夜の海で長い台詞
波の音が聞こえる。最初に目に入ったのは夜の海だった。自分が何時ここに来たのか思い出そうとしたけれど、思い出せない。眠っている時に見る夢の始まりを、わたしはいつも覚えていない。それに似ている気がする。それならこれは夢だろうか? でも、夢を見ている時にそれが夢の中だと認識したことはほとんど無い。これは夢なのだろうか。
とりあえず自分がいるところを確認すると、石の階段の一番上にわたしは座っている。そして周りにある人影は一つ。わたしの座っている階段の下の方に見えるあの後姿はあの人だろう。
このお話の前回を思い出すと、とりあえずわたしは物に触れないし、あの人にわたしの声は聞こえない。わたしは、ただ見て聞くだけしか出来ない。
ところで、このお話の地の文はわたしの視点……これは一人称で書かれている。で、いいのかな?? わたしは、わたしの姿を見ることは出来るけれど、あの人には見えない。恐らく他の登場人物が出てきても、わたしは見えない設定だと思う。この場合は、わたしを登場人物の一人として数えていいのだろうか?
やめよう……難しく考えると、余計にわからなくなる。
今回は密室じゃない。外だから限定された空間という感じでは無いけれど、わたし一人で遠くまで行ってもいいものかな? ……という疑問も浮かぶけれど、それはダメなのだろう。設定的に……。まぁ、行かないけど。
とりあえずあの人に挨拶をしよう。わたしの声は聞こえないけど。
階段を下りる足音がする。でもきっとこの音も、わたしにしか聞こえない。なんだか寂しいな……。
わたしは階段を下りて隣に座った。そして、あの人の……この距離で”あの人”という表現は適当じゃない気がする。とはいっても名前は使えない……。それに確か過去という設定だから、あの名称も使っていいものなのか……そうだ! ”彼”で行こう! 無難だけど。
えっと、わたしは階段を下りて隣に座った。そして、彼の横顔を見た。よし! これでオーケー!!
その横顔は辛そうで今にも泣き出しそうに見えた。
(こんばんは、どうしてそんな顔をしているの?)
挨拶をしたけれど、やっぱり彼にわたしの声は聞こえない。
わかってはいるけれど、ちょっと傷ついた感じが……否めない。というか、傷つく。
彼の視線の先にある夜の海をわたしも見る。波は穏やかに満ち引きを繰り返している。この階段の所から海までは少しだけ距離がある。なんだか、海に石を一つ投げてみたい衝動に駆られたけど、わたしは物に触れないから、石を持つことも出来ない。
石を海に投げ入れることを諦めて、空を見上げると丸い月が見える。でも、わたしがよく見る月より暗く見える。
「一体どうしたらいいんだ……一体……」
余裕を感じない声。彼は両手で目を覆っている。今聞いた声と言葉を頭の中で反芻させて、何度も聞いてみる。少し声が震えている……たぶんこの震えは不安だと思う。怯えてる? 何に?
わたしの声は彼に聞こえないし、わたしは彼に触れることも出来ない。この時の彼が何を思っているのかは、わからないけど慰めてあげたい。でも……わたしには何も出来ない。
周りには誰もいない。それでも話してくれれば、わたしは聞いてあげることが出来る。でも、彼には聞いてもらっているという感覚は得られないと思う。これは、わたしの自己満足? でも、わたしは聞いてあげたい。
(辛い気持ちを言葉にすれば少しは楽になれるよ。あなたがわたしに気づかなくても、聞いているから……)
やっぱりわたしの声は聞こえないのだろう。何の反応も示してくれない。
触れることが出来ないのはわかっているけど、彼の肩に手を置く。……触っている感覚はわたしにも無いけど。
「誰も俺という自分のことを知らない。だから、誰に聞いても俺は元に戻れない……。考えてみれば、友達は誰もいなかったのかもしれない。人の中にいれば、話もするけれど……それはクラスメートだったり、仕事仲間だったりで、友達とは少し違う気がする。…………何処で間違えたんだろう。こんなはずじゃ無かったのに……友達がいないことに気付かなかった? 友達の作り方がわからない。小さい頃は自然に仲良くなって……遊んで……。それが普通で……今だってそう? …………仕事に行ったりすれば話もする……でも、何かが違う。相手が友達だと思ってくれても、俺がそう思っていない。俺が自分を俺だと思っていないから…………俺を友達だと思ってくれても……他人事みたいに感じてしまって……申し訳なくなる。ごめんなさい…………。仕事仲間……わからない。わからないから、俺は一人で……そもそも俺は存在するのかな……?? どうにもならない。元に戻れない。心の支えが誰もいない。明日も俺は俺でいられるのか自信が無い。昨日と同じ俺だと思っていても、そう思っているだけで本当は違うかもしれない。誰も証明できないし、証明してくれたとしても俺がそれを信じないかもれない。でも、明日もたぶん俺で……ダメだ、当たり前のことのはずなのに確信が持てない……。誰か俺が自分であることを信じさせてください……お願いします。たすけて…………だれか……」
わたしは、彼の話を聞いていた。彼の肩の位置に置いた手が少し疲れたけれど、そのままでいた。このお話の中で、何も出来ないわたしのせめてもの気持ちとして……。
長い台詞になってしまった。本来なら、わたしが聞こえないとしても自分の台詞をはさんだり、地の文で区切ってあげるべきだったと思う。でも、つい聞き入ってしまった。
彼の肩の位置に置いていた手を、彼の体をすり抜けさせてから、その手ともう片方の手で座ったまま上げた両膝を抱き締めた。そして、両膝の間に自分の顔をうずめた。自分の体は触れる。
(あなたが自分であることを、わたしも信じさせてあげることが出来ないのかな?)
彼に聞こえない声であっても、聞かずにはいられなかった。
「帰ろう。ここで、こうしていても何も変らない。どうすれば……」
やっぱり答えてはくれない。わたしに気付く素振りを一切見せずに立ち上がり、階段を上って行く。その後姿を眺めていたけれど、彼は突然消えた。そして、波の音も聞こえなくなった。どうやら、今回のこのお話はここまでみたい。
わたしは、このお話をただ手帳に書き記すだけでいいのだろうか……。わたしには何も出来ないの?




