涙で濡れた目のまま
大きな木がある。幹は太く、見上げると高いところにはが生い茂っている。この場所に来た道のりの記憶はない。けれどこの木には見覚えがある。わたしは何度かこの場所に来ている。
足元を見るとわたしは影の中にいる。この木の陰だ。風に揺れて木の葉がこすれ合う音が聞こえている。
わたしの認識では、季節は冬。けれど、肌に感じる空気や風は温かい。
この場所には今回もきっと彼がいる。
振り向いた先にある建物、階段の上には賽銭箱……賽銭箱の横に人影がある。その人影は賽銭箱を背中を預けて退屈そうに本を読んでいた。
「こんにちは」
わたしはあいさつをしながら歩き出す。
「こんにちは……ボクはあなたがこの世界に来たことをどの段階で認識したのだろう」
今回のことを言っているのかな?
「あいさつをした時かな。退屈そうに本を読んでいたし……わたしがいても退屈だとすると……もっと前かもね」
「退屈……。本を読むのに気を取られてあなたに気付かなかったようですね」
つまり……わたしがいると退屈じゃないってことだね! と、台詞をならべてもいいけど、ちょっと照れくさい気もしたので並べない。口元がちょっと緩んじゃったけど。
木の陰の道を歩いて階段の下までわたしが来ると、彼は建物の中に姿を消した。けれどすぐに出て来て、その手には座布団があった。その座布団を階段の上の賽銭箱の正面に置く。
「そこに座っていいの?」
「どうぞ……。階段の上は雑巾がけをしましたので綺麗です」
そう言われて、わたしはバケツと雑巾を視界に捉えた。座布団を置いても汚くないという意味……だね。
「ありがとう、座らせてもらうね」
階段の上に置かれた座布団に、椅子に腰かける感じにわたしは座った。わたしは賽銭箱の正面に背を預け、彼は、わたしの位置から右後ろで賽銭箱に背を預けている。
「寒くはありませんか?」
「大丈夫。……わたしの認識だと今は冬だけど、ここは寒くないね」
「この世界は秋ですよ」
「そうなんだ」
わたしは目を閉じて秋風を感じる。この気温だと動き回ると汗がすぐ出そうだな。
「秋の夕方に近づく時間です」
彼は空を見ながら呟いた。
「君はどの季節が好き?」
「そうですね、もう少し肌寒い季節がいいですね。冬の始め、冬の終わり。冬ですね」
「冬もいいよね!」
「冬……。あの魔術師が言うあの頃は、寒くても薄着で出かけたものでした」
「風邪引いちゃうよ」
「そうですね。でも、自分がちゃんといると少しでも感じ取りたかった。もちろん、とても寒い。でも、ズレてる体の感覚を治したかった」
「体の感覚のズレ、それはどんな感じなの?」
「なんというか、なんだろう。5センチくらい幽体離脱? かな」
「ゆ、幽体離脱!?」
「常にそんな状態だけど慣れないものでした。その状態の時に車の免許を取ったけど、ギリギリ取れた感じです。正直、車の運転ってこんなに難しいの!? ハンドル操作、えー!? ええ!? こ、怖い。という印象ばかりが残ってます。自分の体を操りつつ、車の運転は難易度高い。マニュアルじゃなくてオートマならもう少し……いや、ハンドル操作が」
「今はもう大丈夫?」
「普通に出来そうではあるけど、その後、運転する機会がなかったこともあって、苦手意識が強く残ってます。コンプレックスというやつです」
あの人にそんな弱点があったんだ。
「苦手なことは誰にもあるよ」
「そうですね。人付き合いも結構苦手です」
そうなんだ。あの人はわたしと仲良いけど。
「わたしのことも、実は苦手だったり?」
少し怖いけど聞いてみよう。
「それはないと思います。少なくとも、あの魔術師があなたと接する時、心が満たされる感覚で過ごしているのは確かです」
そうだよね、苦手なら長い付き合いになるはずないし、これからだって!!
「もっと満たしてあげるにはどうしたらいいかな?」
と、言ってからこの彼もあの人なのだと意識してしまう。
「寂しいという感覚への耐久力は高いけど、心は蝕まれているので、ぎゅーと抱きしめると喜ぶと思います」
「君は大丈夫?」
「ボクはあの魔術師よりもその耐久力はずっと高いですよ。どうやら今回はそろそろ」
彼は立ち上がり、両手を上にあげて伸びをはじめた。
「耐久力は高くても蝕まれているんでしょ?」
わたしは立ち上がり、彼のそばへ行き抱きしめた。この彼は過去のあの人。だから問題ないよね!!
「必要無いのに」
「照れちゃった?」
あの人に接する感覚で聞いてみる。そして、少し体を離してそに表情を見る。
「……」
え? 泣いてる。
「あ、あの。ごめんなさい」
「謝らないでください。ありがとうございます。あの魔術師のあなたへの思いと、あの頃の寂しさが合わさって、ははっ! 良いな!!」
涙で濡れた目のまま笑顔を浮かべながら彼は姿を消した。
涙……前回の時の涙とは違う涙だよね……。




