2、「『チュリマシ』、作れません!」
2、「『チュリマシ』、作れません!」
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●『ロボつく』運営委員会から正式な回答をもらいました 発信者:橘なる
先日から問い合わせていた件について、ようやく『ロボつく』運営委員から回答を得られましたのでご報告します。
結論から述べますと、第二章として予定されていた『明星のチューリングマシン』のゲーム化に待ったがかけられました。
著作権自体は間違いなく、私、橘なるにあります。
しかし、映像化権やその他メディア展開などの権利は株式会社オールプラネットに属しています。
もちろん、同人活動などが頻繁な昨今ですから、あくまでも二次創作活動だと黙認することもやぶさかではないということです。
特に『ロボつく大戦(仮称)』はフリーゲームの予定ですから、非営利的なファン活動だという意味では、大きな問題はありません。
しかし、現在、『明星のチューリングマシン』は『ロボつく』選出作品として短編アニメ化が進んでいます。
ご存じの通り、『ロボつく』自体の企画趣旨が『他で発表されたことがない、全く新しいロボット企画』です。
そのため、ゲームの公開がアニメ公開より先になると、企画趣旨からずれてしまうという問題があります。
それが純粋なファン活動であるならともかく、原作者である私が関わる形となると、なおのことややこしくなります。
それらの事情を鑑みまして、サークルのリーダであるロックさんと協議した結果、『明星のチューリングマシン』の制作は無期限延期となります。
『中止』ではありません、あくまでも『延期』ですので、ここまで尽力くださった皆さんの作業は無駄にはしません!
『ロボつく』の短編アニメが公開された後であれば、原作者自らの二次創作も、角が立たなくなりますので。
アニメ公開予定の三月や四月以降、改めて、皆様のご協力をいただければと思います。
かねてから危惧していたことであったが、やはりそうなったかと薩摩隼人は思った。グループウェア掲示板の書き込みを見て、彼はひとりため息をつく。
そもそも落選して権利が返却された『弾痕のメタファー』はともかくとして、橘なるの『明星のチューリングマシン』やロックの『SMプロジェクト』は、権利関係がややこしいことになるだろうと思っていたのだ。二次創作同人活動という、限りなく黒に近いグレーゾーンが大きな商業的意義を持ってしまった昨今では、それらの認識が曖昧になりすぎている。正直、正常な商業感覚があれば、相当に危ない橋を渡っているということは分かりそうなものだろうに。ただ、誰も彼もが問題意識を感じず、これでいけると信じ込んで制作を進めていたから、彼もなかなか強く言えなかったのだ。
しかし、それで困ったことになったのは事実だ。第一章『弾痕のメタファー』は権利上の問題もなく無事に完成したものの、二番手として制作が進んでいた『明星のチューリングマシン』が駄目になったとあれば、『ロボつく大戦(仮称)』が完成するまでの期間がさらに伸びる。先日、エターナルに「もっと、制作ペースを速めて、早々にリリースしないと頓挫する」と言われたばかりだというのに、むしろ制作ペースが落ちるとは。
第三章の『おもてがわ企画(仮称)』はというと、こちらも遅々として進んでいない。雁間出太がメカデザインを上げているものの、シナリオは一文字たりとも進んでいないのだ。これはシナリオ担当のスノー・クロックの仕事が忙しくなり、作業できていないということもあるが、何よりも原作監督であるおもてがわが詳細プロットを上げなければろくな指示も出していないせいでもある。企画立ち上げ自体は『弾痕のメタファー』や『明星のチューリングマシン』と同時期なのだから、時間がなかったという言い訳は立たない。また、第四章の『逆転勝機ブリュンヒルデ』は詳細プロットまでできているものの、監督兼シナリオであるえーるが来月か再来月あたりまで「卒論をまとめなければならない」ということで作業時間が取れないのであるし、そもそもイラスト担当さえも決まっていない状況だ。
さて、どうするべきかとパソコン画面を睨み、薩摩が考え込んでいると、画面隅にネット通話申し込みのチャームが表示された。発信者は――サークルの代表、ロックであった。
「薩摩さん、今、お時間大丈夫ですか?」
「おう、問題ない。オレも調度、ロックさんに連絡を入れようと思っていたところだ」
「それは、ちょうど良かったです。……もうお察しかも知れませんけれど、『ロボつく大戦』の第二章についてです。『チュリマシ』の抜けた穴を、何で埋めようかというご相談がしたかったのですよ」
この人もなかなか忙しいだろうに、実に機敏な動きでサークルをまとめ上げようとしてくれるものだと、薩摩は感心する。
いや、それを言えば自分もそうだろうし、精力的に活動しているエターナルなどもそうだ。
作業に割ける時間が限られているはずの社会人組ほど、よく動いている。
あるいは、昨今の学生は忙しいものなのだろうか――薩摩自身は普通高校卒なので、そのあたりの機微は今ひとつ分からない。
「『おもてがわ企画』は、やめた方が良いだろうな。ヤツは、何だかんだでこの三ヶ月、ろくに作業をしていない。……いっそ、没にした方が良いかもな」
「わぁ、なかなか、辛辣なお言葉ですね。没にするかどうかはともかくとして、ボクとしても『おもてがわ企画』を繰り上げにするのはまずいと思いますね。正直、作り上げられる見込みがありませんから、後回しです。……イラストを上げてくださっている、ガンマさんには悪いですけれど」
「ああ、そうか、そうだよな。ガンマ君は、やるべきことをやっているんだよなぁ。……ただ、彼が手間をかけて、時間を割いているっていうのにそれを不意にしているのはおもてがわだ。ヤツがやるべきことをやらないのが、最大の原因なんだよ。ガンマ君に申し訳ないとは思うが、本当は、一番申し訳なく思わなくちゃならないのはおもてがわのヤツだ。オレやロックさんが申し訳なく思ったところで、仕方がない」
「道理ですね。ただ、『おもてがわ企画』がダメとなると、次はえーるさんの『逆転勝機ブリュンヒルデ』ですけれど……」
「えーるさんは、忙しいんだろ? 本当は『弾痕のメタファー』のシナリオにも、もっと手を入れたかったようだが、それもできなかったようだしな」
「ええ、えーるさんは、かなりしっかりした方なのですけれど……それができなかったというのは、よっぽど忙しいのでしょう。そうなると……」
「……エターナルさんの『機兵少女フリージア』、か」
「第五章に予定していたものを繰り上げる……となると、士気の面で、問題があるのですけれどね。この際、仕方がないでしょう。それにエルさんは『新システムの練習台』と称して数話分を試作しているようで、既にかなり完成しているのですよ。どうやら元々小説として完結しているらしいですから……『弾痕のメタファー』や『おもてがわ企画』のように、シナリオが書けないということには絶対陥りませんし」
それはロックと話し合うまでもなく、既に分かっていることだった。
おそらくロックとしても、薩摩に相談するまでもなく「これしかない」と思っていたことだろう。
ただ、それでも薩摩と話し合ったという体裁はとりたかったのだろうし、自分の判断が間違っていないかの確認も取りたかったというところだろうか。
「本当、ボクは薩摩さんがいてくれて、助かります」
最後にその言葉を残し、ネット通話は終わる。
そういえば先日も、エターナルから同じようなことを言われた。
ただ、何故だろうか。
その言葉を聞いても、あまりうれしいと思わないのだった。
「問題が、何点かあります」
決定事項を持ち寄り、薩摩とロックとエターナルの三人でネット通話会議を行なうことになった。
ただ、その中でエターナルが発した第一声がそれである。
「そもそも、『機兵少女フリージア』が第五章以降に繰り下げられていた理由、おぼえていますか?」
「ええ、もちろん、ボクが言ったことですからね。ひとつは想定しているシステムが複雑で、開発に時間がかかるということ。そしてもうひとつは、戦闘システムが複雑なので、初期のシナリオとして採用するとプレイヤにとって不親切だということ……ですよね。『ロボつく大戦』において大ボス級の開発難易度だったので、ボクが後ろに下げました」
エターナルの問いに、ロックは淀みなく答える。
そう、『機兵少女フリージア』に想定されているゲームシステムは複雑である。『戦況に応じて複数の装備を切り替えることが出来る汎用兵器』という設定があり、それが最大の売りともなっているため、どうしてもこの装備変更システムは外せない。さらに単純に装備品が変わるだけでなく、外見はもちろん、基本性能までがらりと変わるというのだ。戦闘バランスの調整にも難儀する上、スクリプトの記述も工夫しなければエラーやバグを出しやすい。
また、登場人物が異様に多いのも特徴だろう。それというのもエターナルが小説投稿サイトに『機兵少女フリージア』のシリーズを複数投稿しているからで、数え上げたら軽く二〇人は超えている。キャラクタイラストを全て用意することは無理なので、登場人物を減らすための調整も必要となる。
「それなのに、第二章でよいのでしょうか?」
「システム面については、簡略化してもらうことになります。申し訳ないですけれど、変更可能な装備は三個程度に絞ってもらわないと、ゲーム序盤のシナリオとして不適切ですから。あと、開発期間の関係もあるので、登場キャラクタも『弾痕のメタファー』と同じ四人程度に絞ってもらいます。そうすれば、問題は解消されます」
「つまり本来の想定から大幅な変更をして、簡略化したものを作るということですね」
「はい、そういうことになりますね」
そのやりとりを聞いて、薩摩はこれがとんでもなく失礼な申し出なのだということに初めて気づいた。
つまり、エターナルの企画である『機兵少女フリージア』の内容を骨抜きにしてくれと頼んでいるのだ。
他の連中の都合で、彼女の作品を台無しにしてくれと。
「……となると、ワタシが試作しているあれは、とりあえず全て没ですね。全く新しく作り直した方が良いでしょう。シナリオも、小説版のものは流用出来ないでしょうから、全て書き下ろさなければなりません」
音声のみのネット通話なので、そのときの彼女がどんな顔をしているのか、薩摩には確認することが出来ない。
淡々とした口調で言っているので、怒っているのか悲しんでいるのか、何を感じているのかが判然としない。
もちろん、それはエターナルだけでなく、ロックについても同じことだ。
「ただ、シナリオをワタシが書くのはやめた方が良いかもしれませんね。ワタシはスクリプトも担当していますから、その中でシナリオも手がけようとするとどうしても質が落ちてしまいます。それに、内容自体が小説版に引っ張られてしまいますし……正直『フリージア』を書くのには飽きてきているのですよ。マンネリ化するなら、誰か別の人に書いてもらいたいとは常々思っていました」
「それなら……それなら、オレが書くぜ、エルさん」
「……薩摩さんが、ですか?」
その言葉を口にしてしまったのは、おそらく『彼女に嫌な役を押しつけてしまった』という自責の念があったからかも知れない。
そうでもなければ、そのときの心境は説明することが出来ない。
「そう、ですね。……薩摩さんは、軍事知識に詳しいようですし、文章も堅実ですから」
「おお、それはありがたい申し出ですね。ええ、ボクもそれが良いと思いますよ!」
「おう、いいシナリオ、書いてやるよ! ……それこそ、一週間後までには、プロットを仕上げてやるからな。それで問題なければ、再来週には、第一話まで仕上げてくるさ」
それは軽口のつもりなどではなかったし、実際、それぐらいの時間で書き上げてしまえるだけの自信はあった。
以前、『明星のチューリングマシン』のシナリオ募集の時も、わずか数日で書き上げられたのだ。
今回、エターナルの『機兵少女フリージア』でも、同じように進めれば問題なく書き上がるだろう。
「あと、これはワタシのワガママですけれど……イラストは、橘さんに描いてもらえたらありがたいです。私自身も描けないことはないというか、実際に『機兵少女フリージア』のイラストはワタシ自身が既にいくつか描いているわけですけれど、是非、彼に描いてもらいたいのです」
「うーん、そちらはボクの方では即断しかねますけれど……なるさんも『明星のチューリングマシン』が延期になったので、しばらくはやるべき作業がなくなってしまいましたからね。まあ、問題ないでしょう。ボクの方から、なるさんには相談しておきますね」
「ええ、お願いします、ロックさん」
ロックも無茶ぶりをしているということは分かっているのか、エターナルの要求を快諾する。おそらく橘が難色を示したとしても、かなり粘り強く交渉するに違いない。場合によっては「『明星のチューリングマシン』が延期になったせいで、エターナルさんが割りを食っているんですよ」ぐらいのことは言って、説得することだろう。そのぐらいの借りをエターナルに作ってしまったのだ。
あるいはエターナルも、そのことを考慮に入れた上でそんな条件を出したのかも知れないが――それは考えすぎというものだろう。橘なるのイラストをつけてもらうことができたところで、彼女が得るものはあまり多くない。むしろ、失うものの方が多いだろう。いずれにしても、彼女の行為は割に合わない。
その後は何点か細かい確認をし、来週には薩摩が完成させたプロットをもって再びネット会議を行なうということを決め、解散となるのだった。
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一週間後、プロットを上げる約束をしていたはずの薩摩隼人が何も上げてこなかった。それどころか、ネット通話で会議を行なうことになっていたにもかかわらず、それも急な予定が入って無理だという。「薩摩さん、お仕事が忙しいようですから」とは、ロックの談だ。仕方がなく、エターナルはロックとふたりだけでネット会議をすることになったのだが、その前に気になることをいくつか確認しておくことにした。幸い、ネット会議は午後一時からの予定だったので、まだ開始まで四時間ほどある。
エターナルにとって、薩摩隼人という人物についての不安要素はいくつかある。ひとつは彼が、『創作家ではない』ということだ。人間性を否定しているわけではない。それこそ、蛙の子は蛙で、トンビがタカを生まないのと同じことだ。ただ単純に、彼は『違う』。エターナルはもちろんのこと、他のどのサークルメンバとも違う人種なのだ。それが、初めて彼と知り合ったときに抱いた印象だった。アヒルの子供たちの中に混じった白鳥の子供のように、明々白々な違いがある。しかし、橘なるや照月、おもてがわしんじ――あるいはロックでさえも、何故かそのことに気付いていないらしい。その証拠に、彼のやり方に異を唱えることもなければ、まるで同じ創作家のように扱ってしまっている。そして、周りがそのように彼のことを扱ってしまうから、薩摩自身さえも『本当は自分は創作家ではない』と薄々気づいているのに、まるで創作家であるかのように振る舞わなければならなくなっている。瓢箪から駒の例ではないが、もしかしたらそれで本当に創作家になることが出来るかもしれない――エターナルはそう思ったから、あえて指摘することなく、ここまで来ていた。しかし、あるいはそれがまずかったのかもしれない。
おそらく、「仕事が忙しくて」というのは嘘だ。単純に、書けなかっただけだろう。そのようにエターナルは理解していた。『明星のチューリングマシン』のシナリオ募集に参加し、それなりに堅実な短編シナリオを完成させていたようであるが、あれはむしろマグレのようなものだったに違いない。それを彼自身、自分の実力だと誤解していたという可能性もあるだろうか。そんなことを考えながら、彼女は薩摩隼人が書いたとされる文章――『明星のチューリングマシン』のシナリオと、『ロボつく』の企画書募集に出して没を食らった企画書に一通り目を通していた。堅実な文章と言えば聞こえは良いが、実際の所、ただそれだけでしかない。味のない紙を噛みしめているかのようで、不味くはないが美味くもないのだ。
次いで、薩摩のSNSアカウントを覗いてみる。一見、タイムライン上にはなんら不審な書き込みはない。しかし、少しばかり薩摩のアカウントにハッキングしてプライベートなやりとりを覗いてみると、様相は異なってくる。
薩摩隼人『よし、それじゃあ、JRの松戸駅で待っているからな』
矢野『はいはい、いつものところね』
スケアクロウ『了解です』
薩摩隼人『いや、本当、急に呼び出して悪かったな』
スケアクロウ『いや、俺も暇してたんで』
矢野『私はいつでもOKですよ』
どうやら他のネット上の知り合いとオフ会をしているようだ。それも文面から察するに、薩摩が昨日今日、唐突に誘ったらしい。
しかし、よりによって、サークルを抜けたスケアクロウまで参加しているとは。
矢野という人は知らないが、ハッキングして得た情報によると、ネット上の知り合いというよりもリアルの知人らしい。
「でも、松戸って……ワタシの家から近いんじゃないかな?」
気になって、薩摩のスマホの位置情報を取得する。すると、驚くべきことに、すぐ近所の住所が表示された。直線距離にすると、徒歩三十分程度だろうか。今まで気付いていなかったが、エターナルと薩摩は同じ市内に住んでいたのだ。
ついでに、薩摩隼人の本名が田中虎之助だということまで突き止める。彼の住まいも、月に一度程度の割合で使用している道の傍――街の中心地で、恐ろしく土地価格が高い番地だということが分かった。それも、好立地なのにそれなりの土地面積の一戸建てで、彼がそれなり以上に裕福な人間だということも分かる。
せっかくだからとKSKシステムに侵入して、田中虎之助の個人情報――特に収入面を調査してみようとしたものの、何故か検索にはヒットしなかった。どうやら国税を払っていないらしい。いや、違う。勤務実態が外国にあるのだ。
「スイスの、傭兵部隊……?」
さすがにこれ以上調べると痛い目を見そうだなと思い、エターナルはそこで手を止める。
思いもかけないものを見つけてしまったが、誰にも言えない類の情報だった。
どうやって手に入れたのかと問われると、違法な手段を使ったことがばれてしまうので、見なかったふりをするしかない。
一応、複数の経路を辿って、そのたびにログを消去していたから問題ないとは思うが――あまりやりすぎると消しきれないなどの事態が発生してボロが出る。
「……でも、彼がどういう人間であろうと、関係がないか」
どんな人間なのかが問題なのではなく、単純に『書けた』か『書けなかった』かが肝要なのだ。
そして、彼は書けなかった。
創作者として偽物であっても、せめてもう少しはこらえてくれるかと期待したものの、それも無理だったというのだろうか。
あるいは正直に「書けなかった」と言ってくれればよかったものの、彼はそれさえもせずに逃げたのだ。
「幹事をやってくれていることは、十分、評価できるんだけどなぁ。……それだけをやってくれれば良いのに、無理して『書ける』なんて言うから」
それでも、ろくに貢献できずに逃げたスケアクロウよりは、十分に評価できる人物のハズだ。
問題は、自分の裁量を超えたことを行なおうとして、結果的に破綻をきたしてしまったということだろうか。
周りに迷惑をかけているという以上に、これだと薩摩自身が一番辛いのではないだろうか。
本当、不器用な人だ――それがエターナルの率直な感想であった。
「とりあえず、あと一週間、待ちましょう」
ロックとのネット会議では、ただそれだけを告げて、すぐに切り上げることになった。
そもそもエターナルは、会話で自分の意志を伝えることは苦手なのだから、長々と話していても仕方がない。
無口であるとか言葉を上手く発せないとか、その類の対人能力欠陥があるわけではなく、むしろ饒舌な方であると思う。
ただ、話し言葉には矛盾や誤謬もあれば、考える暇もなく反射的に発するものが多いので危険だと感じていた。
「一週間後までに、薩摩さんが書いてくるかどうか。……偽物でも、本物になることがあるということを見せてもらいたいのだけどな」
通話アプリケーションを閉じながら、エターナルはこぼす。
ただ、さほど大きな期待は抱いていなかった。
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薩摩隼人が予定していたネット会議を欠席するとロックに告げてきたのは、予定されていた会議時刻の二時間前である。緊急に用事が入ったということで、どうしても出られないのだという。先週も同様の理由で会議を欠席し、上げる予定だったプロットも上げてこなかったが、ロックは薩摩隼人という人物のことは心から信頼していた。そのため、彼の言葉を全面的に信じることにした。彼の職業をロックは知っていたし、緊急に外すことの出来ない用事が発生することもあるのだろうと、一定の理解を示してもいた。
何よりも、この『ロボつく大戦(仮称)』のサークル活動では、彼なくしては成り立たなかっただろう部分が多くある。オフ会の幹事役についてもそうであるし、各メンバとの折衝も彼なくしては成り立たない。ロックはサークルの代表ではあるが、事務的な役割の大半は薩摩に寄るところが大きい。実務面ではエターナルがよく動いてくれているし、以前に代表を務めていたサークルよりもずっとやりやすいというのが正直な感想だ。以前のサークルでは作業の九割近くをロックが務めることになり、「これは『我々の作品』ではなく、『ロックさんの作品』ですね」と皮肉を言われた苦い思い出があるのだ。
ともあれ、薩摩はネット会議には参加できないものの「書きかけで申し訳ないものの、プロットだけは渡しておきます」と、彼なりにまとめた『機兵少女フリージア』のプロットをメールで送ってくれた。本来、企画会議から二週間後に当たる今日は第一話のシナリオ本文が上がっている予定だったが、忙しいのなら仕方がない。彼は責任感の強い人だから、遅れた分は後日取り返してくれるだろうと信じて、ロックは件のプロットに目を通すことにするのだった。
「……これは、マズいですね」
エターナルとのネット会議で、薩摩のプロットを彼女に見せた。
そして一分ほど沈黙した後、ようやく返ってきたひとことが、それだった。
「ええ、マズイです。非常にマズイと、ボクも思っています。……どうしちゃったんだろうなぁ、薩摩さん」
薩摩がメールに添付していたプロットを前に、ロックは頭を抱える。
確かにプロットは送られてきていたのであるし、彼の言うとおり書きかけではあった。
ただ、まさか十話前後予定のところに第二話のプロットまでしか完成しておらず、第三話は一行程度のメモがあるだけだとは。
「ワタシが思うに……そもそも、プロットになっていないですよね、これ」
「ええ、そうですね。ボクも、そう思います。第一話と第二話が完了しているといっても、元々エターナルさんが立てていたあらすじを箇条書きに直しただけですし……」
「箇条書きだというにしても、これ、第一話の内容理解の仕方もマズイです。ワタシ、二週間前の打ち合わせで、ちゃんと薩摩さんに伝えたハズなんですけれどね。この作品のポイントのひとつは『空からヒロインが落ちてくる』というテンプレートの逆、『空から主人公(男)が落ちてくる』から開始して、最後の最後で『空からヒロインが落ちてくる』で締めることにあるのですよ。それが全部カットされた上に、小説版のラストに公開される重大な内容をいきなりネタバレしていますし」
「あっ、本当ですね! これは……いやぁ、マズイですよ。本当、どうしちゃったのかなぁ、薩摩さんは……」
ロックは『機兵少女フリージア』の原作に当たる長編小説というものは、全く目を通していない。それでも、エターナルが提出していた企画書だけで、それが相当によく考えて組み立てられた作品だということは分かっていた。
十六センチメートルの機械兵フリージアが外宇宙からの侵略者『ドレイク人』を撃退するというのが作品内容なのだが、それに巻き込まれる主人公の人物造形や動機が、突飛ながらも丁寧に組み立てられている。メカ少女ものというかわいらしさとは裏腹に、途中、人死にも出る重い内容でもある。原作を読んだというおもてがわしんじの話だと「スプラッタというか、コズミックホラーな感じッスよ。メインヒロインだと思っていた娘が中盤で容赦なく死ぬんで、本当、びっくりしたッス。あと、文章密度が凄まじくて、戦闘描写が凄まじいッス」ということだった。
それに対して薩摩がまとめ上げたプロットだと、おもてがわが「ビックリした」と評していたヒロインの死亡という見せ場がカットされ、もうひとつの見せ場だろうグロテスクな描写もなさそうだ。エターナル自身が言う「ポイントのひとつ」も押えられていないとなれば、あとはどこに見せ場があるというのだろうか。
たしかに、今回、エターナルには多くの点で妥協してもらっている。戦闘システムや登場人物など、おそらく彼女がやりたかったのだろう諸々を諦めてもらっている。それでもロックは、『機兵少女フリージア』という物語の面白さを損なわないように凝集することは可能だと思っていた。そしておそらく、エターナルもそう信じたからこそ、『機兵少女フリージア』を第二章として作ることに了承したのだと。
だが、薩摩隼人の提出したこれは、違う。物語を骨抜きにしているとは、このことをいうのだとロックは思う。これではまるで、エターナルの作品を侮辱しているのだし、ここまでこのサークルに貢献してくれている彼女に申し訳ない。
「……なら、ボクが薩摩さんのサポートという形で、ある程度まで書いちゃいます」
その言葉が口をついて出たのは、自然なことだった。
おそらくここでロックが言わなければ、エターナルは「やっぱり、自分でシナリオも書きます」と言い出したことだろう。
ただでさえ困難なスクリプト作業を全シナリオで手がけている以上、エターナルの負担は相当なものである。
一度は「負担が大きいから」ということを理由のひとつとして薩摩にシナリオを任せたのだということも、忘れてはいけない。
「スケジュールを遅らせるのも、まずいですからね。もう、今すぐに取りかかっちゃいます。薩摩さんの了解を取らずにやっちゃいますけど……まあ、彼なら大人ですし、理解してくれるでしょう」
「そう、ですね。それでは……お願いします、ロックさん。まずは、早々に完成させなければなりませんから。ロックさんにはしっかりと筋の通った、コンパクトなストーリーをお願いします。それに薩摩さんが練ったプロットというのも、スクリプトを工夫すれば外伝やサブストーリーとしてそのまま使えそうな内容ですし……何とかそちらの方も上手く調整してみますよ」
「サブストーリー、ですか? ……でも、それはエターナルさんの負担にならないですか?」
「今回は没にしましたけれど、試作版の『機兵少女フリージア』をシナリオサンプルとしてあげていますよね。あれの第三話で、それを制御するためのスクリプトを試作して、何とか上手くまとめられているんですよ。それを移植すれば、簡単にできます。もちろん、まずはメイン部分を最優先で作って、余裕があれば追加する……という形になりますけれどね」
「おぉー、いいですねー。……ということは、同じようなことをすれば、『弾痕のメタファー』の追加シナリオなんかも?」
「多少の調整は必要ですけれど、可能ですよ。……いえ、本当は『明朝のチューリングマシン』に組み込めないかと思って作っていたシステムなのですけれど、今はどんな作品にも組み込めるように上手く一般化していますから。その調整というのも大した労力ではないです」
「ああ、そういえば『チュリマシ』が制作延期になる前に、なるさんとそんなやりとりをされていましたね。……結局、なるさんはお気に召さなかったようですけれど」
「正直なところを言うと、なるさんの采配が今のところ一番やりやすかったですね。欲しいものは欲しい、いらないものはいらないとハッキリおっしゃいますから。もちろん、そのせいでスノーさんが戦闘バランス担当を降りなければならなくなりましたけれど……っと、そうだ、戦闘バランスのことを忘れていました。一応、戦闘バランスは全章通してロックさんが調整するということになりましたけれど、『機兵少女フリージア』に関しては、まずはワタシの方で大枠を調整してしまいます。特殊な指定や設定が多いので、多分、そうしないと上手くいかないので。ロックさんには最終調整だけお任せするという形にします」
「おお、それは助かります。……あっ、そうそう、ボクからも申し上げておくこともあるんでした。楽曲については『弾痕のメタファー』同様、ボクがこれまでに作った曲を自由に使ってもらうことになるので。共有フォルダに色々と入れておきますから、好きなようにお使いください」
「はい、了解しました。さすがのワタシも、作曲だけは出来ないので……ありがたく使わせていただきますね」
「ええ、どうぞどうぞ。……それじゃあ、ボクはさっそくシナリオ執筆作業に入ってしまいます。来週までには、半分ぐらいは書けていると思いますので」
伝えることは全て伝えて、ようやくネット通話を切る。
気がつけば、通話開始してから二時間が経過し、午後三時になっていた。
「……さて、やりますか」
スクリプト作業を任せるようになってから、エターナルには散々損な役回りを押しつけてしまっている。
その埋め合わせとして、せめて最高のシナリオを書き上げてやろうではないか。
そう決心すると、ロックは休憩を挟むこともせず、早速、シナリオの執筆に取りかかるのだった。
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この人、狂っている――それがエターナルの正直な感想だった。
ネット通話が終わった後、件のサークル代表は休憩を挟むことなく、共有ドキュメント上で猛烈な勢いの執筆を開始していた。あの小柄で華奢な体のどこに、これだけのエネルギーが秘められているというのだろうか。先に提出していた企画書あらすじを元に、ロックは一時間足らずで第一話のシナリオを書き上げていた。そのまま第二話シナリオに取りかかり、それも一時間で仕上げる。五時になったのでエターナルは一端退席し、風呂を沸かしたり夕飯の支度をしたりしていたのだが、その間にロックは第三話と第四話を書き上げていた。
エターナルが風呂につかり、夕飯を食べ、土曜九時のドラマを見ている間にもロックは作業を続けていたらしい。就寝前の午後十時に覗いたときには、なんと第八話まで書き上がっていた。そしてドキュメント上のコメント欄には「とりあえず、全八話構成で書き上げました。必要に応じて加筆していくと思いますが、まずは現状で描写に不備があれば、コメントなどを下さい」と書かれていた。エターナルは午後十時には就寝する習慣だったのだが、明日に回すわけにはいかないなと思い、取り急ぎ目についた部分について修正や提案のコメントを加えていくことにした。気がつけば一時間が過ぎ、二時間が過ぎていたが、大きく修正すべき箇所はごくわずかだった。
やはりというべきか、ロックの文章は実に完成度が高い。矛盾はほとんどなく、物語運びのコツをしっかりと押え、それでいてエターナルの文章をコピーしただけのものではない独自性もあった。人物の一人称や二人称といった言い回し、そしてストーリー解釈でどうしても譲れない部分は何点かあったが、言い換えればその程度しか改善指示がない。切りのよいところまでコメントを済ませると、後の作業は翌日に回すことにして、二時間遅れで床につくことにした。
翌日、起きて着替えて朝食をとり、一息ついたところで共有ドキュメントを開く。そして、エターナルは驚いた。昨夜のうちに彼女が指摘した箇所を、ロックはその通りに直してきたのだ。ただ、設定解釈についてはどうしても認識齟齬が出ている部分があったので、その部分だけは再び疑義が挟まれていたが、その程度と言えばその程度だ。
「まあ、あのあたりの設定は、専門知識がないと理解しづらいしなぁ……ロックさんの解釈に合わせた方が良いかな?」
ここで侃々諤々とやり合っても仕方がないので、「本来はそれだとワタシの意図と矛盾してしまうのですけれど、分かりやすさを優先してロックさんの解釈で行きましょう」という具合に、ある程度の譲歩はする。具体的にはクロッカスというフリージアの量産型機械兵が出てくるべき場面が「ビジュアル的にフリージアそっくりなキャラの方が良い」というロックの提案で、今回は使う予定がなかったはずのチェリーというものに置き換えられた。小説とゲームという媒体の違いもある以上、小説として適切な解釈と、ゲームとして適切な解釈は異なる。その意味では、十分、許容範囲だ。
ただ、最終話でドレイク人が人間の言葉を発するという描写は入れるわけにはいかなかったので、そこだけは譲らなかった。たしかに、そちらの方がプレイヤに与えられる印象は強いものになるだろう。ただ、それをされると物語の趣旨が全く違うものになってしまう。ゲームとしての完成度も大切で、そのあたりは柔軟に変えていくべきであるが、だからといって物語の根幹さえも別のものに変えてしまうと他の全てが瓦解してしまう。譲って良い部分と、絶対に譲ってはいけない部分は明確に区別する必要があるのだ。
ともあれ、これでシナリオのメイン部分は九割方完成した状態だ。ただ、記述形式が通常の脚本形式だったので、第一話冒頭からSGCのスクリプト形式に変換していくことにした。ついでに戦闘パートとADVパートの分割作業もしていく。それらの単純作業を三時間ほどかけて終えた後は、背景指定や効果音指定、BGM指定などを書き加えていく。また、戦闘ユニットの配置や戦闘イベントを仮置きしていき、通しで動く形に整えておく。ユニットデータの類は試作版で既に作り込んでいるので、新しく用意する手間はなかった。むしろ登場キャラクタが大幅に減っているので、指定は楽だった。
途中、昼食をとるぐらいのことはしたし、午後三時には三十分ぐらいの休憩を取った。ただ、それを除けばほとんど作業のし通しで、気がつけば夕方――時計は午後六時を示していた。
「……あっ、完成しちゃった」
試作版として、各種データを既に準備していたということもあるだろう。戦闘マップはSGC公式ページのサンプルマップの流用であるし、楽曲はロックが用意してくれていたものを使った。また、効果音も基本的にSGCのプリセット音源を使っているだけだ。フリーの効果音をネット上から借りてきた部分は少数であるし、背景画像については試作版を作成したときに収集済みだ。
また、『弾痕のメタファー』や『明星のチューリングマシン』の制作で作業のコツが掴めていたということもあるだろう。『弾痕のメタファー』のときには手探りで、非効率的なことを多くしてしまっていたが、今回はそういうこともない。どのような関数が使えるかは分かっていたし、ロックがメモしていた指示も分かりやすかった。視点変更なども必要最低限で、立ち絵の切り替えも含めて演出に悩むこともなかった。
ただ、それらの前提があるにしても、案外と簡単にできあがってしまったのも事実である。二ヶ月もかけて作成した『弾痕のメタファー』や、それ以上の時間をかけても詳細プロットすら上がらない『おもてがわ企画(仮称)』というものがあるのに、『機兵少女フリージア』はシナリオ着手からたったの二日――いや、二十四時間を少し過ぎたかどうかで完成してしまった。
もちろん、現段階ではバランス調整も何もあったものではない。あくまでも、第一話から第八話まで通しで動くようになっているだけで、おそらくゲーム性としては劣悪だろう。しかしテストプレイしてみた感覚では、むしろ特殊な勝利条件しか設定されていない『弾痕のメタファー』よりも、ずっと良くまとまっている気がする。フリージアというキャラクタの性質上、いわゆる『回避ゲー』といったバランスになってしまっているが、数値を適当に置いたにしては、案外、ちょうど良いバランスに落ち着いている。試作版でキャラクタデータをいじっていたわけではなく、SGCの指南サイトに書かれていた数値を参考に「フリージアなら、このぐらいのステータスにまとめると良いのかな?」という直感で設定したのだが、それが功を奏したということだ。
「……まあ、ここからの調整が、難しいんだけれどね」
それでも、ロックの手がけたシナリオ完成度は高い。
一話あたりのシナリオは小粒であるものの、肝をとらえた物語運びはプレイヤを飽きさせない。
薩摩がこれにいくつかシナリオを追加することになるわけだが――ロックが構築したものを崩さずにシナリオを追加しようとするのは、なかなか骨だろう。
むしろ、シナリオはこれで完成と言ってしまって良いのだ。
「ロックさんも、酷いことをするよなぁ。……これじゃあ、ますます、薩摩さんが書けなくなっちゃう」
苦笑しながらも、一応、フォローは入れておくことにする。
薩摩に担当してもらうのは、物語の途中、サブイベントとして挿入するシナリオだ。
試作版で作っておいたADVパートを第二話や第三話に移植し、そこから選択肢や行動によってサブシナリオに分岐していく――それがエターナルの想定だ。
そのような構造にすれば、たとえ薩摩の上げてくるシナリオが完成度として劣っていようとも、目立ってしまうということはない。
「『ロックさんがメイン部分を上げてくれましたけれど、薩摩さんの堅実で軍事知識に裏打ちされたシナリオには期待していますので』……と。こんな感じかな、掲示板への書き込みは」
あとは、薩摩がどう動くかだろう。これで奮起するのか、あるいは余計にしぼんでしまうのか。
また、他企画の監督がどのような反応をするかも、注視していないといけない。
特に、本来は第三章に据えられていたはずの『おもてがわ企画(仮称)』については、もっと積極的な動きが欲しいところだ。
「……まあ、動きがなかったらなかったで、ワタシは『機兵少女フリージア』の完成度を高めるだけだけれどね」
ひとりごちながら、エターナルはそっとパソコンの電源を落として、今日の作業を終えるのだった。
この人たち、狂っている――それが雁間の正直な感想だった。
なんやかんやで、彼がメカデザイナとして参加していた『おもてがわ企画(仮称)』の優先順位が下げられて二週間。正直、彼としては色々と言いたいことがあったが、彼が何かを言ったところで企画主であるおもてがわしんじや、シナリオのスノー・クロックの作業がはかどるわけではない。それに、優先順位が下げられただけで、企画そのものが中止になったわけではないのだ。そんな気持ちで、高校の試験勉強をしていたのだが――そうしている間にも、ふたりの狂人が『機兵少女フリージア』をたった二日で作り上げてしまった。
そんな簡単に、シナリオとは完成するものなのだろうか。それも、共有フォルダにアップロードされていたそれをテストプレイしてみたところ、正直なところ『弾痕のメタファー』より面白かった。企画主であるエターナルは「ただ単に通しで動くというだけで、まだ、二〇パーセント程度の完成度」と言い張っているが、そんなことはないだろう。グラフィックは橘なるのものではなくエターナル自身が描いた仮グラフィックだが、一応、彼女も絵師の端くれなのだから、そこまで悪いものではない。これはもう、八〇パーセントぐらいの完成度だといえるだろう。
確かに、第二話や第三話に導入されているADVパートはまだイベントらしいイベントが入っていないものの、そこにはADVゲームそのもののインタフェイスがしっかりと実装されている――『ロボつく大戦(仮称)』はあくまでもシミュレーションRPGであるにも関わらず、だ。ちなみに制作ツールのSGCにはそもそもADVゲームのインタフェイスなど存在せず、雁間が調べた限りではそういうプラグインも存在しない。おそらく、エターナルが完全自作したものだろう。そして、今は何も挿入されていないこのADVパートとやらに、さらにたくさんの要素をつぎ込むつもりなのだろう。その意味での二〇パーセントだというのなら、果たして彼女はどれだけの大作を作ろうとしているというのだろうか。
「でも、エルさんなら、問題なくそれを実現出来てしまえるんだろうな……」
イラストを担当することになった橘なるは、まだイラストを上げていないわけだが、エターナルはキャラクタ指示を先週の内に出している。そしてSNSの書き込みを見る限りでは、橘もそれを元に、ラフスケッチを描き始めているようであった。
ただ、橘の場合、ここ以外のサークル活動や『明星のチューリングマシン』の宣伝戦略がある。そのため、あくまでもその裏で行なっているようであるが、彼も彼で手の早い絵師である。なので、もしかすれば、今月中に着色ラフまで完成するかも知れない。
「一ヶ月もしないで、ほとんど完成してしまうのか」
思い出すのは、先日のオフ会での会話である。
あのとき、エターナルは「あのぐらいの内容なら、一ヶ月……遅くとも二ヶ月で完成しないといけなかった」と言っていた。
そのときは、そんな無茶な話はないと思ったものだが、彼女は本当にそれを実行してしまった。
「それだというのに、僕は……なんて無力なんだろうな」
雁間の参加している『おもてがわ企画(仮称)』は、遅々として進まない。
彼自身としても、ラフスケッチを上げたのは早いが、彩色画はなかなか仕上がらない。
さすがに詰まったままというのもまずいだろうと思い、この間、企画主であるおもてがわに「どういうイメージですか?」とたずねもした。
だが、「最終的に、デカくなるッス! マクロスとか、グレンラガンぐらい!」という曖昧な回答しか得られず、結局、何の参考にもならなかった。
「勉強も、最近は分からなくなってきたし……」
高校二年生になると、勉強も難しくなる。英語や国語などの文系科目は新しい知識を詰め込んでいけば割と対応できるものの、数学や理科はそうもいかない。前年の内容を一〇〇パーセント理解している前提で理論が組み立てられているので、どこかしらに取りこぼしがあると、加速度的に理解できない箇所が増えていくのだ。
昨年の二学期、数学の中間テストは六〇点だったので満足していたものの、今年の二学期中間は赤点ギリギリの三六点だった。理科も各種、似たような点数である。だからこそ、次の期末試験では挽回しなければならないとテスト勉強をしているが、教科書に書かれていることが全く理解できない。三角関数の公式はあまりに多く、憶えたつもりでもすぐに頭から抜けていく。問題集を解いていると、教科書に公式の載っていない三倍角の定理を証明せよという問題が出てきたり、どう見ても計算できないはずの正弦と余弦同士で計算していたりと訳が分からない。ベクトルも平面の最初の方は理解できるが、平行条件や垂直条件となると意味不明だ。
また、工業高校ともなれば、通常の高校よりも高度な内容を取り扱うことが多い。数学の場合、三年生では『フーリエ級数展開』や『ラプラス変換』を行なうと担当教師は言っていた。物理のホイートストンブリッジ、コンデンサやコイルが混じった回路の計算、そしてなぜか数学で出てきたオイラーの公式を用いたり虚数(それも数学で用いたiではなく、なぜかjという文字を用いている)が出てきたり。SNSでぼやいていたら、エターナルが懇切丁寧に解説してくれて、そのおかげで多少は分かったつもりになったものの――実は彼女が教えてくれたことの半分も理解できなかったというのが正直なところだ。
一応、家には雁間と同じ工業高校出身の元エンジニアもいるが――アレを頼るなんてまっぴら御免だ。今も、居間でゴロゴロとテレビを見ているようだが、そういえば最近はハローワークに通うということもやめてしまったようだ。それでも生活できているのは、母が『雁間の学費』という名目で振り込んでいる金に頼っているからに他ならない。いや、そんな金が母から振り込まれているということを知ったのはつい最近のことで、彼はそれまで生活費含めて父が貯金を切り崩しているものかと思っていたのだ。だが、どうやらその貯金というのは二人暮らしになってから二年で尽きてしまったらしく、基本は『雁間の学費』のピンハネと、どこかからかこさえてきた借金(どこから出てきたものなのか聞きたくもない)でまかなわれているのだという。
「いいか、エンジニアになるにしても、上を目指せ。いっぱい勉強して、賢くなって、人を使う方の立場になれよ」
最近、父はなにかにつけ、そんなことを言う。
自分のことを棚に上げて、何を偉そうなことを言うのか――最初はそう思っていた。
だが、最近では、少し考え方が変わってきている。
「……僕は、むしろこんなヤツにさえ、劣っている」
学業についていけない自分を鑑みると、そんな結論に至ってしまう。
一応、これでも父は立派に工業高校を卒業しているのだし、話を聞く限りでも成績はそれなりに良かったらしい。それなのに、今の雁間はかつて父が理解していたはずの数学も理科も十分に理解できず、技術実習の成績もパッとしない。文系科目の成績は悪くないものの、少なくとも雁間の工業高校に文系という進路は存在しない。仮にそちらの進路を目指そうと思っても、カリキュラム的に文系大学に進むにはいくつかの科目を独学しなければならないだろう。そもそも、それでは何故工業高校に入ったのだという話になってしまう。
また、父は今でこそ、優秀な母に劣等感を抱いて、ついには職を手放すようなことさえした愚か者である。だが、エンジニアとしての実力も低かったわけではないらしいのだ。実際、この間も何の気紛れかPCパーツを秋葉原で買ってきては、しこしこと自作を始めてローコストハイスペックのモデルを作り上げていた。下手に作れば熱暴走したりメモリ不足だったり、あるいはグラフィックボードの処理能力不足等々、色々と悲惨なことになる。だが、今のところそんな気配はなく、父は自作PCでアダルトサイト鑑賞にいそしんでいる(そして雁間も隙を見てこっそりと父のダウンロードした動画ファイルを拝借しているのだが、それはまた別の話である)。
そう、昼日中から家でゴロゴロしてテレビを見たり、アダルトサイトを漁っているだけの駄目人間よりも、今の雁間は劣っている。せめて、趣味の世界だけでも誰かの役に立っていれば良いのだが、今の雁間は誰の何の役にも立っていない。それどころか、活躍の場となるかも知れなかった企画そのものも暗礁に乗り上げてしまっている。これで、無力感を憶えるなという方が無理な話なのだった。
「僕は、何のために、生きているんだろうか……」
エターナルの企画『機兵少女フリージア』に、そんな台詞があった。
あの物語の中だと、そのことに悲嘆した主人公が学校の屋上から飛び降りる。
そして、ヒロインであるメカ少女フリージアに助けられるところから物語が始まるのだが――現実は、そう甘くないのだった。