その14
「俺はアシュトルム。親しい奴からはアッシュって呼ばれてる。隣にいるのは幼馴染のクラウスだ。いやぁ、それにしても助かった! あんたら強いんだな!」
「本当に助かりました。僕達だけなら、今頃どうなっていたか……」
深緑色の髪の少年アッシュは気安く。クラウスと呼ばれた紺色の髪の少年は丁寧な仕草で。
口々にお礼を述べる少年達に対し、イチノは「あ、あぁ……無事で何より……」と、曖昧な笑みを浮かべるだけに留めた。ネーヴェルの方は既にいつもの無表情に戻っている。
「ホントだよな。あと少しでフィルティマに着くってところで、魔物にボコられるなんてツイてないぜ……いや、助けてもらった俺達は寧ろツイてるのか?」
そう口走り、ひとりで頭を悩ませるアッシュを、イチノは残念そうな眼差しで見つめた。
彼らはフィルティマで傭兵登録を済ませたいらしく、生まれ育った村を出てきたばかりなのだという。正直なところ、イチノは傭兵斡旋所へ向かうことを止めてやりたくて仕方がなかったのだが、そこは本人達の意志を尊重して、何も言わずに黙っていた。
まぁ、これも彼らにとっては良い人生経験になるであろうと楽観的な思考で締め括る。
さて、皆が和気藹々?と談笑するまでの間に何があったのかいえば、一方的に嬲られる少年達を見かねて、イチノが道端に転がっていた小石をひとつ、グミンに向けて投擲し、退治したのである。グミンの肉体が投石によりバラバラに砕け散ったのは言うまでもない。
その後、治癒魔法を掛けてやり、彼らの怪我を治してやったところ、感謝されて今に至るというわけだ。
改めて言うが、グミンという魔物はハウヴンスクにおいて正真正銘最弱と認定されている魔物である。一方のグミン側も己の弱さは自覚しているらしく、普段はどこに隠れているのか定かではないが、滅多に生き物の前に姿を現すことはない。
しかし、一度相対してしまえば、子供でもスリングショット等で撃退できてしまう程度の、本当に弱い魔物なのである。
とはいえ、滅多に遭遇できないうえに、彼らが稀に残す真核は薬品関連の材料として相当な高値で取引されるので、一部の間では幸運の象徴とも言われていたりするのだが。
そして、イチノの異次元ポケットには件のグミンの真核が収まっていた。運良く、投石で爆散せずに済んだそれを、彼らはせめてものお礼として譲ってくれたのだ。
当初は、無知に過ぎる少年達に真核の価値を教えたうえで、受け取ることを拒否しようとしたのだが、そのうえでも尚、貰ってほしいと請われたので、後で換金した際に山分けすることを条件に受け取ったのである。
それはさておき、後で山分けするといってもイチノ達はこれから依頼をこなしにメド―山へ赴かなければならない。フィルティマへ向かっていた少年達とは完全に行き先が反対方向だ。さてどうしようかと頭を悩ませていたところ、アッシュがとんでもない事をのたまった。
「お、俺達がその依頼を手伝ってやるよ! これでも村にいた時は、よく山の中に入って山菜や薬草を集めていたんだ。な、クラウス」
「そ、そうですね……。アッシュの言う通り、薬草採取は僕達も慣れていますので、お力になれると思います。何より、助けていただいた恩をお返しもせずに別れてしまうのは、こちらとしても心苦しいですし」
チラチラと、イチノの隣で静かに佇むネーヴェルの方を盗み見る少年達。その頬は僅かばかり紅潮しているようだ。
一応、これでもフードを深く被って目元などを隠した状態なのだが、その程度では滲み出る彼女の魅力を誤魔化し切れるものではないらしい。
この様子では、本心半分、下心半分といったところだろう。思春期真っ盛りな子供らしい、実に分かり易い反応である。
まぁ彼らの下心はともかく、最弱の魔物にすらボコボコにされるようでは、はっきり言って足手纏いにしかならない。というより、付き纏われては、正直、鬱陶しい。
そこでイチノは「山の中ではどんな魔物が出てくるかわからない。いざ厄介な魔物が出てきたときに、君達を守ってやれる自信がないんだ」と、やんわり断ろうとしたのだが、彼らはその時は見捨ててくれて一向に構わないと言って聞かなかった。
建て前だけでは、本音を悟ってもらえなかったらしい。イチノは内心で溜め息を吐きつつ、とりあえずネーヴェルに判断を委ねることにした。
「ネウさん、どうする?」
「ん。採取の腕はどうでもいいけど、あの人達からこの世界のお話を聞き出して、色々と情報を集めたいかな?」
「ふむ……」
後ろ向きなイチノの思考と違い、ネーヴェルは前向きに物事を考える。いや、違う。イチノが後ろ向きにしか物事を捉えていない時こそ、ネーヴェルは敢えて前向きに物事を考えるようにしているのだ。
そんな彼女の気遣いに気付くことなく、イチノはネーヴェルの判断に従う。
「わかった。君達がそれで良いのなら、薬草採取の依頼、手伝ってほしい」
「任せてくれ!」
「あの、ところでお2人のお名前を窺ってもよろしいですか?」
アッシュが嬉しそうにガッツポーズをとる横で、クラウスは幾分か冷静な声で言った。
「おっと、そういえば自己紹介がまだだったね。俺の名前はイチノ。隣にいるのは――」
「妻のネーヴェルです。よろしく」
さらりと紡がれた台詞に、周囲一帯が凍り付いた。
いや、そうではない。凍っているのは、アッシュとクラウスの両名と、その周りの空気だけだ。
「え……? その、2人は夫婦なのですか……?」
「……」
あからさまにショックを受けたような表情でそう問うてくるクラウスに対し、「いいえ、違います」と言えないイチノはひたすら黙秘する。
「ん、私とイチノ様は夫婦だよ」
代わりに、ネーヴェルが声に微かな喜色を乗せて答えた。
「さらには、さま付け……だと……?」
震える声音で呆然と呟くアッシュの、どこか暗い眼差しがイチノを捉える。
明らかにハイライトが弱い目線から逃れるように、イチノは慌てて明後日の方向に視線を向けた。
トドメとばかりに、ネーヴェルがイチノの腕を己の胸の中に抱いたことで、アッシュとクラウスは揃って肩を落とした。
今の彼らの心境を推し量ることは、恐らく神様にしか成し得ない……こともないかもしれない。
しばらくして――
アッシュとクラウスの体力を気遣い、少しだけ休憩した一行は、依頼された薬草が生える山林地帯を目指して歩みを再開していた。
道の幅は広いので、4人が横に並んでも十分に余裕がある。
「はぁ……こんなにショックを受けたのはメリーの奴が隣村へ嫁に行っちまった時以来だぜ……」
「あの時は荒れたよね……主にアッシュが」
深く溜め息を吐き、どこか重い足取りで歩くアッシュを見て、苦笑するクラウス。
存外、彼らの立ち直りは早かった。
少年達の年齢くらいになれば、色々と多感な年頃である。失恋の一つや二つ、既に経験済みのようだ。
まぁ今回の場合は、彼らからすれば、始まる前に終わったというべきなのだろうが。
それはさておき、そこそこ規模の大きい農村出身だというアッシュとクラウスだが、彼らが背負う武器はその実力に不釣合いな程に立派な代物だった。
まず、アッシュの武器だが、身の丈とほぼ同等の大きさを誇る両手剣である。
相当に使い込まれたのであろう。どこか歴戦の猛者に通じる、いぶし銀の鋭さを内包している。
見た目を片刃に似せた両刃の剣であり、特徴的なガード部分の中央には魔力を感じさせる石――所謂、魔石と思しき物体が嵌め込まれていた。
ほぼ間違いなく、レア度でいえば星4以上に相当する逸品だろう。
次いで、クラウスの武器だが、こちらは長弓のようだ。何やら魔物の素材を用いているらしく、弓は赤い光沢を放っている。
かなり凝った外見をしており、同時に相応の筋力がないと弦を引く事さえ難しそうである。
こちらも弓から強い魔力を感じるあたり、星4相当の武器に違いない。
こう言ってはなんだが、明らかに分不相応な武器を所持している少年達に興味を覚えたイチノは、彼らの持つ武器の経緯について聞いてみることにした。
「ところで、君達が持っている武器、随分と立派な物だな」
「あぁ、これは傭兵だった俺の爺ちゃんの形見なんだ。クラウスが持ってる弓も同じだぜ」
こくりと頷くクラウス。
自分の武器を褒められて嬉しかったのだろう。アッシュは己の両手剣やクラウスの弓が、元々は互いの祖父の所有物であったことを明かす。
彼らの祖父も、今のアッシュとクラウスのように幼馴染であり、若い頃に生まれた村を飛び出して傭兵となったそうだ。
そこで活躍して、ある程度の財産を築いた後に満を持して引退、生まれ故郷に戻って悠々自適な余生を送ったらしい。
そんな己の祖父に憧れたアッシュとクラウスは、今は亡き祖父たちと同じように傭兵として活躍する道を志し、両親や周囲の反対を押し切って村を飛び出したのだという。
そう語ったアッシュは、「傭兵になる前に、早速死に掛けたけどな!」と陽気に笑った。
彼らは、自分にはない"モノ"を持っている。
そう感じたイチノは、朗らかに笑い合うアッシュとクラウスが少しだけ眩しく見えて、僅かに目を細めた。
しかし、立場でいえば、今のイチノも彼らと何も変わらない。
完全に未知の世界を、ネーヴェルという唯一無二のパートナーと共に、これから旅していくことになるのだ。
この先、辛い事も沢山あるのだろうが、やはり夢にまで見た異世界である。
自分がハウヴンスクに飛ばされた原因、元の世界への帰還方法を調査することも大事だが、もう少し気楽に、自由にこの世界を楽しんでも罰は当たらないのではないか。
――少年達の、若さ故のエネルギッシュで無鉄砲な姿勢を目の当たりにして、イチノはちょっとだけ自分の心も前向きになれた気がした。