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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あの日も今日の様に暑かった

作者: 奈月翼

 山奥へと延びている細長い道をゆっくりとした足取りで歩き進めて行く。

 何度も来ているその道は年を重ねる度にしんどいと思えてしまう。

 ふと足を止めて背筋を伸ばす様に体を起こすと胸ポケットの中に綺麗に折り畳まれているハンカチを取り出すと額から流れ落ちている汗を拭いた。

 自然と視線を上げていくとそこには雲一つ無い澄みきった空が広がっていて、眩しいくらいに太陽が光り輝いていた。目を開けているのも困難な程だ。

 毎年この時期には決まって此処に来ている。

 今でもあの時の事は忘れ様にも忘れられない。瞼の裏に焼き付いているというよりも『今日』という日が来る度に思い出してしまうのだ。

 それなら忘れられないという表現を使ってしまうのは少々可笑しいだろう。

 忘れられないんじゃなく……忘れてはいけない事なのだ。

 歳月が流れてしまえば大抵の事は色褪せてしまうものだろう。楽しかった思い出や苦労に苦労を重ねたあの時でさえ今となってしまえば、どんな風に楽しかったのか、どれくらい苦労をしたのか思い出すのも一苦労だ。それに人の愛情にしたって儚くも脆いものだ。あの時これ以上無いくらいに愛し合っていた者が今では相手の事を鬱陶しいとさえ思えてしまえるのだ。

 まぁ私の場合は幸いな事に未だに仲良くは出来ているのでは無いだろうか。愛情はと聞かれてしまうと答えるのが難しくなってしまうのだが。

 兎に角、記憶というのは非常に曖昧なものであり、もしかすると簡単に消えてしまうのかも知れないという事なのだ。

 単純に自分自身が老いてしまって想起する事が難しくなってしまっているだけと片付けてしまえば簡単なのだろうが……

 けれど幾ら歳月が流れようとも私の様に老いてしまったとしても色褪せずに残り続けている事がある。それは私が二十二歳の時、今から丁度七十年前の話だ。


 川の水が田んぼに流れ、稲を青々と輝かしていた。いや、青々という言葉よりも深い緑色をしていたという方が色合いにも伝わり易いだろう。

 そんな土手道を走り回る子供達の姿。たまに足を滑らせて田んぼの中に頭から突っ込んでしまう子供の姿もこの地域では普通の光景であるのだ。

 私は実家の農家を継ぐと共に近所の知り合いから勧められてお見合いをしたのだった。相手の女性は気立ても良くとても可愛らしかった。私の一目惚れと言ってしまうのも恥ずかしいがそうなのだ。何度か話すうちにお互い打ち解け合って結婚する運びとなった。

 時代のせいにしてしまえば私の責任逃れの様に思われるかも知れないが、決していい暮らしとは言い難いが、それでも妻はいつも笑顔で何一つ愚痴なども溢さないでくれていた。

 本当に有難かった……。

 そんな毎日を過ごしていたある日、兄が夏休みを取って家族を連れて帰って来たのだ。久し振りの筈なのに全くそんな感覚はしなかった。つまり家族というのはどれだけ離れて暮らしていても面と向かってしまえば、そんな事など関係無くなってしまうという事なのだろう。

 しみじみと干渉に浸っていると、兄の足元から女の子の顔が覗いた。とても恥ずかしそうにしているその子は兄夫婦の一人娘である。なので私から見れば姪にあたる事になるのだ。

 子供の成長は早いと良く言われるが、実際に実感した瞬間だった。久し振りとは言え、きっと一年も経っていない筈なのだ。でも確実に以前会った時よりも大きくなっているし、何だか女の子としての顔つきにもなっていた。

正直なところ私にはまだ子供は居ないし、末っ子という立場上自分より歳が少ない家族というのを持った事が無かったせいもあるのか、私はこの姪がとても可愛らしく思えた。だが、きっと私以上に私の両親の方が可愛いと思っているだろう。なんせ初孫なんだもん。

両親は今日の為にプレゼントを買って準備していた。

父親が押入れの中から紙袋を取り出して、姪に渡す。

とても喜ぶ姪。

「おじいちゃん! 開けてもいい?」

 可愛い声でする姪の質問に父親は緩み切った表情で、あぁ良いよと答える。

 紙袋の口を塞いでいたテープを器用に外して中から取り出したのは綺麗な金髪の長い髪をした人形であった。

 それを見た姪の表情はきらきらと輝いていた。きっと姪の欲しがっている物を事前に調べておいたんだなと視線を両親に向ける。

 これでおじいちゃんとしての株がまた一つ上がった訳だ。

 凄く喜んでいるのは姪だが、おじいちゃんも負けてないくらいきっと喜んでいるんだろうな。

 そんな訳で久し振りに家族で揃う事が出来た時間はとても幸せを感じる事が出来た。小さい頃はみんなが当たり前に居て、一緒に過ごして居る事に特別な感覚なんて感じた事など無かったけど、やっぱり離れてみて分かるものってあるんだと私はしみじみ感じたのだった。

 翌日朝早く兄夫婦は実家を後にした。手を繋がれて歩いて行く姪だったが、たまに振り返って大きく手を上げてくれた。私と両親はその姿が角を曲がって消えるまでずっと見送っていた。次に会える時はもっと大きく成長しているんだろうな……

そんな事を思いながら家の中に入ろうとドアに手を掛けた時ふと空を見上げる。今朝の空は一段と天気が良く、きっと今日一日暑くなるぞ。

ドアを開けて中に入る。

あと少ししたら畑に行かないといけないと準備をしていた時だった。遠くの方から微かにエンジン音がした。ずっと遠くの方だったから特に気にする事も無かったが偶然にも耳に入ってきたのだった。

そして時計の針が八時十五分をさした時だった。

途轍もない爆音が鳴り響き家が揺れるというよりも兎に角『全部』が揺れた感覚だった。それだけでも生きた心地はしなかったが、少し遅れて爆風が吹き荒れた。

とても凄まじいとしか言い様が無いほどだ。この世の終わりとはまさにこの事なのかと思えた。

暫くして恐る恐る窓を開けると、そこには空一杯の大きさもあろうかと思える程のキノコ雲が見えた。

これまで少なからず二十数年生きてきたが、雲がこんな形になるなんて事が信じられなかった。しかし信じるも何も今、たった今目の前に広がっている事こそが現実なのだ。

何も言葉を発することも出来ず、ただただ見ていた時母親が言った。

「……お兄ちゃん達は?」

 その言葉は胸を抉られそうな感覚になった。何故ならキノコ雲がある方向こそが兄夫婦が帰って行った方角なのだから。

 結局その後、兄夫婦とは連絡は取れなかった。きっと巻き込まれたんだ……それが現実としての答えだろう。

 そして数日後、私はあの時あのキノコ雲のしたで何が起こったのかを目の当たりにした。

 広島の街が何処にも無くなってしまったという現実を。

 痕跡が残ってるとかそういう問題じゃなかった。痕跡どころか起こった実情がそのまま残っていた。あちらこちらに人の形とは呼べない肉片が飛び散り、焼け焦げていた。生々しい血が蒸発した匂いは何とも言えなかった。

 かろう時で生きている人だって、正直生きている様には思えなかった。だって布でグルグル巻きにされて血が満遍なく滲んでいたし、どんな顔をしているのかさえも知る事は出来なかった。

 無残な光景は今日という日が来る度に思い出される。それはまるで昨日の事の様にハッキリと目の前に現れるのだ。


 止めていた足を前へと運んでいく。毎年決まってこの日に私は兄夫婦と姪に会いに行っているのだ。

山奥の先にある三人が眠るお墓へに毎年決まって行くのだ。

あれ程楽しみにしていた姪が成長していく姿を結局あの日を最後に見る事が出来なくなったのが私はとても悲しく感じている。

読んで貰い有難う御座いました。僕自身広島出身者として8月6日という日を頭の片隅の方でも構いませんので、こういう事があったというのを置いて貰いたいと思います。基本こういう歴史的な小説を書くのは苦手なんですが何か出来る事は無いかと考えた末、僕には『書く』事しか出来ませんのでこの作品で一人でも多くの方に知って貰えたらと思っています。それでは乱文駄文失礼しました。

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