16 テイク2と衝撃事態
気づいた時にはもう遅かった。
今、トンビの身体の至る所は痺れ、彼の思うようにうまく動かない。
「...ふざけやがってっ」
再び体にむち打ちしつつ、剣を持つ右腕を強引に横に、縦に振るうが、目の前のどす黒い霧は未だに晴れず、むしろ剣を振るうにつれてどんどん黒さを増していく気がした。
「せめて...せめて****だけでも」
トンビはずるずると痺れる両足を引きずりながら前方へ走った。走っているのかどうか、外見からはよくわからないが、彼の中では走った。
無我夢中に、痺れる体に体力をごっそりと消耗しつつもただがむしゃらに走り続けた末に、ようやく、彼の求めていた紅の影を視界に捉えた。
「あっ...!」
だが、その儚い夢も目の前で塵となってしまう。
「**********、****」
「...***!」
ザン!
...ドサッ。
「っ...」
一瞬光った一閃の直後、静かに紅の影は地に沈んだ。
一体...何が起こった?何が、どうなった...?!
...事の起こりはおよそ30分程前に遡る―
********************
「え、もうほとんどいないの?!」
トンビは狂乱状態に陥った山賊達を浄化(?)すべく、無傷の朱蓮と再開してからもなお、山賊探しのために集落やら山賊御用達の縄張りやらを回っていた。が、
「ああ...ここには大体50人くらいの現役山賊がいるが、奴らはやっぱり5~6人くらいでまとまって行動する。トンビがいた時に相手した...10人くらい、か?奴らはたまたま少数だったからあまり手こずらなかっただろう?」
「う...うん?」
「まあ、私がお前を考慮して、あまり強い山賊がいなさそうな所に連れて行った、と言うことも無かったこともないが」
「え?!...そう、なんだ」
なんとビックリこの通り、朱蓮のお姉さんは一人でおよそ35人以上もの山賊(ほぼ男&トンビにとっては恐怖でしかない腕持ち)を1時間と数分であっさりとやっつけてしまったのだそう。
ただ、まだ確実に根絶したとの自信は持てず、一応面識のある山賊は全て手あたり次第見つけに行く、と言うような行動を今しているのだそう。
ここまで聞いていたトンビは一つ、こう思ったのだった。
「僕って、一体全体何しに来たんだろう...?」
最近気に掛ける暇が無かったのも認めざるを得ないが、トンビは早く元の世界へ戻らねばならないのだ。今更いう事ではないが、「手を貸してくれ」と言われても手を貸すどころか手枷をはめているような現状、こんなことをやっている意味はぶっちゃけ無いのだ。
まあ、これを放棄した所で行く当ても、探す当ても、ないけれどね...。
「だったら...このままの方がいいのかな」
だって、いろいろ気になる。
本当は非常識なことなんてやってはいけないけれど、ここは『転生界』。赤の他人であり、詳しく知らないトンビからすれば、最近流行りの「異世界転生」としか考えられない。
だったら、って言い方もよろしくないことはトンビも承知だ。
でも、現状トンビは何やらマズいものに巻き込まれている。
「だってさ、〈勇者〉だぜ?このせいで山宗さんとち狂っちゃったんだよ。一体どうして」
「おい」
一人でぶつぶつ言っていたトンビの体が急に軽く浮いた。と、思ったら寒気が立つほどの睨み顔で睨む朱蓮に胸ぐらを掴まれていることに気づいた。
「ぐ...っ、」
「何を一人でぶつぶつと言っているが知らないが」
「いや、ち、ちが...ぅぐう!」
朱蓮はもがくトンビに構わず引き寄せ、地味に首も締めていた。
...ああ、胸ぐらを掴まれると、こんな感じになるのか。
「い、や...そうじゃ、ぁくって」
「この人っ気のない道のど真ん中で一つ命よりも大切なことを教えてやろう」
近くで喋られるのが地味に怖かったトンビは引き離そうとさらにもがくが、その甲斐は無く、むしろぐいっと朱蓮に引き寄せられる結果になった。
「先ほど、お前は長老様の名を挙げていただろう?」
「ぁう?」
「そのことだが、我らヒル山賊では...」
そう朱蓮が言いかけたところで、急に苦しかった首が一気に通気性が良くなった。
ああ、苦しかった...っ!
どさりとその場で倒れつつ、ゆっくり身を起こした途端、トンビは嫌な予感がした。
突如として、霧が二人の周りを取り囲み、進路も退路も埋め尽くしてしまったのである。
「っ!」
ぐるぐると霧は周り、気づけば視界はどんどんぼやけていく。そしてついには、自分の膝を見下ろすのが限界なくらいまで濃くなったのであった。
「朱蓮...これって」
「ちっ。トンビ、さっきまでの話は後だ」
「うん、だけど...」
「余裕はない。剣を引け」
「はいっ!」
トンビは弾かれたように背筋をピンと伸ばすと、右手ですらりと剣を引いて構えた。
気づけば、背中合わせで朱蓮も愛刀を片手に周辺警戒をしているようだった。
...これは勘だけど、おそらく、ここら辺には強い敵がいる。
そう考えてしまうと、トンビは自分の口元がついつい緩んでしまう。相変わらずの悪い癖だ。
「今はそういうことを考えない。これは現実なんだから...!」
トンビは朱蓮に聞こえないくらいの大きさで呟くと、一つ頭を小さく振って気持ちを改めた。
...。
...。
しばらくたっても敵は一向に姿を現わさない。
「...」
トンビがこくりと喉を鳴らしたその時。
「...フッ、こいつは少々厄介だな」
「っ!朱蓮?」
いきなり朱蓮が不気味に小さく笑ったのが聞こえた。ゆっくりと背後を伺ってみると、一瞬、にたりと口元を吊り上げて少し笑っているかのような表情がトンビの片目に映った。
今、見てはいけないもの、見ちゃったよね?うん、見ちゃったよね?!
ここは彼女が早まらないうちに止めなくては...。
「し、しっかりしてよね?!早まらなくても」
「その辺に関しては心配ご無用。それより、余裕がないこの状況で一つ」
「いいから言って?!」
「...」
「...」
「フッ、こいつらは」
「「「下っ端とは呼ばないでいただきたいと以前にも忠告したはずだ、我が主の永遠の宿敵」」」
早く口を開いてくれないか、とトンビが心の中でせがんでいたその時、3人の低めな男性の声が口を開きかけた朱蓮を遮った。
と、同時に、トンビと朱蓮の前方、二人が向かおうとしていた方向から、3人の黒ずくめの男が現れた。身長、服、声、そして動きまで酷似している3人はおそらく三つ子なのか、とも思いつつ、見たことがある忍び装束を見て山賊だと判断した。
霧の原因...は、あいつらと考えていいだろう。
でも、「我が主の永遠の宿敵」って?
「ねえ朱蓮、あの人たちまさか」
「そのまさかが当たっているかは少々不審だが、改めて一つ」
「あの、そこいちいち溜めなくても...」
「剣への手を緩めるな」
「はいっ!」
言われるがままに、緩めていた両手に一気に力を込めた。
少し様子がおかしくても、やっぱり戦闘の心構えはばっちりなんだなーって、それよりの話の進展を!
「で、さっきのは」
「取り込み中失礼する、小僧」
「こ、小僧って...」
再び聞こうとした所で、トンビからみて一番右側にいる山賊の片割れに言葉を阻まれ、トンビはしぶしぶ口を閉じた。すると、3人の山賊はそれぞれ、どこかで見たかもしれないような光景になぞらえるかのように、一人ずつ名乗りを上げ始めた。
「我らはここ近辺に住まうヒル山賊に属する、若者山賊」
「また、若者山賊の中でも尊き我らの主の命を全うする下僕の一味!」
「そして!我らが忠誠を誓う主の名は―」
「つまり、此奴らはあの厭味ったらしい青龍の下っ端だ」
「「「最後まで口を挟まないでいただきたい」」」
「っ...」
が、トンビの思った通り、最終的には朱蓮が容赦なく突っ込み、という展開になった。
...。
なんて言えばいいの、うーん。
「と、とりあえず、皆さん説明ありがとう...?」
辺りは風が吹いていなかったが、トンビの肩周りは少し寒気がした。
「...で、結局この人達は、青龍さんの命でここに来た、ってこと?」
「それは微妙なところだろうな」
「微妙なの?」
「ああ。何せ、此奴らはそこまで青龍に好まれていない。まあ、奴の敵が私と長老様くらい、という現状の時点であまり部下が役に立つとも思えん」
「そう、なんだ」
僕としては、いくら下僕でも固まって一気に襲い掛かって来てしまえば多勢に無勢だと思うのだけど。人数多ければ流石に強い朱蓮も倒れる可能性あるかもしれないし。
まあそこらへんはカットしよう。
「外から来たお前はよく分からないだろうが、山賊の上下関係はそんなものだ。下に落ちた山賊は大人しく下の者同士で手を組むしかない」
「へえ...」
目の前に本人たちがいるにもかかわらず、気にしていないのか、さっきからずっと相手の恥をボロクソに暴露し続ける朱蓮。彼女は相変わらず平然とした顔だったが、対してトンビは、早速内心冷や汗ダラダラ状態だった。
今はまだ...と言うのも良くはないが、まだ彼らは口を開いていない。むしろ、開こうとせずに黙認しているようだが、相手の方としてはそろそろ限界だろう。
これってさあ、相手を挑発しているだけだよね?
「挑発、とは人聞きの悪い。詳細は後々分かるはずだ」
「うーん...」
「ともかく」
言葉を切った朱蓮は愛刀の切っ先をビシッと彼らに向けた。
「このような事態の最中にお前らが単独行動とは珍しい。少々危なっかしい奴の傍らを離れていていいのか?」
あ、やっと本題入ったのね。
「「「...」」」
んん?反応が無い。さすがに手練れの山賊ともなれば、切っ先向けられただけで動じることないとは思ったけど。
「まあ、霧を出すほどなのだから、それほどの自身が奴にもあると伺っているが」
「...」
「「「...」」」
彼らはまだ動かない。
しばらくの沈黙の末、痺れを切らした朱蓮が動こうとしたその時、静かに朱蓮の足元に苦無が刺さった。
...つまりこれは動くな、ということか?
朱蓮も当然ながらに相手の内を察しているようだが、あっさりとその苦無を蹴り飛ばした。飛ばした苦無は低めの放物線を描いて真ん中に立っている山賊の足元にカランと落ちた。真ん中の山賊はそれを無言で拾い、そして...
「おい!前を見ろ!」
ボーっと彼を見ていたトンビは朱蓮の一言に弾かれたように我に返ると、目の前から刃を向けた山賊が襲い掛かってきた。
「...!」
とっさに身を引き、剣を顔の前に構えたが少し遅く、相手の刃が右ほおに切り傷を作ってしまった。
「いっ!」
トンビは右ほおに走る激痛に耐えつつ、急いで後退し、再び剣を構え直した。
「病み上がりで嫌だけど、やるしかないか...」
ぼそっと呟いた一言の直後、再び刃が襲い掛かり、トンビも無理矢理乱戦へ突入したのだった。
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そんな、相手の操る濃い霧の中、朱蓮もルートもいない中で一人、治りかけの腕で振るう付け焼き刃の剣技で熟練の男山賊を相手に戦う圧倒的不利な現状。それに気づいた時にはもう遅かった。
「...ふざけやがってっ」
トンビの頭は一時の混乱をも超え、今はすっかり狂ってしまっている。身体は先ほどまでの泥沼戦ですっかり体力の限界を超え、体のあちこちが痺れて思うように動かない。
こんなボロ雑巾の状態なら普通攻め込まれて一瞬のうちにやられていたはずだ。しかし、敵は一定の間剣を交えた末に姿を消した。あっけにとられたトンビがその後いくら吠えようとも、ヨタヨタ走って剣を振ろうと、誰も現れなかった。そうして無駄時間を潰したトンビはようやく一つの考えに到達した。
つまり、もともと奴らの目的は朱蓮単体だったのだ。
最近入って来たばかりの完全な不審者とも言うべきトンビよりも、彼らは朱蓮を駒の数で叩き潰そうとして、トンビを朱蓮から引き剥がしたのだ。
そうとなれば、話は早い。
「せめて...せめて、身の安全だけでも」
朱蓮の元へ急がねば。
トンビは痺れる体をずるずる引きずり、闇雲に濃い霧の中を駆けずり回った。
そしてついに、トンビの求めていた紅い影と再開できた。
だが。
「あっ...!」
その紅い影は今まさに、その先に立ち塞がる黒い影からの刃を受ける所だった。
...おかしい。
いつもなら、いや、今まで見ていた限りは、こんなところで降伏するはずがない。あれだけ強いと心の中で信じていた影が、今みたいに地に座ったまま、抵抗しようとしないはずがない。
ああ、どうしよう...?!
内心あやふや状態のまま意識が切れかけて視界がどんどん霞む中、最後に紅い影のいる前方から懐かしい声が聞こえた。
片方は男。もう片方は―
「その位で調子に乗るな、部外者め」
「...貴様ァ!」
ああ、待って。お願い早まらないで...!
ザン!
...ドサッ。
紅の影がスローモーションで沈んだのとほぼ同時に、トンビの意識もようやくぷつりと切れた。