ぷろろーぐ
全部投げ出して異世界に行きたい。
どうしてこうなった。
鬱蒼と樹木が生い茂る森の中、俺の胸中を占めるのは、そんな意味のない自問ばかり。
多数の人間に周囲を隙間なく囲まれて、殺気にも似た熱い視線をこれでもかと注がれているせいか、途方もない疲労感が足元から全身へ昇ってくる。立っているのも怠いくらいだ。
「手間を掛けさせおって……もう逃がさんぞ!」
「いい加減に観念しなさい!」
豪華で絢爛、またはカジュアルもしくは珍妙な鎧やら衣装を身に付けた目を見張る美男美女達が、勝ち誇った笑みを浮かべて、ねっとりと見据えてきた。その手に携えた様々な得物が、物騒な光を反射させている。
言う事聞かないからって武器を振り回すとか、野蛮だなもう……。
彼らはレアリティ4のRや5のSRといった、人生勝ち組たることを生まれながらに約束された、自らを『神に選ばれし者』と称して憚らないいけ好かない連中だ。
いや、事実として確かに選ばれし者と言えなくもないのが個人的には悔しいところなのだが。
彼らはその瞳を猛る熱意で爛々と輝かせて、少しずつ、ジリジリとこちらとの間合いを詰めてくる。その様はまさしく獲物を追い詰める猛獣の如し。
怖い。
チクチクと肌に突き刺さるプレッシャーが、俺の繊細な胃にダイレクトアタックを仕掛けてくる。
うっ……口の中が酸っぱくなってきた。
「さぁ! 大人しく私(俺)の物になれ!!」
くそぅ。口を揃えて人の私物化を望むなんて、なんて非道な奴らだ!
こうなったら一か八か……!
「わかった……アンタらに従おう……」
両手を上げて降参のポーズ。長い物には巻かれろって言うし、これも世渡りと思って腹を括るしかあるまいよ。
さぁ、煮るなり焼くなり下僕にするなり好きにするがいいさ!
「……」
途端に、きょとんと呆けた顔を一瞬だけ見せた彼らは、そのままフッと酷薄に笑うと、
「糞蟲風情に用などあるか、この戯けが」
「我らの邪魔をするでないわ。レアリティ0の無能は引っ込んでおれ」
「勘違いも甚だしいわね。貴方のような屑、誰が欲しがるものですか。さっさと消えなさい」
まるで排水路の鉄格子に引っ掛かって腐敗している生ゴミでも見るかのような、酷く蔑んだ視線を俺に送ってきた。
「デスヨネー」
うん、わかってた。そういう扱いになるのはね。慣れてるし。もういいんだ。
あれっおかしいな……目から心の汗が止まらないぜ……。
「我らが欲しているのは、貴様のようなゴミではなく――」
「……飛燕裂槍」
ガラスのハートに深刻な打撃を受けて、思わず膝から力が抜けた、その時。
抑揚こそないものの、確かな憤怒の情を感じさせる声が背後から聞こえたと思いきや、空気の裂ける鋭い音が辺り一面に響き渡る。
それと同時に爆風としかいえない強烈な風圧が大地を抉り、囲んでいた人間達の眼を覆い隠すように重厚な土煙を生み出した。
あちこちから悲鳴が聞こえてくるが、あくまで目潰しが目的のようで、直接傷付けたわけではないらしい。
「うわっぷ!? ひえっ――」
視界を埋め尽くさんと迫る土煙を避ける為にそそくさと移動しようとした瞬間、何者かに身体を抱えられ、唐突に視界が上へと急加速した。
何事かと見やれば、透き通るような純白の長髪を靡かせた女の子――俺の嫁!――にお姫様抱っこされていた。
男の俺が、軽々と。まぁ彼女のステータスを考えれば別段おかしな話ではないのだが。
気分はまるで勇者様にピンチを救われたヒロインである。やだっトキメキが止まらない!
少女は俺を抱えたまま手近な木の枝に軽やかな身のこなしで降り立つと、
「……私の主人に暴言を吐く人は嫌い。だから、お断りします」
視線だけを背後に送り、物静かに口を開いた。
「なっ……バカな!? そのような男を本気で庇うというのか!」
「あの噂は真実だとでもいうの!?」
驚愕に目を剥く美男美女軍団を尻目に、アフターケアなど知ったことかとその場から颯爽と飛び去る少女。当然、俺はお姫様抱っこされたままだ。そろそろ降ろしてくれてもいいんじゃよ?
木と木の間を跳躍し、あらゆる景色を置き去りにして、凄まじい速度で移動していく。これぞまさしくNINJAクオリティ。
美男美女軍団からの罵詈雑言が背中に追い縋る中で、
「あぁ、俺へのヘイトが溜まっていく……これでまた敵が増えるんやな……」
キラリと光った目尻から、幾ばくかのしょっぱい水滴が宙を舞ったのは、致し方ない生理現象なのである。