表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/18

その2

――どうやら、この世界はある程度ゲームの仕様が通用するらしい。


 それをイチノが理解したのは、このまま何もない平原で悶えていても仕方がないと判断し、一先ず人が集まっている場所へ向かおうと移動を始めてしばらく経った頃だった。


 人に踏み鳴らされて固まった道を辿りつつ、装備品以外に何か所持品はないのかと服の中をまさぐろうとしたあたりで、唐突に頭の中に浮かんだMENU画面。妄想と断言するには随分と明確なヴィジョンを伴ったそれにもしやと思い、直感に逆らわず、ゲームをプレイしていた時のようにキーボードを操作する感覚でアイテム欄を選択、持ち得る中で最低価値の回復薬(緑)をポチってみると……。


「おおっ!?」


 何というご都合主義でしょう。突如として、何もない空間から謎の液体に満たされた透明の瓶が現れたではありませんか。

 まぁ、驚愕のあまり束の間硬直してしまったイチノは、その瓶を取り損ねて地面に落として割ってしまうのだが。


「あー……勿体ない」


 大地に染みを作っていく回復薬の残骸を見つめながら、一つ学習したイチノ。

 アイテムを無駄にしない為にも、次はちゃんと手を添えるようにしようと心に誓った。


 気を取り直して、次は装備枠の確認である。

 脳内で展開されている画面の内容は記憶と一致している。ゲームの仕様で2つ用意されている武器スロット欄も現在装備中の錫杖もどきと合わせて問題なし。

 試しに武器を変更してみれば、背負った錫杖が光の粒となって消えて、新たな武器が出現した。

 回復薬のように地面に落下することもなく、最初から携えられた状態で現れるようだ。

 何だかVRの世界でも体験している気分である。


 イチノは武器を元の錫杖もどきに戻しながら、内心の困惑を抑えるように頬を掻いた。

 そこで、ふと、ネーヴェルの装備が気になったイチノは顔を彼女の方へと向ける。


「そういえば、ネウさんに渡してた武器、もう一つあったでしょ。あれ、どうなった?」

「持ってるよ」

「え? 持ってんの?」


 傍目から見て、槍以外には何も持ち合わせてはいないように見えるが、イチノと同じように武器スロットにはきちんと収まっている状態なのだろう。


「槍と取り替える?」

「いや、その必要はないけど……自分で変更できんの?」

「うん」

「そうなんだ。なら、いいや」

「ん」


 自分の隣を歩くネーヴェルの何気ない動作にいちいちドギマギしながらも、それを鋼の意志で抑え込み、表に出すことはしないイチノ。

 冴えない男のちっぽけな意地である。

 それはともかく、どうやらネーヴェルは自分の意思で装備を変更できるらしい。ゲーム中ではパートナーキャラクターの装備変更も全てプレイヤーが実行していたとはいえ、彼女も今や現実に存在する立派な生命体だ。当然といえば当然だろう。


「装備品以外で何か持ってる物とかは?」

「……なにも」

「そっか」


 申し訳なさそうに小さく首を横に振るネーヴェルに、イチノは特に気にした様子もなく頷き返す。

 ゲームの仕様では、パートナーキャラクターに装備品以外の持ち物を持たせることは不可能だった。彼女が何も持っていないのも当然だろう。

 イチノもそれを理解したうえで、念の為に確認したまでである。

 しかし、一応なりとも架空が現実となった今なら、鞄に物を詰め込むという形でネーヴェルにも旅の持ち物を携帯させることが可能なはずだ。


 いや、それをいうなら自分もか? とイチノは考える。


 プレイヤーのアイテム所持数は有限だ。レベルの上昇と共に上限は少しずつ増えていき、最終的には各個数の上限は99個という制限付きで、計60種類のアイテムを保有することが可能となる。

 一見、多そうに見えるが、実際に利用してみると60種類という数は意外と少ない。

 だからこそ、バッグで少しでも緩和できれば、これから先の旅の一助となるだろう。

 

 イチノは、街に着いたら最優先で鞄を見繕うことを決意した。


 だが、そう簡単にはいかないだろう。

 ネーヴェルと自分の鞄を調達する為には、とある障害を乗り越えなければならないからだ。


 その障害とは、至極単純な話である。要するにお金がない。


「くそ……こんな事ならちょっとは持ち金残しておくんだったな」


 イチノがプレイしていたオンラインARPGはデスペナルティとして、所持金のロストという仕様があった。その為、基本的には持ち金はゲーム内に設置された銀行に預ける形でロストを防ぐのである。

 イチノも御多分に漏れず、銀行に金銭的な財産は全て預けていた為、悲惨な事に今は天下の無一文。

 せめて素材狩りの準備を終える前に寝落ちしてれば、ある程度の所持金は持って来れたのだろうが、全ては後の祭り、今更嘆いたところでどうしようもない。


 最初こそ道中で出会うかもしれない魔物を狩って、その素材を換金しようかとも考えたが、よくよく考えればイチノは現実に生きている動物を殺して、その皮やら何やらを剥いだ経験がない。

 この土壇場で、ゲームの仕様のようにボタン一つで何の工程もなくいきなり素材だけ手に入るなんて都合のいい事態が起こるならそれに越したことはないが、あまり期待しない方が身の為だろう。


「アイテムを幾つか売り払って、路銀にするしかないよなぁ……」


 心底困ったように呟くイチノだったが、実際はそんなに深刻に考えているわけでもなかった。

 手持ちのアイテムには、店売りでもそれなりの金額になる薬品が幾つもある。それらを適当な店で売り払えば当面の資金は賄えるだろう。後は仕事を探すなり何なりして、生活資金を蓄えていけばいいのだ。


 オンラインゲームによくある、キャラのレベルをMAXにしてからが"始まり"というお約束よろしく、幸いにしてイチノもネーヴェルもキャラクターレベルは最終上限まで到達している。大抵の魔物には後れをとらないだろうし、副職としてクラフトスキル――所謂、アイテムクリエイト――もイチノは調理、ネーヴェルは錬金術をそれぞれ極めているので、こちらの方面で仕事にありつくことも可能だろう。

 ゲームの仕様上、1キャラに付き1種類しかクラフトスキルを覚えられなかったのが惜しいところだが、そのおかげで他のクラフトに浮気することなく真っ直ぐに成長させることが出来たのは、ある意味で幸運だったといえるかもしれない。


 イチノは『ラノベ脳』全開で今後の行動を計画し、とりあえずは安泰であるという結論に達していた。

 多少、自分達に不都合な展開が待っていたとしても、どうとでもなるだろうという驕りをもって。


「それにしても、ここはどの辺なんだ?」


 改めて辺りを見回し、現在地を把握しようと試みる。

 見渡す限りの草原、所々に生える木々や花々。

 牧歌的であり、まさしく馬車での道行きが絵になる土地といえよう。

 これぞファンタジーのお約束といった素晴らしい景観が広がっている。


「んー……ラズロア辺りかな? ネウさんはどう思う?」


 ポリゴンとリアルでは、目に映る景色の印象が全く異なるはずだ。ここはポリゴンの世界の住人であったネーヴェルに聞くのが手っ取り早いだろう。

 ちなみに、イチノが口にしたラズロアとは、ゲームに登場する架空の土地の名称である。


「ラズロアに似てるけど、少し違う」

「マジで? じゃあ、ホロッセムかな……」

「……わからない」


 ネーヴェルはここがどこだかわからないまでも、少なくともイチノの予想は外れていると考えているらしい。表情こそ変化はないが、少しばかり声音に不安そうな響きが混ざっていた。


「まぁ、どっかで人に聞けば分かることか」


 ゲームにおいて全ての土地を余すことなく巡り、網羅しているイチノとネーヴェルである。

 今いる場所が判然としなくとも、土地の名前さえ判明すれば、自分達の現在地を把握する程度は容易な事であった。

 そういう意味では、イチノに比べて景観に対する違和感が少ないはずのネーヴェルが、少し不安そうにしている点が気に掛かるものの、大した問題ではないと踏んでいた。

 架空の世界が現実になったのだ。マップだって縮尺的な意味で広大になっていても可笑しくはないし、目覚めた場所がゲームでは踏み入ることができなかった未実装エリアである可能性も十分にある。

 いくらネーヴェルとはいえ、ゲームにおいて立ち寄れなかった場所の景色を知っているはずもない。


 イチノはあまり深く考えすぎても精神的に良くないと捉え、敢えて楽観的な思考で締め括ることにした。

 

 そこへ――


「うわっなにこの生物!? キモッ!!」


 人や馬車の往来によって踏み固められた道を歩んでいた2人の前に、木陰から突如として謎の生物が現れる。

 見た目としては毛がふさふさな真っ白な兎なのだが、如何せん手足や胴体といったものがない。

 バスケットボールを一回り大きくしたような、デフォルメされた兎の頭がぴょんぴょん飛び跳ねているイメージだ。

 何というか、単純に大きな白兎の生首が跳ねているようで気持ち悪い。

 ゲームでは見た事がない生物だ。未実装のモンスターかもしれない。


「可愛い……」

「えっ!?」


 小さな声で呟いたネーヴェルに愕きの眼差しを向けるイチノ。

 どうやら、彼とネーヴェルの美的感覚の相性はあまり良くないようだ。


――いや、でも確かに、人によっては全然アリ……なのかもしれない。


 愛する『嫁』がこの兎頭を受け入れているのだ、ここは自分も受け入れる努力をするべきだろう。外見だけで生き物を判断するのも良くないしな!

 そう自らを強引に納得させたイチノは兎頭に友好の情を示すべく、軽く屈みながら近寄ろうとする。


「よーし、おいでおいで」


 相手を怯えさせないように、ゆっくりとした歩調で一歩、二歩、三歩と近付いていき、いざ掌が兎頭に届こうとしたその時だった。


 予備動作のひとつもなく、突如として襲い掛かってきたのだ。


「げぇっ!?」


 高いステータスの恩恵だろう。イチノは咄嗟に兎頭の不意打ちを躱したとものの、恐怖のあまり顔色を真っ青に変色させる。


 異形の化け物。まさしく、言葉通りの歪な生物だ。

 顎が捲れ、顔面の大半が口と化した兎もどき。ずらりと三列に重なる牙は細く鋭い。

 あんなものに噛み付かれたら、噛み付かれた部位はズタズタに引き裂かれてしまうだろう。


 どう控え目に見ても敵対的な魔物だ。最早、異種族間の友和は望めまい。望む気にもならない。


 突発的な死の気配に、イチノは足を竦ませる。身体は見ていて哀れになる程に震え、目の端には薄らと涙さえ浮かべていた。

 化け物に対抗できうる力を持っていたとして、それまで暴力とは無縁の世界にいた人間がいきなり命懸けの戦闘をこなせる道理はない――これが"現実"なのだ。


 と、そこへイチノと兎頭の間に割り込むようにして蒼い閃光が迸る。

 刹那、槍で兎頭を串刺しにしたネーヴェルがイチノの前に立っていた。


 まさしく、瞼を閉じて開けるまでの一瞬の出来事だ。常人では何が起こったのか知覚することさえ叶わないだろう。


「……」


 ネーヴェルは無言のまま無造作に槍を振るい、穂先の兎頭を剥がす。可愛いと頬を緩ませていた割には一切の容赦がない。

 べちゃっと血飛沫を撒き散らしながら地面へ叩き付けられた白兎は、既に物言わぬ肉塊と化していた。やはりというべきか、ドロップアイテムだけ残して消滅してくれるなどという都合の良い話はないらしい。


「ネ、ネウさん……」

「イチノ様、大丈夫?」


 情けない声音でネーヴェルの名を呼ぶイチノ。

 純白の髪を風に靡かせながら近寄ってきたネーヴェルは、心配そうな表情を浮かべた。


「な、なんとか。めちゃめちゃビビったけど……」

「無事でよかった」


 ふわりと微笑んだネーヴェルの顔を気まずさから直視できず、イチノは曖昧な笑みを浮かべながら視線を逸らす。

 震えるだけで何も出来ず、あまつさえ大の男が女の子に助けてもらったという情けないシチュエーションの前に、イチノは惨めな気持ちを抑え切れなかった。


――どうやら、女の子を背中に庇い、魔物相手に華麗に立ち回るような"ラノベの主人公の真似事"は、自分には無理らしい。


 思わず漏れる溜め息を噛み殺し、イチノはネーヴェルが倒した兎頭の死骸を見つめる。

 と、再びネーヴェルがイチノを庇うように槍を構えた。


「――ッ!?」


 その行動の意味するところを察し、数瞬遅れて自分達の周囲を取り囲む複数の気配を感じ、イチノは顔色を変えて辺りを見渡した。

 気付けば、先程の兎頭の仲間と思しき複数の個体が木陰や岩陰からじっと2人を見つめていた。


 数は6匹ほど。体格は先程の一匹よりも大きい。頭頂部が成人男性の腰くらいの高さまである。 


 それに加え、かなり殺気立っているようだ。どうやら、ネーヴェルが始末した小さな個体は群れの子供だったらしい。

 歯をガチガチと鳴らし、憎悪を剥き出しにして威嚇してきている。


「ひっ……」


 思考が再び恐怖に支配される。それなりの体格を持つ醜悪な化け物が複数匹、殺意も露わに凶悪な牙を曝しているのだ。イチノと同じ立場にあれば、恐怖を覚えないほうがどうかしているだろう。

 それでも、自分を庇うネ―ヴェルに縋り付かなかったのは、彼がなけなしの勇気を振り絞った結果だった。


「イチノ様、大丈夫。落ち着いて」


 生まれたての小鹿のように足を震わせるイチノを安心させるように、ネーヴェルは穏やかな声音で告げる。


「あなただけは何があっても、どんな事をしてでも、私が絶対に守るから」

「ネウさん……」

「私が合図したら、全力でジャンプして」

「……わかった」


 周囲を取り囲む兎頭の群れを牽制するように、油断なく槍を構えているネーヴェルの言葉に頷くイチノ。

 兎頭達はじりじりと包囲網を狭めてきている。あと身体一つ分でも近づかれれば、一斉に襲い掛かってくるだろう。


 間合いを計っているのか、押し黙るネーヴェルを見守りつつ、イチノは軽く屈伸して硬直した足を解す。


 そして――


「イチノ様、跳んで!」

「――!」


 ネーヴェルの鋭い声が耳朶を叩いた瞬間、イチノは全力で上空へ跳躍する。

 一気に10メートル程の高さまで跳んだイチノを確認することなく、ネーヴェルは己の身体を深く沈めた。

 獲物が動いたことで反射的に飛び掛かってきた兎頭達を冷酷な眼差しで見据え、槍を大きく振り被る。

 彼女の身体から紅く揺らめく陽炎が立ち昇ったと思いきや、赤い残光を残して槍の穂先が消えた。


 一回転。豪快に薙ぎ払われた槍が兎頭達を残さず真っ二つにしていく。

 吹き飛ばされた兎頭達は臓物を地面にぶちまけ、悲鳴ひとつあげることなく絶命した。

 直後、イチノが地面に降り立ち、戦慄した表情で周囲を見回した。

 凄惨な有り様だが、吐き気を催したりはしない。この程度、過去に目撃した人身事故のショッキングなシーンに比べれば、どうという事はなかった。


「……すげぇ」


 一振り。たったの一振りだ。


 圧倒的な力で敵対者を蹂躙したネーヴェルは槍を振るって血糊を払うと、つまらなそうな表情で背中に収める。


 ポテンシャルでいえばイチノも決して劣ってはいないのだが、如何せん覚悟やら度胸やら経験やら、色々なものが圧倒的に足りていない。彼が無数の敵を相手に武器一本で無双をする日は果てしなく遠い。そんな日が来るのかすら定かではないのだが。

 自分は今しばらくネーヴェルの背中に隠れることになりそうな予感をひしひしと感じ取り、イチノはがっくりと肩を落とした。


「それにしても、これどうしようか……」


 地面を転がる肉塊を前に悩む。流石に放置はマズイだろう。血の臭いに釣られて他の魔物が寄ってくるという話はラノベの鉄板だ。元の世界においては、せいぜい鮫がヤバイというくらいの認識しかないのは秘密である。

 しかし、地面に穴を掘って埋めるにしても、この大きさの魔物を6匹分は相当に手間だ。現実的ではない。


「アイテムとして異次元ポケットに突っ込めないかな?」


 そう呟いたイチノは最も綺麗な死骸である兎頭の子供に手を添えた。

 ちなみに、異次元ポケットとはMENU画面のアイテム欄のことである。たった今考えたらしい。


「おっ!」


 アイテムとして認識されたのだろう。兎頭の死骸が消えたのを確認したイチノはアイテム欄に目を通してみた。


――兎頭の死骸(小)×1


 名前が兎頭として登録されているのは気にしない方向で。


「おー、これぞご都合主義ってやつだな!」

「……魔物の死体ってアイテムなの?」


 一連の行動を黙って見ていたネーヴェルが少しばかり驚いたように言葉を漏らす。

 イチノの異次元ポケット自体は珍しくないようだが、『死体はアイテム』などという、ゲーム内での固定概念――すなわち、彼女の世界における常識――を打ち崩す光景の前には流石に動揺したようだ。


 何はともあれ、イチノは兎頭の死骸を全て異次元ポケットに収納すると、ネーヴェルと共に再び道なりに沿って歩みを進めた。


 目指すは人里である。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ