大岡名裁き(ショートショート29)
小雪が舞うお白洲。
南町奉行所の壇上、大岡越前守忠相は白洲に座る二人の女を見すえていた。
一人の名はお雪。
もう一人はお風である。
二人の女の間には幼い男の子がいた。
両名ともに、この子は我が子だと言い張り、双方まったくゆずらないのである。
それぞれの言い分を聞き終えた、忠相。
立ち上がると白州に歩み寄り、それからお雪、お風の両名に申しつけた。
「その方たち、これからこの子の腕を持って引き合うがいい。して、己に引き寄せた方を実母といたす」
それに両名がうなずく。
お雪が子の右腕をつかみ、お風が子の左腕をつかんだ。
――この名裁き、すぐに江戸じゅうに知れ渡り、拙者の名声はぐんと上がるな。
忠相は心の内でほくそえんだ。
双方が強引に腕を引き合えば、子は痛がって泣き叫ぶはず。して、実の母なら我が子の腕を放す。
すなわち子の痛みを思いやり、先に腕を放した方が実母なのである。
ところがだ。
お雪、お風ともに、子の腕を真剣に引かない。ややもすれば、手加減をしているようにさえある。
――ふむ。
忠相はこまった。
お雪もお風も子の腕を強く引かないのである。
それからしばらく見守るも、二人の女はあいも変わらずで、子は泣き出すふうがまったくない。だからといって、強く引けと口出しするわけにもいかない。
忠相はついにシビレを切らした。
「もうよい、やめよ」
お雪とお風がとまどった顔で、そろそろと子の腕を放した。
自由になった男の子は、雪の積もった白洲を無邪気にかけまわり始めた。
――ふむ。
忠相が大きくうなずく。
「では、これより吟味のほどを下す。子の母はお風である」
この裁定にお白洲がどよめいた。
名奉行の大岡越前守のことであるゆえ、裁きに誤りはないのであろうが、母親をお風とした理由がさっぱりわからない。
与力や同心らは顔を見合わせるばかりだった。
むろん二人の女もわからない。なかでも、お雪は忠相の裁定に承服できようはずがない。
「大岡様、理由をお聞かせくださいませ。大岡様は先ほどわたしらに、己の方に子を引き寄せた方を実母にいたすとおっしゃいました。ですがこの女、本気で子の腕を引いておりませんでした。なのにどうして、この女が母親なのでございます」
お雪はお風をにらみつけ、まくしたてるように異議を申し立てた。
「では申し述べようぞ」
忠相はコホンとひとつ咳払いをした。
衆目のなか……。
「子供は風の子と申すではないか」
袴のスソをクルリとひるがえし、
「では、これにて一件落着!」
雪の舞うお白洲を足早に引き上げる忠相であった。