BadEnd Night
リノリウムのひんやりとした床に横たわる、小柄な人影。
くるんとカールした睫毛に縁取られた焦げ茶色の双眸は大きく見開かれているが、その中に生を感じさせる光はもはや宿っていない。
ふっくらと柔らかそうな唇は何かを言いたげに半開きのまま。
その端から顎を伝って首筋、そして床に滴り落ちるのは真紅のどろりとした液体。
筋肉がまるで発達していない細く華奢な手には黒光りする拳銃が握られており、その銃口からはまだ発射の名残である煙が細くたなびいている。
じわりじわり、と【彼女】を中心としてぬめりのある深紅の液体が床に広がっていく。
ふわりと広がった、彼女自慢の黒髪をも赤に染めて。
すっかり生気のなくなったその唇が、どうして、と小さく動いた。
どうしてなの?あたしはただ、みんなを助けたかっただけなのに。
どうしてあたし、死ななきゃいけないの?
ねぇ、誰か教えてよ。
この物語は、どうやったらハッピーエンドを迎えられるの?
はじまりは、5月の連休後。
その日、一人の少女が緊張した面持ちで古びた校舎の前に立っていた。
彼女の名は、笹原 美咲。
両親の海外赴任の都合で、この人里離れた全寮制の学園に転入してきた根っからの都会っ子だ。
良く言えば歴史を感じる、素直に言えば古めかしい建物を目の前にした時、彼女の脳裏に突然前世の記憶が蘇った。
といってもどこでどうしてどんな暮らしをしていたか、なんという名前で何歳まで生きていたか、などは霞がかかったかのように曖昧で、代わりにはっきり覚えているのは親友の少女がしきりに勧めてきた、とあるゲームのことばかり。
彼女自身プレイすることはなかったが、親友からしつこいくらいに聞かされたキャラクターの基本情報やスクリーンショットを見せられたゲームスチルなどは何故か鮮明に覚えており、そのお陰で今現在自分が置かれた状況がゲームのオープニングスチルとそっくりであることがわかった。
(……え?ってことはもしかしてあたしが……主人公ってこと!?)
どんなゲームなのか、具体的には殆ど知らない。
ただその親友は、家の都合で高校2年の時に突然全寮制の学園に入ることになった主人公が、あらゆるイベントをこなしつつ数多くあるエンディングの中からハッピーエンドを掴み取る物語だ、とそう熱く語っていた。
そして、主人公以外のメインの登場人物は誰も彼もお約束のように美形であること、その美形達とイベントを起こして仲良くなり、ところどころで発生するアクションパートで助けてもらったり、時には甘い言葉を囁かれたりするのだと。
なぁんだ、それじゃこれって乙女ゲームなんだ。
美咲は安堵した。
アクションパートがあるということで少々不安を覚えていたが、それも仲良くなった【攻略対象】に助けてもらえるのなら、主人公である自分はきっと守られているだけでいいはずだ。
肝心の【攻略対象】についてはきっと会えばわかるはずで、そうすれば自然とイベントも起きるはず。
プレイ経験のないゲームの世界に転生、という不安要素満載の設定であるにもかかわらず、彼女は楽勝ムードな気持ちで古めかしい門をくぐった。
(えーっと、まずはサポキャラに会わないといけないのよね)
サポートキャラとは、どこからともなく現れて主人公のお手伝いをしてくれる、言わばゲームの【良心】である。
個人情報保護法に引っかかりそうな【攻略対象】のデータを熟知していたり、GPSでも仕掛けてるのかと疑いたくなるほど位置情報に詳しかったり、果てはどうやって知ったんだと問いただしたいほど主人公に対する好感度を把握していたり。
ゲームをやりこんだエキスパートならいざ知らず、ゲーム情報を殆ど知らない初心者プレイヤーにとっては神様にも等しい導き手、それがサポートキャラだ。
このゲームにも主人公のサポートキャラは存在する。
名前は柊 花蓮。
明るい茶色の髪にブルーグレーの瞳、という日本人離れした外見の彼女は驚くほど聴力が発達しており、自然とあらゆる情報が耳に入ってくるのだという。
外国育ちであるからか出会った当初からかなりフレンドリーに接してくれる彼女は、とある回避不可能なイベントを介して正式に主人公のサポーターとして情報提供を約束してくれるようになる。
のだが。
「おっかしいなぁ……サポキャラって同じクラスのはずなんだけど、それらしい子いないんだよねぇ」
そう、編入から2週間が経とうとしている今も、美咲はサポートキャラとなるはずの花蓮に会えずにいた。
さりげなくクラスメイトにそんな子がいないかと聞いてみたが、「さあ」とか「知らない」とか曖昧に誤魔化されるだけだ。
(こうなったら、その強制イベントの発生まで待つしかないわよね)
親友からの情報では、その最初の強制イベントは主人公が編入してから2週間後。つまり時期的にそろそろだ。
発生場所は学園の前にある中庭、時間は寮の消灯時間後である午前0時。
教室に携帯電話を忘れたことを思い出した主人公が、夜中にこっそり寮を抜け出して中庭に入り込み、そしてイベントに遭遇するというのがその内容なのだが。
「…………あ」
その時彼女は、思いだした。
引っ越す前に幼馴染から貰った大事なお守りを、更衣室に置きっぱなしにしてきてしまった、ということを。
結果、携帯電話ではなかったがイベントは起きた。
こっそり校舎に忍び込もうと中庭を小走りで駆け抜けていく途中、何かに躓いて彼女は転んでしまう。
そしてその躓いたのが自分と同じ制服を着た少女であることに気付き、どうしたのと肩を揺すろうとして
「きゃあ!」
そのあまりの冷たさに、手触りの硬さに、驚いて飛び退く。
そしてポケットに入れてあった携帯を開き、そのぼんやりとした明かりで足元を照らしてみると。
「ひっ、…………」
(お、お、思い出した……っ!これって、これって、ホラー系ゲームじゃないのぉぉぉぉぉっ)
そう、ゲーム好きであった前世の彼女がどうして親友お勧めのこのゲームをプレイしていなかったのか。
それは、このゲームがホラーをベースにした世界観であったからだ。
恐らく同級生だろう死体を目の当たりにして、そこでようやく彼女は自分の置かれた主人公という立場の危うさに気付き、恐怖からガタガタと震えながらも必死で親友の話を思い出そうと頑張った。
『あのね、このゲームってある程度好感度が上がったキャラが仲間に加わってくれるんだけど、その仲間になったキャラと駆け落ちエンドっていうのもあるの。そりゃ、全部謎が解ける方がいいにはいいけど……それまでに犠牲者は一杯出るし、死体描写も妙にリアルだから心くじけちゃう人続出みたい』
「……そうだ……駆け落ちエンド……これを狙えば、もしかしたら」
具体的にどうすればいいのかまでは、美咲にもわからない。
だがとにかく誰か協力者らしき人物を見つけ、その人の好感度を一定以上にあげる。
そうすれば恐らく、どこかで選択肢が出てくるに違いない。
もしかすると相手の方から「逃げよう」と誘ってくれるかもしれない。
他に情報はなかったか、と再び前世の親友の声を蘇らせる。
『ああそれからね、サポキャラっていうのがまた曲者でね……基本的にいい子なんだけど、とにかく死亡フラグが立ちやすいの。なにかってーとすぐ死んじゃうのよね、まぁ主人公を孤立させるために狙われてるんだけど』
「うしろのしょうめん、だーあれー?」
「ひゃあっ!!」
急に背後から聞こえてきた涼やかな歌声に、美咲は飛び上がらんばかりに驚いた。
振り返るべきか、このまま駆け出して寮まで逃げ帰るべきか。
迷っているうちに声の主はくすくすとおかしそうに含み笑いをしながら彼女の正面に回り、しゃがみ込んで視線を合わせてきた。
「夜の学園で肝試しですか?編入早々、マイナス10ポイント獲得で生徒指導室行きですよ。笹原美咲さん」
「あなた、は……」
おそるおそる視線を上げた先にあったのは、懐中電灯の光に照らされる明るい茶色のロングヘア。
そして、悪戯っぽい光を宿して美咲を見下ろすブルーグレーの双眸。
(リボンの色は先輩だけど……でも、この顔って。まさか)
「私は風紀委員長の柊花蓮です。ひとまず笹原さん、生徒手帳出してくださいね」
とにかく死亡フラグが乱立するというサポートキャラ、何故か3年生を示すリボンをつけた柊花蓮がそこにいた。
それからというもの、美咲は花蓮に付きまとい始めた。
同じクラスでもフレンドリーでもなかったが、とにかくやっと見つけたゲーム攻略のための糸口なのだ。
多少設定が違うくらいでは、彼女は諦めなかった。
学年が違うためさすがに1日中というわけにはいかなかったが、朝は登校時間を調べて待ち伏せし、昼は学食で席を取って待ち、帰りも花蓮の委員会活動が終わるまで待って。
ストーカーの如く、彼女は花蓮に張り付いた。
美人で気取ったところもなく裏表もない花蓮に憧れる生徒も多く、一時は美咲もそのファン達の制裁対象に挙げられもしたのだが……幸運なことにちょうどその場を通りかかってくれた先輩に救われ、難を逃れた。
「何してるの。カレンはこういうの、一番嫌いだって知らないのかな?」
そう言って困ったように笑ったその先輩に、美咲は見覚えがあった。
(この人、確か癒し系先輩……!ってことは攻略対象キター!!)
親友に見せてもらったゲームスチルでは青髪というありえない色合いだったが、今目の前にいる柔らかな顔立ちの美形は艶やかな黒髪をしている。
二次元イラストと三次元の現実という違いはあるが、それでも美咲にはピンときた。
目元の泣きぼくろも、ふんわりとサイドから流した前髪も、笑うと人懐っこいワンコのような雰囲気になるその顔も、イラストを見せられた時『これ一番好み!』と指名した彼にそっくりだ、と。
彼はそんな美咲の葛藤など知らず、振り向いて柔らかく笑った。
「ごめんね。君、編入生でしょ?彼ら、基本的にいい子達なんだけど、カレンが絡むとちょっと過激になるらしくてね。君もカレンのファンなら、彼らの気持ちわかってあげてね」
「いいえっ!あたし、花蓮さんのお友達になりたいなって!」
「友達?カレンの?」
へぇ、と呟いた声は低く、目を細め美咲を見下ろす表情は高校生だというのに艶っぽい。
ドキドキと心臓が高鳴り、顔が赤くなるのを意識しつつ次の言葉を待つ美咲に、彼は
「…………変わった子だね。うん、でも気に入った。僕は3年の橘 瑞生。これからよろしくね」
と、優しげに笑った。
それからというもの、美咲と花蓮と瑞生という三人が一緒にいる光景が、学園のあちこちで見られるようになった。
花蓮と瑞生が一緒にいるところに美咲が割り込む、という状況ではあったが。
それでも彼らのファンは何も言わず、時折美咲を恨みがましい目で見る者がいるくらいで、順調に日々は過ぎていく。
美咲は有頂天だった。
何しろ一番のお気に入りであった橘瑞生とお近づきになれたのだ、これほど物腰柔らかで生徒会長、学年1位という完璧なスペックを誇る彼が【攻略対象】でないわけがなく、それならもう少しすれば協力者として名乗りを上げてくれるに違いない、もしかすると甘い言葉を囁いてくれるかも。
そんなことを考え、夜に一人で部屋で悶えたりもした。
憧れか、それとも恋か、判別のできない感情を彼に対して抱いていることも自覚して。
そうしているうちに、彼女は気付いた。
(なによ、サポキャラが仕事してないじゃない!サポートどころか邪魔よ、邪魔!)
瑞生は確かに美咲を受け入れ構ってくれるが、しかしそれには花蓮が傍にいることが大前提である。
どうやら彼らは幼馴染であるらしく、どんなに美咲が可愛らしく擦り寄っても、頑張って瑞生だけの時に特攻をしかけても、彼はするりと笑顔でそれをかわしてしまう。
花蓮も花蓮で瑞生が傍にいることを嫌がるでもなく、かといって美咲が来るのを不快そうにすることもなく、三人でいる現状を受け止めているというように見える。
美咲にとって、花蓮はサポートキャラであり瑞生は攻略対象である。
つまり、ある程度お近づきになれたらもう花蓮が傍にいる必要などなく、むしろ彼女が傍にいることで攻略が進まなくなることに、徐々に苛立ちが募ってきてしまった。
そんなある日、美咲の脳裏に悪魔が囁いた。
『花蓮は死亡フラグが乱立するキャラなのだから、イベントに連れて行って死んでもらえばいい』
コツン、と誰かの足音が聞こえる。
目の前は真っ暗で何も見えない、だが美咲にはそれが誰なのかわかっていた。
自分以外で唯一、この場にいた人物……彼女の手に拳銃を握らせ、引き金を引くようにと甘く囁いた男。
(なんで?どうして、この人が……)
「あははっ、なんで?って顔してる。そっか、君……この【ゲーム】のこと何も知らないんだね?まぁ知ってたら、僕に近づこうなんて思わないだろうけど」
「?」
「この世界はねぇ……アクション要素アリのホラーアドベンチャーなんだよ。しかも、敵は美形揃いの生徒会役員。その敵を交渉次第で自分側に引き入れて恋愛エンドっていうのもあるけど、まぁおまけだね。君はどうやら乙女ゲームか何かと勘違いしてたみたいで、必死に僕を攻略しようとしてたけど。馬鹿だね、カレンに構わなきゃ見逃してあげたのに」
夜の学園についてきて欲しい、と美咲が頼み込んだことで、風紀委員である花蓮は仕方なく監視の名目で同行せざるを得なくなった。
そして美咲の目論見通りイベントが起き、殺人鬼と化した【誰か】が暗闇から襲ってきたところで、美咲は花蓮を突き飛ばすようにしてその場を駆け去ってきた。
最も死にやすいと言われたサポートキャラを、犠牲に捧げたのである。
「残念なお知らせ。カレンは無事だよ、当たり前じゃない。だって僕の部下達が、僕の大事なカレンを襲うわけないでしょ。その辺ちゃんとしつけてあるからね。……さて、と」
そろそろ逝ってくれない?
低く嘲るようにそう言って、瑞生は美咲が握っていた銃を握った状態のまま持ち上げ、
ズドン!
静かな校内に、再び銃声が低く響き渡った。
BADEND No,9 【無知なりし者】
セーブデータがありません
最初からゲームを始めますか? Yes / No




