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創作の協奏曲  作者: 久遠未季
第四章 創作の狂想曲――ツナガラナイ未来
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1、リーダ降板と新体制

1、リーダ降板と新体制


    *


『ボクが代表を務めるのは、ここまでにしたいと思います』


 やりとりに使っている閉鎖型掲示板上で、リーダのロックがそう発言するのも無理はない。むしろ、ここまでよくやり遂げられたものだとエターナル・ミキは思った。

 ロボットもののシミュレーションRPG『メカニカル・コンチェルト』は紆余曲折を経たとはいえ、『前編』と『完全版』の二作品を世に送り出した。

 ただ、それが完成するまでには多くの困難があり、開発頓挫の危機に直面したのは一度や二度のことではない。

 ロックの采配に不味い部分があったのも間違いないが、それでも途中で投げ出すことなくリーダ役を完遂したことは素直に評価できるだろう。


「『メカニカル・コンチェルト完全版』のリリースをもってこの集まりを解散するか、それともさらに続けて次の作品を作るか。その判断は、ボクはしません。ただ、どちらにするにしても、ボクは『完全版』のリリース完了をもって代表を降ります」

 エターナルがロックの口からそのことを聞いたのは、彼女が掲示板に書くよりもずっと前のこと――三ヶ月前の四月のことだった。

 最初は薩摩隼人とエターナルでネット通話をしていたのだが、他の相談事もあるからということでロックが途中から参加したのだ。

 ロックを含めたこの三人は、学生メンバが多いサークルの中でも数少ない社会人で、何かとネット通話を行なうことが多かった。

「ここでボクが確認しておきたいのは、お二人はこのままサークル活動を続けるつもりがあるかということです」

「続けられるものであれば、続けますよ。せっかく出来た縁ですし、フリーゲームを作っただけにするにはもったいないですから」

「オレも、そうだな。これで終わらせて良いものだとは、思っていない」

 即答するエターナルに続き、薩摩も同意する。

 とはいえ、薩摩が本当に今後も続けられるのかどうか、疑問に思える部分はあった。

 この人はまた、自分の弱い面を他人に見せたくなくてついそんなことを言ってしまったんだろうな――エターナルはそのように思っている。

 実際、この数ヶ月後、薩摩隼人はサークルを抜けることになるのだが――それはまた別の話である。

「わぁ、エルさんと薩摩さんにそう言ってもらえると、ありがたいです!」

 ただ、ロックはそのことに気付いていないのだろうか。薩摩隼人の言葉を聞いて無邪気に喜ぶ。

 あるいは気付いていないフリをしているだけなのかも知れないが、可能性は半々といったところか。彼女はこれで、案外と抜けたところがある。

 案外、彼の言葉を本気にとらえているかも知れないのだから、厄介なところだった。

 エターナルの返答にしても、わざと含みを持たせた言い回しをしたというのに。ロックはそれに気付いた様子もないではないか。

「それでは、お二人の考えはサークルを続けるということですね。……でも、そうなるとボクがリーダを降りる以上、次のリーダを決めなければなりません」

 ロックの言葉は道理である。

 このサークルを続けたいと誰しもが思っていたのだとしても、代表がいないのではサークルが立ち行かない。

 そして次に彼女が何を言いたいのか、エターナルにはおおよそ分かってしまった。

 つまりここにいる二人、エターナル・ミキと薩摩隼人のどちらかに代表になって欲しいと思っているのだ、彼女は。

「ええ、たしかにそうですね。代表がいないというのは、困りましたね。……どうしましょうか?」

 ただ、エターナルはそれが分かっていてなお、気付かないフリをした。

 他人の上に立つとなると、苦労が多くて見返りが少ない。

 大成功を収められれば話は別だが、基本、ゲーム制作は失敗することが多いのだ。

 ましてやこの『メカニカル・コンチェルト』を作成した面子は曲者揃いで、自分の許容量を超えた気苦労をすることが目に見えている。

「これはワタシがとある会社の社長から聞いた話なんですけれど、人の上に立つ人間というのは二種類あるそうです。ひとつは『圧倒的な実力を持っていて何でも自分で出来る』という人間で、これは組織のありとあらゆることをその人の馬力でこなして、周りがそれに付いていくというものですね。そしてもうひとつは『自分自身では何も出来ない』人間で、これは上に立つ人間があまりに出来ないからこそ周りの人間が奮起して、結果的に組織が回るというものらしいです」

「へぇー、なるほど。面白い話ですね」

 今この状況において有用だからこそ、エターナルは以前の職場で聞いた話をすることにした。

 もちろん、話を逸らすためという意味もあるが、そちらはどちらかというと消極的な理由だ。

「前者の『何でも出来る』タイプのリーダが率いる組織は意志決定が早く、そのリーダがいる間はイケイケドンドンで業績が上がるようです。その代わりリーダに依存している部分が強すぎて、リーダの些細なトラブルで簡単に危機に直面してしまいがちですし、リーダがいなくなると何も出来なくなって途端に衰退してしまうそうです。一方で『何も出来ない』タイプのリーダを掲げる組織は前者の組織より僅かに立ち回りが遅いですけれど、多少のトラブルにも柔軟に対応できますし、周囲の人間が育つのでリーダが変わっても大きな影響は受けないということです」

 エターナルのその話は、現在のサークル状況についての当てこすりでもあった。

 ロックという人物は間違いなく、強力で何でも出来るリーダである。行動力や人望といったリーダシップは元より、実務面でも優れている。作詞作曲など楽曲全般を手がけることが出来るのに加え、テキストもイラストも担当でき、簡易なスクリプトであれば問題なく書くことが出来る。正直、彼女ひとりでゲーム制作のあらゆる作業が出来るのだ。『メカニカル・コンチェルト』の制作において、彼女が携わっていない部分を探す方が難しいわけだが、そのような状況になったのも『ロックは何でも出来るから』と周囲が頼り切っていたからだ。

 エターナルはそんな関係性が不健全だと思い、できる限りロックに作業をさせないようにしてきたものの、それが功を奏することはなかった。エターナルの目から見ると、皆、制作メンバの一員だという自覚が足りない。作品を良いものにしようという気概が欠けている人間のなんと多かったことか。仮にも創作者たらんとする人間であるはずなのに、自分の担当領域から少しでも離れると途端に制作に関わろうとしない。それもこれも、ロックが他のメンバと比べて明らかに優秀すぎるためなのだろう――もっとも他のメンバの目からすれば、エターナルはとてもロックのことを言えた義理ではないのだが。

 もちろん、それでロックという個人を批難するのは的外れである。そのことはエターナルも分かっていた。どちらかと言えば、ロックの実力に追いついていない他のメンバが情けないだけだというのが正直な感想である。ただ、ロックはどうにも他人を過大評価しすぎるところがあるようで、そんなサークルの状況について気付いていない――あるいは気付いていたのだとしても、どうにも出来ないでいるようで、それもまた腹立たしいことだった。

「ワタシとしては、もしもこのサークルを長期的なものにしたい場合、次のリーダは後者のようなタイプにするべきだろうと思っているのですよ。『どうにもならないようなダメな人間』をあえて看板代わりに上に置いて、その周囲をガッチリと固めるような形が理想かなと」

「……なるほど、それもひとつの道理ですね」

 ロックはエターナルと同様、論理で考え、判断を下すことが出来る人間である。

 そうした性質を「人間味がない」「他人の気持ちが分からない」と誤解したり糾弾したりする人間はしばしばいるのだし、実際にサークルから抜けたメンバの中にはロックやエターナルのことをそのように詰った例があった。しかし、理詰めで物事を考えられる人間は、自分の感情と相容れない他人の意見を公平に受け入れられるものだとエターナルは思っている。むしろ論理的思考が出来る人間を「人間らしくない」と決めつけて詰る人間こそが、他人の気持ちを慮れない哀れな人間なのではないかとすら思う。

 いずれにしても、ロックは感情にまかせて他人の意見を否定するようなことはしない人間である。だから理詰めで提案すれば、それを拒否するようなことを決してしない。

 だからこのときも、おそらくロック本人には他の考えがあったはずだろうに、まずはエターナルの意見を否定しなかった。最終的にそれに同意するかどうかは別問題だとしても、そうして頭から批判しないのは彼女の美徳なのだろう。

「それで、エルさんとしては、その『看板』に誰が就くと良いと思っているのですか?」

「ワタシとしては、その『看板』として、おもてがわさんが適任かなって思っています」

 そしてロックに促されるまま、エターナルが口にしたのはおもてがわしんじの名前だった。

 このサークル内ではテキスト書きとしての役割で、オムニバス形式の『メカニカル・コンチェルト』では『ガンボーイ』という作品の原作とテキストを担当している。

 年齢は二十歳だが高卒で就職しており、このチャット通話に参加している三人以外で唯一の社会人でもある。

「うーん、おもてがわさんですか……」

「オイオイ、エルさん。おもてがわのヤローは、リーダなんて責任のある立場になれる柄じゃねぇぞ?」

「いえ、だからこそ良いのですよ。スケジュール管理がいい加減で、遅刻常習魔で、日本語が無茶苦茶で何を言っているのか訳が分からなくて。けれど勢いだけはあるので、まさにお飾りのリーダとしては最適です。音頭を取ることだけは彼にさせて、その周囲の人間がそれを実現させるために四苦八苦しながら奔走する……そうすれば、とてつもなく大変ですけれど良いものが出来そうではないですか?」

 おもてがわしんじという人間は非常にいい加減な人間で、このサークルの人間は何度か彼に振り回されている。

 例えば彼の不用意な発言が原因で、サークルに深刻な対立が生じたことは一度や二度ではない。そのたびにこの場の年長三人が裏に表にフォローに回り、何とか和解まで運んでいったものだ。おもてがわ当人は自身の発言が相手を不愉快にさせているということに気付いていない場合が多く、仕方がなく年長組があえて悪役に回ってことを収めたようなこともある。もちろん、その結果として年長組が他の面子から嫌われることになるわけだが、おもてがわはそれらの事情を一切認識していない。

 また、おもてがわしんじは締め切り期限を守らないことがたびたびあった。もちろん、このサークルは多種多様な人間が集っていることもあり、期限内に作業が完遂しないこともやむを得ない部分はある。だが、おもてがわしんじの不味いところは、リーダのロックが進捗をたずねても「そうッスねー」と要領を得ない曖昧な返事をしたり「何で怒っているんスかー? ウケるーwww」などと不謹慎に茶化し始めたりすることにあった。あるいは掲示板の書き込みに気付いていないのか、はたまた自分に不都合だからか、全く反応しないということさえもある。そんな彼のいい加減さが原因で『おもてがわ企画(仮)』『ASKAL』など、イラストが上がっていたにもかかわらず潰れた企画がいくつもある。そもそも彼が原作と監督をつとめた『ガンボーイ』についても、実は本来おもてがわがしなければならない監督作業の大部分をエターナルが代替して、何とか形になったという有様だった。

 それでも彼が見捨てられなかったのは、彼の書く作品には独特の勢いがあり、魅力があるからだった。他の辞めていった面々とは違い、おもてがわしんじという男にはスッポンのように食いついた獲物を決して逃さない根性があったということもあるだろう。ゲーム制作という長丁場においては、何よりも彼のようなくじけぬ心を持つことこそが肝要となる。それに彼は有料ゲーム販売に意欲を見せており、『メカニカル・コンチェルト』が無事リリースできた後のサークル展開案を描いているらしいのだから、彼自身もリーダとしての立場を容認することだろう。

「エルさんがそう言うのなら、まあ、そうなのかもしれんな。それこそ、おもてがわの手綱を握る役目はオレやエルさんならできるだろうし……その案は、悪くない」

「でも、それには重大な問題があるとボクは思います。エルさんや薩摩さんはそれで納得するかも知れませんけれど、他の方々はどうなのでしょうか? おもてがわさんのようにチャランポランでいい加減な人間がリーダとなって、付いていきたいと思うものでしょうか? ボクだったら正直、それは無理ですね」

「それを言われると、どうなのかとは思いますけれど……。でも、他の人がどう思っているかは、ワタシも分からないですし」

 薩摩はエターナルの意見に傾きつつあるようだったが、肝心のロックはそうでもないらしい。

 ただ、彼女の言葉も、もっともなことである。

 おもてがわしんじは勢いのある人間であり、ある種の人望はあるものの、やはり問題の多い人物でもあるのだ。

「ボクの中では、次に代表を務めて欲しいという人は決まっているんですけれどね。でも、ボクが決めたという形を取ると何かがあったときに言い訳に使われたりして不味いので、できればその人にはまず立候補して欲しいんですよ。そのあとで、ボクが追認する……という形を取りたいのです。そうすれば、自薦と他薦が合致したことになり、強固なリーダが誕生しますからね」

「へぇー、なるほどー。是非、その人が立候補して下さると良いですねー」

「正直、このサークルのメンバは一芸に秀でていても、それしか出来ないしやろうとしない……という方が多いです。ボク個人の考えとしては、そういう人間が無理にリーダを務めても、ろくなことにならないと思っています。でもそんな中で、様々な技量を持っていて、不得手なことでも挑戦してこなしていけるだけの人間もいるということに気付いたんです。ボクとしては、是非、その方に次のリーダを務めてもらいたいのですよ」

 もしもこれが顔をつきあわせての会談だったとしたら、彼女はエターナルの方を見て言ったことだろう。

 ただ、幸か不幸か、今はネット回線のチャット通話である。

 だからこそ、エターナルはそんなロックの言葉を軽く受け流した。

 それがあるいは、一年後の不幸を決定づけたのかも知れないが――このときのエターナルとしては知ったことではなかった。


 いずれにしても、リーダのロックは去った。

 そしてまた、リーダ候補のひとりであった薩摩隼人も自然消滅した。

 続けるにしろ終わるにしろ、これからは新しい展開となることが決定づけられていたのである。


    *


 今日の昼も食パン一枚だった。

 級友が学食で定食を注文しているのを尻目に、雁間はペットボトルに詰めた水道水を飲みつつ、ちびりちびりとパンを食む。

「雁間、そんな昼飯で大丈夫か?」

「大丈夫だ、問題ない」

 級友の言葉に冗談めかして応じるものの、果たして上手い受け答えになっていただろうか。

 金銭は貴重だ。改めて言うまでもないことだが、最近の雁間はことさらにその実感を強くしている。特に学業が危うい最近では、一年前のようにアルバイトをする余裕がない。入ってくるものが増えない以上、出ていくものを減らすしかないのが現状だった。

 父親が失職してから四年、母親や弟と離れて暮らし始めてから三年が過ぎている。それなのに父は再就職することもないどころか、丸一年以上就職活動自体をしていない。正規の職でなくとも、せめて日雇いや時間給で働いてくれているのならまだ見込みがあるのだが、それすらしていないのはどういうことだろうか。現在、父とふたり暮らしの雁間家は母からの仕送りで成り立っている。

 雁間の通う工業高校の学費を払い、月々の水道光熱費を払うと一万円ほどしか残らない。父子ふたり暮らしということはひとり頭で月五千円、一日あたり一七〇円弱しか食費に回せないということだ。それでも何とかやりくりして、食いっぱぐれることだけはないようにしていたのだが、ここに毎月の収支外の固定資産税やらがかかるのだからたまったものではない。先日などは「ちょっとだけ、ちょっと借りるだけだからな?」と父にせがまれ、一年前に雁間がバイトで稼いだわずかばかりの貯金を切り崩して支払うことになった。

「僕もいつか神絵師になって、好きなだけ焼き肉を食べてやるんだ……!」

 冗談交じりに、しかし半ば本気で嘯いているものの、今現在の所はイラストで収入を得る目処は立っていなかった。

 イラスト公募の類にも出しているものの、これも受賞しなければ意味がない。そもそもイラストレータ界隈では、マンガ家や小説家のような『新人賞を受賞してデビューする』という明確な道筋がないのだ。マンガ家からイラストレータに転向する、あるいはゲーム会社やアニメーション会社にデザイナとして入るなどの方法が一般的なのかもしれないが、雁間にはマンガを描く技術がないのだし工業高校の生徒がゲーム会社やアニメ会社に入るのは無理でないにしても難しい。

 確かに、一年前から参加しているサークルで『メカニカル・コンチェルト』というゲームは作り上げることができたかもしれない。優秀なイラストレータやシナリオライタ、そしてプログラマやスクリプタが揃っており、雁間もそれに触発されて様々な経験をしてきた。しかし、所詮はフリーゲームである。どんなにダウンロードされても収益はないのだし、その経験が直接イラストレータの道としてつながるわけでもない。

 結局、この一年間は何だったのだろうかと思ってしまう。何よりも雁間の心に暗澹とした影を落としているのは、彼が原作監督とイラストを担当するはずだった『叛涯』の顛末だった。シナリオ担当となっていた薩摩隼人とは何度も会議を重ね、リーダのロックの協力も仰ぎながら作品世界を作り込んだ。薩摩は「オレが、最高の話を書いてやる」と豪語していたのだが――彼はシナリオを仕上げることが出来ず、『叛涯』は最終的にお蔵入りすることになったのだ。


『雁間くん、有料販売のゲーム、作る気はないッスか?』


 だから、おもてがわしんじがそんなSNSのプライベートメッセージを送ってきた時には、一にも二にもなく返事をすることになるのだった。また、『サークル公式サイトを管理していたロックが抜けたので、サーバ代を他の誰かが負担しないといけない』となったときも、雁間が「それなら僕が払います」と手を上げた。正直、出費は手痛かったものの、それぐらい本気だった。

 ただ、後になって思い返してみると、そのときは弱り目ゆえに目が曇っていたのかもしれない。

 詳しく話を聞けば穴に気づけたはずなのに、それを検討するだけの心の余裕が彼にはなかった。そしてそのことに気づけたときには、既にサークルはどうにもならないところまで来ていたのであるが――それはまだ、当分先のことである。


    *


『このメンバで改めて有料ゲームを作りたいと思っていまッス! 創作家のステップアップの道として、皆さんを飛躍させるために!』


 その書き込みがされたのは、『メカニカル・コンチェルト完全版』の公開まであと二ヶ月まで迫った四月下旬のことだった。

 発言者はおもてがわしんじで、テレビマンという彼の職業経験に絡めた意見や思いがいくつも綴られている。

 曰く『立場が弱い無名新人クリエイタが輝ける場所を』『自分は何もしていないのにデカい顔をしているクズが蔓延している業界を変えたい』といった調子だ。

 ただ、それらの文章は勢いこそあれど中身がない――少なくとも、ヒキワリのペンネームで活動する彼の目にはそのように写った。

「……何言っているんだろう、この人」

 メンバの大半はおもてがわの意見に感じ入るところがあったのか、『いいね』ボタンをクリックしている。既読マーク代わりに誰の発言に対しても『いいね』するエターナル・ミキはもちろんのこと、実力者のえーる、橘なる、雁間出太などなど。リリース後にリーダを辞任する予定のロックは感知していないようだが、他のメンバは全員同意しているということだろうか。それでもヒキワリは、どうしてもそれが出来なかった。

 とはいえ、それはおもてがわのこの書き込みに限ったことではない。ヒキワリは他の発言について、同意や否定の意志を表すことを滅多にしなかった。どうしても全員の了承が必要な事項、そしてイラストレータとしての自分に関係のあることにだけにしか反応しない。それ以上の関わりを持つことは大変な労力が必要だったのだし、何よりも今まで、それをして散々な目に遭い続けてきたからだ。

 最初は『弾痕のメタファー』のメカイラスト担当ということで、この集まりに入った。『ロボつく』という公募企画で理不尽な仕打ちを受けた『メタファー』を復権させようと皆で一丸となり、ゲームを作っているはずだった。それなのに、『メタファー』は原作者の照月がかんしゃくを起こしたせいでお蔵入りとなってしまった。それをバネにして新しい企画に積極的に関わり、何とかそれらは実を結んだものの、全てが全て上手くいったわけではない。

「……大体、何が『立場が弱い無名新人クリエイタが輝ける場所を』『自分は何もしていないのにデカい顔をしているクズが蔓延している業界を変えたい』なんだろう。この人、僕が描き上げたイラストをタダだと思って握りつぶしているくせにさ」

 本来ならば『メカニカル・コンチェルト完全版』の第二シナリオとなるハズだった作品として、おもてがわしんじ監督の『ASKAL』というものがあった。砂漠を舞台にした隊商護衛のメカ乗りの活躍を描く作品で、イラストはヒキワリが担当することになっていたものだ。

 監督のおもてがわたっての頼みで、登場機体について十四機ほどのラフスケッチを提示したりもした。もちろん、全てが全て新規に書き下ろしたものではなく、非公開のストックだったものも多い。それでも、いずれもが自分の作り出した作品としての思い入れもあり、どこに出しても恥ずかしくないものばかりである。その中からおもてがわが使用イラストを決め、ヒキワリは早速とばかりにイラストの本制作に取りかかることになった。

 しかし、ヒキワリが他作品の作業と並行してデザインを詰めていく中で、『ASKAL』の雲行きは怪しくなっていった。おもてがわが提示したプロットについて、ロックと薩摩隼人が多大な不備があることを指摘したのである。おもてがわは既にテキスト執筆も進めていたようであるものの、そちらについてもスクリプト担当のエターナル・ミキから「ツールの仕様上、不可能な処理が指定されています」「わざわざスクリプトで記述してくださっているようですけれど、とんでもない書き間違いばかりなのでむしろ迷惑です」などの苦情が寄せられた。それらの指摘を改善するならまだしも、おもてがわは「俺、プログラマーじゃないしwww 知らんがなwww」「あのプロットが理解できないなんて、意味分からネッス」などと開き直る始末。ヒキワリもさすがに不安になり、おもてがわに「……『ASKAL』、大丈夫なんですか?」と聞いたこともあったが「大丈夫大丈夫、『ASKAL』は名作ッスから!」と、まるで説得力のないことを言うばかりだった。

 結局、『ASKAL』は、いつの間にか新しくおもてがわが企画した『ガンボーイ』なる企画に取って代わられていた。そしてメカデザイン作業を進めていたヒキワリには何の断りも説明もなく、『ASKAL』という作品は消えていくことになる。エターナルなどは『ASKAL』のプロットを見られるものに書き直してやったりと、何とか形になるように協力していたようだが、おもてがわは「さすがエルさん、すごいッスねー」と他人事のように流すだけだった。

「……いや、そのときだけじゃないか。自分にとって都合の良いことしか見えていないのかな、この人は」

 思い返せば、同じようなことはいくらでもある。

 だからこそ、ヒキワリはパソコンの前でため息をつく。


『メカ少女ものを作りたいんッス! ……それで、そのデザインを是非ともヒキワリさんにやって欲しいんッスよ!』


 そのことを頼まれたのは、その書き込みの四ヶ月前――冬コミ後に行なわれたオフ会のときだった。

 ちなみに『ASKAL』の企画が立ち上がったのは一月半ばであるから、それよりも前のことである。

 そう、それよりも前のことなのに、おもてがわしんじという男は今になって『メカ少女もの』の話を他のメンバに伝達したのだ。

 十二月の時点では、確かにヒキワリもおもてがわの言葉に魅力を感じ、一週間足らずでメカ少女の彩色ラフイラストを描き上げて渡したが――今は、そのときと彼の心境も違う。

「……何で、今さら、あのときのことを言うんだろうかな。僕は、イラストを渡してから今の今まで、なにひとつとしてこのことについて聞いていないっていうのに」

 あのときは、間違いなくやる気だった。

 自分の作ったものに値段が付き、多くの人々の手元に届くということに高揚感を覚えた。

 しかし、今となっては、このおもてがわしんじという男の言葉が信じられない。

 自覚はないようだが、この男は自分の言葉や行動に責任を持たず、他人の手間や苦労をタダだと思ってむさぼり食う――いわば天然の詐欺師だ。

「……皆、バカだよね。こんなのに、簡単に騙されてさ」

 もしもヒキワリがもっと社交的で人望のある人物だったとしたのなら、何とかして他の人々に彼の危うさについて説いたことだろう。

 ただ、ヒキワリという人間はお世辞にも社交的とは言いがたかったのだし、そもそも他のメンバについてもそれほどの思い入れがあったわけではない。

 ましてやそこまでの労力をさくほど、お人好しではなかった。

 それでも、どうやら自分のイラストが中心となっているらしいから、本当は乗り気でないけれど付き合ってやろう――今度のプロジェクトについては、そんな消極的な理由しか思い当たらなかった。


    *


 柏も久しぶりだなと、エターナル・ミキは感慨にふけっていた。

 小中学生の時代を過ごした街ではあるが、『東の渋谷』だの『東の原宿』と呼ばれる通りに移り変わりが早く、少し見ないだけで様変わりしてしまう。

 実際の所は数ヶ月前にも訪れているのだが、それでも子供の頃によく通った店は閉まっているところも多い。

「お待たせしましたッス、エルさん」

「……もう、二時間の遅刻ですよ、おもてがわさん」

「いやぁ、昨日は徹夜だったッスからねー。俺、二時間しか寝ていないんッスよー」

 待ち合わせ場所のみどりの窓口前に来たのは、年齢不詳の小柄な男だった。癖っ毛にしゃれっ気のない黒縁眼鏡、よれたTシャツハーフパンツに機能性重視のリュック。しばしば否定的な意味合いに使われる『典型的なオタク』といった風貌である。老けた高校生にも見えるし、見ようによっては四〇代にも思えるのだが、これでエターナルよりも十歳近く若いというのだから驚きだ。

 もっとも、エターナルも他人のことを言えた義理ではない。おもてがわのものより多少清潔であるとはいえ、衣服は適当に選んだTシャツハーフパンツであるし、洒落たバッグではなくアウトドア用品店で買ったポーチを下げている。一七〇センチメートルを超える長身でスタイルも良いので、何とか様になっているかといった程度だ。

 ちなみに今日は日曜日。世間一般には前日の土曜が休みの社会人も多いのだが、おもてがわは少々特殊な職場なので土曜も仕事が入ることが多いらしい。もちろん、それはエターナルも同様なのだが、所詮は時間給でしかない彼女と比べれば労働量に天と地ほどの開きがあるのだろう。艶やかな顔であるエターナルに対し、おもてがわは目の下にクマを作るなど不健康な顔をしている――とはいえ、それが遅刻の言い訳になるわけでもない。

「そもそも、遅れるなら遅れるって、早めに連絡してくださいよ」

「いや、十二時の段階で、遅れるって言ったじゃないッスかー」

「三十分待たされたワタシが、しびれを切らしておもてがわさんに電話したときに……ですけれどね!」

 社会人である以上、社会的な良識は当然身についているものだと思っていた。

 だが、おもてがわしんじという人間は、むしろ学生メンバよりも他人への配慮に欠ける印象がある。これまで『メカニカル・コンチェルト』を共に作っていた中でも感じていたことであるし、聞く話によると彼は他に所属しているサークルでも同様の遅刻や期限超過の常習犯らしい。

 ちなみに「あと一時間かかりそうッス」という言葉を信じて、エターナルは一時間ほど周辺の店で時間を潰したのだが――おもてがわは延ばした待ち合わせ時刻からさらに三十分遅れてきたのだから、二重三重の意味での大遅刻である。

 大体、今日のオフ会にしても「なかなか企画書が書けないんで、手伝って欲しいんッス」と、おもてがわの方から提案したことなのだ。場所や時間を指定したのはエターナルではあったが、無理強いをしたわけではなく、あくまでも『お互いに東京在住ではない』『おもてがわは常磐線を使う』『常磐線でエターナルが一番行きやすいのが柏駅』という双方の意見をすり合わせた結果でしかない。

「ダメですよ、おもてがわさん。そんなんじゃ、仮に彼女さんができても、すぐ嫌われちゃいますよ」

「あー、それは困るッスねー」

「もう。……本当、分かっているんですかね」

 全く悪びれることもなく言うおもてがわに、さすがのエターナルもげんなりとする。

「『メカニカル・コンチェルト』のときも、ロックさんとの約束をすっぽかして、怒られていたでしょうに」

「んっー? そーいえば、そんなこともあったッスかねー?」

 もっとも、ここまで突き抜けていい加減な男だからこそ、お飾りにはちょうど良いのかもしれない。

 曖昧な言いになっているのを良いことに、好き勝手やらせてもらえば良い――そう思えば、何とか溜飲も下がろうというものだ。

 あるいは手のかかる弟のようなものだと思えば、辛うじて可愛げのようなものも感じられるだろうか。

「まあ、立ち話もなんですし。どこか適当なお店にでも入りましょうか。この辺だと、ファミレスはサイゼが一番近いですけれど……」

「あー、サイゼリヤはこの前も入ったッスから、別の所はないッスかね?」

「じゃあ、少し歩きますけれど、ガストにしましょうか。最近、新しくなったんですよ」

 エターナルとしてはさしてこだわりがあるわけでもないので、素直におもてがわの意見を受け入れる。

 そうして他愛のないことを喋りながら、ふたりはひとつ先の通りにあるカフェレストランへ向かうのだった。


 エターナル・ミキとおもてがわしんじがオフ会――すなわちネットを介さず直接会ったのは、これで何度目だろうか。

 ただ、考えてみれば、こうしてふたりだけというのは初めてのことだ。

 そもそもエターナルは生まれてこの方、家族以外の異性と二人きりで出かけたことなど数えるほどしかないのだから、その意味でも稀な出来事といえるかも知れない。

 もっとも、おもてがわのことを異性と認識していないので――色気もへったくれもなく、会話は終始ゲーム作成サークルのことばかりになっていた。

「つまり、おもてがわさんは現状だと『メカ少女もの』を作りたいのですね?」

「ええ、そうッス! ヒキワリさんにはイラストを上げてもらっているんで、それをメインにして作っていくんッス!」

「……イラスト、出来ているんですか?」

「そうッス、そうッス。雁間くんとかにも見せたんッスけど、もう、評判良いッスよー」

 おもてがわしんじという人間は、いついかなるときも、常に興奮した様子で話をする。

 このときも大仰な身振り手振りと共に、サークルメンバであるヒキワリに描いてもらったイラストがいかに素晴らしいかを力説していた。

 ただし、エターナルはことここに至ってもなお、件のイラストというのを見せてもらっていない。

 それもよくよく話を聞くと、そのイラストは半年も前にできていたのだという。

「あのー、おもてがわさん。そのイラスト、ワタシも見せてもらいたいんですけど……」

「いやー、そうッスか?」

 そしてまた、この男の返事は返事になっていないのも特徴である。エターナルは婉曲表現を使うこともなく「見せて欲しい」と言ったのに、「良い」でも「ダメ」でもなく「そうッスか?」なのだ。どんなに客観的に判断しても、問いに返しての答えになっていないのだが、どうやら彼の中では答えを返したつもりになっているらしい。『メカニカル・コンチェルト』の制作においては、主にリーダのロックがそんなおもてがわに苛立っている場面が見られたのだし、エターナルやヒキワリといった他のメンバも幾度も嫌な思いをしたものである。

 コンピュータ科学の分野に『人工無能』と呼ばれるものがあるが、おもてがわという人間はまるでそれだった。一見すると知能ある人間の受け答えのように見えるが、実際の所は疑問に対してオウム返ししているだけで、何ら知的な活動をしていない。ちなみに、この『人工無能』。簡素なものの場合、たった数十行のスクリプトで実現出来る程度のもので、プログラムを実現するのにはアリの脳味噌程度の容量も必要としない。

 つまり、おもてがわしんじという人間はアリにも劣る知能しかないのではないか――エターナルはそんなことまで考えてしまったものの、さすがにそれは失礼過ぎる発想かなと内心で反省した。もしも彼がアリに劣る知能しかないのであれば、それをお飾りのリーダに掲げようとしている自分たちはとんだ道化である。他人を貶すことは、結果的に自分自身の価値や品位を貶める行為なのだから、そんな考えは滅多にして良いものではない。

 くだらない考え事ばかりしていても仕方がない――そう思い、エターナルは改めておもてがわとの話に向き直る。

「いやー、イラストも良いッスし……何よりも、この作品は話が良いッスからね! 本当、すごいものになるッスよー」

 いや、だからイラストを見せてもらっていないのだが。

 エターナルはジトッとした視線で訴えるものの、どうにも埒があかない。

「えぇと、具体的には? ワタシにはまだ、話の全貌がよく見えないのですけれど……どのあたりが『すごい作品になる』のでしょうか」

「島なんッスよ、島! 幼馴染みのいる島に、主人公が帰ってくるんッス! ……ほら、プロットも上げたじゃないッスか!」

「プロット……なのですかね、あれが?」

 たしかに、おもてがわはサークルの共有フォルダにいくつかのテキストをあげていた。

 しかし件の『メカ少女もの』については、プロットというのもお粗末な、メモ書き程度のあらすじがあるだけだった。

 起承転結とまではいわないまでも、せめて話の始まりと終わりぐらいは書いておいて欲しいものだが、件のあらすじは冒頭部分を書き散らしているだけでしかない。

 正直、おもてがわが口にした『島』『幼馴染みの少女』以上の情報は読み取れないのだし、エターナルはニュータイプではないので彼の頭の中身を探ることもできないのだった。

「これが完成した暁には、『Kanon』とか『CLANNAD』なんて、簡単に超えるッスよ! あんな、今では落ちぶれたようなクズどもとは、全然違うんッスよ!」

「はぁ。本当にそうなるのだったら、すごいですね」

 エターナルはPCゲームには詳しくないが、彼が例に挙げた作品の名前ぐらいは聞いたことがある。

 しかし、その自信はどこから湧き出てくるのだろうか。

 何とか彼の思考回路を理解しようと試みるものの、論理で測っても感情で受け入れようとしても、どうにも上手くいかない。

 あまり深く考えても仕方がない――そう思い直し、気分転換がてらに注文したサラダを口に運ぶ。

「おもてがわさん、夢を語るのは実に素晴らしいことだと思いますけれど……『メカニカル・コンチェルト』の最初期から何度もワタシが言っていたこと、覚えていますか?」

「んっー、何のことッスか?」

「ゲーム開発において、スピードが大切だということです。……まあ、開発が速攻勝負でないと失敗しやすいというのは照月さんの件とかで、嫌というほど知ったと思いますけれど」

「あー、そーいえば、そんなこともあったッスねー」

 何とか『完全版』までリリースできた『メカニカル・コンチェルト』だが、『前編』の時から多くのトラブルがあった。その中でも最たるものは、本来ならば最大の目玉となるハズだった『弾痕のメタファー』の原作者、照月の巻き起こした諸々のことである。

 大半のゲームはチーム制作であるし、そうでなくとも長丁場だ。時間が経つごとに士気が落ちていくのはもちろんのこと、時間が経つほどにメンバの都合が合わなくなっていく。また、最初こそ同じ目標の下に集まっても、十人十色、実のところ思いがひとつであるはずもない。時間が経つほどに考えの違いを感じ、些細な諍いも増え、それが臨界点を超えると簡単にチーム全体が崩壊してしまう。

「率直に申し上げますけれど……遅いです。このままだと、完成しないどころか開発に着手することさえ出来ないでしょうね」

「ほげぇ、そーなんッスか? いやー、それは困ったッスねー」

 全く困ったような顔ではなく、おもてがわは言う。

 エターナルは手にしたフォークを目の前の顔に突き刺したくなったものの――それは辛うじてこらえる。

「……可能なら、三ヶ月以内に完成させることが望ましいです。半年かかると失敗する可能性が出てきて、一年かかればリリースすること自体が難しいでしょう。でも、この作品、どれだけの時間が経っていると思いますか?」

「いやいや、エルさん! 『メカニカル・コンチェルト完全版』を出してから、まだ一ヶ月経っていないじゃないッスかー」

 その天然パーマにオリーブオイルをかけてやろうか――そんな発想も、強いて抑える。

 今日は八月二日。先の『メカニカル・コンチェルト完全版』リリースは七月十三日だから、たしかに三週間程度しか経っていない。

 そういう考え方をしているのであれば、「まだ一ヶ月も経っていない」と思っているのも仕方はないのだ。

「おもてがわさん、件の『メカ少女もの』について掲示板で発言したのって、いつのことでしたか?」

「んー、いつだったッスかねー?」

「ワタシの把握している限りでは、少なくとも最初の書き込みは十二月、ロックさんが『おもてがわさんには次回作の構想があるようです』と記したものですね。その次は、おもてがわさん監督作品である『ガンボーイ』が一段落したあと。三月末におもてがわさん自身が『次回作は有料販売する』という旨の書き込みもされていました」

「あー、そうッス、そうッス! ヒキワリさんには十二月のオフ会のとき、イラストを頼んだんッスよ。そしたら彼、一週間経たずに彩色ラフイラストを送ってくれたんッスよー」

「……十二月の時点で、彩色ラフは上がっていたんですね」

 ここにきて、また、先ほどのイラスト話がぶり返してきた。そしてその発言内容に、さしものエターナルも頭を抱えた。

 つまりは他のメンバと共有すべき資料を、この男は半年以上も塩漬けにしているということだろうか。

 聞き捨てならない発言だったものの――今は話の腰を折るわけにはいかない。

 それを指摘すると会話が堂々巡りになってしまう可能性があったので、エターナルは突っ込みたい気持ちをグッとこらえた。

「なら、なおのことですよ。……少なくともヒキワリさんは、半年以上も前から、作業をしているようなものです」

「ほぇー、そーなんッスかねー?」

「そうなんですよ! ……とにかく、そうなると開発開始から半年が経っているようなものですから、現時点で既にして失敗する可能性が高いのです」

「あー、それはマズッスねー。マズいッス」

 常にテンション高く言うので、危機感があるのかないのかがよく分からない。

 何よりも、おもてがわは語彙力貧困に「マズい」と繰り返すばかりなので、何が『マズい』のか本当に理解しているのかどうかが怪しい。

 あと、仮にもファミレスの店内で「マズい」という言葉を連呼しないで欲しい。さっきから、店員の視線が痛いのだ。

 それでも、欠片も危機感がない状態から『マズい』ということが刷り込めただけでも、多少は前進しているだろう――なんとかそう思うことで、エターナルは振り上げかけたフォークを寸での所で止めた。

「とにかく、過ぎてしまった時間は仕方がないので……今から仕切り直しで、三ヶ月後までに完成させますよ」

「え、えぇー! ……マジッスか?」

「ゲーム、作りたいのですよね? それも収益を出して、最終的な目標は会社立ち上げなのですよね?」

「それは、もちろん! 俺の夢ッスからね!」

 おもてがわはそれを語るときだけ、やけに自信満々になる。

 何を根拠にしているのかは皆目不明であるが、自分なら絶対に最高のゲームが作れるという自信があるらしい。

「なら、やりますよ。……三日後を目安に、企画書を完成させましょう。企画書がまとまり次第、詳細プロット作成を。プロットが完成したら、それから二週間でテキスト本文を全て仕上げることを目標とします」

「うへぇ、それはちょっと……」

「不可能ではないはずですよ。何故なら、おもてがわさんは『ガンボーイ』のあのシナリオ、それだけの時間で上げたじゃないですか」

 先の『メカニカル・コンチェルト完全版』はオムニバス形式のシナリオであり、おもてがわはその中の一作品『ガンボーイ』を担当した。

 数々の問題行動を繰り返し、ロックや薩摩隼人から「これでロクなシナリオを上げてこなかったら追放する」とまで言われていたのだが、彼はたった一週間で最高のシナリオを上げたのである。誤字脱字や重複表現、言葉の誤用が異常なまでに多く、エターナルはスクリプト化するのにとてつもない苦労をしたが、それを補って余りあるほどの勢いがある作品だった。

 そもそも『ガンボーイ』が傑作だったからこそ、何だかんだで、エターナルもおもてがわを信頼しているのである。照月は癇癪を起こして『弾痕のメタファー』をお蔵入りにし、薩摩隼人は『機兵少女フリージア』と『叛涯』のシナリオを上げることが出来ずに逃げた。だが、おもてがわしんじは『ガンボーイ』を完成させた――エターナルが手厚いサポートしたからこそという側面があるにせよ、それは間違いない事実である。おもてがわしんじという存在は無自覚に多大な迷惑を振りまく害悪でしかなかったが、他の問題児との唯一にして決定的な違いとして、『ガンボーイ』という傑作を完成させたのだ。

「それは、そうッスけどねー」

 しかし、そうして持ち上げてみても、どうにもおもてがわは乗り気でないようである。

 たしかに「一週間で書けたのだから、次も一週間で」というのは無茶な注文かも知れない。創作というものはそれまで溜め込んでいたものを放出するものだから、ひとつの作品を完成させた後、立て続けに同じペースでの作業が出来るものではない。

 例えば理論上、長編小説は丸四日程度もあれば描き上げることができる。エターナルは今までに何度か実践したことがあるのだし、プロ小説家もしばしば口にする事実である。だが、世の小説家が新刊を出すペースは速くても三ヶ月置き。一般的にはもっと刊行間隔が空くものだろう。文章を書くことそのものは数日あれば出来ることでも、構想を練るなどの作業に、とてつもなく時間がかかるのだ。

「まあ、たしかに急な話だと、多少の無茶はありますかね。……では、こうしましょう。今からおもてがわさんから作品イメージを聴取するので、それを元にワタシが企画書をまとめます。三日以内に仕上げてきますから、それをたたき台にして、おもてがわさんには詳細プロットを書いていただきます。そういう手順を踏めば、おもてがわさんの負担もかなり減るはずですよね?」

「あぁー、そうッスね。企画書って苦手ッスから、そーしてもらえると楽ッスよ」

 そこで「楽だ」と言ってしまえるあたり、創作家としての誇りがないのかと問いたいところではある。

 企画書をエターナルが書いてしまえば、それはおもてがわの作品ではなくエターナルの作品に変質してしまいかねないのだ。

 とはいえ、エターナルとしても、おもてがわから作品を奪うことは本望ではない。

 本当は詳細プロットまでエターナルが書いてしまっても良かったのだが、そこをおもてがわに任せたのが、彼女なりの気遣いのつもりだった。

「それでは、聞き取りを始めますよ。まず、メカ少女であるヒロインはどういう娘なんでしたっけ?」

「あはー、もー、エルさん。プロットにヒロインの名前、書いておいたじゃないッスかー。読んでないんッスかー?」

「一応、目は通しましたけれど……書いてありましたっけ?」

「伊月ちゃんッスよ。主人公に『イツキちゃん』って呼ばせたいんッスよ! これ、外せないッスよね!」

「はあ、そうですか。ヒロインはイツキ……と。それで、どういう子なんでしたっけ? たしか、ピアノの先生だとか書かれていた気もしますけれど」

「そう、そうなんッスよ! 島で唯一のピアノ教室で、喫茶店なんス。都会に憧れていて、島の外から帰って来た主人公の幼馴染みなんス。『フェス』を開催したくて、頑張っているんッス」

「『フェス』? ……えぇと、何ですか、それ?」

「それが重要なんッスってば! そして、フェスの終わりに告白するんッスよ。……はぁ、感動的な、すごい話っすよねぇ。あっ、これを俺の悪友に話したら『仮面ライダーオーズみたいだ』って言われたんッスけどね」

「あの、おもてがわさん。ワタシには、全然、おもてがわさんの言うところの『すごい話』が伝わってこないのですけれど……」

 これは聴取するだけでも、思っていた以上に手強いかもしれない。

 エターナルは広げたメモ帳を片手に、少しだけ後悔する。


 その聴取は都合、九時間にも及ぶことになる。

 だが、それで完成したのは、たかだかメモ帳一ページ分でしかない。

 そのメモ一枚だけの情報で企画書を書かなければならないのかと思うと、さすがのエターナルもげんなりとするのだった。




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