※エターナル・ミキの長文ツイート(2015.04.17)
※エターナル・ミキの長文ツイート(2015.04.17)
他人の好意は素直に受け取って良いものの、他人から好意を引き出そうという行為は、信用をなくすので絶対やってはいけないことですよね。この違いを理解していないと、やがて「周りが(あるいは特定の誰それが)急に冷たくなった」などと思い込んで、周囲に憎悪をまき散らすことになるわけです。
なんで周りが冷たくなったかというと、やってはいけないことをして信用をなくしたというだけなのですけれどね。ただ、こういう言葉を口にしてしまう時点では理由に気づけていないわけで……だからこそ憎悪をまき散らすのです。そうなると連鎖的に嫌なことが起こります。
ある程度落ち着くと、また別の人から好意を向けらるかもしれませんけれど……こういう人は、結局、同じことを繰り返しますよね。そのうち「自分は嫌われている」「不幸の星の下に生まれた」などと言い出すのですよ。根本的な原因は自分自身にもかかわらず、です。
長期的に見た場合、この手の人って、自分で自分を不幸にしているだけです。もちろん、短期的に見た場合は抗いがたい不幸や不運があるかもしれませんけれど、それは別の問題です。一緒にするから、収拾が付かなくなるのですよね。
ちなみにワタシの場合、『他人から好意を引き出そうとして信用をなくす』ということはあまりしないですけれど、『調子にのった行動をとって信用をなくす』ということはよくします(いまだによくやってしまう)。……悪循環にはなりませんけれど、部分的に同じような状況に陥ります。(´・ω・`)
ともあれ、信用というのは大事です。失った信用を取り戻すよりも、新しい人間関係の中で新たに信用を作る方が楽……ではあるのですけれど、信用を失いやすい人って、作る速度よりも失う速度の方が速いのですよね。そのことを思うと、修復の方法も学ばないとすぐに居場所がなくなります。
一番手っ取り早く効果的なのは、謝罪することですよね。気づけていないだけで、自分自身に落ち度があるときというのも多いので……本当に自分に落ち度がないか、考えることって大事ですよ(分からなければ信用できる誰かに相談する)。そしてひとつでもあれば、それについて謝罪するのです。
もちろん、謝っただけでは許されないことも多いですけれど、少なくとも関係がそれ以上こじれることはありません。損することは何一つとしてないですよ。……プライド? そんなものは犬にでも食わせれば良いのです。(ごっはんー♪ ごっはんー♪)
……などと、ちょっと益体もないことを連投。世の中、人間が発した善意と受け取った善意を比べると、何故か善意の総量が減るのですよね。その上、何故か減った分だけ悪意が増えるので……本当、バグっているとしか思えません。まさに理不尽ゲームです。ただ、だからこそ面白くもあります。
そう、『面白い』のですよね。自分が当事者でない場合、それらって、ただ滑稽で笑いの種にされているのですよね。ワタシも、友人や知人がそういう状況に置かれていれば気が気ではないですけれど……赤の他人なら面白がりますよ。そして、それはほとんど全ての人間がそうです。他人事なら面白いのです。
ワタシが特別冷酷なわけでも残酷なわけでもなく、当人は相当に苦しんでいるはずなのに、鼻で笑われておしまいです。なので、基本、他人は手を差し伸べてなんてくれませんよ。他人といえないほど深い仲だとか、何らかの下心があるとかいうのならば別ですけれど(後者の例も多いのは困ったことですが)。
長々として脈絡がないですけれど、結論としてはこういうことって「自分でどうにかする」しかないのですよね。……たとえ『誰かの助けを借りる』にしても、『自分から助けを求める』ようにしないとどうにもなりませんし、それもあくまでも自分が主導して解決しないとなりません。
かなり前にも呟きましたけれど、経験上、ワタシが自発的に他人の関係修復に協力した場合、かなりの確率(八割以上)で失敗しています。その上、関係修復の成功失敗にかかわらず、片方(あるいは双方)からものすごく恨まれるので大損です。多分、これはワタシ以外の人間がやっても同じことでしょう。
ただ、どちらか一方に頼まれた……という形だと、かなりの確率で関係が修復されますね。結局、こじれた関係を元に戻すのは、当事者が率先して行動しなければならないということなのでしょうね。少し手伝うぐらいは出来ても、あくまで少しに留めるのが一番な気がします。
そもそも誰かと関係を崩す人って、大抵、その人の中に根本的な問題があるのですよね。そしてその原因に当人が気づいていない場合が多いので、「自分は不幸の星の下に生まれた」とか「世の中理不尽だ」と、周囲に憎悪をまき散らしてしまうわけで……。結局、いつまでも不幸なままなのですよ。
ある程度落ち着いて、再び誰かと良い関係になっても、その部分に気づけない限りは……また同じ目に遭って憎悪をまき散らします。自分が変わらないと幸福になれないのに、その機会を何度も自分で手放すので、端から見ていると悲しいです。「ああ、この人、また傷つくな」と。
声をかけることはできますが、自分で気づいて自分で解決してもらわないことには、やはりどうにもならないのですよね。本当、下手をすると、声をかけたこちらも不幸になるので……少なくともこちらからはどうにもできないので、もどかしいのです。
「向こうから声をかけてくれれば、どうにか出来るときもあるのにな」などと思うことはよくあるものの、それで声をかけてくれることって、ほとんどないのですよね。あるいは「ワタシがもっと上手く立ち回れる人間だったら」とも思ってしまうことも、まあ、多くあります。
(エターナル・ミキの二〇一五年四月十七日のツイートより)




