その7
「驚いた……凄い光景だな」
「ん。リザールシアよりも色んな人がいるね」
黒い笠を目線より少し上に少しずらしながら、イチノは感嘆の声をあげた。
彼の和服の袖をちょみっと掴んでいるネーヴェルも驚きから僅かに目を見開きつつ頷いた。
ちなみに、今のネーヴェルは外套に付いたフードで素顔を隠していたりする。宿屋の客達の反応を見るに、素顔を晒していると無駄に注目を集めるという判断からイチノが指示したのだ。
「ていうか、広過ぎでしょこれ……」
「斡旋所はどこかな?」
宿屋を後にしたイチノとネーヴェルは満を持して中央広場へと足を運んだのだが、眼前に広がる光景は圧巻の一言に尽きた。
円形に象られ、石畳で敷き詰められた大きな広場の面積は東京ドームよりも一回りは広いだろう。
様々な出店が雑多に立ち並び、掘り出し物を求めて大勢の人々が犇めき合っている。
その人種も豊富で、元の世界のように白人やら黒人やら黄色人種やらがいれば、ファンタジーの鉄板である獣人やエルフ、ドワーフと思しき人達も多い。中にはまんま爬虫類が二足歩行しているとしか思えない者もいた。
獣人に関しては犬耳やら、猫耳やら、兎耳など様々だ。同じ種類の耳にしても毛色が違ったり、形が違ったり。
人間に獣の耳と尻尾がくっ付いただけに見えるが、作り物とは明らかに異なるしなやかさがある――と思いきや、まんま獣が人の体型を得ただけ、みたいな者もいて何が何やら。
ドワーフは典型的な髭モジャでビール腹だが、身長は普通の人間と同じくらいはあり、筋肉質である。女性の方はどうだろう。パッと見た限りではそれと分かる者はいないようだ。
エルフはエルフでこれまた皆美形……というわけでもないらしい。その容姿は人間のように千差万別だった。ただし、耳はピンと尖っていて、髪の色は金髪。若しくは薄い緑色に似通った金髪が多い。
この様子なら人間に積極的に捉えられて性奴隷、なんて胸糞悪い展開もなさそうである。
二足歩行爬虫類に関しては、見たまんまトカゲだ。いや、イグアナっぽいのもいる。皮膚の色が緑だったり茶色だったり青色だったり赤色だったりで実にカラフルであるが、顔の見分けは全くつかない。
あとは珍しいことに身長が人間の膝小僧を少し超えた程度しかない小柄な種族もいた。エルフほどに長くはないが、少し垂れ気味の尖った耳が特徴的である。寸胴体型で、見た目には子供にしか見えないが、あれでも立派な大人だという。ハーフリングというらしい。
多い。多過ぎる。ゲームでも人間以外の種族が実装されていたが、ここまで多くはなかった。
「いや、これは、なんというか。慣れないと目が回りそうだな。これが本物のファンタジーってやつか」
「あ、大きなトカゲ」
ネーヴェルが指差した方角を覗けば、大きなトカゲのような見た目をした四足歩行の動物にトカゲ人間が乗っている。ちなみに馬車などではなく、背中に騎乗する形だ。
他にも普通に馬がいれば、猪や猫科に近い大型の獣という変わり種に乗っている者もいるようだ。いや、こちらでは一般的な乗り物なのかもしれないが。
「爬虫類に爬虫類が乗ってやがる……っとと」
イチノは慌てて己の口を塞いだ。下手な発言は己の身を滅ぼしかねない。まだこの世界の常識すら満足に知り得ていないのだ。
何が差別発言に繋がるか分かったものではない。
中央広場がここまで広いとは予想していなかった為、イチノは通りがかった人に傭兵斡旋所の場所を尋ねた。
指し示されたのは、広場の外周に建ち並ぶ建造物の中でも一際大きな建物である。
なるほど、建物の前には戦士っぽい恰好をした人物の大きな石像が立っている。分かり易い目印であった。
ベッツォが事前に話さなかった事を考えると、あの石像は傭兵斡旋所にとってのシンボルのような物なのかもしれない。わざわざ口頭で説明するまでもない程に有名な。
2人は広場に並ぶ出店の様子を軽く覗き見つつ、斡旋所まで辿り着く。
出入り口を見れば、武器を携えた者達がそれなりの頻度で擦れ違っていた。
斡旋所の利用者は多いようだ。
「さて、行きますか」
「ん」
イチノは黒い笠を首を後ろへ下げながら、微かな緊張を秘めて歩を進めた。
後から続くネーヴェルもフードを深く被り直す。
扉を開き、斡旋所の中へ足を踏み入れると、値踏みするような視線が四方八方から飛んできた――なんて事はなかった。
建物内部は吹き抜けの四階建てになっており、天井はとても高く、開放感が凄まじい。
一階は様々な受付がある他に食堂も兼ねているらしく、とても広々としており、予想していたようなファンタジーラノベのお約束『余所者お断り』といった淀んだ空気は微塵もない。
言い換えてみれば、市役所の一階に社員食堂もあるといった雰囲気に近いかもしれない。
人の出入りも激しく、斡旋所の扉が開いたからといっていちいち視線を寄越してくる人間はいないようだ。
「ふぅ、どうやら初っ端から絡まれる心配は無さそうだ」
「大丈夫。何かあっても私が守ってあげる」
「ははっありがとう」
他愛ないやり取りをしつつ、斡旋所の職員から聞いた登録専用の受付へ並ぶ。
「いらっしゃいませ。傭兵斡旋所フィルティマ支部へようこそ。傭兵登録をご希望ですか?」
「そうです」
「畏まりました。当斡旋所では事前に実技試験を受けていただき、その結果によって傭兵カード発行の可否が決まる仕組みになっております。受験料として銀貨5枚を頂きますがよろしいですか? 尚、如何なる理由があっても返金は致しかねますので、予めご了承ください」
「はい」
短く返事をしたイチノは2人分の銀貨を纏めて支払う。
「確認致しました。では、こちらのプレートをお持ちいただき、左手奥に見えます通路へお進みください」
「わかりました」
受付嬢が差し出してきた木製のプレートを2人分受け取り、イチノはネーヴェルを連れ立って通路へ向かう。
数字が刻まれているあたり、実技試験の順番を表す番号だろうか。
イチノが受け取ったプレートは7、ネーヴェルは8となっている。
「知らない文字なのに読める……何でだ?」
「さあ?」
見た事がない文字を見ただけで理解できる事実に疑問を抱きつつも、イチノ達は通路の奥に続いていた広くも狭くもない廊下を進んでいく。
少しして、大きな扉とその前に立つ男性職員の姿が見えた。
「間もなく実技試験が開始されます。用意されているベンチに着席し、試験官の指示があるまで待機してください」
そう言って開け放たれた扉の奥は中庭のようになっており、そこそこ広い空間が確保されていた。
壁際に用意されたベンチには既に6人の受験者が待機している。
緊張しているのか、どこか落ち着きに欠ける者がいれば、フードの隙間から覗くネーヴェルの容姿に見惚れたり、彼女が背負う槍に目を奪われたり、反応は様々だ。
イチノが空いているベンチに腰を下ろすと、その隣にほぼ密着するようにしてネーヴェルが座る。近い。
女性特有の花のような香りがふわりと鼻腔を擽り、動悸が跳ね上がる。
「ちっ」
誰かの舌打ちが聞こえた。
何だよ、何か文句でもあるのかよ――とは言えないイチノ。争いは憎しみしか生みません。平和にいこうぜ。
早速嫌な気分を味わった矢先に、2人が通ってきた通路とは別の扉から壮年の男性が若い女性を伴って姿を現した。
男は刃を潰した長剣を片手に携え、女は指揮棒のような短杖を所持している。
「待たせたな、これより実技試験を始める。ルールは単純、私と手合せするだけだ。といっても、勝敗は合否に関係ないし、怪我をしても隣にいる優秀な治癒士が治してくれるから、あまり気張らずに。ただし、全力で掛かってこないと後悔するぞ」
受験者の緊張を解す為だろう。男は軽く笑みを浮かべてみせた。
「では、プレートに書かれた番号を呼ばれた者は俺の前に来るように。まずは1番!」
「はい!」
返事と共にベンチから立ち上がった少女が男の元へ歩いていく。
その動きはどこかぎこちなく、傍目から見ても緊張している様子がよくわかる。
彼女はイチノと同じく大杖を携えていた。
「ほう、魔導士か。得意な系統は?」
「四源魔法です」
「よろしい。そこに描かれた円に上に立ち、武器を抜きたまえ」
男と少女は互いに少し離れた距離にある円の立つと、己の武器を構えた。
「準備が整ったら、いつでも掛かってくるがいい」
「……いきます!」
意識を集中し始めた少女が持つ大杖の先端に魔力の輝きが灯る。しかし、男は動かない。わざわざ魔法が完成するまで待ってあげているらしい。サービス精神は旺盛のようだ。
「フレイムバレット!」
たっぷり10秒は数えただろうか。拳より一回り大きい炎の玉が男に向かって飛んでいく。
あれ、直撃したら大火傷じゃ済まないような……とイチノが心配するより先に、男がその場で剣を振り被った。
「ふんっ!」
上段から一気に剣を振り下ろし、火球を真っ二つにする形で消し去る。
男は純粋な剣技のみで魔法を無効化したようだ。周囲の受験者が目を剥いて言葉を失っている。
「そんな!?」
ただ、一番衝撃を受けたのは他ならぬ魔導士の少女であろう。驚愕の中に悲鳴を交ぜ、硬直したまま動けないでいる。
今度はその隙を見逃してやるような真似はせず、男は一瞬のうちに間合いを詰めて少女の顔先に剣を突きつけた。
「ふむ、下がりたまえ」
「……」
男は剣を下ろし、あっさりと円の中に引き返していく。まさしく手も足も出なかった少女は肩を落とし、意気消沈した様子でベンチへ戻っていった。
その光景の一部始終を観察していた受験者は息を呑み、試験官である男の実力に空恐ろしいものを感じる。
魔法を叩き切った瞬間でさえ、本来の実力の半分も出していない事は疑いようがない。
あれこそ将来的に己が理想とする姿であることを意識した受験者達は、胸の内に確かな闘志を滾らせた。
――だが、現実とは過酷なものである。その後も試験は続くが、誰も彼もが最初に試験を受けた少女と似たり寄ったりな結果に終わった。
やはり、意志一つで何かが変わるほど傭兵の世界は甘くないらしい。
とはいえ、試験を終えた漏れなく全員が、今の自分に出せる全力を余すことなく曝け出したのは間違いなかった。
既に大半の者が試験を終えた現在、受験者達が互いの闘いぶりに意見を交換し合っている程である。
そして、とうとうイチノの番号が呼ばれる。
「次、7番!」
ようやくか、と
番号を呼ばれ、円の中へ入るイチノを見届けた男が問う。
「ん? 君も魔導士か?」
「はい」
「ほう、今日は豊作だな。得意な系統は?」
「んー……特にないです」
イチノが答えると、男の顔に厳しさが増した。
「なに? それは自分の魔法に自信がないという意味か?」
「まぁそんな感じでしょうか」
「ふむ……そうか。準備が整ったら掛かってきなさい」
男は少しばかり失望したような態度を示すが、きちんと試験は実施するらしい。
イチノもそれ以上は何も言わず、ただ無造作に杖を構えた。
杖の先端に取り付けられた複数の鉄輪が独特の金属音を奏でる。
皆がその厳かな音色に耳を奪われた刹那――
「ノックダウン」
「かっ……!?」
ドンッと空気が震え、男が意識を失ったように両膝から崩れ落ちた。
己が理解できる範疇を超えた場景に、どこか弛緩していた空気が凍り付く。
自分達がどれだけ必死に手を伸ばしたところで届きもしない頂にいる男が、無様に地面に膝を付いている姿に言葉を失う。
そして、それを成した張本人であるイチノに対し、一斉に視線が集中した。特に魔導士の少女が口をパクパクさせる姿などは、陸に打ち上げられた魚を連想させるほどに哀れだった。
「なるほど、魔法の仕様はゲームとあんまり変わらないようだな」
詠唱に集中する様など微塵も見せず、瞬きする間に魔法を完成させたイチノは満足気な表情を浮かべていた。どうやらノックダウンの仕様がゲーム時と変わらない事が嬉しいらしい。
元々、ノックダウンは極端に詠唱時間の短い魔法なのだが、その事実を知らない受験者達からすれば、彼の姿は一流の魔導師にしか見えなかった。
周囲から注がれる畏怖の眼差しに気付かないイチノは、調子に乗ってさらなる追い打ちを仕掛ける。
「チェーンバインド」
「ごっ……!?」
体勢を崩したものの、すぐさま意識を取り戻した男が臨戦態勢に入る前に、その身体が不自然な形で硬直した。
束縛の魔法の効果により、その場から動けなくなったらしい。
肉体を強制的に硬直させられるというのは、存外辛いのだろう。その表情は苦悶に彩られていた。
それを視認したイチノは今度こそ大杖に集中するような姿勢を見せる。
「パープルペイン……いや、まてまて。これ下手したらあの人死ぬよな……ちょっと調べてみるか」
一度杖の構えを解いたイチノは男にカーソル合わせるイメージで視線を合わせる。
そのまま脳内MENU画面を開き、コマンドの『調べる』を実行した。
説明しよう。『調べる』とは他プレイヤーのありとあらゆる情報を盗み見ちゃう、オンラインRPGでは非常に馴染み深い便利機能である。
他人に『調べる』を実行されたら最後、その者は己レベルから各ステータス、装備、スキル、アビリティ等の情報を全て知られてしまうのだ。
いや、一応ながら設定次第では情報開示を不許可にもできるのだが、それはプレイヤーだけの話であるからして、異世界では関係がない。
余談だが、魔物や未鑑定アイテムなどを調べることはできない。あくまでも対象は人間だけだ。
ちなみに、未鑑定アイテムは、そのアイテムに属するクラフトスキルを持つ人間なら、スキルレベルに応じた鑑定結果を得られる。
「レベルは38……ダメだ、低過ぎる。防具も3級品だし、毒なんか撃ったらスリップダメージだけで死ぬな、これ」
覗き見る情報は最低限のみだ。イチノは余計な情報はなるべく見ないように心掛ける。
いくら相手にはバレないからといって、これは立派なプライバシーの侵害に他ならない。これを平気で利用するようになってしまえば、最終的には倫理観の欠如した最低人間と化してしまうだろう。
生き永らえる為には異世界の常識に身を馴染ませる必要があるとはいえ、日本人としての誇りを失いたいとは思わない。
人として最低限の道徳は維持していたいのだ。畜生に成り下がるのは御免被る。
それはさておき、せっかくの貴重な対人戦である。しかも殺し合いではなく、遠慮無用の練習試合のようなものだ。
こんな恵まれた機会がこの先あるとも思えない。
「せっかくだし、ここは他の支援魔法でも試してみるか。実際、どんな感じになるんだろ?」
試験官には悪いが、今後の為に色々と試させてもらおう――そう考えたイチノは早速杖を構えた。
「ブラインドフォールド」
「む……!」
「ヘヴィスロウ」
「ぬ……!」
「モーメントパルジー」
「が……!」
暗闇、鈍化、麻痺。ファンタジーの代表ともいえる計3つの状態異常をお見舞いしたが、男はまだまだ余裕そうである。
ならば。
「ガンガンいくぜ。カースハンド」
「う……!」
「ミューテッドシンク」
「ぐ……!」
「フィアーハング」
「ひぃっ」
「サイコパニック」
「あへぇ」
「エンダーサプライ」
「ひぎぃ」
「ラピッドファシネイション」
「いやぁん」
「ミニットスリープ」
「すやぁ……」
順に呪い、衰弱、恐怖、混乱、効果時間の延長と続いたところで、最後に魅了を試してから強制的に眠らせる。
万が一にも殺したくはないので、タクティカルウーンズ(出血)は控えたイチノであった。
とりあえず、リアルな状態異常というものがどれ程の威力を誇るのか、その詳細を知ることが出来たので良しとする。
「エンダーサプライは余計だったかな」
状態異常の効果時間を延長させたところで意味がないことに気付き、ばつが悪そうに頬を掻く。
何れにせよ、ここまでやれば不合格ということはないだろう。
明確な勝利を演出する為の仕上げとして、イチノは男の額に杖の先端を突き付けようと近付くが、そこへ真っ青な顔をした治癒士の女性が割り込んできた。
「そ、そこまでですっ! もうこれ以上はやめてぇ!!」
試験官の身が危険だと判断したのだろう。男を庇うように慌てて声を張り上げる。
それも当然だ。
最後の方は土気色の顔で全身を痙攣させていた挙句、半分白目を剥きながら涎を垂れ流して喘いでいたのだから。
決して死なないとはいえ、やり過ぎてしまった感が否めない。途中でやめるべきだったと猛省している。
イチノの胸中に今更になって後悔が押し寄せてきた。
何だか、畜生にはなりたくないとか言っておきながら、舌の根も乾かないうちに畜生へと成り下がってしまった気分である。もうダメだ、おしまいだ。
「大丈夫ですか!? すぐに治療しますから! えっ……あれ!? 嘘、なんで!? 治癒魔法が効かない!? そんなっどうして――」
治癒士の女性は半泣き状態で治癒魔法を掛け続けるものの、男が回復する気配は一向にない。
ステータスとスキルの差があり過ぎて、彼女の治癒魔法では状態異常を打ち消せないようだ。
「あの、今、治しますので……」
気まずい気持ちでいっぱいになりながら、イチノは試験官の状態異常を全て治療した。
魔法の解説については後々。