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その8

 試験を終えたイチノは試験官の男に深く謝罪した。

 男は「全力を出せと言ったのは自分だから」と、快く許してくれたものの、その笑顔は若干引き攣っていた。無理もない。

 外傷はなくても体力は大分消費させてしまったようだ。覚束無い足取りのまま「少し休ませてほしい」と言い残し、治癒士に連れられて別室へと行ってしまった。付き添う治癒士には「やり過ぎです」と攻めるような眼差しを向けられ、居た堪れない思いに駆られる。


 他の受験者から向けられる鬼を見るような視線に耐え切れず、イチノは少し俯き気味にベンチに座った。


「き、鬼畜……」


――グサッ


 誰かがボソッと囁いた言葉がイチノの胸を容赦無く抉る。

 ごめんなさい。魔法が使える事実に興奮を抑え切れませんでした。

 しょんぼりと項垂れるイチノの頭をそっと寄り添ったネーヴェルが優しく撫でる。


「よしよし」

「うぅ……ネウさん……」


 今にも泣きそうな声を漏らすイチノだったが、彼女の慈愛に満ちた温かい掌に、落ち込んでいた心が少しだけ軽くなる。


「――トドメを刺せなくて残念だったね?」


 台無しだった。


「それ俺の心情に掠りもしてないよ!? つーかトドメって、これあくまでも試験だってこと忘れてない!?」

「……そうなの?」


 こてんと首を傾げるネーヴェル。いや、流石に冗談だとイチノも理解してはいるのだが、どうにも彼女のきょとんとした表情を見ていると不安になってくる。

 しかし、さらっと物騒な発言を零すネーヴェルに慄きつつ、何だかんだで慰められている事にはしっかりと感謝しているイチノであった。


 それから5分程が経過し、心身を落ち着かせるべく休息を取っていた試験官が戻ってきた。


「長らく待たせてしまって申し訳なかった。8番の試験を開始する。こちらに来たまえ」


 今控えている受験者の中では最後となるネーヴェルの番号が呼ばれた。

 まだ少し顔色が悪いようだが、それでも現役の傭兵だ。仕事はきちんと全うするつもりらしい。これぞ立派なプロ根性といえよう。

 イチノは席を立とうするネーヴェルに対し、周囲には聞き取れない程度の小声で忠告する。


「あの人、意外とレベル低いからちゃんと手加減してあげてな。花を持たせてあげる感じで」

「ん」


 本人が聞いていれば問答無用で斬りかかってきそうな酷いやり取りだが、2人に悪気はない。

 試す側が試される側より圧倒的に弱いのだ、寧ろ試験官の面目を保つ為に善処しようとしているあたり、かなり良心的といえるだろう。既に手遅れな気がしないでもないが、それは言わないでおく。


 ネーヴェルは気負い無く円の中へ入っていった。


「さて、君の武器は槍のようだが……ふむ、良い槍だな。どこで手に入れた?」

「ひみつ」


 蒼い刃に銀色の柄、金の装飾と見た目からして派手なネーヴェルの槍に興味を抱いたらしく、男はどこか物欲しげな雰囲気を醸し出すが、ネーヴェルは全く取り合わない。

 この槍はイチノが彼女に与えた武器であり、彼から与えられた物はネーヴェルにとってその全てが大切な宝物だ。

 物欲しそうな顔をされても、彼女にとってはこの上なく鬱陶しいだけである。


「そうか。では、いつでも掛かってきたまえ」


 ネーヴェルの身も蓋もない返答に気を悪くした様子もなく、男は優雅に長剣を構える――が、その時には既に刃の先端が眉間に突き付けられていた。

 彼からしてみれば、その場から掻き消えたようにしか見えなかったに違いない。動きを目で追う事すら叶わなかったようである。


「――は?」

「……あれ?」


 間抜けな顔を晒して呆ける男とは別に、ネーヴェルもまた呆気に取られた様子で硬直していた。いや、固まっているのは何も彼女だけでなく、この場にいる全員が漏れなく唖然としている。

 イチノだけは「あちゃー……」といった感じに額を抑えていたが。


 ネーヴェルにしてみれば、対処されることを前提とした小手調べだったのだろう。十二分に手加減したつもりだったのだが、どうやらそれでも不足していたらしい。


 周囲の沈黙が果てしなく重い。


 葬式のように静まり返る中庭の空気に、流石のネーヴェルも居心地が悪いモノを感じたのだろう。押し黙ったまま、一筋の汗が頬へと流れ落ちるのをイチノは見逃さなかった。

 そして、数十秒程が経過した後、ネーヴェルは唐突に槍を地面に置くと、その場にしゃがみ込んだ。


「うっ。持病のシャークがぁ……無念――ぱたり」


 お腹を押さえ、そのままぱたりと俯せに倒れ伏すネーヴェル。色々と酷過ぎて言葉もない。


「持病の鮫って何だよ……」


 思わずツッコミを入れるイチノ。

 宿屋にてベッツォに見せたあの演技力はどこへいったのか。

 客観的に見て、完全に相手を舐め腐ってるとしか思えない。とんでもない大根役者っぷりである。でも可愛い。


「とりあえずネウさん、地面はバッチイから早く起きなさい」

「ん」


 イチノの声に反応し、ネーヴェルは槍を拾うと、むくっと何事もなかったように起き上がる。

 開き直ったのか、しれっとした無表情に戻っているのが何とも言えない。


「…………これにて実技試験を終了する」


 その一言だけを言い残し、トボトボと中庭を後にする試験官。その背中には決して拭い切れぬ哀愁が漂っていた。

 イチノは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 ◆◆◆


 別室にて待機を言い渡され、大人しく待つこと少し。合格した者だけが番号を呼ばれて、さらに別室へ移動させられる形となった。

 これから傭兵カードに個人情報を登録するらしい。一人ずつ順番に、専門の職員が担当するとのことだった。

 しかし、ここでネーヴェルが「私と夫は一緒にお願いします」と無遠慮に要求した為、2人同時に登録を済ませることになった。ネーヴェルは基本的に物怖じしない子なのだ。

 どうでもいいことだが、さり気なくイチノを夫と宣言することも忘れていない。抜け目がなかった。

 その際、イチノは独身と思われる諸兄から殺意の篭った眼差しで睨まれたことを追記しておく。


 それはさておき、手続きを行う部屋に入室した2人は中にいた女性職員に促され、用意された椅子に座った。


「実技試験合格おめでとうございます。これより傭兵斡旋所の規則について説明させていただきます」


 斡旋所が起ち上げられた目的から始まり、依頼受諾の方法や各々の規約、傭兵のランクについて説明し始めた。

 内容としては異世界召喚系のラノベによくある冒険者ギルドのシステムそのまんまである。余りにもテンプレ過ぎて、内容の詳細を確認する気にもならない。


 要約すると――依頼は身の丈に合ったものしか選べないよ! いっぱい頑張ればランクが上がるよ! ランクが上がると斡旋所から援助を受けられるよ! 一定のランクに上がると個人的に指名された依頼が回されることもあるよ! 高ランクの傭兵は拒否不可能な強制指名依頼を回される場合があるよ! 問題を起こしたら罰金、最悪除名だよ! ブタ箱にぶち込まれることも有り得るから気を付けてね! 依頼は2つまでなら同時に受けてもいいけど、達成できなかった場合は通常より重いペナルティを科せられちゃうよ! ――ということである。


 傭兵のランクは茶色から始まり、次いで黄色→赤→青→緑→白→黒の順に上がっていく。傭兵のランクはカードの色で判断するらしい。

 ベッツォが言っていたグリーンランクとは、傭兵の中でも高位のランクだったようだ。


「では、この紙にサインをお願います。それから、こちらの台座に手を置いてください」


 女性職員が示した先にはイチノとネーヴェルの2人分の羊皮紙と小さな台座が置かれていた。


「すみません、文字は書けないので代筆をお願いできますか?」

「畏まりました。お名前を教えていただけますか?」

「イチノ・ツキミダイフクです」

「……変わったお名前ですね?」

「自分でもそう思います」


 だって氷菓子のパクリだからね。

 内心でぺろっと舌を出したイチノは、中央に茶色のカードが嵌め込まれた小さな台座の上に手を置いた。


「はい、魔力波長の登録を確認しました。もうお手を離してもらって結構ですよ」


 魔力波長とかよくわからない単語が出てきたが、特に質問する気にもならなかったのでスルー。同じ工程を辿って、ネーヴェルの登録作業も終わる。

 名前はネーヴェル・ツキミダイフクで登録していた。何故かドヤ顔だった。解せぬ。


「お疲れ様でした。最後にレアリティ判定を受けていただきます。それが終わり次第、お名前をカードに焼き込みますので」

「レアリティ、ですか?」

「はい。人類の8割以上がクラス2に偏っているとはいえ、あれも一応虚偽不可能な個人情報ですから。教会で既に査定済みだとは思いますが、ご理解の程よろしくお願いします」


 イチノ的には「レアリティ? なにそれ?」という意味で尋ねたのだが、女性職員は違う意味で受け取ったようだ。レアリティについての知識がないとは考えてもいないのだろう。つまり、それだけこの世界にとっては馴染み深い常識ということだ。


「はぁ、レアリティもカードに記載するんですか?」

「いいえ。レアリティの情報はあくまでギルド側が書類に記録するだけで、直接カードに焼き込まれることはございません」

「そうですか」


 イチノにとってレアリティといえば、憎きマネーダイソン『ガチャ』を思い出すので、あまり関わりたくないというのが本音なのだが。


「では、こちらの魔導具にお手を触れてください」


 女性職員が脇からバレーボール大の水晶玉らしきものを取り出した。

 しっかりとした木製の箱にクッション付きで収められているところをみるに、それなりに貴重品なのかもしれない。

 イチノは指示通りに水晶玉に酷似した魔導具へ触れる。


 ……しかし、何も起こらなかった。


「……変ね。少しよろしいですか?」

「はい、どうぞ」


 女性職員が不思議そうに首を傾げ、自分の手を触れさせる。

 すると、魔導具が薄らと青く輝いた。これが本来想定されていた反応なのだろう。

 さらには玉の中心に美しく煌めく小さな星のようなものが3つ出現し、ふわふわと漂い始める。何とも幻想的な光景だ。室内インテリアとして売れるのではないか。


「正常よね……? 申し訳ありませんイチノ様、もう一度触れてもらえますか?」


 言われて、イチノは再び魔導具へ触れるが、やはり先程と同じように何の反応もない。


「……まさか」

「えっ」


 顔を青くしながら、信じられないものを目撃したかのようにイチノを凝視する女性職員。

 何やら不穏な空気である。

 イチノの胸に嫌な予感がひしひしと湧き始めた。


「いえ、それは早計ね……。イチノ様、少々お待ちください。ネーヴェル様、魔導具にお手を触れていただけますか?」

「ん」


 ネーヴェルが頷き、魔導具に触れる。

 玉は女性職員の時と同じく淡い輝きを纏い、女性職員と同じように小さく煌めく星を生み出した。


「やっぱり魔導具は正常よね――あら?」


 その光景を見つめつつ、眉を寄せて困惑する様子を見せていた女性職員の表情がさらに強張った。


「……星が……7つ?」


 女性職員の喉から掠れた声が絞り出される。驚愕の色に染まった瞳は、玉の中に浮かぶ7つの星に釘付けになっていた。


「あ、あの! ちょっと失礼します!」


 慌てたように女性職員が己の手を魔導具に触れさせるが、星の数はやはり3つだった。

 最後にもう一度イチノとネーヴェルに手を触れさせ、魔導具の反応が先程と変わらない事を確認すると、女性職員は徐に椅子から立ち上がった。


 いったい何だというのか。


「申し訳ありません。上司を呼んできますので、今しばらくお待ちくださいませ」


 丁寧な動作で頭を下げるものの、その態度には余裕が無い。女性職員は足早に部屋から出て行った。余程の事態なのだろう。

 胸の内に膨れ上がる嫌な予感がますます増大し、イチノのか細い胃を圧迫する。

 イチノは気を紛らわすためにネーヴェルに話を振った。


「今更だけど、なんで『夫婦』なんて設定にしたの?」

「その方が色々と都合が良いと思って」


 しれっとした態度でのたまうネーヴェル。そこまで深い考えがあったわけではないらしい。


「堂々と"夫婦です"って言っておけば、周囲から私達の関係を勘繰られることもないと思うし。ちょっかい掛けてくるバカも減るかなって」

「バカって……酷い言い草だな」


 ゲームの公式に"モテる設定"を押し付けられたせいか、ネーヴェルのナンパ男に対する評価は辛口である。


「それに、ここまでやれば後には引けなくなるでしょ?」


 ネーヴェルは意志の強さを感じさせる声音で言った。

 この世界で生き抜く覚悟を決める為に――といった類のニュアンスが込められているのだろう。元から過酷な世界を生き抜いてきただけあって、彼女が放つ言葉は重い。

 そう考えると、強引に捻じ込まれた『夫婦設定』も、少しでもこの世界を生き易くする為に考えた彼女なりの予防策なのかもしれない。

 イチノは彼女のこれまでの言動の意味を察し、そのうえで自分にはない"強かさ"を見出して、感嘆の念を覚えた。

 自分も強くあらねば、と今一度己の弱さを見つめ直すイチノに対し、ネーヴェルは柔らかく微笑む。


「――イチノ様が」

「って、俺かよ!?」


 どうやら全て勘違いだったようだ。イチノ、痛恨の極みである。


「――えっ、ちょっと待って。俺が後に引けなくなるって、それどういう意味?」

「……ふふっ」

「ちょっネウさん? 今の意味深な笑みは何なの!? ねぇ!?」


 何やら陰謀を感じるイチノが必死に問い質すも、ネーヴェルは薄く笑うだけで何も答えない。

 だが、その肩を揺さぶるよりも先に、先程の女性職員が別の男性職員2人を連れて戻ってきた。

 その表情は揃って険しいものだ。


 帰りたい。イチノがそう思ってしまうのも無理からぬ事であろう。


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