序、「これはいわゆる『やり逃げ』です」
序、「これはいわゆる『やり逃げ』です」
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『SM計画、テレビアニメ化決定』
株式会社オールプラネットが主催するロボットアニメ企画書募集コンテスト『今まで誰も見たことのないようなロボットアニメを皆で作ろう――ロボアニメをつくるぜ!(ロボつく)』のトップ作品はロックの提出した『SM計画(SMプロジェクトを改題)』に決まった。三月一日に短編アニメが公開され、三月三十一日二十三時五十九分時点までの動画再生回数が他の企画を上回ったのである。それを確認して、ロックはホッとため息をついた。思い返してみるに――それまでにいくつものことが重なり起こり、正直、さすがの彼女も疲弊していたのだ。
三月一日の公開当初、視聴回数トップに立っていたのは橘なるの企画『明星のチューリングマシン』で、ロックの『SM計画』は次点だった。絹製ナプキンの『ジェットストリーム!』などの企画に至っては、初日の時点でトップにダブルスコアを付けられていたものも少なくない。その中で『SM計画』だけが何とか食いついているという状況だったので、周辺では「『明星のチューリングマシン』と『SM計画』の一騎打ち」とまで言われるようになった。
とはいえトップを走る『明星のチューリングマシン』の原作者橘なるとロックは、他の企画主の中でも最も親しくやりとりをしている間柄だ。互いに『ロボつく』の落選企画を持ち寄ったフリーゲーム『メカニカル・コンチェルト』の制作メンバであるし、最近ではロックがリーダを務める別のゲーム制作サークルのイラストも橘なるに発注している。半ば自己満足的なものではあるが、ロックは橘に『明星のチューリングマシン』のイメージソングを送っているどころか、それを自身のホームページに載せるようなことまでもしている。
ちなみに、最初は『明星のチューリングマシン』もフリーゲーム『メカニカル・コンチェルト』に収録するつもりだった。だが、『ロボつく』の運営側に待ったをかけられ、結局『明星のチューリングマシン』の開発は途中で凍結されている。件のイメージソングというのも、当初はフリーゲーム版の主題歌として作曲していたものなのだが、それも開発凍結と共に作業が止まっていたはずのものである。それがふとした拍子に創作意欲に駆られ、「半端なままだと嫌だから」ということもあって作り上げてしまったというのが実際の所だった。
「すごい、素晴らしいです! ありがとうございます! 『チュリマシ』の世界が、これでまた広がった気がします! 私、すっごい感動しました!」
「あはは。ライバルとなるはずの作品を応援することになるだなんて、まさかボクも思っていませんでしたけれどね」
橘なるはネット通話越しに興奮していたが、ロックはあくまでも苦笑で応じる。
ロックはいつもそうなのだが、本当、その場のノリと勢いだけで作ったようなものなのだ。
それをこうも素直に喜ばれると、うれしさもある反面、どこか居心地の悪さも感じてしまう。
少なくともロックにとって創作とは息をするのと同義であり、吐き出した息について評価されてもこれといった感慨も湧かない。
「現在はメロディラインだけなので、これから編曲もしていきますね。それで、よろしければですけれど……なるさん、作詞してみませんか」
「えっ、作詞……ですか?」
「なるさんはイラストだけじゃなくて、案外と文才もある方ですし。それに、昔、吹奏楽をされていたのですよね。なら、出来ると思いますよ」
「えぇと、ロックさんの素晴らしい楽曲に私が下手な詩を付けるのは恐縮で……」
「大丈夫ですよ。作詞のコツも、ボクから教えますので」
「それなら……はい、頑張ってみます!」
多少の躊躇いは見せながらも、何事にもノーと言わずに取り組むのが橘なるという人物の美徳だった。
作詞作業には難儀していたようであるものの、最終的にロックが想定していた以上の詩を彼は上げてくることになる。ロックはそれを受け取ると、早速メロディラインに乗せてボーカロイドに歌わせる。もちろん、多少違和感のある箇所はさらに編曲をして仕上げることも忘れない。そうして、ボーカロイドによる歌付きのイメージソングが完成したのだった。
そんなやりとりもしていた間柄だからこそ、ロックとしては『SMプロジェクト』と『明星のチューリングマシン』の二作品が競い合う状況というのは、むしろ喜ばしいことだった。互いに切磋琢磨し、作品をよりよいものへと昇華させていくためには、ただ角を突き合わせる以外の方法もある――そう信じるに足るものがあるはずだと思っていたのだ。
「『SM計画』は不正をしているのではないでしょうか」
だからこそ、あるとき橘なるがSNSでそんな意見を上げた時には驚いたものである。
結論から言ってしまえば、それはyoutubeに存在する『再生数の不正防止機能』が働いていただけのことだった。youtubeの再生数集計方法は原則非公開であるもの、ホームページにありがちなPV(ページビュー=そのページが表示された回数で同一者の表示も重複する)ではなく、視聴者のIPアドレスをもとにリスト管理し、連続視聴による表示回数のつり上げを抑止していると言われている。また、誤クリックやページ誘導による『望まない視聴』の類を排除するために、ある特定秒数まで再生されないと再生数として数えないのではないかとの説もある。要はできる限り的確な集計になるようにという配慮と、再生数稼ぎと思われる不審なアクセスは数えない公平性を前提とした設計になっているわけだ。
いずれにしても、動画サイトの仕様によって『明星のチューリングマシン』の再生が頭打ちになり、その間に『SM計画』が追い上げてきたのである。ただ、彼女なりに少し調査してみたところ、どうやらそれをして「『SM計画』が不正をしている」と橘なるに入れ知恵をしている人間が複数いるようなのだった。そもそも『明星のチューリングマシン』は橘の熱心なPR活動の甲斐あってか、動画公開以前から多くのファンが付いていた企画である。『メカニカル・コンチェルト』の制作メンバのひとりであるおもてがわしんじなどは『チュリマシクラスタ』と呼んで揶揄していたようだが、たしかにそう呼んでしまいたくなるほど異様な熱狂や信奉をしている人々がいたことは事実で、彼ら(あるいは彼女ら)は盲信のあまり行きすぎた行動をしている様子すらあった。そして橘なるに「『SM計画』が不正をしている」という注進をしたのは、間違いなく『チュリマシクラスタ』の中でも特に過激な人々だったのだ。よほど『信者』たちを信頼していたのか、はたまたその熱が伝染してしまったのか、いずれにしても橘なるは彼らの言葉を全く疑うことなく信じ込んでしまったようなのである。
なお、あくまでも憶測に憶測を重ねることでしかないが、youtubeに『再生数稼ぎと思われるアクセスをカウントから排除する』という仕様があるのだとすれば、『明星のチューリングマシン』の再生数が頭打ちになっているのは、そうした『信者』ともいえる人々が無節操な連続再生をしてしまったことに起因するのではないだろうか。つまりyoutubeの側からしてみれば、むしろ不正に再生数稼ぎをしているのは『明星のチューリングマシン』の側だと判断したわけだ。だが、盲信する彼らはそんな可能性を考えようともせず、他者に悪意があると信じ込んで呪いの言葉を吐き続ける。
――『SM計画』は不正なボットを導入して再生数を稼いでいる。
――『SM計画』が渋谷で宣伝ビラを配るなどの不正行為をしていた。
――『SM計画』の企画者はアニメ会社の関係者で、実はこれは出来レースなのだ。
――『SM計画』のタイトルが『SMプロジェクト』から変更されたのが、その証拠だ。
――『SM計画』は某所の掲示板に工作員を派遣して印象操作をしている。
――『SM計画』は低賃金の外国人を雇って再生数稼ぎをしている。
――『SM計画』の工作に手を貸しているのは『集合的無意識ノベルスデザイン』とかいう集団らしい。
件の『チュリマシクラスタ』間では、正直、見ていて呆れるしかないような妄言であふれかえっていた。
ロックはボット(自動で再生数稼ぎなどの工作を行なう不正ツールの総称)の作成技術など持っていないし、それらのツールがダウンロードできるサイトも知らない。渋谷で宣伝ビラを配っていたというのは確かに彼女の応援者が行なったことに間違いはないが、それはネット上で宣伝することとどんな違いがあるというのだろうか――それこそ『チュリマシ』は『冬コミ』に出展したりと、もっと露骨な宣伝を様々に行なっているではないか。自分たちがして良くて他のものたちがしてはいけないなどという論理は無茶苦茶に過ぎる。
また、ロックはアニメ会社の関係者ではないし、それに類する職業に就いているわけでもない。タイトル変更は主催のオールプラネット社に提案したら、すぐに快諾されたものだ。もちろん、低賃金で外国人を雇うなんてバカげたことなどしていないし、印象操作などということもしていない。『集合的無意識ノベルスデザイン』はロックの所属しているサークルのひとつだが、別に工作部隊でも何でもない。それどころか所属しているメンバは『SM計画』の応援だけでなく、むしろ『明星のチューリングマシン』の応援記事をブログにアップしているほどだ。
ただ、こういうとき下手に発言をすると逆効果だろう。そう思って、ロックはしばらくの間はSNS上での発言を控えていた。そうでなくとも三月というのは仕事が忙しいものだし、『メカニカル・コンチェルト前編』の最終確認作業などでも立て込んでいた。発言しようと思っても、そんな余裕などなかった。
――後ろめたいところがあるから、ロックとかいうのは何の釈明もしないのだ。
――俺達が不正を糾弾したから、ようやく『チュリマシ』の再生数も元のように増えるようになった。
――やっぱり、ヤツは不正をしていたんだ。
ロックが何も言わなければ言わないで、彼らはさらに疑心暗鬼を強めていった。
正直、彼女は呆れたし腹も立ったものの、それでもジッと堪えた。
反論したら反論したで叩かれるだろうし、何も言わなければ何も言わなかったで叩かれる。
それなら無駄な時間や労力を使わない分、やはりこのまま黙んまりを貫き通した方が、結局はマシというものだ。
「『SMプロジェクト』が後半になって追い上げてきたのは、あの企画自体がそれを狙った作りになっているからです。随所に謎をちりばめることで、動画をもう一度見たいと思わせる作りなのですよ。ロックさんがこれといった宣伝攻勢に出ないのも、既に仕込みが済んでいるからだと思いますよ」
サークルメンバのひとりであるエターナル・ミキが、そんな知ったようなことをツイートしていても、特に反応するようなことはしなかった。ここでその発言を肯定するようなことをしても、結局、意味がないからだ。
そもそも、彼女の言っていることは半分合っているものの、半分間違っている。視聴者が引っかかりを持つような謎をちりばめたことは間違いないし、それが功を奏して彼女の言うような理由で後半の追い上げにつながっているのも間違いではないだろう。ただ、ロックはそれを意識的にしたわけでもないし、期間中に黙っているのも単純にSNSに書き込む余裕がないからだ。エターナル・ミキという人物は、どうにも自分のことを買いかぶりすぎている節がある。
それにロック自身はろくに宣伝が出来ていないものの、彼女の知人が積極的に宣伝をしてくれている。特にネット上で知り合い、『SM計画』の小説版執筆に協力してくれている鬼子母神bowy紫龍という人物が精力的に支援してくれていた。bowyはどうやらそれなりに顔の広い人物のようで、その広い人脈から知己を頼って宣伝に協力してもらっているらしく、渋谷でビラを配ってくれたというのも彼の知り合いだ。また、bowy自身も「日本という狭い世間の中で宣伝してもたかが知れている」という提案をし、インターネットを駆使して各国語に翻訳した宣伝文を発信してくれている。だからエターナル・ミキの言うとおりロックが「何もしていない」のは事実であるが、それはロック当人が何もしていないだけなのであって、その周りの人間はあれこれとやってくれているということだ。
そうして各々の思惑と疑心が交錯する中でも審査期間は過ぎていった。やがて『SM計画』は『明星のチューリングマシン』を追い抜き、そのあとは一方的に離すばかりで、ついに日付は四月一日となり――『SM計画』のテレビアニメ化が決定したのである。
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●『明星のチューリングマシン』のゲーム化について 発信者:橘なる
話の流れを断ち切って申し訳ありませんが、重要なことなので報告させていただきます。
私の企画、『明星のチューリングマシン』のゲーム化についてのことです。
当初、『ロボつく』の最終結果が出て権利が私に返却されるまで、開発凍結されることになっていました。
ですが結論から申しますと……『本編のゲーム化は引き続き延期』させていただきます。
私の勝手で恐縮ですが、現在、『チュリマシ』のゲーム化について他の方からも声をかけていただいています。
知っている方もいると思いますが、ポッターという方の作られている『オリロボクロニクル』という作品です。
当初、私はこの『メカニカル・コンチェルト(本編シナリオ)』と『オリロボクロニクル(IFシナリオ)』の両方で『チュリマシ』を作るつもりでいました。
ただ、リーダのロックさんに相談したところ「どちらか片方に絞った方が良い」とアドバイスを頂きまして。
それで熟慮に熟慮を重ねたのですが、今回は『オリロボクロニクル』で出すことに決めました。
・より広い層に『明星のチューリングマシン』を認知、興味を持っていただく
・そうして高まった注目の中で本編ゲーム化、多くの方に本編を知っていただく
……という流れも悪くないのかなと思ったからです。
そう、先にも書いたとおり、これはあくまでも『開発延期』であり『開発中止』ではありません!
『オリロボ』の方が落ち着いた暁には、改めて『メカニカル・コンチェルト』で『チュリマシ』の本編を作りたいと思います。
先にエターナル・ミキさんが「TVアニメ化ができなかったとしても、ゲーム製作は必ず実現させましょう」とおっしゃっていましたし。
その言葉は大変嬉しく、また頼もしく、ありがたいものとして私の胸に強く残り続けておりましたから……それを無駄にはしたくないので!
また『オリロボ』に参加するとはいっても、このサークルを抜けるわけではありません。
私に割り振られていた役割も『前編』で終わり、出来ることは少ないですが……。
それでも籍を抜く訳ではないので、微力ながらもお手伝いしたいと思います。
私の我が儘でご迷惑をかける形となりますが、なにとぞお願いいたします。
橘なるがそのことを掲示板に書いたのは『ロボつく』が終わってから、実に一ヶ月近く経ってのことだった。彼はこの四月から新社会人としての生活が始まり、慌ただしかったということもあるのだろう。ただ、やはり再生数競争期間中に自らが取った行動や何やらを恥じて、正面切って向き合うことが怖かったのに違いない。そのぐらいのことは、ロックもよく分かっていた。
ちなみに『メカニカル・コンチェルト前編』のリリース日は三月二十一日。すなわち『ロボつく』の追い上げ期間中という、誰もが殺気立っている時期のことだった。他の諸々の兼ね合いでそうなったとはいえ、やはり相当にマズイ時期のリリースだったことは間違いない。そんな極限状況の中であったことも災いしたのか、橘なるはエターナル・ミキの企画『機兵少女フリージア』において発注されていたイラストを落とすということをしでかしてしまっている。もちろん、それは制作進行であるロックが確認し催促するべきを怠ったのも原因なのだが、橘なるはそれを自分だけの落ち度だと思って意気消沈してしまっていたのだ。
彼女の文面の中にある「リーダであるロックさんからアドバイスをもらって」とあるように、ロックは四月に入ってから橘なると通話して幾つかの相談をしている。そのひとつが彼の書いた『オリロボクロニクル』についてのことであるし、もうひとつが彼のしでかしてしまった受注確認ミスについてのことだった。そして前者はともかくとして、後者についての相談が相当に難儀なものだったのである。
ロックもつい忘れがちだったのだが、エターナル・ミキは橘の『明星のチューリングマシン』の二次創作長編小説を書いたりと、精力的に活動している『チュリマシクラスタ』の一翼でもあった。また、制作凍結になる前に『チュリマシ』のスクリプトを書き、橘がシステム面について出した(ともすれば無茶な)様々な要求を実現してきたのもエターナル・ミキだったわけで、それだけ良くしてもらっていたはずの彼女の作品でイラストを落としてしまったことは橘自身としても相当なショックだったらしい。失意のどん底にいた彼を立ち直らせるのは、正直、相当に骨が折れた。
「まあ、これで彼も落ち着いたかな」
だからこそ、彼がそうして自発的にグループウェア掲示板に書き込んでくれたことに、ロックはホッとしていた。
何だかんだあったものの、これで一山を超えることが出来たのだ。
あれだけ『ロボつく』期間中は感情的になっていた橘なるが落ち着けば、あとは何も問題はない。
そう、信じていた。
●判断に異論はありませんが 発信者:エターナル・ミキ
著作権自体はなるさんにありますし、『チュリマシ』をどのように展開させるかは自由です。
なので、『オリロボクロニクル』で作る……ということ自体は、別に何の問題もないですよ。
『メカニカル・コンチェルト』の側に断りなしに進めるのは大問題ですけれど、一応、今回掲示板に書いて報告していただいた形になりますしね。
ただ、それでも問題なのは、
1、『メカニカル・コンチェルト』で既に実作業が行われている
2、ゲームジャンルが競合している
3、結果的に(あくまで結果的に)『メカニカル・コンチェルト』に対してマイナスになる行動しかしておらず、今後もプラスになる予定がない
……ということです。
*****
『オリロボ』と『メカニカル・コンチェルト』が同時に声をかけていて、どちらにしようか迷っている……という状況だったというのならば、問題はありません。
その場合、言葉悪くしていえば『獲得合戦』なわけで、両者が身を切るのは許容範囲です……が、実際は違います。
現状、実作業が行われていて、時間を削っているのにもかかわらず袖にするという状況です。
それを考えての『中止ではなく延期』という判断だとは思うのですけれど、それは見通しが甘い気がします。
ここで問題になってくるのが、先に挙げた『ゲームジャンルが競合している』という問題です。
これは『オリロボクロニクルの開発が終わったら、次はメカニカル・コンチェルトで』……とするのが難しくなる部分でしょう。
まずは『オリロボ』のメンバーの方々がどう思うのかということ、そして消費者であるプレイヤがどう思うのかということです。
対処法は検討できるとはいえ、何らかのトラブルや困難が起こるだろうことは、容易に想像が付きます。
(細かい懸案事項はいくつか上げられますが、非常に長くなる&話がぶれるので、とりあえず今回ここでは書きません)
もちろん、『オリロボ』に参加するのはなるさんの権利なので、そのことは最大限尊重します。
ただ、『メカニカル・コンチェルト』で多少なりとも実作業が発生している中でそれを覆すのは、同時に他の人間の権利を侵害する行為だということは承知していますでしょうか。
いわば係争ごとになるわけで、その場合、与えた損失に対して補填する責務があります(特にこの場合、なるさんが一方的に決めたことなので)。
もっとも、問題は『メカニカル・コンチェルト』はフリーゲームだということで、通常の民事のように損失を金銭に変換することが出来ないということなのですね。
ただ、ここで勘違いされると困るのが『無料=補償しなくて良い』という意味ではないということです。
そもそも、何故、『メカニカル・コンチェルト』がフリーゲームなのかということです。
メンバーの中にはお金をもらっての仕事をされている方もいますし、そうでない方も、いずれはお金をもらっての仕事をしたいと思っている人が大半です。
分かりやすく言うと、そうした人々が、どうして無償での開発に参加されているかということです。
*****
何故、一銭の得にもならない(むしろ貴重な時間を割いているのでマイナスになっている)、フリーゲーム開発をしているのか。
これに対する回答は人それぞれにありますし、ワタシ自身もこれとひとつに絞れるわけではありません。
ただ、ひとつワタシが思うのは、『お金』の代わりに『信用』や『信頼』を担保にしている部分があるということです。
それはメンバに対してもそうですし、ダウンロードしてくださったプレイヤの方々に対してもです。
『信用』や『信頼』を担保にして、新たな『信用』や『信頼』を得る。
そこで増やした『信用』や『信頼』をもとに、例えば有料ゲームを出した際などの収入を得る。
あるいはメンバの中から、お仕事の話がもらえるのかもしれません。
もしくは、無形の、もっと他の『得がたいもの』が得られるのかもしれません。
もちろん、こうした集まりは自身の発展のために有効活用してこそのもので、使えるものは使っておけというスタンスであるべき面もあります。
しかし同時に、何らかの還元が出来るように努める(ポーズだけであっても構わないので)必要もあります。
現状でのなるさんは、結果的に、この集まりを『都合良く使っているだけ』のような気がしてなりません。
あくまでも結果だけを見た場合ですけれど、そのように判断せざるを得ない箇所が多く、それを消却するだけの『信用』や『信頼』がどれだけ残っているのだろうかということです。
ちなみに偉そうに言っているワタシはというと、この集まりの中で、言いたいことを言いたいように言っている部分があります。
その意味で、多少、『信頼』を損なってしまっているときがあるのかな……という自覚はありますね。
ただ、だからこそ、その分は『作業』という形で貢献して埋め合わせるようにしています。
それがチームというものだと思っていますし、人同士の関わりで大切なことだと思っています。
*****
そんな中、なるさんのしていることはどうでしょうか。
こういう言葉は使いたくないですけれど……結果だけを見ると、女性を性的な食い物にする男性(古い言葉で言うとプレイボーイ)と同じ行動をされているなという気がするのですよね。
本当、汚い言葉は使いたくないですけれど……いわゆる『やり逃げ』です。
加えて言うなら、多少なりとも形になっているので、『できちゃった』状態です。
もちろん、プレイボーイであるということは、必ずしも悪いことだけではありません。
そもそも、少なくとも当人同士は、同意の上でのことですからね。
ただ、それを不快に感じる、あるいはそれによって間接的に損をする人は間違いなくいます。
また、当たり前のことですけれど、当事者間に合意がなかった場合、それはただの強姦(犯罪行為)です。
(もちろん、そのときは問題なくとも、後々トラブルを引き起こす可能性があることも考慮しなければなりません)
別に、ワタシ個人としては、なるさんにプレイボーイ的振る舞いをされても構いません。
それもひとつの身の処し方で、それでしか得られないものもあるとは思いますからね。
でも、その振る舞いで誰かが嫌な思いをするのは、見たくありません。
そして、実際に嫌な思いをされている方がいるのを、ワタシは知っています。
具体的に『誰が』とは申しません(その方の名前を公表して良いかの許可を取っていないので)。
ワタシが感知している以外にもいるかもしれませんが……推測を口にするのも卑怯なことなので、それはしません。
ただ、その振る舞いが『信頼』を大きく損なうほど、嫌がられているのは事実です。
また、結果的に、それを埋め合わせるだけの何かをされているわけでもない(皆無ではないものの、それを打ち消すほどのマイナスとなっている)のが実情です。
*****
結論すると、今回の件について、具体的に「こうすべき」「これをしてはいけない」という意見があるわけではないです。
繰り返しになりますけれど、『チュリマシ』の著作権は、なるさんにあります。
『メカニカル・コンチェルト』での製作を『延期』にすることも、『オリロボクロニクル』に参加することも、そのこと自体には何の問題はありません。
仮にメンバーの誰かが『ダメだ』と言っても、それを無視して、なるさんの好きなようにしていただいてよいことです。
(仮に妨害しようとする人間がいたら、そういう人は、むしろワタシが率先して黙らせます)
ただ、問題はそれ以外の部分です。
単純に、報告としてまとめただけだからということもあるでしょう。
けれど、先の書き込みだと、その大事な部分が汲み取れません。
そしてそれ以前を振り返っても、そのことについてのフォローがあったわけでもありません。
言葉を厳しくして言うと、先の書き込み、結果的になるさんの都合ばかりが書かれています。
もちろん、メンバに対して与えられるものがないわけではないです。例えば、
>より広い層に『明星のチューリングマシン』を認知、興味を持っていただく
>そうして高まった注目の中で本編ゲーム化、多くの方に本編を知っていただく
……のあたりなどは、そのひとつでしょう。
ただ、差し引きすると、メンバに対して負荷になることしか書かれていません。
(問題点の詳細を書いていないので、これ以上は言及しにくい所ですが、『オリロボ』の後にこちらでゲームを作るとなるとかなりの負荷が発生することが想定されます)
結局、この部分も『信用』『信頼』などにかかってくる部分です。
現状、人によってはなるさんの『信用』がかなり落ちているため、この書き込みは身勝手なだけにしか見えません。
言い換えれば、その足りない部分を『信用』か、あるいはそれに代わるなにかで埋めることばできれば……ほとんど問題はないのですけれどね。
ただ、もしもそれが今後も一切ない場合、ワタシは他のメンバのためにも「この『メカニカル・コンチェルト』で『チュリマシ』は作らせない」と言わざるを得なくなってしまいます。
(その台詞はワタシとしても言いたくないので、それを回避するためには何が必要なのか、考えていただきたいです)
文面を見るに、エターナル・ミキは冷静である。激するのでもなく、ただひたすらに正論を書くだけに務めている。むしろ橘なるの身勝手さを説きながらも、「ワタシはそれでも構いませんが」と彼寄りだということを表明しているほどだ。
ただ、だからこそ彼女の指摘は残酷だった。『上げて落とす』ないしは『落として上げる』というのは創作の分野においては読者の感情を最も効果的に揺さぶる手法で、ロックも『SMプロジェクト』を初めとしたほとんどの作品で採用している。さらに橘なるの行ないを彼にとって最も身近で効果的に響くだろうことに例えているのだが、これも『読者が感情移入しやすいエピソードを導入する』という創作の技術だった。
そう、エターナル・ミキはそうした己の文章技術を最大限に活用して、この文章を書き上げている。
意識的にしたのか、それとも無意識的にしたのかは分からない。もしも前者なのだとしたら、エターナル・ミキは橘なるの行ないに対して内心で相当腹を立てているということだ。もしも後者なのだとしたら、彼女は竜巻や津波のような壊滅災害みたいな人間だということだが――いずれにせよ、彼女は橘なるの心を折るのに最も効果的な文章を叩きつけてきたのである。
「本当、この人はまた、とんでもないことを……」
ロックはこの事態に頭を抱える。問題なのは、エターナル・ミキの発言が正論過ぎて何も返しようがないということだ。下手なことを書くと、橘なる共々、ロックも悪者になってしまう。だからこそ、しばらくは静観を決める以外に対処のしようもない。
このことについて、橘なるはどう思っているのだろうか。そう思い、彼のSNSを覗くが――エターナル・ミキが件の書き込みをして以後、twitter中毒ともいえるほどの彼が何ひとつとしてツイートしなくなってしまったのである。一日待っても、二日待っても、彼は何もツイートしない。三日目にようやく、他の人のツイートに対する返信は書くようになっていたものの、やはり自発的なツイートはなかった。
そういえば、以前、『弾痕のメタファー』の照月が抜けてしまったときにも、エターナル・ミキはロックに対して同様の書き込みをしたことがある。ただ、あのときと比べても、明らかに鋭く凶悪な文面になっている気がする。あのときはロックも「嫌なことを言う人だ」と大人げなく臍を曲げてしまったものだが、もしかしたら、あのときのあれは相当手加減して書かれていたのではないだろうか。となると、これはやはりエターナル・ミキが心底腹を立てて、橘なるを潰すために書き上げた文面なのではないだろうか――そのことを思うと、背筋にぞくりと寒気が走る。
最悪、エターナル・ミキは言葉を駆使して、橘なるのことを殺そうとしているのではないか。精神的に、いや、あるいはそれを利用して物理的にも殺そうとしているのかもしれない。そう思えてしまうぐらい、薄ら寒いものを感じる文面だ。それでも、いや、だからこそこれにロックが反論することは出来ない。下手な対応をすると、返す刀でロックの喉笛も食い破られかねないのだから。
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●返信が遅くなり申し訳ありません 発信者:橘なる
申し訳ありません、返信が大きく遅れてしまいました。
小手先の言葉で返信するわけにはいかないと思い、まとまった時間を取って吟味を重ねていた次第です。
ただ、新生活で慌ただしい中、そのまとまった時間がなかなかとれずに今日まで至ってしまいました。
まず、エターナル・ミキさんの書き込みの意味、重く受け止めています。
用いられた比喩表現、私個人にとっては、特に深く突き刺さるものでした。
長々と私事をつまびらかにする必要があるので、詳細は書きませんが……。
私がしてしまったことは、かつて私の心を深く傷つけたのと同じことだったのだなと。
冷静になった今では、まさにご指摘通りの横暴で傲慢な行ないだったことに深く恥じ入るばかりです。
ご迷惑をかけた皆々様には、改めてお詫び申し上げます。
ここ数ヶ月、私が制作へ非協力的となっていたのは、
・『ロボつく』広報に躍起となっていて、他の事へ配慮するという精神的余裕がなかったということ
・制作凍結以前の『チュリマシ』監督時の各種経験から、掲示板閲覧に抵抗があった
……と、あくまでも己自身の心の弱さゆえのものでした。
後者については、様々な方に仲裁していただき、一応は解決したはずのことです。
ただ、前者からくる精神的余裕のなさが増すにつれ、後者のことも心の中でぶり返してきてしまいました。
特にエターナル・ミキさんに対しては、担当イラストレーターとしてご指名くださったにも関わらず……最低限の仕事すら全う出来ませんでした。
きちんとお詫び申し上げるタイミングを見失ってしまい、今更になってしまいましたが、大変申し訳ありませんでした。
ここで「責任を取って辞める」と言うのが一番簡単なのでしょうが、それはただの無責任な逃避ですし、やはり私にとって都合の良い我が儘な選択でしかありません。
なので、今後は諸方面への活動参加や新生活などで、充分な時間が取れるかは分かりませんが……。
それでも、テストプレイなど積極的にご協力差し上げる形で、少しでも貢献できればと考えております。
貢献の形としては非常に微々たるもので恐縮ですが、いかがでしょうか。
●自身で考えて導き出した答えは何よりも価値があると思います 発信者:エターナル・ミキ
>433 への返信
>特にエターナル・ミキさんに対しては、担当イラストレーターとしてご指名くださったにも関わらず……最低限の仕事すら全う出来ませんでした。
>きちんとお詫び申し上げるタイミングを見失ってしまい、今更になってしまいましたが、大変申し訳ありませんでした。
ワタシも監督という立場だったわけですから、「もう少し上手く采配できていたら違っていたのかな」と思うところはあります。
その意味では、むしろワタシからも謝罪しなければならない部分があるぐらいです。
本当、求心力を発揮できなかったことが、ワタシとしても申し訳ないです。
>なので、今後は諸方面への活動参加や新生活などで、充分な時間が取れるかは分かりませんが……。
>それでも、テストプレイなど積極的にご協力差し上げる形で、少しでも貢献できればと考えております。
>貢献の形としては非常に微々たるもので恐縮ですが、いかがでしょうか。
そうですね。そうして地道に参加して、他のメンバとの信頼を高めることが大切です。
何が出来るかなるさん自身が考え、導き出したその答えは、何よりも価値があると思いますよ!
もちろん、それで全員が全員、すぐに認めるというわけでもないでしょう。
信頼や信用は、一朝一夕で築けるものではないです。
特に、それが一度失ってしまったものなら、なおさらです。
ただ、そうして少しずつ信頼を積み重ねていければ、やがて得られるものがあるはずです。
ともあれ、過ぎたことを「ああすれば良かった」と思うだけでは、成長しませんからね。
なるさんもそうですけれど、ワタシ自身もそうです。
そうしてまずかった部分を振り返った後は、それを次に活かしていきましょう!
●ありがたい言葉と温情、痛み入ります 発信者:橘なる
挽回の機会をいただけたこと、感謝致します。
時間の許す限り、出来ることから真摯に取り組んでいく所存です。
まず、後編の第二シナリオ『ガンボーイ』のテストプレイ期限が明日までのようですので、そちらに取りかからせていただきます。
今日中にプレイ環境を構築し、プレイ報告をあげようと思います。
●ボクが何かを書かなければいけないかと思っていましたが 発信者:ロック
エルさんの書き込みから一週間、何の反応もなかったので、ボクが何かを書かなければならないと思っていたところでした。
そんな中、どうやら橘さんがしっかりと答えを出されていたようで、良かったです。
ただ、『オリロボクロニクル』については前々から書こうと思っていて流れていたので、このタイミングで書かせていただきます。
そもそも、この『メカニカル・コンチェルト』の制作チーム自体、ロボットものが好きな方々の集まりです。
ジャンルが競合するとはいえ、『オリロボ』の存在が気にかかっていたことでしょう。
なのでこの際、ボクからハッキリと明言しておきます。
――『オリロボクロニクル』へ参加したい方は、そちらに参加していただいても構いません。
この集まりの目的については立ち上げの時にも申しましたが、改めて言います。
ボクがこの『メカニカル・コンチェルト』の制作によって実現したいことは、
・皆さんの創作家としてのスキルアップ
・ゲーム制作という実績を作ることによって次の段階への踏み台にしてもらう
・チーム制作を通じて新しい関係性を構築したい
……ということです。
なので、最悪、『メカニカル・コンチェルト』が完成しなくても良いと思っていました。
幸い、皆さんの努力もあって『前編』はリリースまでこぎ着けましたから、それだけでも十分なぐらいです。
そして皆さんに創作家として次の段階へ進んでもらいたいと思っている以上、皆さんの機会を潰すことは本望ではありません。
だからこそ『オリロボ』に参加していただくことは、むしろ喜ばしいことです。
ただし、『メカニカル・コンチェルト』もチーム制作ですから、最低限のルールやマナーは必要です。
そのため『オリロボ』に参加することに関して、ひとつだけ条件をつけます。
それは『自分の担当箇所は完成(ないしは完成の目処を付ける)こと』ということです。
これさえ守っていただければ、全く問題ありません。
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嘘も方便という言葉があるが、それはもっともなことだろう。真実は貴いものかもしれないが、必ずしも正しい結果をもたらすものではない。だからその嘘が誰にとっても都合が良いことであれば、それは真実になるべきである。少なくとも、ロックはそのように思っている。だからこそ、彼女は何の臆面もなく掲示板にはあのように書いた。
偽りであるということを誰も知らなければ、きっとそれは真実になるのだ。それこそ自分が嘘をついたということさえも忘れてしまえば、誰がそれを嘘だと見抜けるようになるだろうか。だからこそ、彼女はいつも、自分が口にした言葉はすぐに忘れるようにしていた。
そう、例えばこの一週間のロックの行動について、一体、誰が証明しようとするというのだろうか。
それはロックが住み暮らす沖縄からほど近い、九州北部、福岡県のとある都市でのことだった。
九州は沖縄と違って鉄道が走っているのが大きな違いだが、それでもやはりモノレールを見ると落ち着く。
モノレールは良いものだ。一般的な電車と違って電柱も電線もないので、外の景色が何に邪魔されることもなく見渡せる。
彼女は時折、ふらりとひとり旅に繰り出すことがあったが、各地で鉄道に乗るたびに景色を横切る電柱の存在が煩わしく思っていたものだ――ちなみにディーゼルも電柱はないが、あれは音がうるさいし汚いから嫌いだ。
「えぇと、ロックさん……ですよね? お久しぶりです」
「ああっ! これは橘さん、お久しぶりです!」
モノレールの駅から降り立ち、そうしてひとり感慨にふけっていると、唐突に声をかけられる。
振り向いてみると、そこにはパリッとしたスーツに身を包んだ長身の男がいた。『明星のチューリングマシン』の原作者、橘なるである。細いフレームの眼鏡とベージュのジャケットが洒落ている。今までにも何度かオフ会で顔をあわせたことはあり、そのときはいつも私服だったが、橘なるというのはそのときから衣装持ちで着こなしのセンスも良かった。若干、作り物めいた『イケメン王子様』といった感はあるが、それはそれで彼の魅力のひとつでもある。
一方のロックはというと、橘と比べると頭ひとつ分以上も背が低く、ともすれば小学生に間違えられかねない童顔でもある。スーツ着用義務のない会社なので普段着と大差ない服装なのだが、これもまた同僚や友人などからは「子供服みたい」「むしろ最近の子供はもっとオシャレだよ」と言われるような着合わせをしているものだから、夜の街を歩くとしばしば警察官に補導されそうになるほどだ。
さて、こうしてみると、何も知らない他人からはどういう組み合わせに見えるだろうか――ロックはそんな詮無いことを考えるものの、どうせ「よく出来た兄と、うんとおめかしした小学生の妹」という風にしか見えないのだろうなと自嘲する。もっとも、実際の所はロックの方が橘より十歳ほど年上なのだが。
「申し訳ないです、仕事場からすぐに抜け出せなくて……ちょっと、約束の時間を過ぎてしまいました」
「いえ、気にしていませんよ。無理言って、橘さんに時間を作ってもらったのはボクですし」
しきりに頭を下げるイケメンに、ロックは苦笑気味に返す。
「これは本当に、ボクの思いつきのような行動ですよ。ですから、本当、橘さんが恐縮する必要はないです」
「でも、本当、ロックさんにはご迷惑ばかりを……」
「だから、迷惑だなんて思っていませんって。ボクは、好きでやっているんです」
いっそ不自然すぎるぐらいに謙遜しすぎるところが、橘なるという人物の悪い癖であった。
それを指摘しようかとも思ったものの、さすがにロックもそれはやめておく。
橘なるのそれが、しばしば他人にとって慇懃無礼に写ることがあるのだとしても、彼がそういう態度を取ってしまいがちな理由はロックも知っているのだ。
「他人が好きでやっているだけの好意は、素直に受け取っておくと良いですよ。……あっ、もちろん、明らかに下心が透けて見える場合は別ですけれどね」
「そう、ですね。……そういえば、以前、エターナル・ミキさんにも同じようなことを言われた覚えがあります」
エターナルの名前を口にしたとき、彼の顔は見てそれと分かるほどに落ち込んでいた。
だから、さしものロックもそれ以上、そのことを続けることは出来なかった。
「さあ、とにかく、今日はゆっくりと話し合いましょう。今後のことについて、いくらでも話し合えることはありますからね」
「ええ、そうですね。……よろしく、お願いいたします」
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします。それこそ、ボクらは数少ない『ロボつく』企画者ですから。他のサークルメンバには話せないようなことも語り合えますからね」
できるだけ橘の緊張をほぐすように、ロックはとにかく明るく振る舞った。そしてまた、社交術としては基礎中の基礎のようなものであるが『他人にはない共通のもの』を前面に押し出す。
そう、ロックと橘なるとの間には、他のサークルメンバにはない希有な関係性がある。それが共に『ロボつく』で企画が選出されたもの同士だということだ。最終的にロックの『SMプロジェクト』だけがテレビアニメ化することになったのだとしても、『ロボつく』で選出された企画者同士でなければ出来ない会話というのはいくらでもある。主催のオールプラネット社に対して橘が不満に思っていることはいくらでもあるのかもしれないが、守秘義務がある以上、そのほとんどを他人に話すことが出来ない。しかし、同じ『ロボつく』企画者であるロックに対してはその限りではない――むしろそうした面でこそロックは橘を支えてやれるだろうと思っていた。
また、居住地が比較的近いということも、ロックと橘なるの共通項でもある。『ロボつく』にしろ『メカニカル・コンチェルト』にしろ、関係者は北は北海道から南は沖縄まで全国各地に散らばっている。日本の人口の三分の一が関東に集中している都合上、やはり大部分は首都圏に固まっているが、『メカニカル・コンチェルト』関係者の中でロックや橘などは希有な九州沖縄勢なのである。そんな親しみもあるこそ、こうして二人でオフ会することもできるのだった。
そうしていくつもの共通項があるからこそ、最初こそは固い雰囲気のあった橘も次第に口が緩んでくる。もちろん、会場に選んだ居酒屋の料理の質が良かったことも、あるいは功を奏したかも知れない――ひとり旅が趣味のロックは穴場の飲食店を探し当てるという特技があるのだが、それが思わず役に立ったということだ。
「薩摩隼人さんと、ちょっとトラブルがありまして。……それで、他の人に対しても疑心暗鬼になっていたのかなっていう部分もあったんですよ」
「薩摩さんと……ですか。それはまた、どうして」
それはお互いに酒も入り、口も軽くなってきた頃のことである。橘なるがポツリとこぼしたひとことに、ロックは驚いた。
薩摩隼人といえば『メカニカル・コンチェルト』制作チームの中でもロックやエターナル・ミキと並ぶ年長組のひとりである。単純に年長だからという理由だけでなく、面倒見の良い彼はサークル発足以前からオフ会を計画したり相談に乗ったりとした『兄貴分』とでもいうべき人物だった――ちなみに年長組のもうひとりであるエターナル・ミキは能力はともかくとして性格に難があるため、案外とトラブルの元ともなりやすい。それに対し薩摩隼人は何かにつけて頼りになる人物で、ロックが一番信頼している相手でもある。だからこそ、その薩摩隼人と橘がトラブルを起こすなどとは、まさか思ってもみないことだった。
「『チュリマシ』の宣伝活動で、薩摩さんに手伝ってもらっていたことが幾つかあったのですけれど、その幾つかで……意見が合わなくて」
「はあ、なるほど」
おそらく、その件は橘の方にこそ落ち度があるのだろう。橘の話を聞かずとも、ロックはそう確信していた。薩摩隼人のようなできた人間が、まさか彼自身を原因としてトラブルを起こすはずがない――彼女はそのことに対し一片の疑念もなかった。
ただ、ロックはできる限り公平に人の意見を聞くようにする主義だ。だから自身の意見を差し挟まず、まずは橘の主張に耳を傾ける姿勢を取る。もちろん、それで結論を変えるつもりはないのだが、上に立つものにとってそういうポーズを取ることは大事なのだ。そのことは敬愛する職場の先輩に教わったことであり、ロック自身ももっともな意見だと思ったからこそ常に意識するように心がけている。
「『チュリマシ』のラジオドラマを録ろうということで、色々と準備していたのですよ。それこそ、最初は冬コミで配布するのもドラマCDのつもりだったんですけれど、それが何だかんだで流れてしまったので『じゃあ、webラジオでラジオドラマにしようぜ』って、薩摩さんが提案して。それで、その指揮を薩摩さんが執るはずだったんですけれど……それが『ロボつく』の再生数合戦の期間になっても、全然、目処が立たなくて。それで何度か催促したんですけれど、最終的には『そんな時間ない』って逆ギレされて」
「ええっ、薩摩さんがですか? ……おかしいなぁ、そういうこと言う人じゃないんだけどなぁ」
橘の言葉に、ロックは驚いたような声を出してみる。
とはいえ、これはあくまでも橘から見た場合の話だろうから事実はもう少し違うのだろう。あの薩摩隼人が、理由もなしにそんな無責任なことを言うはずがない。橘が何か無意識に彼の気に障るようなことをしてしまっていたのか、あるいはそういう余裕のない対応しかとれないほど薩摩隼人が忙しかったのか――そうして、ロックは無条件に『薩摩隼人には何の落ち度もない』と信じ込んでいた。それだけ彼女は薩摩隼人という人間のことを信頼していたのだ。
それこそ、しばしばとんでもない問題を生じさせるエターナル・ミキのことは信頼できない部分があるが、ロックは薩摩隼人に対してだけは絶大な信頼を寄せている。ロックは『メカニカル・コンチェルト』の開発が終わった暁にはサークル代表を辞めるつもりでいたが、その後継者として薩摩隼人を推したいと思っているぐらいだ。次点としてはエターナル・ミキを見据えているものの、それはあくまでも次善の案であって、その二者との間には超えがたい信頼の差がある。
いずれにしても、ロックがそれほどの信頼を寄せている薩摩隼人が、何の理由もなしにそのような対応を取ることなど絶対にあり得ない。もしも本当に、彼が橘なるに対してそのような態度をとったならば、それはやはり橘が薩摩に対して相当なことをしたからだ――そう考えるのが、ロックとしては最も自然な考えなのだった。
「いえ、冷静になった今なら……私も少し傲慢で、薩摩さんに頼りすぎてしまっていたのかなと反省できる部分はあるんですけれど」
「もしかしたら、そうかもしれませんね。薩摩さんは面倒見の良い人ですけれど、それに慣れた橘さんが無意識のうちに薩摩さんへ失礼な要求を出すようになってしまっていたのかも知れません。それに、やっぱりあの時期は誰も彼も忙しかったですから。ボクらみたいな社会人にとって、年度末の三月というのはとてつもなく忙しいのですよ。最近の薩摩さんは持病の悪化もあって体調がよろしくなかったみたいですし、そこにそうした色々が重なって、限界になったのかも知れませんよ」
「そう、かもしれないですね。……私も、あの時期は余裕がなかったですし、何でもやってくれる薩摩さんに頼りすぎて、知らず知らずのうちに多くのことを押しつけてしまっていたのかも知れないです」
もしもこの場にエターナル・ミキがいれば「それは違います」と、ハッキリと口にしたのかも知れない。「あの人は、そもそもからして『そういうこと』が出来る人ではないのですよ」「『多くのこと』を押しつけたのではなく『そもそも出来もしないこと』を押しつけた……いえ、元を辿れば彼自身が『出来もしないのに受け付けた』だけです」と。ただ、幸か不幸か、この場に彼女はいなかった。
結局の所、ロックも橘なるも薩摩隼人という人間のことを見誤っていたのである。この頃は橘も徐々に気付き始めていたが、ロックは今もなお気付けていない。だからこそ会話は僅かに噛み合わず、やがてはその話題も少しずつ流れていった。
「ともかく、過ぎたことを考えていても仕方がありませんよ。今はボクらにとって喫緊の課題……エルさんのあの書き込みについて、もう少し、話し合いましょう」
「そうですね。正直、エターナル・ミキさんのあれは……堪えました」
エターナル・ミキの名前を口にするとき、やはり橘は痛そうな顔をする。
他の人間にとってはどうだったかは知らないが、少なくとも橘なるにとって、それだけ強烈な文面だったということだ。
「『チュリマシ』のシナリオにも反映していますし、SNSでも時折、そういうことを書いて吐き出していますけれど……私の家庭事情は、色々と複雑でして」
「ええ、ボクもいくらかは聞きかじっています。とはいえ、あまり詮索すべきではないかと思って、詳しいことまでは見ないようにしていましたけれど」
「トラウマ……というのが、多分、適切な言い方なんでしょうね。ファッション的な言い回しや軽い意味じゃなくて、本当の意味でのトラウマなんだと思います。だから創作という形で吐き出して精神の均衡を保って、それで『自分は絶対あんな大人にならない』っていうつもりでいたのに。……だからエターナル・ミキさんに指摘されて、愕然としました。私は、私が忌避するのと同じ事をしてしまったんだって。そして、それはきっと、もう取り返しが付かないようなことなんだって」
それを語るとき、橘なるは心ここにあらずという様子だった。
あくまでもロックが見聞きした限りの情報だが、橘なるの家庭状況は彼自身が口にしたとおり『複雑』なものらしい。ある年齢まではごく普通の家庭だと信じて疑っていなかったらしいのだが、その『複雑』な環境について、よりにもよって最も多感な時期に告げられて精神の均衡を崩してしまったのだという。何よりも、それまで自分が信じて慕ってきた親がろくでもない人間だと知らされた際、おそらく彼は世界の何もかもがひっくり返って誰も信じられなくなってしまったことだろう。
それが落ち着きを取り戻し、今度は「あんな人間にはならないように」というつもりで、ようやく立ち直ってきたのが今の橘なるという人間に違いない。だが、そうして新たな心の支えにした「あんな人間にならないように」という思いが、今度はエターナル・ミキのあの指摘でさらにひっくり返されてしまった――橘なるの立場に立ってみれば、ここまで残酷な仕打ちがあるだろうか。
ただ、やはりエターナル・ミキの厄介な部分は、それはなにひとつとして反論しようもない正論だということだ。いや、単純に論理的であるだけではない。感情面においても、彼女の主張に異を唱えることが難しいのだ。橘なるが「エターナル・ミキの言葉で傷ついた」と主張することは簡単だが、橘なるの行動が他の誰かを傷つけた事実が覆るわけでもないのだし、そもそもエターナル・ミキは(少なくとも表面上は)「ワタシはそれでも良い」と言って本来的に敵対する意思がないと強調しているのだから性質が悪い――下手に反論して対決姿勢を取ると、一方的に悪役になってしまうという構図なのだ。
「どうすれば良いか、全然分からなくて。エターナル・ミキさんは『ワタシはそれでも良い』って私を恨んでいないと言ってくださっていますけれど、でも、そんなことあるわけがないんですよ。私にとって『チュリマシ』が我が子のような存在であるのと同じように……彼女にとっての『機兵少女フリージア』も、我が子のようなものなんだろうなっていうのも分かるんです。だから、あの書き込みではゲーム版の『チュリマシ』のことを『できちゃった状態』だって例えていましたけれど、本当は『フリージア』のことも……私が無責任にイラストを落としてしまったあの作品のことも言っているんじゃないかって思うんです」
「いや、それは考えすぎですよ。エルさんは言いたいことは何でも言う人ですから、本当にそう思っているなら、そのことも濁さずに書くはずですし」
ロックが思っていた以上に、橘はあの書き込みを深く受け止めてしまっていたらしい。
再生数を競っていたあの期間中、疑心暗鬼でロックやその周辺の人間を悪く言っていた橘だったが、今度はその対象が自分自身となってしまったようである。
あるいはそれこそが、エターナル・ミキの狙っていたことなのかもしれないが――さすがにそこまで考えるのは邪推が過ぎるだろうか。
「大体、『フリージア』のことだって、そんな重く受け止める必要なんてありませんよ。たかが、作り話じゃないですか。そんなものよりも、実際に生きて実在している人間の方が大事に決まっていますよ。だからエルさんも『フリージア』のことについて恨みごとを言わず、実在する橘さんのことを許したんですよ」
「そう、ですかね……?」
「ええ、そうですよ。きっとそうです。エルさんは、心根の優しい方ですからね」
その言葉には多分に嘘が潜んでいたが、橘が慰められるのならばそれで良いだろう。
ロックは全然、エターナル・ミキが優しい人間などとは思わない。むしろ、それとは正反対の邪悪な何かだと思っている。ロックはエターナルの行動や言動を目にして、しばしば血の通った人間だとは思えないことがある。いや、そもそもエターナル自身も他人を血の通った人間と見ていないのではないか――先の書き込みを見ても、そうとしか思えないのだった。
「本当に、エターナル・ミキさんが私のことを恨んでいないというのなら……そうですね。本当、彼女はとても優しい人だということですよね。私は、もしも私の『チュリマシ』が、私が『フリージア』にしたのと同じ事をされたのなら……絶対、許せませんから。いっそのこと殺してやりたいって思うぐらい、恨みますよ。それこそ、可愛い我が子が強姦されて、それなのに犯人が逮捕されることも罰されることもなく悠々としているようなものですからね」
「あはは、それだけ橘さんにとって大事なものなんですね、『チュリマシ』って」
ロックは自作にそこまで深く思い入れる橘の気持ちが、全然、理解できなかった。
彼女も小説や楽曲、あるいはイラストなどといった作品をいくつも完成させてきたものだが、そこまで情を抱いた作品はない。
それこそテレビアニメ化が決まった『SMプロジェクト』も、実力試しという程度の意味しか持たず、さほどの執着はないのだ。
ただ、そのことを正直に言うと橘に怒られそうな気がしたので、決して口にしなかったが。
「とにかく、エルさんのあの書き込みがあってから、明日でもう一週間です。そろそろ、何らかの反応は返さないとマズイですよ。エルさんや橘さんにとってもそうですし、他のメンバも気を遣って、何も書き込みできないような状況になっていますから」
「そう、ですね。私、何もしなくても迷惑かけちゃっているんですね」
「どうしてもなるさんが辛いようでしたら、ボクが代わりに何かを書き込みますけれど……」
「いえ、大丈夫です。何だか、ロックさんと話をしていたらスッキリしました。……ちゃんと、自分の言葉で書きます」
センス良く身だしなみを整え、いつも作ったような王子様フェイスに微笑を浮かべるのが橘なるという人物だった。
人当たりも良く、実直なわりに下ネタの類も躊躇なく口にし、誰に対しても胸のうちを開襟する。しかしその実、本当の意味での心を決して見せようとしない。
そんな彼にしては珍しく、今は目の端にうっすらと涙を滲ませている――おそらく、それが初めて見せる彼の素顔なのだろうとロックは思った。
いつしか酒や料理を摘まむ手も止まってしまっていたらしい。そのことに気付いたのは、居酒屋の店員が「ラストオーダーです」と声をかけてきたときのことで、ロックと橘は慌てて手つかずだった料理に箸を伸ばす。
「橘さん、必要があれば、ボクもいくらでもフォローしますからね」
別れ際、念押しでそう言ったものの、多分、それももう必要ないことなのだろう。
そう思えるぐらい、そのときには橘なるは立ち直っているのだった。
そうして橘なると会談したことを、ロックは結局、誰に伝えることもなかった。
それどころか先の掲示板では、しれっと「ボクが言わなくても橘さんが自ら答えを出した」などと書いた。
ロックにとって、そうして嘘偽りで塗り固めることは当然の処世術だったから。
だからまさか、そのことを批判されることになろうとは、彼女は思ってもみなかったのである。