その10
「しかし、異世界に来てから昨日の今日でフラグが立つとは……流石に想定外だ」
げんなりした態度で依頼書が張り出されている掲示板を覗くイチノは、どこか疲れたようにボヤいた。
彼の隣ではネーヴェルが何を考えているのかわからない無表情で、同じように掲示板を覗いている。
少々面倒臭い事態に見舞われたものの、どうにか傭兵として活動可能になったイチノとネーヴェルの2人は、一刻も早く異世界の仕事に慣れようと、早速ブラウンランク専用の依頼掲示板の前に足を伸ばしていた。
一定の間隔を空けて他のランクの掲示板が並んでいる光景は、やはり役所染みた趣を感じさせる。
依頼が張り出されているエリアに佇む人影は疎らで、思っていたよりも紙を手に取る傭兵は多くない。過疎といえるほど少なくもなかったが。
傭兵同士で和気藹々としている気配は一切なく、少し物寂しい空気だ。
とはいえ、恐らくは上位のランクであろう掲示板を見つめている傭兵には、さり気なく周囲の視線が集まっているあたり、少なくとも他人に関して無関心というわけではなさそうである。
場を占拠する傭兵達の中ではそれなりに見栄えのする装備に身を包んだ男が、一枚の紙を手に取って受付へと去って行った。きっとあの紙にはランクに見合った報酬が提示されているのであろう。
だが、今のイチノ達には関係ない。いずれは、とも思うが。
初心者は初心者らしく、身の丈に合った依頼を地道に遂行するのが成功への近道なのだ。
「大体、レアリティ査定ってなんだよ、あんなん反則だろ。序盤の異世界テンプレイベントは厄介事の雰囲気を匂わせつつ、華麗にフラグを回避するのが定番だろ?」
「そうなの?」
「俺が知る限りではね」
「ふーん」
さして興味も無さそうに頷くネーヴェル。そんな彼女の態度を気にするでもなく、イチノは張り出された依頼書の内容をざっと流し読んでいく。
ミミズがのたくったような奇怪な文字は、一見すれば何が書いてあるのか全く判別できないものの、イチノとネーヴェルは問題なくその意味を理解していた。
恐らくは、この世界に召喚された際に何かしらされたのだろうが、便利であることは確かなので思うところは特にない。
「イチノ様、これ受けたい」
「うん? どんなの?」
「薬草採取」
「おおっ異世界ひよっこ冒険者の定番、薬草採取とな。まさか、本当に自分がこの手の仕事を受ける日が来ようとは……色々と感慨深いぜ……」
ネーヴェルが示す依頼書の内容は、2種類の薬草を一定数積んできてほしいといったものだった。報酬は銀貨2枚。採取の上限はなく、数に応じて別途で報酬を上乗せしてくれるらしい。
銀貨2枚は日本円にして考えると約2千円だ。日給としては少々安いように思えるが、この世界の物価が低い事を考えると、そう割の合わない仕事でもなさそうである。
「この世界の薬草がどんな物か知りたいの。ねぇ、これ受けよ?」
「ああ、なるほど。やっぱ錬金術師としては気になるんだ? そういうの」
「ん」
上目遣いでおねだりするように擦寄ってくるネーヴェルに対し、高鳴る鼓動を悟られないようにイチノは冷静を取り繕う。
クラフトスキル『錬金術』を極めた彼女からすれば、未知なる異世界の薬草は大いに興味をそそられるのだろう。その瞳はキラキラと擬音が付きそうな程に輝いており、まるで新品の人形を欲する幼き童女のような雰囲気を醸し出していた。
「わかった。これ受けようか」
「ん!」
初めて受ける依頼としては、可もなく不可もなく。イチノとしても依頼内容に文句はない。
ネーヴェルの言い分にも納得したイチノは依頼書を掲示板から毟り取ると、カウンターへ向かった。
「すみません、この依頼を受けたいのですが」
「承りました。傭兵カードの提出をお願い致します」
受付嬢にそれぞれのカードを提出し、手早く依頼の受諾を済ませる。
「依頼書を受理致しました。この依頼に期日は設定されておりません。お気を付けていってらっしゃいませ」
「あの、すみません。出掛ける前に薬草を保管しておく為の袋を入手したいのですが、どこで売ってますか?」
「それでしたら、こちらで大中小の3サイズをご用意できますが、お買い求めになられますか?」
テーブルの下から淀みない動作で三種類の袋を取り出す受付嬢。材質は麻布に近いのだろうか、かなり丈夫そうな見た目をしている。
「あ、ここで買えるんですか? それなら中2枚、小2枚お願いします」
「畏まりました。合計で銅貨8枚になります」
お金を払い、麻袋を手に入れたイチノは袖の中に入れるように見せかけつつ、異次元ポケットへ収納する。
様子見で中と小のサイズを2枚ずつ買っておいた。それぞれスーパーの買い物袋の最大サイズと最小サイズに近い。これなら薬草を保管するのに不足はないだろう。
「では、改めまして。お気を付けていってらっしゃいませ」
「はい、いってきます」
業務用スマイルを浮かべる受付嬢に軽く会釈し、イチノは踵を返して玄関口を目指す。歩きながら読むつもりなのか、その手には先程貰った傭兵指南書が携えられていた。
ネーヴェルも彼の袖の端を控え目に握りつつ、大人しく後ろに続く。
いざ、異世界初のお仕事へ。
◆◆◆
受けた依頼を遂行すべく、徒歩でひたすら移動すること凡そ一時間弱。
日もすっかり昇り、お昼もそろそろかという時刻になって、イチノはうんざりしたような表情で言う。
「うへー……遠すぎだろ、常識的に考えてさ」
「イチノ様、貧弱過ぎ。こんなの遠いうちに入らないよ」
「そう言わんでくださいな。こちとら、文明の利器に甘やかされて育った筋金入りの現代っ子ですよ?」
徒歩10分以上掛かる移動には、基本的にバスか自転車を用いてきた身である。長距離の徒歩移動なぞ、学生時代を最後にとんと無縁だった。
弱音の一つも出てくるというものだ。
「ごめんなさい、ちょっと何言ってるか分からない」
「ですよねー」
だが、ネーヴェルにはイチノの言葉が理解できなかったらしい。然もありなん。
別に肉体的な疲労があるわけではないが、変わり映えしない景色の中で長時間ひたすら歩き続けるというのは、イチノのような現代もやしっ子には精神的に辛いものがあった。
それはともかく、ようやく目当ての薬草が生えているという目的地の森に到着した。
地平まで続く草原を浸食するように、徐々に背の高い木々が景色の中に混じり始めたあたりで、まるでそこだけ別世界のように鬱蒼とした樹海が姿を現したのである。
薄暗く、どうにも陰気な雰囲気がチラつく不気味な森林地帯だ。
外周を見ただけでは凡そ計り知れないほどの広大な面積を占めるその森は豊富な材木や薬草、多くの動物が住み付いており、地元民にとっては私生活に欠かせない重要な土地らしい。
水質が綺麗な湖畔などもあり、そこに生息する淡水魚は臭みが無く美味しいのだそうだ。
ただし、森の深部には人に仇名す危険な動植物、俗に言う魔物が我が物顔で闊歩しているようで、地元民は決して奥までは足を踏み入れないように注意しているとのことだった。
それでも、魔物のテリトリーを荒しさえしなければ、比較的安全な資源の宝庫だという。
情報源は勿論、先程頂戴したガイドブックである。
「さてさて、お目当ての薬草はどこに生えてるのかね」
ガイドブックの記述に従って、薬草の群生地と思しき箇所へ向かう。
森の奥へずんずん歩みを進めていき、やがて樹木が生えていない空間に辿り着いた。
まるで、そこだけ時間の流れから取り残されてしまったかのように、丈の低い植物で埋め尽くされている。
人為的に整えられた形跡もないことから、自然に生まれた空き地らしい。
周囲一帯も小動物の姿こそ見受けられるが、大型の動物が息を潜めている気配はない。
ここに到るまで、そう大して時間は掛かっていないことから、魔物が出る心配も少ないだろう。
「ん、見つけた」
依頼された薬草は二種類。さて、どんな形をしているのかとガイドブックを開いたところで、早くも発見したらしいネーヴェルの声が耳に届いた。
イチノはぎょっとしてネーヴェルに振り返る。
「えっ!? ちょっと早過ぎじゃない? 俺なんて、まだ薬草の形すら把握してないのに……」
「見ただけで、何となく分かるから」
「なにそれしゅごい」
彼女が極めた錬金術というクラフトスキルは、ゲーム内において専門のアイテムを作製するだけでなく、錬金術に関わるアイテムの採取効率などにも大きく影響する。
スキルが成長すれば、フィールド上に分布するアイテムを分析しただけで、そのアイテムの名称や取得方法、用法等を知ることができる程だ。
それ故に、この世界でもクラフトスキルが個人の能力に直接的な影響を与えていると考えるのであれば、彼女の薬草の採取速度にも納得がいく――とかなんとか思考を巡らせている間に、イチノが渡した中サイズの袋はどんどん膨らんでいく。
まるで超能力でも使っているのかと問い質したくなる速度で薬草を見つけ、葉や茎、根っこを一切傷付けることなく、素早く摘んでいく姿は圧巻だ。
その仕事ぶりは迅速且つ大胆且つ丁寧であり、無駄な動きが一切ない。素人目から見ても超一流の職人芸であることが窺える。革手袋越しとは思えない繊細な手付きである。
イチノがそれぞれの薬草を発見し、一本採取する間に、ネーヴェルは依頼された分の採取を全て終えてしまった。
流石はその道のプロ、効率と能率の次元が違った。
結局、イチノが持っていた中サイズの袋も「私が採取した方が早いから」と取り上げられ、中身はネーヴェルが満たしてしまった。
依頼した分の薬草はそれぞれ小サイズの袋で事足りる為、中サイズに詰めているのは別途報酬分である。
やる事が無くなったイチノは、時刻的にもそろそろ昼になることを察し、そろそろ昼飯を食べようと思い至る。
せっかく用意してもらった弁当だ。食べなきゃ勿体無い。
黙々と採取に勤しんでいるネーヴェルを視界の隅に収めつつ、辺りを軽く散策し、休憩に丁度いいスペースを見繕った。
半ばから折れ、大地に倒れて久しい苔の生えた幹に目を付けたイチノは、徐に異次元ポケットから長剣を取り出すと、背負った大杖の代わりに装備した。
鞘から剣を引き抜き、白刃をひんやりとした森の空気に曝す。
そのまま、冷たい輝きを湛える剣を徐に構えると、滑らかな動作を残して軽く水平に切り払った。
残像とでもいうべきか、イチノの上半身がコマ送りのようにブレたかと思いきや、気が付けば倒れた幹の上部がぱっくりと乾いた切り口を晒している。
イチノは長剣を鞘に収め、手早く異次元ポケットに仕舞うと、代わりに『キャンプ用シート』を取り出して、幹の上に被せた。
何故にイチノがこんなアイテムを持っているのかと問われれば、面倒臭いことにゲーム中ではこの『キャンプ用シート』がないとフィールド上で休憩できない仕様にされていた為であり、キャンプ用シートは例外なく全プレイヤーにとっての必需品となっていたが故である。ちなみに、シート別に回復効果の優劣まで設定されているという実に嫌らしいオマケ付き。ガチャの景品にもされ、プレイヤーと運営の間に様々な物議を醸してくれたA級戦犯だ。
それはさておき、幹の周囲はちらちらと申し訳程度の雑草が生えているくらいで、基本的に土が剥き出しとなっている。腰を落ち着けるには持って来いの環境といえるだろう。
綺麗な水平の座面のおかげで、幹の安定性も抜群に向上している。これなら、物を置いても問題はあるまい。イチノお手製、即席ベンチの完成と相成った。
イチノはベンチの出来に満足すると同時に、己の身体能力に内心で身震いしつつ、異次元ポケットからお昼の弁当を取り出すと、手際良く並べていった。その隣にお茶が入った竹筒を置く。
竹筒の両端には容器と同じ材質で、尚且つ一回り大きいカップが嵌め込まれてる。宿屋からの借り物なのだが、これがまた結構面白いというか、竹ならではの風情があり、少しばかり物欲に駆られる一品だ。
「これで良し!」
休憩の準備を整えたイチノは腕を組んで頷く。
豊かな自然に囲まれ、倒れた幹の上に置かれたバスケット風の容器と竹筒を木漏れ日が照らす――これぞ、冒険の最中、ひと時の安息を味わうに相応しい絶好のシチュエーションといえよう。
何とも情趣溢れる光景に、イチノは年甲斐もなく心をときめかせた。
そこへ、採取の作業を終えたネーヴェルが足音も無く近付いてくる。
「薬草集め、終わったよ」
「お疲れ様。飯の準備しといたから、少し休憩していこう」
「ん」
短く言葉を返し、ネーヴェルは即席ベンチへ腰を下ろす。イチノは用意しておいた竹筒の蓋を外すと、カップに中身を注いで手渡した。
「ありがと、イチノ様」
「ええんやで」
ネットに毒されていたせいか、イチノの口から妙な関西弁が出るものの、ここはスルー。
それなりに喉が渇いていたらしいネーヴェルはお茶を一気に飲み干すと、人心地ついたように吐息をひとつ。とても色っぽい。
イチノは咳払いしてからバスケットの蓋を外す。下敷きとして敷かれていた包み紙を開き、中身を露出させた。
弁当の内容は黒パンに何かしらの肉と葉菜類が挟まれたサンドイッチ、肉団子とハッシュポテトだった。肉や野菜の名前は色々と地球の呼び名とは異なるので、特に明記しないでおく。
その日の昼に食べる事を前提としているからであろう。日持ちするような素材は使われていないらしい。
その分、味には期待が持てる。
「「いただきます」」
口を揃えて食事前の挨拶を述べ、イチノとネーヴェルは真っ先にサンドイッチへと手を伸ばす。
香辛料の刺激的な香りが鼻腔を突き、思わず出そうになったくしゃみを堪えた。
「――くちゅんっ!」
どうやらネーヴェルは耐えられなかったようだ。
可愛らしい声にイチノは口の端を緩めながら、大口開いてがぶりと一口。
「……ううん?」
サンドイッチに齧り付いたイチノは曖昧に唸り、首を捻った。
黒パンの硬さは仕方ないとしても、割かしキツめ香辛料に、肉は大味でしょっぱさが先に立つ。さらにはパサパサで硬い。別に干し肉でもあるまいに。レタスに似た葉菜も肉の油と汁気を吸ってしまい、びちゃびちゃに萎びていた。
次いで肉団子に手を出してみれば、こっちも大味でパサパサ。口の中の水分を端から吸い取ってしまい、舌に絡まるばかりか喉に詰まる始末である。
ハッシュドポテトも油の質が良くないのか、必要以上にギトギトなうえにべちゃべちゃだ。ポテト風味な粘土でも食べているのかと錯覚しそうになる。
何というか、期待していたほど美味しくない。腹にはずっしり溜まるのだが。
決して食べられないわけではないが、昨夜の夕飯や今朝の朝食と比べると、数段は味が劣る。
この世界で用意される弁当はどれもこんな感じなのだろうか。まだこの世界の常識に疎い2人には判断が付かない。
とにかく、ベッツォが作った食事とは雲泥の差であった。
色々と便宜を図ってもらっている手前、文句を言えないのがもどかしい。
「……美味しくない」
ふと気になって隣を見やれば、ポツリとそんな呟きが聞こえてきた。表情に変化はないように見えるが、よくよく観察してみれば、僅かに眉尻が下がっている。
やはり、ネーヴェルもこの食事はお気に召さないようだ。
「ふーむ」
質の面で物足りない食事をお茶で胃に流し込み、顎に手を当てるイチノ。
異世界での初仕事にて、せっかく場を整えたにも関わらず、昼飯がこのように低レベルでは少々勿体無い。
いざという時の為に温存しておきたかったが、ここはひとつ出してしまおうか。
イチノは異次元ポケットを開くと、調理スキルで拵えた自作のケーキを取り出してネーヴェルに差し出した。元々の仕様なのか、ちゃんと皿とフォーク付きで。
「はい、デザート」
「――!」
美しい見た目のケーキを受け取り、硬くなっていた表情を綻ばせるネーヴェル。
調理師としてスキルを極めたイチノが作ったケーキである。勿論、ただのケーキではなく、付加効果として様々なステータス的恩恵があるのだが、ここでは割愛しよう。
「ん。凄く美味しい、イチノ様」
「そかそか。それは良かった」
次は厨房を貸してもらって、自分で昼飯を用意するのもアリか――そんな事を考えながら、イチノはのんびりとお茶を啜り、口の中に残る油分を洗い流す。
ゲームで鍛えたスキルとは関係なしに、リアルでもそれなりに料理は嗜んでいた。そこにスキルの恩恵が加われば、鬼に金棒だ。……いや、ちゃんと適用される確証はないのだが。しかし、これは完全に勘だが、恐らく何とかなると思う。
「イチノ様はケーキ食べないの?」
「ん? 俺はいいよ。気にしないで食べな」
別段甘い物を好んでいるわけではないイチノは、気にした様子もなく言い切る。寧ろ、気分的にはこの幻想的な風景を肴に、熱燗と干物の組み合わせで一杯やりたい方向に偏っていた。
ゲーム中にも酒類やつまみに丁度良さそうな料理は実装されていたので、事前に作り置いていなかった事を少しだけ後悔している。
「……」
一瞬、押し黙ったネーヴェルはフォークでケーキを一口分切り分けると、言った。
「イチノ様、口開けて?」
「え? ――んむっ」
疑問符を口にしたイチノがネーヴェルに振り返ると、その僅かな唇の隙間にフォークが差し込まれた。
絶妙な角度計算によって、無理なくケーキが口の中に投入される。
舌の上に甘い食感が広がると同時に、フォークが舌の上から引き抜かれた。
「ん」
ケーキを咀嚼するイチノに満足したらしいネーヴェルは、フォークに残ったクリームをぺろりと口に運び、柔らかい微笑を浮かべた。
とんだ不意打ちである。
「ふぇ……」
悠々とした態度のネーヴェルとは裏腹に、イチノは間抜けな声を漏らす。頭の鉄片から爪先まで熱を帯び、弛緩していた肉体が一気に緊張状態へフェーズシフトした。
異世界での初仕事は、思いの外、刺激が強い。
――あくまで、"イチノにとっては"という注釈が付くが。