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その12

「よくぞ御出で下さいました、異世界の英雄様。ようこそ、ハウヴンスクへ。我々はあなたの来訪を心より歓迎致します」


 そんな台詞を聞かされてから、丸二日が経過した。


 私は必死に否定したのに、彼らは全く耳を傾けてくれなかった。

 内部に星が浮かぶ透明な球。台座に据えられ、中身を水で満たされた大きな銀色の杯。これらに手で触れるよう指示され、言うとおりにしたら大袈裟に騒ぎ出すとか、まるで意味が分からない。

 レアリティ6だとか、能力が計り知れないだとか、いったい何のことやら。


 美しい絵が描かれた天井を眺めながら、深く息を吸い込んだ。


 身体を包み込むベッドの清潔な香り、豪奢なシャンデリア、優美な彫刻が施された家具の類。何もかもが慣れない。

 なのに、奇妙なくらい心は落ち着いている。私の他に召喚されたもう1人の男も同じような事を言っていたし、もしかしたら、こちらの世界に飛ばされた過程で色々と弄られたのかも。


 まぁ今更言っても詮無い事かな。


 さて、己の身に何が起こったのかを簡潔に纏めよう。俄かには信じがたい事だけど、私はどうやら異世界とやらに飛ばされたらしい。

 さらには、こちらの世界に召喚される際に色々と記憶を改竄されたらしく、自分が何者だったのか、どこに住んでいたのかが思い出せない。

 いや、全く思い出せないわけじゃない。自分が以前は地球という惑星の日本という国家に住んでいた人間の女であるという事だけは、記憶の片隅に転がっている。

 そして、今の自分は直前まで夢中になっていたオンラインゲームのマイキャラクターになっているという事実もちゃんと認識できている。


 あぁ、そのゲームの内容も覚えているみたい。自分の記憶は定かじゃないのに、ゲーム時の記憶だけはしっかりと留めてあるって、どういう事なの。


 ……とはいえ、それだけだ。それ以外の事は何も覚えていない。自分の名前や住所、家族を含めた知人友人など、以前の私の情報がすっぽり抜け落ちてしまっていた。

 地球で培った知識や常識は全て覚えているのに、己の事だけが分からない。

 それでも、私の心に恐怖や焦燥、郷愁といった感情はなく、妙にこの世界がしっくりくる感覚だけが残っている。


 何だか、髪の毛に蜘蛛の糸が引っ掛かった気分だ。その明らかな『違和感』が凄く気持ち悪い。


「リンネ様、御加減の方は如何ですか?」

「うん、大分良くなったかな。心配掛けてごめんね」

「謝る必要などございません。リンネ様は私の全て。貴女様に奉仕する事こそ、私にとっての無上の喜びなのです」

「色々と重いんだけど……。でも、ありがとう、スレイ。貴方が傍にいてくれて、本当に心強い」

「光栄の極みにございます」


 リンネとは、私がゲームで使っていたメインキャラクターの名前だ。本名が思い出せないから、今は自分の名前として利用している。

 そして、私を甲斐甲斐しく世話してくれる紳士然とした初老の男は、私のパートナーキャラクター。名前はスレイ。

 執事服を着こなす姿はどこからどう見ても人間にしか見えない。けれど、彼は人間じゃない。

 彼の正体は『ペイルライダー』。ゲーム上では最高の位階(ランク)である第三位階の亡霊属であり、れっきとした"魔物"だ。


「食欲があるようでしたら、夕食を運んできますが。如何いたしますか?」

「そうね、流石にそろそろお腹減ったかも。お願いしてもいい?」

「畏まりました。少々お待ちください」


 そう言って、軽く頭を下げてから部屋を出て行くスレイを見送り、私は気怠さを無視して大き過ぎるベッドから抜け出した。


 乱れた髪を整える為に、鏡台の前に腰掛ける。


 そこには、鮮やかな金の地毛に細長く尖った耳を持つ、俗に言う『エルフ』と呼ばれる美少女がいた。

 自分で美少女というのもあれだけど、そのようにキャラメイクしたのだから仕方ない。城の連中も随分と浮ついた目付きで私を見てくれたくらいだ。

 当然ながら、以前の自分の顔の造形がどういうものだったかは思い出せない。ただ、明らかにこの顔よりは顔面偏差値的に劣っていたと思う。


 私の容姿はさておき、私達がこの世界……ひいては、この『デルキア帝国』とやらに呼ばれた理由は至極単純なものだ。

 曰く、大陸に恒久的な平和を齎す為に、是非とも力を貸してほしいのだと。要するに、世界征服したいから一緒に戦ってくれという話だ。

 無論、そんなのお断り。

 勝手に呼びつけて、記憶を奪って、帝国の為に殺し合えとか、ふざけるなと怒鳴り散らしてやりたい。帝国が世界を征服する前に、私が帝国を完膚なきまでに滅ぼしてやりたいくらいだ。

 しかし、現状、あからさまに敵対するのは得策じゃない。私達はこの世界に対して、余りにも無知に過ぎる。

 今は叛意を疑われないように、程々に帝国の信用を稼ぎつつ、情報収集に徹しよう。

 そして、タイミングを見計らって帝国から脱出する。できれば、私達を呼び寄せたあの忌々しい魔導具も破壊したいところだけど、それは難しいかも。


 一緒に召喚された男は……どうでもいいか。皇帝の話に食い付くような馬鹿だったし、捨て置く。彼も私と同等レベルには強いみたいだし、いざとなれば自分の事は自分でどうにかするだろう。彼のパートナーキャラクターだって、私のスレイに劣らない程度には強いみたいだし。

 問題は、私達より先に召喚されて、この世界に馴染んでしまったらしい同郷人の"先輩"だ。あの人はヤバイ。無論、力の差的な意味ではなく。

 帝国や皇帝に忠誠を誓っているわけではないようだけど、余程美味しい思いをしてきたのだろう。完全に帝国の犬に成り下がっているようだった。

 現状の生活を守る為なら、同胞だろうが何だろうが、躊躇いなく殺すに違いない。倫理観なんてとっくに捨て去ったような危ない目付きしてたし。

 私が帝国から逃げ出そうものなら、猟犬として真っ先に追跡してきそうだ。

 まぁ、先輩への対策はもう少し情報を集めてから練るのが妥当かな。


「お待たせ致しました、リンネ様。夕食をお持ちしました」


 身嗜みを整えた後、鏡に映る自分をボーっと見つめていたところへ、スレイが夕食を乗せたサービスワゴンを押しながら帰ってきた。

 彼の顔を見て、微かな安堵が胸を過ぎる。

 右も左も分からない私にとって、この世で唯一、心から信頼できるパートナーだ。

 遠慮無く甘えられる相手が傍にいる。それが、こんなにも嬉しいものだとは今まで思いもしなかった。


「どうぞ、お召し上がりください」


 テーブルに手際良く並べられた夕食を前にして、昨夜から何も食べてなかったお腹が猛抗議を始めた。

 献立は、黒パンに羊肉の煮込み料理、白身魚のムニエルと野菜サラダ、数種類の果物盛り合わせだ。

 見た目は豪華で美味しそうだけど、いざ食べてみると思いの外、味が単調だった。正直な話、そんなに美味しくない。羊肉の煮込み料理などは、肉の臭みがあまり消えておらず、食べ進めるのが少々辛いくらいだ。一応、子羊の肉を使っているらしく、臭みは大分マイルドだとか。となれば、大人の羊になったら……想像したくないなぁ。

 どうにもレベルの低い食事だけど、これでも王族や力のある大貴族しか食べられないような豪勢な内容なのだという。魚料理、新鮮な野菜や果物があるのがその証拠だ。

 この世界の運輸業は未発達である為、足の速い食べ物などが食卓に並べば、それだけで一種のステータスになるらしい。

 昨夜の晩餐会の時に『先輩』から教わった。この世界の御馳走といえば、質ではなく量なのだと。なるほど、美味しいご飯はしばらくお預けになりそうだ。


 兎にも角にも、ぐうぐううるさい腹の虫を宥める為に、千切ったパンをさっさと口に放り込む。


「硬い……」

「黒パンですから」


 ぽつりと出てきた私の愚痴に、スレイが苦笑した。

 この世界では、まだ白パンが出回っていないらしく、専らカチカチの黒パンが主食となっている。誰か、早く白パンを作ってくれないかな。

 仕方ないので、スープに浸して柔らかくして食べた。


「――ところで、例の"迷い人"の件ですが」


 そのまましばらく夕食を食べ進めたところで、頃合いを見計らっていたらしいスレイが口を開いた。


「やっと結論が出たの?」


 迷い人。

 ここにはいない、最後の1人。便宜上、私が勝手にそう呼んでいるだけだけど。

 本来なら、帝国には私を含めた3人の異世界人が召喚されるハズだったらしい。

 ところが、実際にその場にいたのは2人。残る1人は召喚の最中に謎の抵抗があったとかで、ハウヴンスク内に呼び寄せることには成功したものの、その座標は召喚地点から大きくズレてしまったのだとか。


 帝国の上層部は、その取りこぼした残りの1人をどうするか、ようやく答えを出したようだ。


「帝国全土、及び、近隣諸国へ極秘裏に捜索隊を派遣し、発見し次第、城へお連れする算段のようです。とはいえ、迷い人に関しては圧倒的に情報が不足していますから、捜索は難航するでしょうな」

「あくまで放っておくつもりはない、か」

「そのようですな。放置した結果、敵陣営に取り込まれでもしたら厄介、とでも考えているのでしょう」

「厄介、ね……」


 そう。帝国は私達の力を歓迎すると同時に恐れてもいるみたいだった。

 私からすれば強くなった実感なんてないから、イマイチ理解できない感情だ。

 そもそも、怖がるくらいなら呼ばなきゃいいのにって思う。


「私から見ても、彼らは脆弱ですから。圧倒的な力の差を恐れるのも無理からぬことでしょう」

「私にはそこらへんがよくわからないんだけど、私達と彼らってそんなに違うの?」

「違いますな。例えるならば、彼らは子鼠、我らは恐竜といったところでしょうか。城に常駐している兵士の能力を基準とするなら、ですが」


 そこまで違うのか。

 鼠からすれば、恐竜なんて歩く災害そのものじゃない。よくそんな危ない存在を自国へ招聘しようなどと考えたものだ。

 異世界召喚の先駆けである先輩の懐柔に成功し、調子に乗っているのかもしれない。

 それとも、私達を縛れるだけの何かが、他にもあるのかな。

 何だか、また気が滅入ってきた……。


 私は手早く夕食を片付けると、席を立つ。


「ちょっと外の空気を吸いたいんだけど、付き合ってくれる?」

「畏まりました」


 気分を変える為に、スレイを伴って部屋を出た。

 散歩ついでに、城内の構造を把握しようと思う。


「――おや、リンネ様ではありませんか」


 唐突に名前を呼ばれ、声がした方向に振り向いてみると、そこには明るい茶髪に爽やかな笑みが似合う美男子が佇んでいた。

 立派な鎧の上から丈の長いコート型の衣を纏い、肩パッド付きの外套を羽織っている。白色を基調としているようで、遠目からでも結構目立つ装いだ。

 彼が果たして強いのかどうかは、今の私では判断できない。ゲームにあった『調べる』コマンドがあれば、色々と楽だったのに。


「貴方は、えっと……」

「白竜近衛騎士団で副団長を務めております、ヴィサール・マクシムと申します。以後、お見知りおきを。美しいレディ」


 そう言うや否や、騎士の男は目の前で跪くと、私の手を取ってそっと口付けしてきた。

 ぞわっと鳥肌が立ち、反射的に手を引っ込めてしまった私を一瞬だけ呆けた表情で見つめた後、彼は困ったように苦笑した。


「少々、無礼が過ぎたようです。お許しください」

「いえ……」


 何ていうか、流石は異世界文化。平気で気障な真似をしてくる。

 ヤバイ、こういうのは生理的に受け付けないみたいだ。蕁麻疹が出そう。今度から注意しようっと。


「体調を崩されていたそうですが、もう大丈夫なのですか?」

「はい。大分良くなりました。今は気分転換がてら、軽く散歩に出ようとしていたところです」

「なるほど。それでしたら是非、私に城内の案内人を務めさせてはいただけませんか?」


 妙に絡んでくる男だ。この言葉も、善意などではなく、彼なりの思惑あってのものだろう。

 けど、今に限っていえば、この申し出は都合がいい。

 城内を見て回るにしても、私達のような新参者が単独で徘徊しては、周囲にいらぬ不信感を与えてしまうだろうから。

 ここはひとつ、虫除けになってもらおうかな。


「厚意に甘えさせていただきます。この美しい城の見所を案内してもらえますか?」

「お任せ下さい。さぁ、こちらへどうぞ」


 人の良い笑みを浮かべるヴィサールが、あからさまに距離を詰めて私の隣に並ぶ。

 咄嗟に距離を取りそうになる身体を意志の力で何とか抑えつけ、共に廊下を歩き出した。

 ここで少しでも仲良くなっておけば、後で色々と融通が利きそうだし。


 ……そう思案しつつも、さり気なく、後ろを付いてきてくれるスレイの姿を確認してしまった私は臆病な女だった。


 ◆◆◆


「まだ城を外から見た事はないけど、歩き回った感じだと、相当大きいみたいね」

「敵の侵入対策も抜かりないようですな。中々に凝った通路設計になっています」


 たっぷり1時間は掛けて案内されただろうか。

 様々な施設を解説入りで紹介され、予想外に時間を食ってしまった。

 とはいえ、そのおかげで城の構造の大部分は把握できたので良しとする。これで、逃げ出す際に城内を迷う事もないだろう。


「で、どう? 何とかなりそう?」

「城内に常駐する兵士が約5千人。話を聞いた限りでは、城外の各軍施設に総計約3万人。城内の兵士を駆逐するだけでしたら、私単独でも1時間程で可能でしょう。"ご同輩"が邪魔をしなければ、の話ですが」

「そう……。きっちり監視されてるみたいだったし、やっぱり今逃げ出すのはリスクが高いわね。予定通り、もう少し様子を見ましょうか」

「それが得策かと存じます」


 スレイが一礼し、サービスワゴンを返却しに、部屋を出て行った。

 私は精神的な怠さを覚え、ぱたりと顔面から枕に突っ伏す。


 歯を磨いたら、朝までもう一眠りしよう。

 明日になったら、あのヴィサールを利用して情報収集開始だ。


――私は必ず、元の世界に帰ってみせる。


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