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創作の協奏曲  作者: 久遠未季
第四章 創作の狂想曲――ツナガラナイ未来
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終、ツナガラナイ未来

終、ツナガラナイ未来


    *


 これで、何もかもが終わったのだ。

 怒りや悲しみというのは既に絞り出してしまっていたので、今は重い荷物を下ろしたような安堵感があるだけだった。

 結局、あれだけの時間と労力を費やしたというのに、エターナルの手元に残ったものは何もなかった。

 おもてがわは「夏コミに受かっているから」と言って、主題歌CDとやらを作って売ったようだが――そのサンプルも売上金も何ももらっていない。

「本当、草一本生えていない、焼け野原みたい……」

 あれはあれで途方もない手間暇をかけて作った『体験版』は、何故かサイトにアップロードされなかった。

 さらに血を吐くほどの苦労をして作った『プロトタイプ版』も、関係者の手に渡ったものなのかどうか。

 先の件で『メカニカル・コンチェルト』もサイトごと消滅し、その痕跡すらなくなった。

 おもてがわが動いている痕跡もないので、代わりにエターナルがこのことをかつてのメンバに報告したいところだったが――あまりに複雑に入り組みすぎていて、説明に困る。


「ワタシは、小説書きだから……書けば良いのかな?」


 電車に揺られながら、彼女は自問する。

 内情を暴露することは、あまり褒められたことではないのだろう。むしろ創作家にとって、ある種の反則技だと言っても良いぐらいだ。それでも、このことをかつて仲間だった人々に伝えないことは、もっと耐えがたかった。エターナルは自分が決して聖人君子ではないことを自覚しているのだし――それどころか他人には絶対に明かすことが出来ないものを抱え込んでいる。

 そもそも、今日もまた、そうした自分の黒い過去を見つめ直さなければならない日だった。だからこうして電車を乗り継ぎ、アクセスの悪い埼玉くんだりまで行かなければならない。そう思っている間にも列車は川を渡り、県境を越える。車窓から一面の野原が見えてくると、目的地はもうすぐだ。

 駅から降りると、目の前には超大型のショッピングセンタが広がる。国内最大級の大型複合施設は通い慣れているが、ともすればひとつの街ほどの大きさがあるため、いつも道に迷いそうになる。今回の待ち合わせ場所は、たしか『風』のエリアだと言っていただろうか。

「あっ、ヒジリちゃーん! こっちー、こっちー!」

「わーい、ヒジリちゃんだー!」

「あはは。皆、元気みたいだね?」

 待ち合わせ場所へ行くと、エターナルが確認するより早く、小柄な生き物が次々に飛びついてくる。

 皆、姉の娘たちだった――ちなみに『ヒジリ』というのはエターナルの本名である。

 長身のエターナルに対し、姉の子供は皆、平均よりもずっと背が低い。

 だから足下に群がる彼女らは、ともすれば小人か妖精のようだ。

「ヒジリ、本当、久しぶりね?」

「うん、そうだね、お姉ちゃん。最近、ちょっと忙しかったから……ゴメンね」

 足下でじゃれつく妖精たちを適当にあしらいながら、エターナルは姉に相対する。

 昔から、大好きな姉だった。

 でも、あのとき以降から――どうしても、姉の目をまっすぐ見ることが出来なくなってしまった。

「……んっ、あれ? そういえば、ナツミちゃん、ちょっと元気がないんじゃない?」

 ただ、そのときふと、彼女は違和感に気付いた。

 足下でじゃれついている子供のひとり、次女のナツミの顔が心なしか固い。

 本当は他の子供たちと同じようにしたいのに、どこか素直にはしゃげないでいるというか。

「それは……うん、あとで話すわ」

「……そう?」

 何か、問題があったのだろうか。

 エターナルは不安を覚えたが、姉が「後で」と言っているのであれば、今は無理に追求しない方が良いだろう。

 そう思って、とりあえずは足下の妖精たちを可愛がってやることにした。


 姉が事情を話してくれたのは、ショッピングを一通り終え、昼食のためにレストランに入ったときのことだった。

 一番上の娘が下の娘たちの面倒を見て、一段落しているところで姉は口を開く。

「半年前、学校で騒ぎがあってね。それ以来、ナツミ、ちょっと神経質になっているのよ」

「騒ぎ……って?」

「うん、学校に不審者が入ってきた……って言えばいいのかな? それで、警察も呼んで、色々とあって」

 姉は話しづらそうに、それでもひとつひとつの言葉を吟味して口にする。

 口の中に広がる味は苦いのか、それとも渋いのか。

 まるで乳児に初めて離乳食を食べさせるときのように、「これは大丈夫かな?」「これは無理かも」と思案しているかのようだ。

「何か、奥歯にものの引っかかったような言い方だね。……はっきり言いにくいことなの、お姉ちゃん?」

「うーん、そう、なのかな。……まあ、いいか。ヒジリちゃんには、ちゃんと説明するわ」

 エターナルが言うと、ようやく決心したのだろう。

 姉はジッと彼女の方を見て、ゆっくりとその言葉を口にした。

「一年ぐらい前から……だったかしらね。テレビ局のディレクタだとかいう人が、しつこくつきまとっていたのよ」

「……テレビ局の、ディレクタ?」

「うん、というか、制作局のといった方が正確なのかしらね? 何でも、テレビのものまね番組で『そっくりAKB』とかいう企画を作りたかったみたいで、全国から『AKBグループアイドル』のそっくりさんを探していたみたいなの。それで、大体の主要メンバのそっくりさんはそろったみたいなんだけれど、どうしても『さしこ』……『指原莉乃』のそくりさんだけ見つからなかったみたいなの。……いえ、自称そっくりさんはいくらかいたみたいだけれど、全然似てないらしいのよね」

「うーん、そういう企画で『さしこ』がいないのは、ちょっと厳しいよねぇ……」

 アイドルの類に疎いエターナルであっても、『AKBグループ』ぐらいは知っている。

 ただ、その中で顔と名前が一致するメンバといえば『さしこ』ぐらいなものだ。

 そしてエターナルに限らず、アイドルに疎い人間が『AKBグループ』と聞いて思い浮かぶ人間も、せいぜいがそのあたりだろう。

 その意味で、確かに『さしこ』がいない『そっくりAKB』とは、まさに画竜点睛を欠くといったところだ。

「それでね、ここからが本題なんだけど……どうにも、どこかのママさんが、あたしのことを『さしこ』に似ているって、その制作局に言ったらしいのよ」

「お姉ちゃんが、『さしこ』に似ているって?」

 言われて、エターナルは姉の顔をまじまじと見る。

 たしかに姉は『さしこ』のような髪型で、背丈も同じぐらいだろうか。

 良くも悪くもあけすけな性格であるところも似ていて、性質が似ている人間は顔つきも自然と似てくるものだ。

 今まで考えたこともなかったが、言われてみると似ていないこともないだろうか。

「どうにもそのママさん、幼稚園の他の組のママさんみたいでね。最初は、コーちゃんの通う幼稚園に、そのテレビマンが押しかけてきたの。ほら、別のクラスのママさんが情報源だからあたしの住所とか知らなくて、お母さんたちがお迎えに行くような時間帯を狙って……ってことね」

「そんなの、さっさと断って、追っ払えばいいんじゃない?」

「もちろん、そうしたわよ。『テレビに出るつもりはありません』って、はっきり言ったわ。でも、それがすごいしつこくてね。『そんな、恥ずかしがらなくていいんですよー』『あっ、もちろん、お金もちゃんと払いますから。旅費付で』って、こっちは断っているのに、何度も幼稚園に来て。事務員さんとか園長先生が『そういうのは困ります』って言っても『何でッスか? テレビに出れるんッスよー?』って言って、全然話が通じなくて」

「それは……何だか、スゴいね」

 そこまで話が通じないとは、まるでどこかの誰かのようだ。

 エターナルは内心で、あの迷惑男の顔を思い浮かべる。 

「うん、スゴかったのよ。もちろん、悪い意味でだけどね。で、何度も園長先生たちに注意されていたら、今度は先生たちがいない隙を狙って園内に入ってくるようになったの」

「うわー、それは何とも……」

「もちろん、すぐに園長先生たちが気付いて『次は警察を呼ぶ』『あなたの上司に報告するから連絡先を出しなさい』って厳しく注意したんだけどね。そしたら、さすがにもう幼稚園には来なくなったんだけど……」

「それで、解決じゃないの?」

「ううん、むしろ、もっと酷くなったの。幼稚園には来なくなったんだけど、そしたら今度はどこで情報を仕入れてきたのか、あたしが小学校のPTA役員だっていうことを突き止めたみたいでね」

「それで、ナツミちゃんたちの小学校に侵入した……っていうこと?」

「……うん」

 頷くとき、姉は思わず身震いして、腕をさすった。

 姉は毅然としているが、それでもやはり、か弱い女性ではあるのだ。

 娘たちのいる前では決してそんな顔を見せなくとも、件のテレビマンに詰め寄られたとき、さぞ怖い思いをしたのだろう。

「PTAのお仕事をしているとき、偶々、ひとりで移動することがあって。それで、多分、そういうときを狙っていたんだろうけど……」

 姉の言葉は、そこで途切れてしまった。

 見ると、下唇をキツく噛んでいた。

 よほど、恐ろしかったのだ。

 そしてその恐怖がどんなものなのか、エターナルはよく知っていた。


 大好きな姉に、あんな思いをさせた人間が許せなかった。

 その後、すぐに警察が呼ばれて件のテレビマンは拘束されたというものの、厳しいお叱りがあっただけですぐに釈放されたらしい。

 悪質であるものの、逮捕したり罰則を与えるほどのことではないと判断が下されたのだろう。

 それでもエターナルの姉は――おそらく、他の人間が受けるよりも大きな傷を負ったのだ。

「大体、ナツミちゃんだって、あんなに小さいのにママのことが心配でたまらなくなっているようだし……」

 だから、エターナルは件のテレビマンとやらの素性を調べることにした。それで何かが出来るというわけでもないし、もちろん何かをして良いというわけではない。

 日本は法治国家なのだから、私刑は厳禁である――それでも、何かをせずにはいられない。

 そのテレビクルーとやらが本当に反省しているのかだけでも知りたいのだし、もしも反省していないようならば、反省するように促したい。

 そのために、エターナルは警察のデータベースをクラッキングした。

「もしかしたら調書も取らずに、データベースにも何も残っていないかも知れないけれど……」

 期待は薄かったが、それでもデータベースを探索していく。

 そして、目的のものは見つかった。


「『仁藤雅利』……にとうまさとし?」


 出てきたのは、知らない名前だった。

 ただ、運転免許証の画像を見て――エターナルは、思わず息を飲んだ。


    *


 まったく、散々な目に遭ったものである。

 人生をかけて作った『君ツナ』は最後の最後で仕上がらず、三〇万円もの金をドブに捨てるような結果になった。

 夏コミのCDは完売し、ある程度は相殺できたものの、それでもかけただけの金額と労力には見合わない。

 また、実家でゴタゴタとした事情があり、収入の大部分を仕送りしなくてはならなくなったのも痛い。

「ああー、もう! この間から、散々ッスよ! 俺が、何をしたっつーんッスか! 何もしていないのに、みんな、よってたかって死体蹴りして!」

 怒りにまかせて、階段の手すりを蹴飛ばす。

 最近越してきたばかりのアパートは悪友とのシェアハウスで、手頃な家賃の割りに、こうした共用部分は頑丈に出来ている。

 新生活でウキウキとしていたのは、つい四ヶ月前のことだったが、それからはどんどんと悪い方に転がる一方だった。

 今日もまた、職場では無能上司が訳の分からないことで喚き散らし、おもてがわは渋々頭を下げることになっていた。

「……あー、ただいまッス」

 部屋の扉を乱暴に開け、悪友に帰宅を告げる。

 ただ、外出しているのか電気は付いておらず、室内は暗闇が支配している。

「……ったく、あのバカはまた、何も言わずに外出ッスか」

 玄関で靴を脱ぎ捨て、リビングへ向かう。

 小綺麗なアパートであるが、やはり1LDKにふたりでは狭い。

 最近、あの悪友はアイドルにはまってキモいドルオタと化したので、グッズで埋め尽くされた部屋はなおのこと居心地が悪かった。

 外から入ってくる明かりで見えないことはないが、さすがに電気を付けるべきかと思い、スイッチに手を伸ば――


――胸元が急激に熱くなり、息が出来なくなった。


「ご、ごぼぁぁ……。うっ、ぐぅぉぉぅ、ぐるぅぉぉぁぁ……」

 おもてがわは声を出したつもりだったのに、文字通り、それは言葉にならない。

 人間の言葉に、なっていなかった。

 代わりに、口の端から熱いものがこぼれ落ちた。

 息苦しくて呼吸しようとするものの、ヒューヒューという音がして、いっこうに苦しさがなくならない。


「おかえりなさい、おもてがわさん。……いえ、仁藤雅利さんと呼んだ方が良いでしょうか?」


 耳元で、声がした。

 女の声だ。

 それも、聞いたことがある。

 ただ、どこで聞いた声だっただろうか。

「ワタシが誰だか分かりますか、おもてがわさん?」

「ぐぅるぅ……。ぅうっ……おぉぅっ!」

「んっ? 何言っているか分からないですよ、おもてがわさん。モガモガ言わずに、はっきりと喋って下さい。ほら、ほらほらほらほら、もっと報告と連絡と相談は、しっかりと!」

「ぐぅっ……。んほぉぉぉっ……!」

 グリっと、胸の奥に何かがねじ込まれた。

 ゴボっと、熱い塊が喉の奥から込み上げてくる。

「埼玉の幼稚園、行きましたよね? あと、小学校も。『そんな、恥ずかしがらなくていいんですよー』『あっ、もちろん、お金もちゃんと払いますから。旅費付で』『何でッスか? テレビに出れるんッスよー?』ですか? ……ふっざけんな!」

「うぐぉーー……!」

「もう関わり合いになることはないんだと思っていましたし、もう関わり合いになんてなりたくないと思っていました。こちらから関わりさえしなければ、少なくともワタシやワタシの周りの人たちはあんな嫌な思いをすることもなくて、それで十分なんだって思っていました。……けど、何なんですか、アナタは! ワタシの知らないところで、アナタは色々な人に迷惑をかけ続けていた。ナツミちゃんが悲しい思いをして笑わなくなって、お姉ちゃんが……また、辛い思いをしていた!」

「ぐぉぁ! ……あぐぅおぉっー!」

「お姉ちゃんが、また、あの辛かったことを思い出しちゃったじゃない。ワタシの大好きなお姉ちゃんが、良くなっていたはずなのに……また、壊れてお姉ちゃんじゃなくなっちゃうじゃない! そんなの、そんなの……耐えられない。なら、なら、ワタシがまた……お姉ちゃんをイジメるやつを、始末しなくちゃならないじゃない! ……義兄さんみたいに、ね!」

 意味が、分からなかった。

 何故、息が出来ないのか。

 何故、胸がこんなにも熱くて、焼け焦げてしまいそうなのか。

「そうそう、おもてがわさん。たしかおもてがわさん、こんな話を書いたって言っていましたよね。『小説家志望の主人公が、自分の作品や掴んだチャンスを滅茶苦茶にされて、最後にその原因になった迷惑なヤツを包丁で刺す』って。それを新人賞に出したら、けんもほろろにされて『何で、あの物語の面白さが分かんないんだよ!』『主人公がラストでヒロインを刺すって、斬新で最高のアイディアッスよね!』って。……なら、これって最高のラストじゃないですか! ほら、おもてがわさん、やったじゃないですか! おもてがわさんがお望みの、最っ高のラストですよ!」

「ぐぅるぅ……。ぅうっ……おぉぅっ!」

 これは、現実なのか。それとも、悪い夢を見ているとでもいうのだろうか。

 もしも夢だというのなら、どこからどこまでが夢で、どこからどこまでが現実だったというのだろうか。

 目眩がしたときから? 船に乗ったときから? それとも――それよりもずっと前から?


 わからない。


 いや、そもそも、ここはどこだ。

 まるで、どこかで間違って、知らない世界にでも紛れ込んでしまったようだ。

 俺の『君ツナ』は、俺の最高の作品は――何処に行ったんだ。


 わからない。


 わからない。わからない、わからない。わからない、わからない、わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない。


 かつん、と手に握っていたスマホが落ちる。

 空を掴むように、色を失いかけてもなお――助けを求めて伸ばした手は、届かない。

 その手は、届かない。


 濁った色の空の中。

 ひとつの光が、遠く高く、どこまでもまっすぐに伸びていく。


「ところで、ワタシ、ひとつだけ気になっていたことがあるんです。おもてがわさんの受け答えって、まるで『人工無能』なんですよね。そして『人工無能』を実現するスクリプトって、アリの脳味噌ほどの容量も必要ともしない、ごく単純なものなんですよ。……で、おもてがわさんの頭の中って、本当に詰まっているのかなぁって。あるいは、中にアリかミジンコでもいるのかなぁ……ってね。ちょっと、今から確かめてみましょうか?」

「あ、あァ……。あぁぁッ………! ……ウボァー」


――オレは、何者なんだ?


 おれはどうしたんだ?

 なにがあった?

 こんなところでなにをしている。


 まだおれにはやりのこしたことが――

 やりのこしたことがある。いや……たくさんある。

 ここでへばっているわけにはいかない


 いつきにあわなきゃ

 しおんねぇのところへいかなきゃ

 あのこをたすけなきゃ


 いやだ……

 ひとりぼっちは、いやだ……。

 怖いよ……寂しいよ。


 だめだ。

 いかないで……

 はやくむこうに……


 いったいおれはなんのけしきをみてるんだろう?

 なにをいってるんだろう?


 おれはどうなったのだろう?

 おれはなにものなんだ?

 もうなにもかもわからない……。


「……あー、やっぱり、中身がなかった。中に、誰もいませんよ」


 その瞬間、一筋の閃光が迸り、辺りは再び闇と静寂に包まれた。


    *


――どうして、こんなことになってしまったのだろうか。


 それは、制作中止になった『弾痕のメタファー』の台詞だった。

 主人公のトリウミ・オキタは、歴史改竄の影響で恋人が消滅してしまった中、その台詞を口にした。

 しかし、その問い掛けに答える人間はいなかった。

 そして突き詰めれば、人生でそんな台詞を口にしてしまいたくなる場面は誰にでもあるだろう。


――可能であれば、もう一度、あのときに戻りたい。


 時間の流れが絶対的に不可逆であるなら、それは不可能なことだ。

 だから人は、物語を作る。

 そこでは、現実よりもきっと幸せなるだろうと。

 しかし、本当にそうなのだろうか。


「……むしろ、もっと不幸になっちゃったかも」


 それでも、エターナルは書き終えた。

 現実をありのまま描けば、それは出来損ないの物語になってしまう。

 たとえバッドエンドであろうとも、これはなるべくしてなった結末なのだ。

 物語構造上、『機兵少女フリージア』でサブヒロインが死ななければならなかったように、この結末以外にあり得ない。


「タイトルは……そう、『創作の協奏曲』いや、『狂想曲』の方が良いかな?」


 でも、これはとんだ駄作だ。

 これで物語が終わるのでは、あまりに救いがないではないか。


    *


 結局、雁間の父と母は離婚した。

 決定的だったのは、雁間が固定資産税を立て替えたものの、それを父が一向に返さなかったためである。

 ふとした拍子にそれが母の耳に入り、さらには雁間の学費を父がピンハネしているということも知られてしまった。

 当然の措置として、離婚後は母が親権を持つこととなり、新潟の家を含めたほとんどの財産も母が持つことになる。

「来月から、苗字が変わるから」

「っつーか、まだ離婚していなかったのかよ、お前の両親は?」

 友人に伝えると、半ば呆れたような声で言われた。

 ちなみに留年も確定していたので、この友人と一年遅れの人生を送ることになっていた――しかし、まあ、苗字が変わるのはある意味ちょうど良いかもしれない。

 生活指導の教師からは「色々と大変だったな」と言われたものの、その教諭が言う以上の『色々』がこの二年半にはあった。

 大体、この二年半のことは、『色々』という簡単な言葉でまとめて良いものなのだろうか。


「結局、何も出来なかった……」


 おもてがわが遁走して音信不通となった結果、『君ツナ』は永久に完成しなくなってしまった。先の『おもてがわ企画(仮称)』や『叛涯』に続き、雁間のイラストレータとしての作業は無駄になった。結局、雁間がイラストレータとして中心的に関われたのは『グリズリーのいる日常』ぐらいのものだ。ただ、それも自分の中では納得のいく出来ではなかったので、胸を張って言えるものではない。

 他のサークルや企画にも参加するようになったものの、そちらも何かと内部が騒がしい。多分、これも頓挫するのだろうなと、雁間は少し冷めた目で見ている。スタジオぎゃおすの人間が特別なクズというわけではなく、案外、世の中にはそんな人間が多いのかも知れない。社会人であるからとか学生だとかいうのは関係ないし、大人だからとか子供だからとかも関係ない。何よりも、雁間の身近には典型的な駄目人間がいたので、よく分かる。

 ただ、その代わりというべきか、最近は少し生活の質が良くなってきた。働きもしないのに金をせびる粗大ゴミがいなくなったおかげで家は広くなり、一日三食を欠かさず摂れるようになった。健康は食からというべきなのか、最近は体調を崩すようなこともない。あるいは極寒の中、バス代をケチって自転車通学するということもなくなったからかもしれない。

 無理する必要なんてどこにもなかったんだ――気付いてしまえば、今まで色々なことを耐えていたのが馬鹿らしく思える。

「……ただいま」

 ただ、家に帰って、誰もいないというのだけは寂しく思うことがある――通学の都合もあるので母と弟は結局、離れて生活を続けている。

 やはり、あんなクズのような男でも人間ではあるのだ。

 それでも、寂しいと思うのは一瞬のことだけで、部屋に入って自分のパソコンを開けばもう関係なかった。

「……あれ? エルさんから、メッセージが来ている」

 パソコンを開き、メールチェックしていると、エターナル・ミキから個別メッセージが来ていることに気付いた。

 最近はスタジオぎゃおす関連の人々のSNS記事を見ているのが辛く、エルのこともミュート設定していたのだが、個別メッセージが来たときぐらいは通知が来る。


『不躾ながらも、唐突なDM失礼します。さて、本日はクリスマスイブです。そこでワタシから、良い子の雁間さんに、ささやかなクリスマスプレゼントです。誕生日プレゼントにすべきかどうか迷いましたけれど……クリスマスプレゼントにしておきます。以下のリンクから、ファイルをダウンロードしてくださいね。注意点として、『不具合があれば対処しますので気兼ねなくおっしゃってください』『良識的な範囲内であれば二次配布しても良いです』『ただし上記URLはワタシの個人的なファイルストレージなので、二次配布の際は別の手段でお願いします』『苦情は受け付けませ……いえ、おっしゃりたいことがあれば、遠慮なく言ってください』『ダウンロードを確認したらフォルダを消しますので、ダウンロード完了の報告があるとありがたいです』といったところでしょうか。それでは、メリークリスマス……です』


 この人のすることは、いつも突拍子がない。

 しかしクリスマスプレゼントとは、一体、何だというのだろうか。

 何らかのファイルのようだが、サイズがやけに大きい。

 まさかウイルスファイルじゃないよなと訝しみながらも、雁間はダウンロードしたzipファイルを解凍する。


『Re:birth Life――叛涯』


 目に飛び込んだタイトルを見て、雁間は言葉を失った。

 決して見間違えるはずのない二文字が、そこにはあった。

「『叛涯』って……何で?」

 どうやらそれはティラノビルダーで作られたゲームファイルのようで、見慣れた起動ファイルには『hangai_re_birth.exe』の名前が付いている。

 雁間はそれをおそるおそるダブルクリックし、起動する。

 ゲームウインドウが開くと、剣戟のSEと共に『Re:birth Life――叛涯』のタイトルが浮かび上がる。

 静寂を打ち破るように和楽器の音色が響き、背景が現れる。

「これ、『メカニカル・コンチェルト』で使おうと思っていた背景だ……」

 タイトル右下に表示される『はじめから』にカーソルを合わせ、クリックする。

 画面が暗転し、雨の音と雷鳴が耳を打つ。

 エターナルの手によるものとすぐに分かる緻密なテキストが表示され、雁間は息を飲んだ。

「……本当、すごいよな、エルさんは」

 貪るように、物語を読み進めていく。薩摩隼人が書いた物語ではなく、雁間が企画書に書いた物語とも違う。見たことのない、けれども『叛涯』らしい空気が漂う物語だった。深く世界観を掘り下げられた、和風のメカ戦記がそこにあった。雁間の企画書ではヒロインはイクシキという娘だったのだが、エターナルは企画書ではろくな記述がなかったリンという娘をヒロインにおいたようで、物語は彼女の視点で進んでいく。

 とはいえ、雁間が企画書に書いた以外のキャラクタが出てくるわけではない。原則として、かつて雁間が描き上げ、しかし使われることのなかったキャラクタイラストが使われている。ミツヅリ、シキサカ、リン、ニノマエ――それに『妖機』と名付けたメカイラストも使われているではないか。

 何よりも、ヒロインが主人公のミツヅリと出会い、彼に助けられる場面では度肝を抜かれた。

「僕の描いた『イヌクリカラ』が、動いている!」

 雁間は差分なしの一枚絵しか描いていなかったため、基本、キャラクタもメカも表情変化などしない。

 しかし、エターナルはその一枚絵でしかないはずのイラストを、主役機だけとはいえ動かしていた。

 これは『グリズリーのいる日常』でも用いた『Live2D』というツールによるもので、これを用いると平面の絵を3DCGのように動かすことができるのだ。

 ただ、物語は『イヌクリカラ』が出てきて、戦闘を終結させたところで終わる。

「でも、これだけでも結構な量があるんじゃ……」

 彼女はいつの間に、こんなものを作っていたというのだろうか。おそらく、文章量だけでいえば有料販売した『グリズリーのいる日常』と同じぐらいある。一朝一夕で出来るはずもなく、どんなに少なく見積もっても一ヶ月以上はかかるはずだ。

 そう思っている間にも、申し訳程度のスタッフロールが終わる。そして律儀なエターナルは、この短編ゲームにもしっかりと開発後記とでもいうべきものを付けていたようで、それを雁間は読み進める。



『本作品は雁間出太さんのメカもの企画『叛涯』を原案とし、ワタシ、エターナル・ミキが改変して試作した作品です。ワタシが執筆するにあたって、シナリオや設定に相当な改変を加えていますので、その点はご了承ください。雁間さんへの許諾は二の次にして(オイ)、勢いとノリだけで作ってしまいました。元のプロットのままだとワタシにとって書きづらかった……ということもありますが、各種サプライズの意味もあって、こういう形となった次第です』


『そもそも、この『叛涯』、元はメカもの企画をオムニバス形式でゲーム化した『メカニカル・コンチェルト完全版』に入るはずだったのですけれどね。シナリオが完成せず(※シナリオ担当はワタシではなかった)、主人公のミツヅリと大狗倶利伽羅が最終章のプレイアブルキャラクタとしてスポット参戦しただけでした。というか、これ、別に公開する予定も何もないので……ワタシ以外は、雁間さんしかプレイしないでしょうから、こんな他人事みたいに書く必要はありませんね。件のSさんが「書ける!」と大言壮語をかまして、結局、ほとんど書けなかったせいですとも、ええ!』


『ともあれ、『叛涯』は本来、ミツヅリと大狗倶利伽羅以外のキャラクタやメカのイラストの大部分が完成している状態でした。それなのに、シナリオが上がってこなかったですから、それらの労力の大半が水泡に帰したわけです。なお、Sさんはその前には『機兵少女フリージア』のシナリオを一切書かなかった前科があるわけでして、その後もなんやかんやと同じことを繰り返しての『叛涯』のあの顛末なのですよね。そして某Oさんは「いつか必ず『叛涯』を作る」と言っていたものの、『叛涯』どころか他の色々もああなったので……本当、「いつか」って、いつなんだという話ですよ!』


『そんなこんなの『作る作る詐欺』に振り回されているのが、いい加減、腹立たしかったわけなので……あのふたりに代わって、ワタシが作り上げました。なので、実際の所は『雁間さんが可愛そうだから』とかではなく『ただ単純にワタシが腹が立ったから』というのが、制作理由だったりしますので……要はワタシの自己満足のためです。そんなこんなで、原作者である雁間さんの気持ちだとか許可だとかを後回しにして、勝手に作ってしまうのが……まあ、ワタシの悪いところではあるわけですけれどね(自覚はあります)』


『ただ、そうであるにしても、第一章だけしか作り上げられなかったという中途半端なのは……申し訳ないです。言い訳……というよりも、『メカニカル・コンチェルト』で制作の際にも、何度か遠回しに言っていたのですけれどね。『叛涯』は時代物なので、作るのが難しいわけでして……今回、実際に作ってみて、言葉以上に実感しました』


『ゲームに限らずですけれど、時代物は現代物に比べ、色々と難しいのですよ。読む(プレイする)のはあくまでも現代人なので、時代や世界観を読者プレイヤに伝えなければなりません。SFやファンタジーを混ぜるにしても、最低限の時代考証などが必要なので知識や下調べが肝要です。実際、この第一章は相当回数改稿して、やっと形になったという代物です……本当は全四章を書き切ってゲーム化するつもりだったのですけれど、それが無理でした』


『一応、この先の展開も、しっかりとプロットがまとまっているのですけれどね。これを書き切って、ゲームとして最後まで仕上げるのは……ものすごくキツイです。ワタシはSさんのように『できないことを「できる」と言う』ような無責任なことはしたくないので、はっきり申し上げますが……ごめんなさい、不可能ではないですけれど、かなり無理があります。その代わりというか、プロットは一緒に添付しておきますので』


『そもそも、プロット自体が何度も書き直していますからね、この作品は。最初に書いたプロット(と一万文字ぐらいまで書いていたシナリオ)は全没にして、改めて練り上げたプロットだったりします。そちらの没プロットの方も、ついでに添付しておきますね。本当、それだけこの『叛涯』はキツく、苦しい、難産の作品でした……というか、現状でも物語がまだ動き始めたばかりのところなのですよね、これ(汗)』


『あと、ついでなので、色々と試作したものを付けておきます。一部、タイトル画面などに戻れなくなるものがあるので、そのあたりは要注意です。そしてこの試作したものの中……一部、本筋の部分よりも手間暇がかかっているものもあったりしますね(笑)。ともあれ、ワタシからは以上です。ここまでのプレイ、ありがとうございました』



 まったく、エターナル・ミキという人間は狂っている。

 多分、このあとがきで書いている内容を雁間に伝えたかっただけなのだろうに。

 わざわざひとつのゲームとして完成させ、それを送るという形で意志を伝えてきた。


「……ゲーム、作りたいな」


 自然と、言葉が漏れていた。


「サークルとしてじゃなくて……もっと専門的に」


 もちろん、イラストレータとしての夢を諦めたわけではない。

 イラストレータとして、ゲーム会社に入るのだ。

 そして、最高のゲームを作る――それこそエターナルのような人間に対して、胸を張れるような形で。

 雁間出太の目には、ようやく明確な未来が見えた。


〈第四章 了〉


最終章あとがき

        作者代理エル


さて、そんなわけで、第二章と第三章をすっ飛ばして最終章をお送りしました。

先の第一章あとがき同様、今回もワタシ、エターナル・ミキがあとがきを務めさせていただきます。


ちなみに最終章をこういう形にするということは、当初から決めていたようですね。

綺麗にまとまっている第一章に対し、物語として最悪な形で締めることになるので、作者もどうしようか迷ったとか。

それこそ山本弘先生の『サーラの冒険』のように、創作者としての葛藤はあったようです。

でも、それをすっ飛ばして書き上げ、あまつさえ公開するというのがこの作者の狂っているところですねー。


ちなみに第一章と最終章は、全く異なる手法によって書かれています。

第一章は綿密なプロットを組み、緻密な計算をして書かれた物語で、創作物としてのツボをしっかりと押えた『正』の物語です。

一方で最終章は全くプロットを組まず、ただひたすら衝動の赴くままに書き連ねた『負』の物語です。

そしてここまでお付き合い下さった方なら理解出来ると思いますが、その物語構造自体がストーリーの暗喩となっています。


えっ? この物語、どこからどこまでが事実を元にしていて、どこからどこまでが完全なフィクションなのかって?

それについては、ノーコメントです。

あっ、でも『グリズリーのいる日常(http://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ174658.html)』や『ASKAL(http://novelgame.jp/games/show/255)』は実在します。

それに『Re:birth Life ――叛涯』も『君と色でツナガル未来』の体験版やプロトタイプ版も、非公開ですが存在します。


というか、関係者の方々でもしも『君ツナ』の体験版やプロトタイプ版を受け取っていない方がいたら、ご一報ください。

特に、ご協力いただいた関係サークルの方々や、途中離脱したメンバの方などです。

もちろん、関係者様方の都合で公開することはできませんし、二次配布は絶対厳禁ですけれど……制作に携わった人間の手元にないことは絶対にあり得ないなので。

まあ、まさかそんな『仁義にもとる事態』にはなっていないと思いますけれど、念のため。


なお、「気が向いたら、飛ばした第二章や第三章を書くかもしれない」ということを作者はほざいているようですけれど、実現可能性は低いですね。

それこそ、書いたところで新人賞に出せるわけでもなく、お金になるわけでもないですから。

ともあれ、言いたいことはほとんど作品内で書いているようなので、ワタシの方からは以上ですね。

それでは、また、もしもご機会があれば……。


二〇一七年二月十八日

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