ある世界のややこしい関係のお茶会 2?
以前投稿した『ある世界のややこしい関係のお茶会』の続きではありません。
また別の世界のお茶会模様です。
カチャリ、と音を立てて、少女は飲みかけのカップを置いた。
少女がいる部屋は女性好みとは言いがたいほどシンプルで何もない。ただ、最低限の家具――寝台と机、箪笥など。
それに比べると、少女の着ている服は豪華で部屋とそぐわなかった。
そぐわない――といえば、少女の目の前にいる青年も、終始しかめ面で少女の優雅な仕草と合わない。マナーなど気にせず、ぐいっと一気に飲み干すと音を立ててカップを置いた。
その所作に少女が眉をひそめる。
「貴方には優雅さというものが欠けているのですね」
つい、気になったことを口にする少女。
それに対して、青年は特に気にすることなく、
「そんなもの不要だろう?」
「………………それもそうですわね」
少女は少し考えた後、青年の立場を思い出し肯定した。
「それにしても意外でしたわ」
「何がだ」
「すんなりこうしていられることですわ」
「そうか?」
「ええ、場所が場所ですから、一応考えられるだけの対処法を考えてきたのですけれど……どれも必要なくて、ちょっと残……いえ、助かりましたわ」
今、残念と言いそうになったのは気のせいか――、目の前の青年はそう考えるものの、特に気にする必要はないかと改めて思い直した。
少女の考える対処法など、青年にしてみれば別に問題ない範囲だろう。そのあたりも含めて、青年は少女を受け容れたのだから。
逆に、青年の方が不思議に思う。
少女は身につけている物を見ればわかるように、上流階級の人間だ。しかし、ここでは少女の世話をする者は居ない。少女は身の回りのことは全て自分でしなければならないのだ。
さすがに場所が場所なので、食事の提供と水汲みなどの仕事はないものの不自由なのには変わらないだろう。
「それはそうと、何か不自由なことはあるかな?」
「……そうですわね。不自由だと言えば、それを解消すべく努力をしていただけるのかしら?」
「いや」
「なら言う必要はありませんでしょう? 衣食住――まあ、服については持参ですから、少し違いますけど、それだけ保障されていれば十分ですわ。わたくしとて押しかけた身、分を弁えることくらい出来ますわ」
「そうか」
打てば響くようにすぐさま返ってくる返答に、青年は苦笑するしかない。
「しかし……それほどまでに、結婚が嫌だったのかな? 貴女は」
「そうですわね。嫌、というより、相手が望んでいなかった――というところでしょうか。わたくしも、あの方をお慕いしていますけれど、それは恋情ではありませんでしたもの。兄のように――という方が正しいでしょうか」
「ふん、そんなものか。どちらにせよ政略結婚など、そこに個人の意思は尊重されまいに」
「もちろんですわ。それでも、そのまま進むのは嫌でしたの」
と、言いながら、微笑を浮かべる少女は、誰しも魅了するような華麗な容貌だった。
さて、ここで少し説明しておこう。
華麗な少女――アンジェラは、現在地より東にある国の公爵令嬢である。
そして、目の前にいるのは現在地の主――世間では『魔王』と呼ばれる存在である。
何故、その二人がこのような茶会が催されているかといえば、先ほどのやりとりの通り、アンジェラが結婚を嫌がって、こともあろうに『魔王』のところに逃げ込んだのだった。
もちろん、アンジェラも単身『魔王』の元に乗りこんで魔王をどうにかしようなどという力はない。
この世界に魔法などは存在するが、アンジェラが得意とするのは治癒魔法だ。治癒魔法で魔王を斃せるなど、欠片も思っていない。
ただ、現在の『魔王』は力が強く魔族たちをまとめていて、自国から侵略行為を行わない。侵略してきた者に対しては容赦なく斬り捨てるが、撤退しだせば追撃することもない。
彼らはあくまで自分たちが生きるために必要な土地のみを求め、それ以上を望まなかった。
そのため、人と魔族と種族間の違いはあれど、魔族、魔王に近づきさえしなければ、脅威を感じないのだ。
だからといって、そこへ結婚が嫌で魔族の所へ逃亡するのもどうかと思うが――というのが、魔王の正直な感想だった。
それでなくても、目の前の少女――アンジェラは人間の国の中でも大国と名のつく、バルカロール国の公爵令嬢。
そして結婚相手というのは、バルカロール国を新たな統治者。要するに、アンジェラは正妃候補だった。
他にも候補に挙がっている女性はいたが、正妃になるだろうと推測されていたのがアンジェラだ。王太子であるジークヴァルトとは幼少の頃からの付き合いのため、周囲は彼女が相応しいだろうと思っていた。
あくまで、周囲の見方のみで、そこに当人たちの気持ちはない。
「まったく、確かにわたくしは公爵家の娘で、王太子であるジークとも仲が良くてよ。でも、あくまで兄のようにとしか思えないわ」
「……言いたい放題だな。しかし、それでもそういう感情があるだけマシなのではないか?」
政略結婚となれば個人の感情などないに等しい。場合によっては、顔を見ることもなく結婚まで行ってしまう。それを考えれば、まだマシなのである。
「そうね、マシ、と言われればマシなのでしょう。けれど、それではジークもリリーも幸せになれないわ」
「リリー?」
新たな人物に魔王は軽く首を傾げた。
「彼女もわたくしと同じ、ジークの幼馴染のようなものですわ。ただ、家格が……」
アンジェラにとって無二の親友であるリリーは、家格がひとつ下の侯爵家の御令嬢だ。
正妃になるのに侯爵家でも問題はない。ただ、そこにさらに上の公爵令嬢アンジェラがいる。そのため、周囲はアンジェラを正妃にと推すのだ。そこには家格だけでなく、人脈も含まれる。そのためどうしてもアンジェラの方が上になってしまうのだ。
「わたくし、想い合っているふたりを引き裂くような真似はしたくありませんの」
「けど、その娘も側室として迎えることはできるだろう?」
血筋を絶やさないため、王族のみ一夫多妻を許される。
アンジェラがいても、リリーは側室としてなら王太子と結ばれることができるのだ。
他に道があるのに、何故、彼女は逃亡という究極とも言うべき選択をしたのか。それも、魔族領にだ。
「ええ、そうね。でも、わたくしはそれによってもたらされる結果が気に入りませんの」
「結果?」
「ええ、わたくしが正妃におさまれば、我が公爵家はさらに栄えるでしょう。けれど、それは過分な富と名声を血族にもたらしますわ」
それでなくてもアンジェラの家には何代か前に王家の姫君が降嫁してきている。王族の血をひいている訳だ。すでにある王家の血筋という肩書に、さらに娘が正妃となれば箔がつく。
アンジェラの家と懇意にしている者たちは、家格においても血筋においても下のリリーに正妃の座を譲るわけがない。アンジェラがそのようなことを望んでいなくても。
彼女が望んでいたのは、幼馴染であるリリーとジークヴァルトが幸せになること。そして、自分もそのような存在を見つけること。
それなのに、ジークヴァルトの正妃になってしまったら、それもできなくなってしまう。
まだ見ぬ人に焦がれることができなくなる。
自由でいられなくなる――。
「どうした?」
「いえ、ちょっとある人物を思い出していましたの」
「ある人物?」
「ええ。人より抜きんでた力を持ちながら、それでも多くを望まなかった宮廷魔術師の話ですわ」
その言葉に、魔王がかすかに眉尻をあげた。
「ふふ、覚えがありまして? 魔王様――いいえ、クラウ様、と仰った方が宜しいかしら?」
アンジェラは邪気のない笑みを浮かべると、カップを手に持って、すでに冷え切った残りの茶を飲み干した。
「どこでそれを?」
「わたくし、治癒魔法に長けているので、皆はそちらにばかり気を取られますのよ」
治癒魔法を使える者はどこに行っても重宝がられる。並の力の持ち主でも。
けれど、アンジェラの力はそれらを遥かに凌駕する。アンジェラの古き血筋はそういった力に長けていたため、高い地位にいると言ってもいい。
アンジェラを正妃にと推すのも、この治癒魔法がひとつの要因でもある。
その治癒魔法に隠れてしまうが、彼女にはもうひとつ得意な魔法があった。
それは――
「でも、わたくし、過去視も得意ですの」
「……」
「王宮には幼少の頃から招かれていましたから……色々なものを見れましたわ」
良くも悪くも――と、アンジェラは付け足す。
歴史の長い彼の国では、謀の一つや二つ……などでは終わらないほど、昏い部分がある。
その中に目の前の人物がいたのを、アンジェラは忘れない。
筆頭宮廷魔術師の格好をした彼は、今のような粗野な雰囲気はなかった。
だが、容姿は変わらない。間違えようがなかった。
そして彼がしたことも忘れていない。
「それならどうしてここへ来た?」
威嚇を込めた通常より低い声で尋ねられる。
魔王――クラウは過去のことに触れてほしくなさそうだ。
「別に、貴方のしたことを非難するために来たわけではありませんわ。わたくしでも同じことをしたと思いますもの」
「……」
「ですから、貴方を真似てこうして魔族領に来たんですわ」
ただ、わたくしは最悪の場面に出くわす前に逃げ出しただけです――と付け足し、にっこり微笑んで返す。
その様子に、クラウは頭に手を当ててうつむいた。
過去――
アンジェラの言う通り、彼は宮廷魔術師としていた。
その力の強さに、彼は同僚たちから妬み嫉みを向けられていた。そこへ、筆頭という地位を賜ることになり、彼らの不満は爆発した。
出世欲などなかった彼は穏便に断ろうとしていたのだが、彼を邪魔だと感じた同僚たちは彼を排除することを試みた。
彼は全て返り討ちにした。おかげで一時期、かの国に王宮に仕えるほどの魔術がいなくなったくらいだ。その時の惨状は目を背けるものだった。
そして、彼は全てを捨ててこの地に来たのだった。魔族領は力が全てだが、力が強ければ刃向ってくる者はいない。
幸か不幸か、彼は他の魔族より力を持ち、いつの間にか『魔王』として君臨していた。その力ゆえに、彼は今でも彼の国を出奔した時のままの姿を保ち続けていた。
「ふふ、不思議ですわね」
「……何がだ」
当時のことを思い出していたクラウは、アンジェラの声に顔を上げた。
「貴方の力は攻撃力が主でしたわね」
「ああ」
「あの光景はわたくしも息を呑むほどでしたわ」
「なら何故ここに来た。俺が恐ろしくないのか?」
「その質問に、どこが、とお聞きしたら如何します?」
「……」
思っていたのと違う切り返しに戸惑うクラウ。
けれど、過去視のおかげでアンジェラはそういった光景を嫌というほど見ているのだ。
治癒魔法を使う時も怪我人が相手――要するに、アンジェラは公爵令嬢とは思えないほど、血に慣れていると言っていい。ただ、自ら手をかけることはないが。
「確かに貴方は多くの者を手に掛けたのかもしれませんが、正当防衛とも言えるものでしょう。死にたくなかったら、相手を斃すしかありませんものね」
アンジェラはクラウのしたことを過剰防衛とは言わない。
「わたくしの場合は命を狙われていたわけではありませんが、自分の意思を貫きたいのなら、命を懸けてでも国を出るしかありませんでしたわ」
それは、自分の意志のために国を出たアンジェラには、クラウを非難することはできないと思っているからだ。
彼女は人を殺したわけではないが、彼女がいなくなることで治療されることもなく亡くなる人が出る可能性がある。それだけ彼女の力は当てにされていた。
それらを全て放り出してここに来た以上、彼女は彼を責める気はなかった。
彼は過去に起こしてしまったことに対して。
彼女はこれから起きる可能性に対して。
それぞれ背負うものがある。
「とりあえず、わたくしをここにおいてくださいな。自信過剰ではなく、わたくしの治癒の力は、貴方たちにとって必要なものでしょう?」
魔族は攻撃力は強いが、癒しの力を持つ者はほとんどいない。そのため、アンジェラの力は彼らにとって非常に都合のいいものである。
それを使えと言っているのだ。自分をここに置くために。
「……公爵令嬢の割に規格外だな」
「あら、穏やかな性格の持ち主であり宮廷魔術師だった貴方が、『魔王』になるよりはまだましな方ではないかしら?」
「…………確かにな」
そう言って、クラウは茶を飲もうとして、カップの中身が空なのに気づく。
そこにアンジェラがすぐさまポットに入った残りの茶を注ぐ。
クラウは注がれた茶を飲み干した。
それが、アンジェラがこの場にいることを了承したことになる。
「よろしくお願いしますわね? クラウ様」
「……」
アンジェラの思惑は分からないが、とりあえずはこの娘を有効な切り札にしようと己に納得させるクラウ。
そんなクラウを見て、さらに笑みを深めるアンジェラ。
腹の探り合いのこの茶会は、しばらく続くだろう。
かき足りないことがありますが、とりあえず短編投稿です。