高鉄棒
目を開けると暗い風景が見えた。空気はヒンヤリとしていて少し寒さを感じる。空を見上げると満月に近い姿の月があった。視線を正面に戻すと、景色は月の光に照らされていることがわかる。
けれどここは、夜だけどあの世界ではないことがすぐにわかった。月の明るさが普通だからだ。あの世界の月は現実の世界の月よりも明るい。けれど、この空の月は現実の世界の月と変わらない明るさで地上を照らしている。
改めて周りの様子をうかがうと風が吹いている。風が木の葉を揺らせて音を立てている。それ以外の音は……聞こえない。
地の文をわたしが読めるということは、あの手帳の世界なのだろう。最近の傾向だと……久しぶりな気がするけど、神社で彼に合う感じだったけど……今回は違うみたいだ。
とりあえず歩き回ってみよう。右手側には何か大きい建物があるけど暗くて見えない……月明かりの下なのに。……どうも明かりとは関係なく見えないように思える。
わざわざ暗いところに行く必要はないよね。
しばらく進むと、鉄棒があった。……ちょっと高い感じだから、高鉄棒? ……ん? 誰か高鉄棒に座っている。
少し小走りをして高鉄棒に座っている人影の前に立つ。その人影は予想していた通り彼だった。
『こんばんは!』
とりあえず挨拶をしてみる。けれど、わたしの台詞は『』の中だった。……ということは、わたしの声は彼には聞こえない。つまりは、神社の彼ではないということかな。なんだかややこしい、あの人と彼と神社の彼は同じ人だけど、ちがう。
あの人は、あの人でいいとして、彼は……神社の彼とは違くて……ここをどうしよう?? ……神社の彼はいないから、彼でいいのか!
そんなわたしの戸惑いは彼には伝わらない。わたしのことは視えないから……。
高鉄棒に座っている彼は月を見ている。……ここはあの人の昔の記憶。あの人は昔から月を見るのが好きだったのかな。
わたしも空に視線を向けて月を見る。雲がゆっくり流れている……。
「たすけて……たすけてください。もう、むりです。……どうすれば、どうしたら元に戻れるのか……。本当に俺はここにいるのか?」
彼の声が聞こえて、彼の方を見るとわたしを見ていた。……いや、わたしじゃなくて自分の影を見ているのか。
「月は俺の存在を認めてくれるのだろうか。でも……でも……わからない。わからない……」
彼は右手を頭に当てると泣き始めた。
「わからないよ。わかんない。なにがダメなんだ? 俺はここにいるのに本当にいるのか信じられない。もう無理だ! もう無理なのに何も変わらない。なんで? たすけてよ……」
涙を流す彼は震えた声で台詞を紡ぐ。なんだか胸が苦しくなる……あの人からは今の彼のような雰囲気を感じたことがない。
彼の視線の先にわたしはいるけれど、彼には視ることが出来ない。
『何度かこうして月を見たものだ』
胸の苦しさを感じながら彼を見ていたけれど、彼の口は動いていない。わたしも喋っていない……ということは、あの人か!
後ろを振り向くと……あの人? がいた。なんだか雰囲気が違うような??
『こんばんは』
『こんばんは……神社以外で会うのは初めてですね』
なるほど、神社の彼か……。……彼が二人になってややこしいくなってしまう気が……。
『えっと、そうだね。……彼は大丈夫かな?』
『大丈夫ではないですね。この時に限ってではないですけど……まぁ、人前ではこんなところ絶対に見せませんけどね』
神社の彼は表情もなく彼を見て言う。……とりあえずこっちは神社の彼でいこう。意外とそのままでいけそうだ。
『何とかしてあげられないのかな』
『どうすることも出来ないですね』
『でも、すごく辛そうで…………可哀そうだよ』
神社の彼に、それでもなにかないかな? と聞いてみる。
『自分のふりを続けるのは結構きつかったですね。記憶はあるのに、それも信じられない。親しいトモダチとやら……等がいたら違ったかもしれませんが、彼の辿った運命には……いないですね。あの魔術師もその辺が不器用ながら、結構考えているようですけど……」
遠まわしに”ない”と言っているのかな。
『この後、彼はどうなるの?』
『自分のふりを続けるだけですよ』
その口ぶりは当然という感じが漂っている。
彼に視線を向けると、月に右手を伸ばしていた。
「たすけて……届かない」
月に伸ばされていた手は力を失って高鉄棒に落ちた。
『どうすれば、助けられるの?』
届かないとわかっているけれど、わたしは彼に問いかけた。
『彼は誰にも助けられることはなかったよ』
少し離れたところから神社の彼の声が聞こえる。そちらを見ると、神社の彼は高鉄棒で逆上がりをして、その上に立ち上がる。
『あぶないよ』
『そうだね。……そうだね……か』
神社の彼は、高鉄棒の上を歩いて彼の方へ進む。
「つらいんです」
月に向かって伸ばしていた手……高鉄棒に乗せている手を見つめて彼はそうつぶやいた。
神社の彼は、高鉄棒に立って、そんな彼を見下ろしていた。
『そうだね。つらいね……そう、つらい』
陰になって表情がよく見えないけれど、神社の彼の口調は哀しい感情が籠っているように聞こえた。
「ここでこうしていても仕方ない……」
彼がそう言うと、その姿はだんだんと薄くなって、消えてしまった。
『この世界の今回はそろそろ終わりそうだね』
『そうみたいですね』
そう言うと、神社の彼は高鉄棒から飛び降りた。わたしの近くに飛び降りるので少し驚いてしまった。
『彼はこの先も……つらいままなの?』
『彼が誰かに救われることは無かったですよ。……そう、永遠に』
『……そんな』
『だからこそ、ボクがいてあの魔術師がいるんです。……おや? ボクも……」
神社の彼は自分の手が透けて見えるのに気付いてから、わたしを見ると姿を消した。その表情は悲しそうだった。




