序、
まえがき
これは『創作の協奏曲』の作中作としても出てくる物語です。
原案は私(久遠未季)ではありませんが、「もう自分のものじゃない」とか「煮るなり焼くなり好きにしていい」「権利を主張することはない」という言質は過去に幾度かとっていますので、言葉通り好きにさせてもらっています。
序、
*
化け物だ。
彼がその存在に対峙したとき脳裏をよぎった言葉は、ただ、それだけだった。
――漆黒の巨体が、肉食獣のしなやかさを伴って疾駆する。
砂漠を渡るのに『衛機』が必須であるとはいえ、それはあくまでも移動手段としてのものである。
たしかに衛機は直立二足歩行する機械であるからして、人間同様の格闘戦を演じることも不可能ではないのかもしれない。実際、各オアシス都市が有している兵団では軍用衛機による部隊こそが主戦力であるし、旅客を狙う砂賊のたちも好んで衛機を用いる。
だが、ここまでの動きをしてみせる衛機など、彼は一度も見たことがない。少なくとも、民生用の衛機では無理だ。しかし、見たところそれは、軍用の衛機であるともいいがたい。ノイド砂漠で流通している衛機となれば、軍用から民生用まで幅広く知悉しているという自負が彼にはあったのだが、それはいずれにも当てはまらない姿形をしている。
――バッテリィタンクから直接供給されたプラズマが、砲口からほとばしる。
――バッテリィタンクから直接供給されたプラズマが、銃口からほとばしる。
全長十メートル弱の黒色が、手に提げたビーム小銃を撃ち放ってくる。彼はそれを回避しながら、自らの衛機が保持していたビーム拳銃で反撃を試みるが、破れかぶれの攻撃が当たるはずもない。
だが、それではっきりしたことがある。相手は姿形こそ異形であるものの、間違いなく、軍用のチューンナップがされた衛機なのである。少なくとも、民生用の衛機のバッテリィ出力ではビーム小銃を撃ち放つことは不可能である。さらにはビーム発射後に硬直がないところを見ると、かなり質の高いバッテリィタンクかコンデンサを積んでいることが分かる。
それも、相手はかなりの手練れである。彼も、跨がる衛機こそ民生用の改造品とはいえ、それなり以上に腕を鳴らしてきた男である。その彼にこうまでも恐怖を与える存在が、ぽっと出の、どこの馬の骨ともしれない存在であるはずがない。余所の砂漠から来た新手なのか、それとも――。
『オマエの腕を買って、依頼したいことがある』
無線機のオープンチャネルに割り込んできた声は音割れが激しく、聞き取りづらい。
だが、意外なことに、それは女の声であった。
『報酬は言い値で、それも前金もつけて払おう。だが、その分、簡単な依頼ではない』
少なくとも彼にとって、それこそが長く続く不運の始まりであった。
ただ、同時に――一生忘れ得ないだろう出来事に関わることが出来た、ほんの僅かばかりの誇りでもあった。
*
砂漠は無慈悲だ。無機物で覆われた大地は、有機物の塊である地上生物たちの生存にことごとく適していない。
あるいは繁殖力旺盛な植物たちであれば、それが可能であったかもしれない。だが、それが困難だったからこそ、砂漠は砂漠なのだ。
水が少なきが砂漠であり、水がなければ草木は育たぬ。草木が育たねば、動物たちは生きられぬ。それが自然の掟であり、それらの掟を何よりも厳格に定める存在こそが、砂漠なのだ。
そう、かつては有機物が陸地の大部分を覆い、ともすれば無機物たちは日陰に隠されていた。だが、始原の頃を思い出せば、この惑星は無機から生じたのである。ならば、時代が巡り巡れば、無機の席巻する時代が再び来たことも不思議ではない。
人の営みがそれを加速させたと唱えるものもいるが、所詮、人は人でしかない。砂漠という大きな力の前にあっては、実に微少な存在でしかないのだ。あるいは、もしも本当に人の営みが砂漠を引き寄せたというのなら――人は、砂漠という名の『呼び覚ましてはならぬもの』を呼び覚ましてしまったとも言えるだろう。
だが、やはりそれも、広大な砂漠にとっては些末なことである。
砂漠は、砂漠。人間の営みを左右することこそはあっても、人間の営みに左右されることはない。
それほどの包容力を持ち、そして、圧倒的な虚無さえも抱く。
それが、砂漠なのだ。