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その5

 宿泊の契約を終えたイチノとネーヴェルは青年から丁度夕食の支度ができていることを聞かされ、用意された部屋に武器を置きに行くと、すぐさま食堂に向かった。

 西部劇の酒場等で使われているスイングドアを開いて足を踏み入れた瞬間、それまで賑やかだった喧噪が一瞬で静まり返った。

 その空気に内心でうっと喉を詰らせるイチノだったが、なるべく気にしないように努めつつ、ちょっとした階段を降りた先にあるカウンター席へと向かう。この席なら目の前で料理している初老の男性以外と目を合わせることもない。


 空いている一番端の席にネーヴェルを座らせ、その隣にイチノが座った。これで彼女が変な男に絡まれることはないだろう。たぶん。


 さり気なく周囲のテーブル席を観察してみれば、どこにでもいそうな地味な服装をした利用客の他に、明らかに荒事を生業としてそうな屈強な体躯の客もいた。

 皆、一様に呆けた表情でネーヴェルへ視線を向けている。恐らくは客層が良いのだろう。あからさまに下卑た表情を浮かべる輩はいない。


 その事に深く安堵しつつ、イチノは視線を正面に向けた。小心者な彼からしたら、あんなムキムキな男たちに絡まれたらと思うと気が気でなかった。


「いらっしゃい。ここらじゃ見ない顔だな。俺はこの宿の料理を担当しているベッツォってもんだ」

「あ、どうも。雑貨屋の店主さんから紹介されて来ました。イチノです」

「ネーヴェルです」


 ぺこりと軽く頭を下げるイチノとネーヴェル。そんな2人をベッツォは夕食をもって歓迎する。

 体格は筋肉質でがっちりとしており、同じく食堂を利用しているムキムキな男たちにも引けを取らない。


「おおっ兄貴の紹介か! どうだ、向こうは元気にやってたか?」

「はい。お会いした限りではお元気そうでしたよ」

「そうかそうか! そいつは何よりだ!」


 イチノとネーヴェルの前にそれぞれ皿を置きながら、ベッツォと名乗った男はニカッと笑ってみせた。厳つめの顔に似合わず人好きのする笑みだ。 

 相変わらず周囲は静まり返っているが、見た目通りの豪快な性格をしているらしく、全く気に留めていない。


「ガハハ! 嬢ちゃんがあまりにも美人なもんだから、野郎共が注目しちまってるようだな! まぁ悪い奴らじゃねぇから、安心してくれや。それに万が一があろうとも、俺がいる限りは安易に絡ませやしねぇからよ」

「お気遣い、痛み入ります」

「気にすんな。お前さんらは大事なお客様だからな! さぁ熱いうちにたんと食え」


 ベッツォに勧められ、イチノとネーヴェルは食事に手を付けた。

 勿論、「いただきます」は忘れない。ネーヴェルもちゃんと手を合わせている。一応、ゲームのストーリー中にも使われたことのある台詞なので、その手の知識は彼女も持ち合わせていたのだろう。

 ただし、この世界の住人はその限りではないようだ。

 きょとんと「何やってんだこいつら?」的な顔をするベッツォに、慌てたイチノは咄嗟に旅の中で学んだ食事時の挨拶だと教える。

 意味を知ったベッツォは感心したような表情を浮かべ、「料理人も感謝してもらえるってのは悪くねぇな!」と朗らかに笑った。客商売の賜物か、それとも本人の生まれ持った資質なのか、実に笑みの似合う男である。


 兎にも角にも、まずは食事を済ませよう。イチノは深皿に盛られたポトフらしきものから口を付けることにした。

 大きな腸詰肉にフォークを刺すと、隙間から肉汁が溢れ出し、芳醇な香りが鼻腔を擽った。

 前歯で熱々の肉を噛み切れば、パキッと良い音が鼓膜を刺激した後、口の中にじゅわりと肉汁が溶け出す。臭みはなく、濃厚な肉の旨味が舌の上で踊り、思わず顔が綻んだ。

 スープを口にしてみれば、丁寧に下拵えされたのだろう。様々な野菜と肉の出汁が合わさり、複雑な味わいを織り成している。喉を通れば口の中には心地良い芳香が残され、その香りが消えないうちに胃が次の一口を催促しだす。


 パンは恐らくライ麦のパンだろう。所謂、黒パンというやつだ。

 食べやすいように切られた黒パンは焼き立てらしく、ほかほかと湯気が立ち昇っている。口に入れてみれば、確かに白パン程柔らかくはないものの、焼き立てだからこその奥深い歯応えが楽しめた。

 奥歯で麦を噛み潰すたびに、独特の酸味が口の中へ広がっていく。これがまた腸詰肉やスープと良く合うのだ。


 付け合わせのマリネらしきものは、キノコに鶏肉のささ身らしき肉と玉葱、あとはパプリカだろうか。

 レモンによく似た果実の酸味とハーブの爽やかな香りが食材それぞれの旨味と調和し、さっぱりとして後に引かない味わいを生み出している。

 キノコの歯応えと下味が施されたささ身の口当たりを玉葱が引き立て、パプリカが食感を盛り立てる。

 食べれば食べるほどに食欲を刺激する一品だ。


 異世界ということで、ラノベに良くある飯マズを想像していただけに、これは大当たりである。余所の食事処でもこれくらいのレベルの料理が出てくれれば、この世界での食事事情は解決したも同然なのだが。


 イチノとネーヴェルの間に会話は一切無く、2人とも夢中になってパンとスープを貪っていく。

 そんな彼らの様子を穏やかに見守っていたベッツォは、食事を終えたタイミングを見計らってハーブティーを淹れてくれた。


「それにしても、お前さんら随分と珍しい恰好してるな。どこの国の生まれだ?」

「えっと……どこというか……」


 カップを受け取りながら、言葉に詰まるイチノ。


――ヤバイ、そこらへんの設定をどうするか全く考えてなかった。


 どこの国の生まれかと言われても、イチノの場合は日本と答えればいいのか、それともリザールシアと答えればいいのかすら判断に迷う。


 適当に嘘を吐くにしても、ボロが出るのは宜しくない。


 内心で焦るイチノが必死に頭を回転させている時、不意に隣のネーヴェルが口を開く。


「生まれ故郷は知らない。私達はお互いに同じ養父に拾われて育てられた身だから。今はその養父も亡くなって、2人で色んなところを旅してる途中なの」

「むっ……そうだったのか。そりゃ悪い事を聞いたな」

「気にしないで。私は自分が不幸だなんて思ったことは一度もないから」


 柔らかく微笑むネーヴェルは、そっとイチノの腕を抱き寄せる。その唐突な行動にイチノは顔色を耳まで真っ赤に変色させた。初心か。

 周囲から剣呑な視線と舌打ちが飛んでくるが、それらを気にする余裕など今の彼にはない。


「ガハハ! そりゃいいな! 短い人生、楽しんだもの勝ちだ!」

「ん」


 楽しげに会話を続けるネーヴェルとベッツォ。当然だが、彼女が言ったことは全て口から出任せである。

 それを迫真の演技によって誤魔化しているのだ。ネーヴェル、恐ろしい子!


「旅の途中と言ったが、この都市には物資の補給に寄ったのか?」

「ううん。路銀が底を尽きちゃって、お金を稼ぎにきたの。ベッツォさん、何かいい仕事知らない?」

「うーむ、仕事か……。この都市は、地元民じゃない奴等にはちっとばかし風当たりが厳しいからなぁ」


 無精髭を蓄えた顎に手を当て、ベッツォは真剣に悩む素振りを見せる。雑貨屋の店主といい、ベッツォといい、見ず知らずの他人の為に親身になってくれるところは兄弟そっくりといえよう。

 それにしても、極自然に仕事の話へ持っていったネーヴェルの話術スキルの高さよ。

 この世界で生活していく為にもどうにかして仕事に有り付く必要がある。情報はあればあるほど有難い。ネーヴェル、お手柄である。


「やっぱ金になる仕事となると、傭兵斡旋所に行くか迷宮に潜るしかないだろうな」

「それってどこにあるの?」

「斡旋所はそこの通りを抜けた先の中央広場に事務所を構えてる。迷宮に関しちゃ、この都市は結構な名所でな。同じく中央広場に大きな看板が立ってるから、それを辿って行きゃすぐに見つかるだろうよ」

「ん、わかった。明日行ってみる」

「力になれなくてスマンな。しかし、こう言っちゃなんだが傭兵も探索者もあまりお奨めできんぞ? 儲けに対して命のリスクがデカ過ぎる。何だったら、ウチでしばらく働くか? あまり高い給金は出せんが……」


 なんとお人好しな血族であろうか。

 ネーヴェルも改めてそれを感じたのだろう。彼女はここにきて初めて他者に"素の笑み"を見せた。


「荒事には慣れてるから大丈夫。心配してくれてありがとう、ベッツォさん」

「ガハハ! そうか、これは余計なお世話だったかもな! ……儲けられるといいな。頑張れよ」

「うん」


 すっかり打ち解けた雰囲気で談笑するネーヴェルとベッツォ。

 特にコミュ障というわけでもないのだが、なかなか口を挟むタイミングが掴めないイチノは、仕方ないので明日の行動予定について思考を巡らせることにした。

 別に放置されて寂しいとかいう気持ちはない。ないったらない。


「ところで、兄ちゃんは見事な黒髪だなぁ。この大陸に住む人間で黒ってのはかなり珍しいぞ。俺も初めて見たくらいだ」

「あ、そうなんですか。こっちだとやっぱ目立ちますかね? 染めた方がいいかな?」

「いや、そこまで気にしなくてもいいんじゃねぇか? 何せこの都市は色んな種族の人間がごちゃごちゃに入り乱れて暮らしてるからな。髪の色程度じゃ噂にもなりゃしねぇよ」

「へぇ、色んな種族か。ちょっと興味あるかも」


 手持ち無沙汰なイチノを見かねたのか、ベッツォが話を振ってくれた。

 彼は気配りのできる男なのだ。

 イチノ、ちょっとだけ胸キュンとしたのは内緒である。別に抱かれてもいいとまでは思っていないので悪しからず。


「一方の嬢ちゃんも珍しい事に髪の色は雪のような純白ときた。こうしてみると見事に正反対だな。同じ養父に育てられたってことは、お前さんらは兄妹ってことになるんだろ? 血は繋がってるのか?」


 ベッツォは未だにイチノの背中を妬ましげに見つめる客達へさり気なく睨みを利かしながら、首を傾げた。

 ネーヴェルの話を全て事実とするならば、彼が疑問を抱くのも当然だろう。

 この際、それで通してしまうのもアリかとイチノが少しだけ開き直りかけた時、ネーヴェルがほんのり頬を紅く染めてベッツォから視線を逸らした。


 え? なにその反応? と、イチノが問い質すより先にネーヴェルの唇が言葉を紡ぐ。


「血は繋がってないよ。それに今は兄妹じゃなくて夫婦なので」

「!?」


 ガバッとイチノが愕然とした表情でネーヴェルを見る。

 それまでは何とか平静さを取り繕っていたものの、彼女の遠慮の欠片もない爆弾発言によって、イチノの表情筋はとうとう崩壊した。

 いったいどこまで話を盛るつもりなのか。恐れを知らないネーヴェルの躍進は止まらない。

 背後のテーブル席から男たちの悲鳴と乱暴に机を叩く音が複数聞こえてくるが、これはどうでもいいことだろう。


「おっそうだったのか! 兄ちゃん良かったな! こんな美人な嫁さん、世界中探したって見つからねぇぞ! マジでな!」

「そ、そうですね。自分でも運が良いと思ってます」


 動揺を押し殺し、何とかそれだけ喉の奥から絞り出したイチノは、ハーブティーを口に含んで必死に狼狽する心を沈める。

 これでイチノとネーヴェルは周囲から完全に夫婦者と見做されたことだろう。嘘に嘘を重ねたことで、既に取り返しのつかない事態にまで話が進んでいる。イチノは内心で頭を抱えた。


「ベッツォさんのお嫁さんには負ける」

「ガハハハハハッ!! 言うじゃねぇか、嬢ちゃん! 母ちゃんが今の台詞聞いてたら、間違いなく調子に乗ってたろうよ!」 


 ちらっとベッツォの背後に視線を向けるネーヴェル。

 ベッツォは自分の嫁を褒められて気分が良いのか、愉快そうに大笑いする。


「いやはやホントに、ウチの母ちゃんも嬢ちゃんみたいに別嬪だったら言うことなかったんだがなぁ……っと、今のはここだけの秘密にしといてくれ」


 バチッと愛嬌のあるウィンクを飛ばすベッツォだったが、イチノはネーヴェルと同じように彼の背後を見つめながら乾いた笑いを漏らした。


「あの、たぶん手遅れかと」

「――ッ!?」


 イチノの科白に何かを察したらしいベッツォが慌てて後ろを振り返る。そこには、恰幅の良い初老の女性が朗らかな笑顔で立っていた。ただし、その目は決して笑っていない。


「か、母ちゃん……その、今のは言葉の綾というかだな……」

「へぇ、そうかい。まぁ何でもいいさね。アンタ、ちょいとこっちきな」

「ひいいぃぃぃっ!!」


 襟首を掴まれてカウンターの奥へ引き摺られていくベッツォを見送り、丁度いい頃合いであると判断したイチノとネーヴェルも席を立つ。


 去り際、ベッツォに対して合掌することも忘れなかった。南無。

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