1、何のために創るのか――創作の独奏曲
1、何のために創るのか――創作の独奏曲
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ワタシが初めてゲームを作ったのは、小学四年生の時だった。
Windows95が大流行し始めた頃ではあったけれど、小学校のコンピュータ室にあったのはPC-9801で、それが五十台ほど。八インチ(約二〇センチメートル)四方の正方形といった形の馬鹿でかいフロッピーディスクを差し込み、そこから起動する『LogoWrighter』というソフトで作成したのである。画面上に表示されたカメのカーソルに『右を向け』『前に一〇歩』『線を引け』などの命令を与え、線や図形を描画させるというものだった。
後で知った話だけれど、これは本式のプログラミング環境というよりも、児童のプログラミング学習用に開発されたものらしい。LISPというプログラミング言語を元にした開発環境で、発祥は一九六九年と案外古い。大多数のプログラミング言語のようなXY絶対座標系での指示ではなく、カーソルであるカメを主体とした相対座標系の指示が主だというのも特筆すべき点だろうか。今では絶滅したものかとも思っていたけれど、案外と息は長く、最近ではLEGO(LEGOブロックで有名なデンマークの会社である)のプログラミング学習用教材にも同様のシステムが採用されているらしかった。
もっとも、ワタシもそのときは、さほどの作品が作れたわけではない。ゆとり教育への移行が意識され始めた世代のため、教科書内容そのままでありながら、段階的に授業時間が短縮され始めた頃である。土曜日の午前中授業が月に一度は休日に、数年後には月二日、最終的には土曜日完全休日化となっていた頃といえば分かりやすいだろうか。コンピュータ室の仕様は時間割に『学級活動』として割り当てられた時に行なわれたものの、授業時間確保のために週二時間分あった学級活動の時間は半分に削られ、ろくにコンピュータに触れなかった。カメを動かして、何とか計算ゲームが作れたかという程度である。一応、ゆとり教育は『学科勉強以外に多くの時間を割くため』という大義名分であったのだから、ワタシは幼いながらに「これだと本末転倒ではないか」と思ったものである。
そして四年生の終わり、ワタシは引っ越しと共に学校を変わることになる。ただ、新しい学校に設置されたコンピュータはPC-9801ではなくマッキントッシュであった。新しい学校に設置されていたマックの方が最新式の機械ではあったけれど『LogoWriter』は入っておらず、設置台数もわずか六台のみ。コンピュータ教育に熱心な教諭がいるわけでもなく、CD-ROMのゲームをカチカチといじって遊ぶ程度のことしかしなかった。それはそれで楽しかったものの、ワタシはどこか物足りなく思っていたものである。
そんなワタシが再び、ゲーム制作に触れることになったのは、それから一年と少しが経ってからのこと。株式会社アスキーから発売された『RPGツクール3』を兄が購入してきたことに端を発する。初代プレイステーション用ソフトとして開発された、いわゆるコンシューマ版の『RPGツクール』である。『RPGツクール』はその商品名の通り、ロールプレイングゲーム制作に特化したゲーム開発ツールである。PC版も存在していたものの、当時ワタシの家にはそもそもパソコンがなく、それが唯一触れられるゲーム開発ツールのひとつであったわけだ。そして当然の成り行きとして、ワタシはその『ゲームを作成するゲーム』に強くのめり込んだ。実際、この『RPGツクール3』はコンシューマゲーム版の『RPGツクール』では最高傑作と評されるほどの完成度を誇り、多くのプレイヤを魅了したことは間違いないのだ。
もっとも、ワタシはそこで納得のいくゲームが制作できたかというと、そうでもない。小学生ならではの無計画さゆえか、その場その場の思いつきでマップやテキストが作成され、完成した作品は無秩序きわまりない。数値設定の意味も深く考えずに行なわれているためゲームバランスは劣悪で、デバッグという概念もないため『はまる』マップも多数あった。『RPGツクール』は相当に作りやすい調整がされたツールであるものの、本来、RPGと呼ばれるジャンルのゲームは制作難易度が高い。数字が出てくるだけの簡素な暗算ゲームを作成するのとは、やはりわけが違うのだ。
それでも、自分の手でゲームを作るという行為は、ことのほか楽しかった。どれだけの駄作であろうとも、自分が作ったのだという達成感があり、自分の思うままに出来るという優越感があった。誰にプレイしてもらうというわけでもない、自分の、自分による、自分のためのゲームだったのだからそれでよかったのである。
「ヒジリちゃんの作ったゲーム、プレイしてみたいな」
ただ、あるときワタシがゲームを作っているということを知った友人が、そんな言葉を漏らした。
中学生の時のことだった。
何とはなしに入った卓球部で仲の良くなったクラスメイトで、その頃は良くも悪くも、一緒にいる機会が多い人物でもある。
思い起こしてみれば、その後のワタシの人生を決定づけたのは、友人のそのひとことだったのかも知れなかった。
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それはうれしい反面、なかなかに困ったことでもあった。
自分の作ったものに他人が興味を持ってくれることは、素直に喜ばしい。
ただ、正直に言って、ワタシが一年以上前に作成したゲームは他人に見せることを前提として作られていないのだ。
「この間、アタシも『RPGツクール3』を買ったの! でも、全然、自分じゃ上手く作れなくて。……でも、ヒジリちゃんなら、RPGに詳しいじゃない? だから、きっと、ヒジリちゃんの作ったゲームも面白いんだよね?」
「えぇと、それは……」
友人から邪気のない笑顔で言われたものの、ワタシはすぐに言葉を返すことが出来なかった。
種類は多くないものの、コンピュータRPGについてはそれなりにやり込んでいる。
だから目の前の友人の言うとおり、ワタシはロールプレイングゲームについて自分なりの一家言を持っている。
しかしその感性に照らし合わせ、客観的に自分の作成した作品を評価するとすれば――やはり、駄作以外の何物でもないのだ。
「……他人に見せるために、作ったものじゃないからさ。ほら、ワタシはRPGに慣れている人間だから、それに合せた調整をしちゃっているわけなの。だから、RPGにあまり慣れていないジュンちゃんがプレイしても、多分、つまらないと思うんだ」
それでも、ワタシは頭脳をフル回転させて、何とか当たり障りがない程度の言い回しで返すことができた。
しかし、本来、駄作以外の何物でもない作品である。
もちろん、ワタシの言いは、それはそれでひとつの真理を的確に説明してはいたことは間違いないことだろう。
ただ、自尊心を守るため言いつくろったというのが実際の所なのだった。だから、多少の後ろめたさのようなものはあったのである。
「えぇー、そういうものかなぁ……。だって、面白いものは、誰がやっても面白いじゃない」
「それが、そうでもないの。この間、『サガ フロンティア』っていうゲームが面白いって、ワタシが言ったよね。ジュンちゃんもそれを聞いて、買ってみたようだけれど……プレイしてみて、ジュンちゃんはどう思った?」
「えっ? ……うーん、たしか、すぐにプレイするのをやめちゃったかな。……だって、つまらなかったんだもん」
「ほら、こんな感じにね? ……ワタシはあのゲーム、すごく楽しくて、百時間以上もプレイしたんだけれどさ。ジュンちゃんは、全然、楽しめなかったワケでしょ。そもそも、あれはRPG上級者向けなんだけれど……一方で初心者には恐ろしく不親切でつまらないゲームなの」
「あー、言われてみれば……そうかもね! うん、何となく、分かった気がする!」
もっとも、ある側面で正しい意見であるからこそ、友人はワタシの言葉に納得したようである。
得心がいったという顔をする友人を見て、ワタシは心底ホッとした。
しかしその反面、友人を騙すような言い方になってしまったことに、僅かばかりの罪悪感も抱く。
「うーん、やっぱり、ヒジリちゃんは賢いよねぇ。……アタシとは違うなぁー」
実は、同じ部活動に所属するこの娘――ジュンとは、しばしば衝突することがあったし、最近もたびたび衝突する。
そして、そのたびにワタシが、相手の意見をことごとく論破するのが常だった。
この友人が感情的に行動することが多い、短絡的な人間だということもある。
しかし単純に、学力や教養的な差から来る、語彙力や論理展開力の差という面もあるのだった。
「いや、そんな……。ワタシはそんな、賢いわけじゃないけど……」
ケンカの際であれば、相手を言い負かすことに罪悪感を抱くようなことはない。
殴り合いにしろ言い合いにしろ、ケンカというのは自分の力でもって、相手を負かすのが目的だからだ。
ただ、今は別に、ケンカをしているわけではない。
そんな中で、優位な力を使って相手を屈服させるというのは、どうにも気分が良いものではなかった。
「……そうだ。それに、ね。そもそも、前に『ツクール』で作ったゲームのデータ、残っていないのよ。『RPGツクール3』のディスク自体、お兄ちゃんが友達に貸しちゃったみたいで、今は手元にないし」
まるで言い訳をさらに重ねているようであるが、それらは事実であった。
この頃はプレイステーションのメモリーカードも高価で、なおかつすぐにセーブデータの上限に達するのだ。
少ない小遣いをやりくりする中、ワタシはもう一枚のメモリーカードを購入する余裕がなく、他のゲーム(ちなみに先述の『サガ フロンティア』で、基本的にメモリーカードの五分の一以上の容量を使用した)をプレイするためにデータを消してしまっている。
兄が『RPGツクール3』を友人に貸しているというのも、この頃はそれだけ『RPGツクール3』が一部の人々の間では流行していたからでもあった。
「なーんだ、そうなのかぁ。……あーあ、そうなると、そもそもヒジリちゃんの作ったゲームはプレイできなかったのかぁ」
ジュンはそう言いながら、廊下の窓枠に寄りかかる。
脱力しきったその顔は、傍目で見ていて分かるほど「期待外れだった」と語っている。
いや、あるいは論破されたことによって、「アタシって本当にバカだなぁ」という自己嫌悪のようなものかもしれない。
そのことが、ワタシにさらなる罪悪感を与えた。
「……設計図を書くことなら、できるかも」
そんな提案をしたのは、罪悪感が積み重なり、その埋め合わせをしなければならないと思ったからだった。
とはいえ、そのことを理解したのは、ワタシ自身もその言葉を口にした後のことだ。
実際、ワタシは自分で言いながらも「ワタシ、何を言っているんだろう?」と思っていたほどだ。
「設計図……?」
「そう、設計図。シナリオのテキストとか、マップの構成。モンスターのデータやアイテムのデータ。そんな色々を、全部、ワタシがノートに書き出す。ジュンちゃんはそれに沿って、打ち込んでいくだけで良いの。それなら、今、ワタシの家に『RPGツクール3』がなくたって大丈夫だから。それに、そうして新しい作品を作ることにすれば、ジュンちゃんでも楽しめるゲームになるんじゃない?」
「なるほど! ……やっぱり、ヒジリちゃんは頭が良いよ、天才だよ! あは、あははっ!」
寄りかかっていた窓枠からぴょんと跳び、無邪気な友人は、全身で喜びを表現する。
なお、よく考えてみると、ワタシがジュンから『ツクール』を借りればそれで済む話ではあった。
ただ、このときはそのことに気付かなかったのであるし、結果的にそれはそれで制作の質を高めるという意味では奏功したという面もあるのかもしれない。
実際、そのときに制作した作品は稚拙ながらも印象深いものとなり、その十年ほど後には「今までで一番面白いゲームだった」とジュンに言わしめたのだから。
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それ以降は、ワタシ自身も『RPGツクール4』や『RPGツクール5』などを購入して、自身の手で製作するようになる。
かつてジュンと共同制作した作品の続編を皮切りに、愉快なマスコット三人組みが異世界を救う『ハニチューの大冒険』、三人の主人公がそれぞれの目的を持って魔術王に挑む『魔術志』。高校生の終わりにはPC版の『RPGツクール2003』に手を出し、過去作品のリメイクもした。『RPGツクールXP』を買った際には、魔術師見習いの少女リィズ(初期設定だとシアという名前だった)が魔術の高みを目指す『魔術志(リィズ編)』、魔術の極みに上り詰めてしまった女魔術師アーチェルのその後を描く『魔術志(アーチェル編)』などを作成した。
ゲームに用いるイラストも自作しようと、我流ながらも絵の練習もしたのであるし、その頃はまだ黎明期であったPCでのイラスト作成にもできるだけ挑戦した。幸運なことに、姉の彼氏がそちら方面にくわしい人間だったため、描いたイラストを見せたり技術や知識を教えてもらったりもした。そして彼もまた、『RPGツクール』でゲーム制作を経験したことがある人物であったので、そちら方面でも色々と参考にさせてもらうことは多かった。もっとも、二年ほどで件の彼氏は姉と別れてしまったため、それ以降はほとんど交流できなくなり、そこでワタシの技術向上もピタリと止まってしまった感はある。もちろん、ゲーム制作にはイラスト以外にも覚えるべきことが多くあり、そちらに傾注していったからということもあった。
また、高校生の時に、ワタシはそれまで全く縁もゆかりもなかったはずの吹奏楽部に入っている。高校に入り、すぐに仲良くなった子に誘われてというのが発端であったけれど、音楽的な教養はゲーム制作にも有用だろうという打算があったことも間違いない。なお、件のワタシのことを誘った級友は半年も経たずして学力的な理由(それなりの学力を持つ進学校だったので授業について行けなかったらしい)で退学することになるのだが、ゲーム制作のためという思いを持っていたワタシはそれでも最後まで吹奏楽部員として無遅刻無欠席の活動をすることになるのだった。
そんなワタシであったから、高校卒業後の進路はコンピュータ系技術を学ぼうと、工業大学の情報工学科に入ることになる。ちなみに、当時の学力からすれば相当に下のランクの学校ではあった。けれど、コンピュータを学ぶなら最新式のものを取りそろえている所が良いだろうということで、設備が綺麗な私立学校を選んだ。もちろん、単純に受験勉強漬けになってゲーム時間が削られては本末転倒だという考えもあった。
「つまらないから、三分でプレイするのをやめた」
ワタシはその大学で、『RPGツクール』愛好家の友人が出来ていた。
もっとも、何らかのサークルや部活動に所属していたのではない。何となく同じような雰囲気を感じ取って近づいてみたら、ドンピシャリだったのだ。
そして、ワタシの作った作品を渡した翌日――返ってきた感想は、ただそれだけ。歯に衣着せぬとはまさにこのことで、全くもって容赦がなかった。
ただ、彼との実力差は明白である。ワタシも彼が作成したというゲームを受け取ってプレイしてみたのだけれど――正直、ワタシが作っているゲームなど児戯に等しいと思えてしまうほど、高い完成度を誇っていたのだ。
『自由な運命』
そんなタイトルの作品だった。
ゲームとしては、あくまでも『RPGツクール2000』の基本機能を使っただけである。グラフィックはプリセットの素材を使い、インタフェイスもそのまま。辛うじてBGMだけはフリー素材から厳選して使用していただろうか。ただ、だからこそ最低限の素材で、最大限の面白さを引き出している作品だった。
主人公は自己中心的でで身勝手な人物設定だったが、運命に翻弄される中で己を貫き通す、非常に熱く爽快なストーリーである。ゲームシステムも通常のインタフェイスの中で最大限の工夫が凝らされ、ワタシが思ってもいなかったようなツールの使用とゲーム的な工夫が施されている。
特異なシステムやストーリー、あるいは目を惹くようなイラストがあるわけではない。ただ、ひたすらに面白い。ゲームという媒体の持つ魅力を十分に理解した、絶妙のバランス感覚で作られた名作である。
「ヤマダ君の作品、すごく面白かったよ」
「ああ、知ってる」
「ゲームへのこだわりが、強く感じられた。ストーリーを見ても、システムを見ても、全力を出し切っていた」
「当たり前だろ」
彼は尊大な態度で言うけれど、それが全く嫌味に聞こえない。それだけ、ワタシは彼の作品を評価していた。
だからワタシとしては、自分の作品が「つまらない」と言われても仕方がないかなと納得はしていた。
自分がそのぐらいの実力なのだろうということも、理解できていた。
「ワタシの作品とは、全然、違うね……」
もちろん、悔しくなかったわけがない。
ただ、それで彼のことを恨んだりやっかんだりするのは筋違いである。
だから、自分でも不思議なぐらい、落ち着いて受け答えが出来た。
「ちなみにだけど……具体的には、ワタシの作品の何がダメだった?」
「導入が長すぎる。ゲームデザインが見づらい。チュートリアルが鬱陶しい」
ワタシが問うと、彼はすぐに言葉を返してくる。
反論の言葉もなかったので、ワタシはそれ以上、何を言うこともできなかった。
「……そっか、たしかにね」
己の未熟さを痛感するばかりのことで、それ以上何を言う必要もない。ただ、そうして自分の未熟を知ればこそ、その悔しさをバネにして良いものを作ろうという気にはなっていた。
目の前の彼を敵と見なしたり、反発したりすることに意味はない。彼ほどの実力があっても、ゲームコンテストの類で優勝するということもなければ、トップクリエイタになれるというでもないのだ。ネットで少し探してみれば、フリーゲームやインディゲームの制作者で、さらに上を行く人材はいくらでもいる。目の前にいる友人は、むしろ超えていかねばならない壁でしかなく、それを打ち壊して優越感に浸っている暇などないのだった。
「……オレは、本当はこんな低レベルの学校に入るつもりはなかったんだ」
「どうしたの、ヤマダ君。……藪から棒に?」
「ゲーム作っていたら、受験勉強が手につかなかったんだよ。千葉大学とか茨城大学とか、確実だって言われていたんだけど全部落ちたんだ」
「……ああ、なるほど」
何も知らない人間が聞けば、ゲーム三昧で受験勉強をせずにいた愚か者といったところだろうか。
ただ、件のゲームをプレイしたワタシは、彼が志望校を落としてまで作ったゲームの価値が理解できていた。
いや、我が身を犠牲にするほどの気迫で作ったからこそ、あそこまで面白いゲームになったのかもしれない。
その点、志望校のランクを下げたワタシとは似ているようでいて、全然違うのだった。
ただ、そんな彼も大学三年生の際、必修単位を落として留年が決まってしまう。
終始、「こんな程度の低い大学に入るつもりはなかった」と見下していた手前、ひどくプライドを傷つけられたのだろう。何かにつけて極端な彼は、即刻自主退学して、ワタシの前から姿を消した。
ちなみにワタシはワタシで体調不良などが重なって必修単位が取れず、留年したものの――それでも最終的にはそこそこ優良な成績で大学を卒業している。
しかし、これもまた、ある意味でワタシの運命を狂わす出来事ではあるのだった。
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ゲーム制作は、あるときまで続けていた。
ただ、ワタシは自分が作りたいのはゲームではないということに、薄々気付いていた。
システムをいじることやコードを記述することは面白かったものの、そこにはそれ以上の意味がない。
ワタシが求めているのは、もっと根源的なこと――人間の心や生死に関わる問い掛けだった。
「ワタシがやりたいことは、ゲームよりも、小説の方が適切なのかも知れない」
本格的に小説を書き始めたのは、高校三年生の時だ。
吹奏楽部は二年の終わりで引退し、大学も指定校推薦で早々に決定したため、高校三年次のワタシはあるときから暇を持て余していた。それで始めたのが、中学生の頃ジュンと共に作ったゲームを小説化するという作業である。
ちなみに、それまでワタシは小説らしい小説はあまり読んでいない。国語の教科書は授業で取り扱わなかったところまで読み込んでいたとか、中学生の時に流行で取り入れられた『朝の読書』の時間に一〇冊ほど読んだ程度のことだ。あるいは『ドラゴンクエスト』のノベライズだとか、何となしに父親が買ってきた『指輪物語』を読んではいたけれど、量も少なければ酷く偏りがあった。
ただ、そうしてある種のファンタジー小説を多く読んでいたからこそ、作成したゲームをノベライズしようという発想が生まれたというのも事実である。
「うーん、これは……面白いんだけど、ちょっと読みにくいなぁ」
違う高校に通っていたジュンと久しぶりに会った際、自作ゲームの小説版を読んでもらった。
ただ、彼女からの反応は、あまり芳しいものではない。
実際、後になって読み返してみれば、たしかに読み辛い文体だった。
全体的に固く重苦しく、難読の文字を多数用いていて読む人間のことを考えていない。
「やっぱり、ゲームの方が面白いかも」
中学以来の友人は、そう言って、かつて作ったゲームのことを懐かしむ。
ただ、ゲームが面白いのは当たり前のことなのだ。
ゲームには絵があって、音があって、操作することが出来る。
それぞれを最大限に発揮できたのなら、文章だけの小説が勝てる部分はごく少ない。
「……なら、ジュンちゃんに『面白い』って言ってもらえるような作品を書けるようにならなくちゃ」
それでもワタシは、どちらかというと物事を積極的な方向へとらえる人間だった。だから友人に否定されても、小説を書くことを辞めるどころか、むしろさらに書いてやろうという気になっていた。
ワタシはそれからゲームの作成と小説の執筆を並行して行なっていたけれど、それが小説一本になったのには、もちろん切っ掛けがある。それはワタシが大学を留年したからだった。あくまでも体調不良に起因する落単だったけれど、それでもやるべきことややりたいことがあふれすぎて、処理能力を落としてしまっていた面があった。何よりも何年も作り続け、書き続けているというのに、それらは一向に評価されることがなかった。新人賞に出しても、あるいは友人に見せても渋い顔をされるばかりである。
どちらか一本に絞ろうとしたとき、小説を選択したのは、やはり大学で友人となったヤマダのことがあったからだ。彼ほどのゲームを作ることは、ワタシには難しかった。また、彼ほどのゲームを作れる人間でも、単位を落として退学にまで至ってしまうのだ。そのことを思うと、どうしてもゲーム制作を取ることは出来なかった。
むしろゲーム制作と二本槍であるからこそ、自分の中に甘えが出来てしまっているのだとも思っていた。「ゲームも作っているから小説一本の人より劣る」「小説も書いているからゲーム一本の人よりも劣る」と、心のどこかで言い訳してしまっていた。だからワタシはゲーム制作という創作の根幹を捨てて、言い訳する余地もない小説専心を選んだ。
そんなワタシだったからこそ、『メカニカル・コンチェルト』においてスクリプタやプログラマを頼まれたときには困惑した。
リーダのロックは――そして他のメンバは、そんなワタシの内心を理解していたことだろうか。
いや、無理だろう。何故なら、ワタシはそのことを表立って言うことはほとんどしなかったのだから。
でも、だからこそ今は言いたい。ワタシがスクリプタやプログラマを担当してしまったその時点で、物語が破滅に向かっていたのだと。