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胸の辺りが重い

 空が曇っていて暗い。あの雲の向こうにはきっと太陽がある。

 わたしの目に最初に映ったのはそんな曇り空だった。何時ここに来たのか記憶が無いし、どうして空を見ていたのかもわからない。

 空から視線を下ろすと、わたしの目に海が写る。この場所には見覚えがある……きっと、どこか近くに彼がいる。

 辺りを見渡すと、彼が波打ち際に座っているのが見えた。さすがにこの距離だと何かを話してくれても聞こえない。なので海の方へ向かって歩くことにした。

 ちょっと歩き難い。履いてる靴がスニーカーでよかった……という設定にしよう。

 ちょうど良い位置まで歩いて、海を見ている後ろ姿を眺める。もし、人違いだったら恥ずかしいし……まぁ、この世界の人にわたしは見えないけど。

 この世界のあの人……彼を見るのはこれで三回目。なんというか……最近のわたしのブームなのか、無防備な背中を見せられると後ろから目隠しをしてみたくなる。

 わたしの足音は彼に聞こえない。でも、一応足音を立てないように静かに更に近づく。

 そしてゆっくりと両手を伸ばして……目かく……しをしようとしたら彼が振り向いた。そういえば、よくわからないカンの良さがどうとか……どこかで聞いたのを思い出した。

 彼にはわたしの姿は見えていないはずなのに、目が合っている気がする。かなしそうな目で見つめられている……気がする。なので、わたしは微笑みかけた。

 すると、目をそらすような感じに下に視線を移してからまた海を見た。

 視線をらされた? たぶん違うと思うけど、何故か少し傷つくな……。そのせいなのか、なんだか”胸の辺りが重く”感じる。

 あれ? 胸の辺りが重くに””が付いている? なんで?? このお話ではわたしが地の文を演じて一人称っぽい感じのはず。……まぁいいか。

(わざとじゃない)

 彼の声が聞こえた……けれどなんだか感じが違う。そもそも台詞が「」……カギカッコじゃない。どういうこと?? まぁ、わたしも文章並べるの慣れてないけど。これは誤字の類になるのかな??

(いま何か言ったの?)

 聞こえないのだろうけれど、一応聞いてみる。特に反応は無い……やっぱり”胸の辺りが重い”感じがする。

 胸の辺りを軽く押さえてみると少し良くなった気がした。

「……習っていないから、教えてもらっていないから出来ない……では、ダメなんだ。わからなくても何か出来ることを見つけないと。でも、知らないことが出来なくて怒られる……聞かないから悪いのか。でも、それが起きなければ知ることもなかった。知らないから聞くことも出来ないよ。失敗をしたのも申し訳ないと思う。怒る方も辛いことも解る。だから余計に申し訳ない……本当に俺は役に立たない」

 胸の辺りを軽く押さえながら、わたしは彼の台詞を聞いていた。どういう経緯いきさつでの台詞なのか正確にはわからないけれど、なんだか胸が痛い。きっと彼の胸も痛いのだと思う。

(……)

 胸の痛みを和らげてあげたいけど、わたしの声は聞こえない。それを思ったら言葉が出なかった。なんだかもどかしい。

 よくわからないカンの良さでわたしの思いを感じ取ってくれるかな。その期待を込めて、その後姿を見つめてみるけれど、気付いた素振りは見えない。

 また胸が痛む……それに重い感じが消えない。平気といえば平気だけど少し座ろう。隣に座ればわたしの気配をなんとなく感じ取ってくれるかもしれないし。

 そう思って一歩踏み出した時、背後で何か音がした。何かが落ちてきたような、転んだような……気になるので振り向かないわけにはいかない。

 振り向くと人がうつぶせに倒れている。頭をぶつけたのか、額の辺りを両手で押さえている。うつ伏せなので顔は見えないけれど、服装には見覚えがある。この後姿は……。

(どうしてあなたがこの世界に?)

 わたしの声が聞こえるのかは解らないけれど尋ねてみる。

(やっぱりちょっと失敗したな。頭も打った……わざとじゃないけど、これは天罰というやつなのか)

 やっぱり……えっと、あの人だ! ……どうしよう。この世界であの人……この距離だと、この人? をなんて表現すればいいんだろう。地の文を並べる都合上、何かいい呼び方があったほうがいい気がする。地の文で”この人”だとちょっと失礼かもしれない……。

(でも、わたしの声が聞こえているのかの確認が先……。……聞こえてる?)

(聞こえているよ。とりあえず地の文では私のことをマスターとでも呼んでくれ)

(ま……喫茶店のマスター! あなたもこの世界に来れるんだね)

 地の文以外なら、あなたで呼び方は大丈夫。地の文ではあなたを喫茶店のマスターと呼びます。

(なぜ喫茶店? 何か理由でもあるのかい?)

(喫茶店には特に意味はないけど……普通にマスターって呼ぶのはちょっと恥ずかしい気がするから)

(そうか……まぁ、それでもいい)

(とりあえず起き上がろうよ?)

 わたしがそう声を掛けると喫茶店のマスターはゆっくり起き上がる。右手でぶつけた額を押さえているけれど、口元は軽く笑っている。

 海を見ている彼とは雰囲気が違う。

(この世界でも私は地の文……地の文である君の視点を読めるらしい)

(なんだか恥ずかしい)

(とりあえず、彼の隣に座ってみよう)

(うん)

 海を見る彼の隣に座る。そのわたしの隣に喫茶店のマスターも座る。

(サンドイッチだね)

(軽食を注文できるの?)

 喫茶店のマスターと、彼に挟まれているわたしのことを言っているのは分かるけど、あえてボケてみる。

(残念だけど、私に喫茶店の……というか、料理のスキルは無いよ!)

 わたしのボケが力強く普通に返された。まぁ、いいけど。

(彼のさっきの台詞はどういう経緯のことなの?)

(……簡単に言えば、仕事で失敗をして、その処理の仕方を知らなくて、迷惑をかけて怒られて、落ち込んでいる……感じだよ)

(失敗することは誰だってあるよ)

 喫茶店のマスターにも聞かせるように彼に言う。

(彼の代わりに私がお礼を言うよ。ありがとう)

 暖かい視線と一緒にお礼の言葉を貰った。

(彼の胸の痛み……大丈夫なのかな?)

(完璧な人間はいない……ましてや、この彼は……。……迷惑をかけて怒られれば落ち込むよ。それに、精神面がかなり弱っている状態で、そういう系のダメージはきつい。更に自己嫌悪の追加ダメージ……。ある意味絶望的だ)

 喫茶店のマスターはそう言うと苦笑いを浮かべる。

(それって、まずくない?)

(まぁ、よくはないね。でも……それでも、彼は一人でどうにかするしかない)

(どうして?)

(さて、なんでかな……。でも、彼は大丈夫だよ。私だから解る……そう、私だから)

 なんだか含みのある台詞を並べられた。それに対していぶかしげに見つめるわたしに、心配するなという感じの笑顔が向けられる。

(……そういえば今回のこの世界は昼間なの?)

(そうみたいだね。あ! 一応言っておくけど、彼は仕事をサボった訳じゃないよ)

(ふーん)

 わたしは改めて彼を見る。すると彼は目を閉じていた。その目元に水の粒……涙を見つけた。

「帰ろう。ここでこうしていても、何も変わらない。次は上手く出来るかな……教えてもらったけど、ちゃんと出来る自信が無いな……」

(きっと上手く出来るよ。……そうでしょ?)

(……それで怒られた記憶が二回あるけど……その後は、上手に出来るようになってたよ。同じ失敗をした後輩を助けることもあった)

「目から汗が出そうだ……今日は休みだし家に帰って寝よう」

 目元を拭うと立ち上がって去って行く。その後姿を見ていると、突然消えた。彼だけではなく波の音も……。

(今回のお話はこれで終わりみたいだよ)

(そうか。なんだか、私がこの世界に来たせいで君の力が上手く発揮できなかった気がする)

(そんなことはないと思うよ? たぶん)

(いや、すまない。ちょっとしたイタズラ心で来てしまった。このお話は地の文の練習をする目的もあるのに、君と私の会話が多くなってしまった。これでは、あっちの世界と変わらない気もする)

(でも、あなたが来なければ、わたしだけじゃわからなかったこともあるし……大丈夫だよきっと)

(そうか大丈夫か!)

(このお話も練習だから大丈夫だよ)

(よし! 今回のこのお話からも何かを得たに違いない! きっとそうだ!)

(そうだね!)

 わたしと喫茶店のマスターはグダグダな感じを上手く? まとめた。

(ああ、それと……”わざとじゃない”という私のこの台詞を、次のあっちのお話の時に憶えていて欲しい……)

(どうして?)

(……えっと、使い方は違うけど……自分の胸に聞いてください)

(?? わたし何か悪い事したの?)

(いや、その……)

 喫茶店のマスターは右の頬に手を当てて目を泳がせている。ますます、よくわからない。まぁ、次のあっちのお話の時にわかるのだろう。

(覚えておくね! さて、今回のお話はこれで終わり!!)

 そしてわたし達はあっちの世界に帰って行った。

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