その15
フィルティマを出発してから凡そ3時間弱。
徒歩で移動するにしては大分距離がある――と思うのは、イチノが日本の近代的な都市に住んでいた故の感想だろう。
異世界に限らず、現代日本でも俗に言う田舎と呼ばれる場所では、目的地まで徒歩数時間というのは別段珍しくない。
とはいえ、移動に数時間も掛けるというのは、流石に時間が勿体無い――そう考えてしまうのは、日々を緻密なタイムスケジュールに追われる社畜日本人ならではの感性だろうか。
イチノが持ち込んだ所持品の中には、元のゲームの世界観にはそぐわないような、実に近代的なマウントアイテムが幾つかある。よくある"どこぞとのコラボレーション"で実装されたアイテムなので、世界観がぶち壊されるのも当然といえば当然なのだが……。
いずれは、これらのマウントアイテムを移動用の足として解放してみるのも良いかもしれない。一応は、戦闘補助に騎乗と色々こなせる優秀な魔物なので。
なにはともあれ、無事にフィルティマの南東に広がる森林地帯へ到着した一行は、各々分散して依頼された薬草の採取に勤しんでいた。
それなりに広大な面積を誇る山岳地帯であり、当然ながら魔物も多く生息している。麓にも稀に魔物が降りてくる場合があるらしい。
これまで採取に赴いた地域に比べると、危険度は大分増している。
それ故に、今までの採取依頼は茶色ランクだったのが、今回の依頼は一段階上の黄色ランクとなっていた。
だからといって、この程度の差は、イチノとネーヴェルの前では誤差にすらならない。ちなみに、傭兵斡旋所の規定では、自らのランクより一段階上の依頼までなら普通に受けられる。
しかし、今回に限っては少々事情が異なる。
今この場には、イチノとネーヴェルの他に、アッシュとクラウスという2人の少年がいる。
道中で聞いた話なのだが、なんと彼ら、魔物との戦闘は先のグミンが初めてであり、それ以前はまともな武器すら手にしたことが無かったという……いや、グミンに翻弄される彼らの闘い方をみれば一目瞭然ではあるのだが。
何が言いたいのかというと、つまり、つい先日までは平和を謳歌するいち農民に過ぎなかった人間が、翌日いきなり剣と弓を持って血生臭い世界に飛び込んできたということだ。
色々とぶっ飛び過ぎていて、「これはアカン……」とイチノが思ってしまったのも無理からぬ話であろう。
というわけで、薬草の採取はネーヴェル達に任せて、イチノは周辺の警戒をしていた。
今の彼らと魔物――例えばゴブリン等――と出会ってしまったら、まず間違いなく殺されてしまうだろうから。
まぁ、今のところはイチノも魔物との戦闘経験は片手の指で数える程しかないので、あまり彼らを上から目線で見れないのだが。
針葉樹が生い茂る山の斜面の中で、なるべく平坦且つ踏み鳴らされた山道を登っていく。
雑多に生い茂る草花の中から、目的の薬草を見つけ出すのはイチノでは少々時間が掛かるが、ネーヴェルは当然として、少年達にとっても然程難しいことでもないようだ。事前の宣言通り、慣れているというのは本当らしい。
ペースでいえば、イチノが1本の薬草を見つける間に、少年達は2~3本程の薬草を見つけている計算になる。
用意していた複数の麻袋は、見る見るうちに薬草で満たされていった。
「まっこんなもんだろ」
「どうでしょう、これで足りますか?」
アッシュとクラウスが、これでもかと薬草を詰め込んだ麻袋を持ってイチノの元にやってきた。
大サイズの麻袋をきっちり満たしてみせた少年達は、満足気な表情を浮かべている。
「あぁ、それだけあれば十分だよ。ありがとう」
そう言って、麻袋を受け取ったイチノはさっさと異次元ポケットに収納した。
以前は、異次元ポケットの使用には慎重な姿勢をみせていたイチノだったが、だんだんと誤魔化すのが面倒臭くなってきた現在においては、大っぴらに人前で使うことこそないものの、ごく少数の人間しかいない時には逆に堂々と使用するようになっていた。
いざ追及された時は、「秘密です」の一言でゴリ押しする所存である。
人間は疚しいことがある時こそ、堂々としている事が肝要なのだと、最近になって悟り始めたイチノであった。
そんな折、イチノが異次元ポケットに麻袋を収納する様を目撃したクラウスが興奮したように声をあげる。
「すごい! それってもしかして『ギフト』ですか!?」
「えっ、ぎふ……? あ、あぁ……まぁそんなもんかな……?」
クラウスが言うギフトとは、その人物しか持たない特別なアビリティやスキルの事をいうのだが、そうと知らないイチノは曖昧な返答しかできなかった。
しかし、あながち間違いでもないので特に問題はなかったりする。
「へぇ、イチノってギフト持ちなのか、いいなぁ。ギフト持ちってことは、当然レアリティも高いんだろ?」
「あぁー……どうかな。それよりも、今見た事は内緒で頼む」
苦し紛れに、有耶無耶にする形で答えるのが精一杯なイチノ。己のレアリティが0だなんて口が裂けても言えない。
そこへ、ぱんぱんに膨れ上がった麻袋を背負ったネーヴェルが戻ってきた。
「ん。終わったよ」
「お疲れ様、ネウさん。相変わらず、早いね」
ネーヴェルが採取した量に唖然とする少年2人を放置して、大サイズ麻袋を3袋ほど受け取ったイチノは素早く異次元ポケットに仕舞い込む。
これで、薬草が詰め込まれた大サイズの麻袋を計5つ入手したことになる。依頼達成となる量は中サイズ1袋分である事を考えると、追加報酬だけで依頼報酬を大幅に超えることは間違いない。
今回はアッシュとクラウスの尽力もあったので、この分の報酬も分配することになった。
さて、無事に指定の薬草を採取し終えたところで、後は街に帰るだけとなったのだが、
「それにしても、何のイベントも無く終わっちまったなー。どうせなら、魔物の一匹でも出てきてくれりゃ良かったのに」
「えぇー……さっきあれだけボコボコにされたばかりじゃないか。少しは懲りようよ」
アッシュの軽口を聞き咎めたクラウスが呆れた顔を見せる。
とはいえ、アッシュとて本心からそう望んでいるわけではない。あくまで、退屈を紛らわせるための冗談のつもりだったのだ。
問題は、その一言が立派な"フラグ"足り得てしまったことだろうか。
現実とは、時に神懸ったタイミングで無慈悲を突きつけてくる。
「――来る」
「えっ!?」
ネーヴェルの短い一言の意味を察し、狼狽するイチノ。ちなみに、魔物が来ることに怯えたのは事実だが、それ以上に、アッシュの台詞を「見事なフラグだなぁ……」なんて内心で苦笑していたところへ、本当に来てしまったことに動揺した。
こればかりは、奇運という他ない。
僅かに遅れて、イチノもこちらへ近付いてくる気配を察知する。数は6体。山林を悠々と闊歩しているのか、速度は遅い。
向こうはまだイチノ達の存在に気付いていないようだ。
「イチノ様、どうする? パパッとやっちゃう?」
「えっと、逆に今すぐ逃げるってのは?」
「まず間違いなく、途中でバレる」
「むむむ……」
「なにがむむむ……こほん。でも、身を隠して、やり過ごすことならできるかも。ここらへんは香り高い薬草の群生地だから、人間の体臭も誤魔化せると思うよ」
2人の不穏な会話から、本当に魔物が迫っていることを察したアッシュとクラウスが顔色を青くする。
「おいバカアッシュ! 君のせいで本当に魔物が来ちゃったじゃないか!?」
「なっ!? ふっざけんな! 俺だって、こんな展開マジで望んでなんかいねぇよ!!」
ギャーギャーと喧しく騒ぎ出す少年二人組を無視し、イチノは顎に手を添えて唸る。
アッシュとクラウスには安全な場所に隠れてもらい、ネーヴェルと自分で迎撃することが一番リスクが少ないと考えたが、基本的に事なかれ主義である彼は『触らぬ神に祟りなし』『命大事に』の精神から脱却することはできなかった。
「よし、ここはやり過ごそう。無闇に藪を突く必要はないしな」
「ん」
キリッとした顔でそう決断するイチノ。一見すると、冷静に物事を見定め、気丈に振る舞っているようにみえるが、内心では魔物の存在にビビりまくっている。
しかし、隣にいるネーヴェルの存在が心の支えとなり、何とか体裁は保てていた。
イチノは、狼狽える少年達に魔物をやり過ごすことを伝えると、素早くその場から移動する。
――そして、隠れるのに丁度いい草むらに身を顰めた5分後、魔物の一団が彼らの前に姿を現した。