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一瞬の出来事

 目の前には大きな木がある。上の方で葉がこすれ合う音がたくさん聞こえる。その音を聞きながら、風が強めに吹いていることを肌で感じた。

 頬に当たる風は少し冷たく感じる……。なんとなく右頬を触りながら自分が今いる場所に意識を向ける。ここは……。何度か来たことがある場所だ。ここには彼がいるはず……そう、わたしの背後にある建物にきっと!

 勢いよく振り返ると、そのはずみで足元の石を蹴ってしまった。

 振り向いたわたしの視界には、転がる石を見ている彼が映った。

「こんにちは」

「……こんにちは」

 転がる石……もう止まってるけど。を、見ていた彼はわたしの挨拶に気付いて返してくれた。

「風強いね」

「そうですね……ボクがいる辺りは上手く風が来ていませんが」

 風の向きか……わたしも、早く行こう。そう思って一歩踏み出した時、強い風が吹いた。その風は、わたしのスカートを捲った。すぐに手で押さえたけど……。そして視線の先にはわたしを見る彼が……。

「見えちゃった?」

「白ですね」

 なんだろう、顔が熱い。……彼は空に視線を向けている。恥ずかしいけど、ひるんでいるわけにもいかない。わたしは、自然に歩いて進む。

「改めて、こんにちは」

「こ、こんにちは。見ちゃったの怒ってます?」

 恥ずかしいけど、別に怒ってはいない。怒ることじゃないし……。

「怒ってないよ……恥ずかしかっただけ」

 わたしは正直に言う。

「よかったです」

 彼は安心した表情を見せる。そういえば、彼はあの人に比べて表情が硬い気がする。

「この座布団……座っていい?」

「どうぞ」

 許可をもらってからわたしは賽銭箱さいせんばこの正面に置かれた座布団に座る。確かにここは、風が上手く来ていない。空気の流れは、よく感じ取れるけど。

「この間は雨で、今回は風だね……。何か意味があるのかな?」

「とくには無いと思いますよ。なんとなく、現実の方のあの魔術師が風を意識しているだけじゃないですかね」

 わたしのスカートが捲れたのも……風が強い……スカートが捲れる……と、なんとなくイメージしたから??

「う~ん」

 風の音を聞きながら伸びをして、そんなことを考えてみた。

「精神的に病んだり壊れた人は、他の人のそういった状態をわかるようになるもの……なんですかね」

 少し自分の考えに意識を集中していて彼の台詞を聞き逃してしまった……けれど、この世界でもわたしは文章を読み返すことが出来る。

「君はどうなの?」

「さて? どうでしょうか。ボクは……ボクの場合は……何とも言えないですね。人それぞれですし……。現実の世界の友人の一人、有名所のを患っているという彼は、環境が変わるたびに敵が現れて……喧嘩になって……ということを言っていた。それを聞いてボクは思うんです。喧嘩をしたり争う余裕はあるんだ……と。怒鳴りつけるとか……出来るんだ……と」

「争い事はよくないよね」

 その友人にも事情があると思うけど、彼の味方をしてしまう。まぁ、わたしも争い事はよくないと思う。

「精神面が弱り切っている自分に、敵なんて作る余裕はなかったです。泣かされるだけ……それでも、自分にやれることをやる。ただ、それだけだった。相手も心を痛めている……申し訳ないと思いながら」

「相手のことも考えていたんだね。優しくて良いと思うよ」

「泣かされるより、相手に申し訳ないと思う……それの方が、とても辛い」

 声が震えている……わたしは、彼の方へ顔を向ける。すると正面を見ている彼の横顔が少し見える……。なんだか、なんだろう……優しくしてあげたい気持ちが湧いてくる。あの人とイメージが重なるから?? ……同じ人だけど。

「大丈夫?」

「……大丈夫です。……とりあえずボクの場合は、わかるようになった……とは言えない。予測はしやすくなったかもしれないけれど……。離人症……あの頃と呼ばれるときの症状はこれが最も当てはまる気がする。離人症の方が治る過程はどんな道があるのだろう……。ボクが辿った道はありふれた道だったのか、特殊だったのか……」

「辿った道……。治る前に君という魂が創られた……」

「そう……。失くした魂……。もう、見つけ出せなくてもいい……本来の魂を超えてしまえばいいのだから。そう決意した年でした……見つけ出して治ったその年は。見つけ出した時……体調も悪かったのもあるけど良い記憶とはいかなかったですね」

「……体調が悪かったんだね。でも、見つけ出せたときは嬉しかったでしょ?」

 どんな記憶なのかちょっと気になるけど、聞いていいものなのか……。

「ボクという魂が稼働? した時ほどじゃないですけど、家に帰る道で笑みが浮かびました。ああ、これだ! この感覚だ!! そうだ、これだよ!! ……と、いう感じに。まぁ、しばらくは微妙に心の混乱はありましたけど。……体調が悪い時にお酒を飲むのは……ダメですね。お酒の量はちょっとで……それほど酔っている感じじゃないけど、頭が上手く回らない。言わなきゃいけないことがあるのに……その状況するには……どうしたら? どうしたら? たったの一言で済む……。でも、怖い……。たった一言……謝りたいだけなのに……。自分を殺すつもりの努力をする理由の一つでもあったはずなのに……。その力が使えないのか……くそ~、怖い……どうしたら? 諦める? という葛藤をした夜でもありますね」

「謝ることは出来たのかな?」

「まぁ……出来ました。一応……。上手く伝わったか微妙ですけど。本当はもっとスマートにいくつもりでしたが……。体調不良とお酒。まぁ、体調不良じゃなかったとしても、スマートに行けたかは微妙かもしれないけど」

 なんとなく、『謝りたいだけなのに……』その謝りたい相手は女性のような気がする。

「その謝りたいだけなのに……の相手……その人のこと好きだったの?」

「うん。……まぁ、その時にはもう、その気持ちは無くなってしまって、だった……だけどね」

 彼にとってはそうでも、あの人にとってはどうなのだろう。気になる……。

「あ、あの魔術師はどうなのかな?」

 ちょっと声が上擦っちゃった。

「ボクと同じですよ……。いや、そもそもあの魔術師にとってはなんとなく好き……だったのかな。あの頃になって、何か信じたい自分の記憶が欲しくて、その人を好きという気持ちを強めたようにも思える。……単純に好き……とか、恋って良いモノだと思います」

「そうだね! 良いよね!!」

「失くした魂を見つけ出して魔術師として復活した彼は……復活して初めて心惹かれたあなたに対して、特別思うところもあるようにも感じられる」

 彼は、わたしを少し不思議そうに見ている。『復活して初めて心惹かれた……』『特別思うところ……』なんだろう? なんだかドキッとしちゃったじゃない! ……ドキドキ?

「おや、風がだいぶ止んで変わりに雨が降って来ましたね……」

「あ、本当だ」

 わたしは右頬に付いた雨水を、空模様を見ながら右手の人差し指で拭く。そして、再び彼に視線を向けると、彼は左手を眺めていた。その左手は透けていて、それを見て声を掛けようとした時には彼の姿は消えていた。それは一瞬の出来事……。

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