありません! 発信者:橘なる

三人描いたところで、すっかりと安心してしおりました……。

発注の確認漏れです。本当にごめんなさい……。

そして本日二〇時まで所用があり、明日明後日は外出するため作業の時間も取れそうにありません……。



●無題 発信者:ロック

橘さんの書き込まれている予定を見る限り、このタイミングだと差し替え等は難しいと思います。

現状いただいているものを全納品物として考えて行動するのがベストだと思います。


本来、制作管理として、事前に何か書き込みをするべきだったのはボクなので……。

双方に対して申し訳ないですが、上記の考えで作業を進めていただければと思います。


絵柄の統一を考えてチェリーの立ち絵をシルエットに差し替える等は、申し訳ないですが、エルさんが監督としてご判断いただければと思います。



●そうですね…… 発信者:エターナル・ミキ

了解です、その形で進めます。

とりあえず、小一時間ほどかけて、ベストな対応策を考えてみますね。



●とりあえず、作業報告 発信者:エターナル・ミキ

 ・フリーのシルエット素材で良さそうなものがないか検索 → 該当なし

 ・仮に入れているグラフィックを試しにシルエット化 → 何がなにやら分からないシルエットになったので没

 ・シルエット化に耐えられるチェリーのイラストを自分で描いていないか検索 → 該当なし

 ・シルエット化に耐えられるフリージアタイプのイラストを自分で描いていないか → 辛うじてひとつだけ該当したのでシルエット化作業中(ただし画像切り出しやスムージングの作業をしっかりと行う必要あり) 今ここ


……どうしても作業が間に合わなさそうだったら、かなり納得がいかないものの、仕方がないのでフリーのシルエット素材を使います。



●とりあえず、先に報告を 発信者:エターナル・ミキ

予想以上に時間がかかりましたけれど、間に合わせのシルエット作成&動作確認をしました。


本来、FDチェリーではないイラストなのですけれど、

 ・シルエット映えするイラスト

 ・作業時間が出来るだけ短くなるようなイラスト

……の観点から選出。


ただ、実際にシルエット化してみると線がかなり粗く、改めて輪郭線を描き直しました。

急場の作業で調整が出来ず、他の立ち絵との違和感が拭えないですが……。

絵柄の違うものが混ざったり、イメージと違いすぎるシルエットを用いるよりはマシなので、これで行きます。


問題は、戦闘時の顔アイコンで……。

仮アイコンのままだと、やはり異なる絵柄になってしまいますし、シルエットを切り出すとそれ以上に違和感があります。

試しに作ってみた『no image』アイコンの方が、統一感の観点で言えばマシだったので、それに差し替える形にします。

……本当はプレイヤに対してあまりに失礼すぎる(馬鹿にしていると思われても仕方がない)ので、やりたくないのですけれどね。


十分な時間があれば、誰かしら時間のある人間が絵柄を調整して、顔アイコンだけ描くという方策もとれたのですけれど……。

過ぎた時間は戻ってこないので、仕方がないです。



 エターナルはあくまでも淡々と書いているが、そこからは落胆がにじみ出ている。

 そういえば、彼女は橘のイラストが好きだったのではなかったか。

 だからこそ、『機兵少女フリージア』を不本意な形で繰り上げ採用した際、交換条件として彼をイラスト担当に指名した。

 それなのに、最後がこんな結果になってしまうとは。



●これで作業を一端切り上げます 発信者:エターナル・ミキ

現状、既に、色々と作業が押しています。

ヒキワリさんのイラストが上がれば(夕方予定)、できる限り即座に次の作業に移らないといけない状況です。


念のための動作確認の必要もありますし、ミスをしないように、作業項目の洗い出しもしないといけません。

リリースフォルダへの差し替え作業は、話し合い板でも書いたように、仕様上、それなりの時間がかかります。

アップロード作業するロックさんの都合もあるので、正直、時間はないです。


……と、ちょっと余裕がない書き方になって申し訳ありませんが、予想以上に予定がずれ込んでいるので、作業に戻ります。



 ただ、そこで、思ってもみないことがあった。

 ロックは掲示板を確認しながら、そこに記されている名前を二度ほど見返した。



●ま……待ったっす! 発信者:雁間出太

僕が……僕が、描かせていただいてよろしいでしょうか!

というよりも、現在線画作業中でして!


原作者のエルさんに、

 ・チェリーのフリージアとの前髪の差異があればそれを

 ・髪飾り部分の形状が円で問題無いか

 ・及び配色はフリージアと同様のもので良いか

……指定をいただければ、幸いです!


    *


 参加していたはずの『おもてがわ企画(仮称)』は、彩色ラフのメカデザインを上げるまでしていたはずなのに自然消滅した。彼自身、一応は企画書を提出はしたものの、他のメンバが提出する完成度の高い企画書より明らかに劣っていたので自ら辞退した。

 櫛の歯が抜けるようにメンバが抜けていく中でも、彼は何とか踏みとどまった。それというのも、自分はまだ何もしていない――何も出来ていないからだ。だから、必死に自分の活躍の場を見出そうとした。例えば、テストプレイには積極的に携わった。自分の領分が済めばあとは関係ないとばかり、テストプレイすらしないメンバが何人かいたが、雁間はむしろ積極的に各企画をプレイした。SGCというツールのユーザインタフェイスは劣悪で、エターナルがかなり改善したとはいえ、まだまだ使いづらい。それでも、それが気にならないぐらいに『メカニカル・コンチェルト』は面白かった。『機兵少女フリージア』はエターナルのこだわりが強く表れていて、数多くのシステムが盛り込まれていたし、橘なるのイラストも可愛かった。『KUMA-SAN部隊』はその可愛らしいタイトルとは裏腹のハードな作風で、SRPGとして非常に難易度が高く、やり応えがあった。『クロスオーバーシナリオ』では『フリージア』と『KUMA-SAN』のメンバが合流し、さらには次回作『逆転勝機ブリュンヒルデ』の主人公と主役機が出てきたときには燃えた。そして、そんな作品を作り出すメンバを、心からすごいと思った。

 そうしてテストプレイに参加したり、雁間が積極的に活動に参加する姿勢を、ロックを初めとした主要メンバは賞賛してくれた。SNSを用いた広報活動については雁間が積極的に展開し、そちらについてもおもてがわなどが「ガンマ君、すげーッスよ!」と絶賛してくれた。しかし、そうして褒められるほど、彼の心は虚しさを憶える――なぜなら、それらはいずれも、彼が本当にやりたいことではなかったからだ。

 彼は、イラストが描きたかった。自分のデザインした機体がゲームに組み込まれ、命を吹き込まれ、プレイされるのを見たかった。しかし、そんな思いは『おもてがわ企画(仮称)』が廃案となってしまってから、完全に断たれている。『逆転勝機ブリュンヒルデ』のメカデザインは『弾痕のメタファー』や『KUMA-SAN部隊』に引き続いてヒキワリであるし、最近始動した『おもてがわ企画第二弾(仮称)』というのもヒキワリの完成済みイラストを使用した企画である。『機兵少女フリージア』は実質的にメカデザインは存在しない(フリージアはあまり機械的な外見ではない)から、『メカニカル・コンチェルト』のメカデザインは全てヒキワリのものとなっている。実力の差だということもあるが、機を逸してしまったということもある。

「声を、上げることが出来なかったから……」

 思い返せば、そんなことばかりだった。声を上げることが出来ていれば、スノー・クロックはサークルを抜けなかったかもしれない。声を上げることが出来ていれば、『おもてがわ企画(仮称)』が立ち消えになることはなかったかもしれない。声を上げることが出来れば、照月を呼び戻すことが出来たかもしれなかった。声を上げるのを躊躇ってしまっていたから、今も最悪な父との共同生活をしている。声を上げる機会があったのに、声を上げることを躊躇って、悪い結果ばかり招いてしまっていた。

 もちろん、他人のせいにすることは簡単だ。スノー・クロックが抜けるに至ったのは照月が原因であるし、彼を追うことのなかったリーダのロックも悪いだろう。『おもてがわ企画(仮称)』が立ち消えになったのも、企画主であるおもてがわが詳細プロットも指示のひとつもしなかったせいであるし、シナリオ担当のスノー・クロックが抜けたというせいもあるだろう。照月に至っては、彼女自身の不徳ともいえるし、冷静さを欠いたロックのせいだとも言える。

 ただ、それは雁間が何もしなかったことの理由にはならない。雁間自身はそれらのことの原因でもなければ要因でもなかったが、それに関わることを避け、正そうという動きを一切しなかった。一方で、エターナルなどはそれに積極的に関わり、正そうとしていた。もちろん、彼女がくちばしを挟んだせいで事態が混乱していることも少なくはなかったが、遠目に見るだけで何もしないでいた自分に彼女を非難する資格があるだろうか。むしろ、雁間を初めとした積極的でない人間がいたからこそ、彼女は自らが傷つくのを承知で動かざるを得なかったのではないか。

 それが最近では分かるようになったからこそ、雁間はテストプレイに参加したり広報活動を行なったりと、以前よりも積極的に活動に参加しているようにしていた。それらは雁間の本当にやりたいことと違ったが、それでも、いつかは本当にやりたいこと――イラストを描く機会に巡り会えることだろうと信じて。


――橘さん、チェリーのイラストはまだですか?

――ごめんなさい、発注の確認ミスです。今からだと、もう、間に合いません……。

――非常に残念ですが、チェリーのイラストはなしにします。本来はプレイヤに対して非常に失礼なのですけれど、『No Image』で通します。


 だから、そんなやりとりが交わされ、サークル内に動揺と失意が広がったとき――彼は手を上げた。


「僕が……僕が、描かせていただいてよろしいでしょうか!」


 その言葉は、自然と出てきた。同時に、今まで忘れかけていた創作への情熱が、再び戻ってきた。そして返事を待たずに、その情熱の赴くまま、ペンを走らせた。

 下絵を描いている時間はないので、ペンタブレットで直接線画を描く。失敗を修正する時間は、まずない。一発勝負で、しかし手を抜くことがなく、最高の仕上がりを目指す。橘なるのイラストと乖離しすぎていては意味がないので、色使いや筆遣いにも気を遣う。今までにないほどの集中力を発揮し、わずか三〇分程度で下絵を完成させた。それを掲示板に上げ、これで良いかとエターナルに確認をとる。

 返信は、すぐにあった。エターナルは雁間の熱意に感動し、申し入れに感謝の言葉を述べている。そして雁間が上げた下絵に対して「可能なのであれば」という注釈付きで、数点の修正指示を出してくる。彼女も時間のなさを焦っていながらも、責任を持って完成度を高めようとしているらしい。指摘箇所は「右目の位置と顎のラインを見比べると、わずかにデッサンが狂っている」「パーツごとに描いたものを組み合わせたせいではないか」という、雁間がイラストを描くときの癖を指摘する至極妥当なものだった。雁間は了解の旨を返すと、手早く修正し彩色まで済ませ、再び掲示板に上げる。

 エターナルからの返信は、今度は少し時間がかかった。ただ、どうやら彼女は雁間のイラストをゲームに組み込み、表示確認するまでしていたらしい。次の返信は、それらのスクリーンショットが添付されていた。



●雁間さん、ありがとうございます! 発信者:エターナル・ミキ

とりあえず、差し替えて動かしてみました。

ユニットアイコンで見る限りは、ギリギリ、許容範囲ですね。

ステータス表示をすると、塗り方の違い(特に髪の塗り方)に、多少の違和感がありますが……。

まあ、チェリーはステータスを確認する機会が少ないNPCなので、その点は目をつぶります!


本当、お時間を割いて、素早く仕上げていただいてありがとうございます。

リテイクに快く応じていただいたことにも、感謝です!

もう少し確認してのち、これらをリリース用フォルダへ差し替えますね。


雁間さんに手を上げていただけて、最悪の形だけは免れました。

重ね重ね、お礼申し上げます!



 嘘やお世辞を言わない、バカに正直なところがエターナルらしい。文面を見る限りだと、本来、彼女としては採用しかねる程度の完成度だったのだろう。実際、雁間自身としても、決して納得のいく出来ではない。ただ、それでも間違いなく全力を出し切ったのであるから、これが今の彼の実力というものなのだろう。そのことは、粛々と認めなければならない。

 それでも、彼女が雁間の行動に満足し、感激しているらしいことは間違いなかった。それこそ、あの背の高い年上女性が満面の笑みを浮かべている姿を容易に想像することが出来る。

「僕の、まだまだ未熟なイラストでも、誰かを助けることが出来る……笑顔にすることさえ、出来るんだ」

 あるいは、これが共同作業というものなのだろうか。

 誰か、自分とは異なる価値観の人々と、何かを共に作るという活動――その達成感を、彼は初めて味わっている。

 工業高校で学び、エンジニアになるべく勉強しているのは何かが違う。

 学校で学ぶことは雁間自身感動を覚えることもなければ、誰かを感激させられた試しもなく、当然ながら達成感や満足感など一度も覚えたことがない。


「やっぱり、僕は……クリエイタの仕事に就きたいんだ」


 そのことを、今では強く思う。

 今は偽物のイラストレータであるものの、いつかきっと本物のイラストレータになってみせる――このとき、雁間はそのことを固く誓うのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ