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第九話 手は心よりもモノを言う

 僕がここに来てから自分の運命を呪った回数はそれこそ数えも切れないが、強さで言えばこれが一番だったろう。

 僕は勇者なんかじゃない。ここへ来たプロセスが少し特殊なだけでただの一般人なのに、どうしてこんな目に合わなくちゃいけないんだ。


 力は与えらないのに、理不尽ばかりが押し寄せてくる。

 勘弁してよ。勘弁して下さい。

 一般人としての才能しかくれないのなら、せめて一般人として普通に生きて普通に死ぬ人生をくれてもいいじゃないか。


 ナイアの視線一つで、僕は硬直して動けない。あの女がここにいるということは、その傍らにはあれがいるのだ。

 あの化物、ナイアルラトホテップが。邪神がいる。

 気まぐれで生き延びた命は、あっという間に骸へと返されるだろう。


「勇者様! 勇者様! しっかりしてください!」


 姫様が倒れたままの清香に呼びかける声で、僕はようやく視線を自分のいる地下通路へと移す。いつの間にか姫様はこっちにまで来ていて、清香の傍らに寄り添っていた。

 姫様の手からは淡く発光していて、勇者の傷に当てられている。そう言えば姫様はごく初歩の回復魔法が使えるんだったっけ。


 なんだ、姫様は戦場でもできることがあったんじゃないか。本当に何もできない、怯えるだけの役立たずなんて僕だけじゃないか。

 滑稽だった。泣きたくなった。けれど敵は泣く暇さえも与えてくれない。

 僕達が逃げてきた通路の方から足音が、新たな音が聞こえてきる。

 それはまず足音で、次いで声も加わった。


「ウェヒヒ、追いついたぜぇぇ、お姫様ぁ!」


 僕達を追いかけていたエビルブロブとかいう魔物が、ここまで追走をかけてきたのだ。

 そこにレイセルさんの姿はない。


「レイセルは、レイセルはどうしたのですか!」


 悲鳴みたいな姫様の詰問に、ニヤニヤ笑いのエビルブロブが回答する。


「楽しく遊んでやったよ。今どこかは俺も覚えてねーな。壊れて捨てた玩具がどうなったかなんて、気にしないもんだろ?」

「そんな……嘘……」


 姫様が茫然自失となり、小刻みに震えだした。心の支えを折られて、ショック状態になっているようだ。

 きっと大丈夫と頼った二人があっさりと倒されて、正気を保つという方が不可能に決まってるじゃないか。

 どうにもならいのに、どうすればいい?

 詰んでしまった将棋盤は、もう片付けられるだけだ。


「こいつらは俺にやらせてくだせえエビルブロブ様。あの女騎士にやられた右腕の恨みを晴らしてえんですよ」


 トカゲ男は言って炭になった右腕をエビルブロブにアピールする。


「好きにしな。ただ、姫の止めだけは俺が刺す」

「わかりました。けひひひ、さあ、どう料理して欲しい?


 下卑た笑を隠そうともせず、トカゲ男が近寄ってくる。ああ、これまでだ。これで僕は終わる。もう二度と生き返ることもなく、僕という存在は消えてしまう。

 思考さえ許されない無へ。


「うおおおおおおああああああああ!」

「なぁっ!」


 雄叫びは、闇が支配する通路の向こうから聞こえた。驚愕からトカゲ男が振り返る間さえ与えられず、剣が背から胸を貫通する。


「姫様に……手は出させ……ない」

「レイ……セル……!」


 一瞬歓喜した姫様の表情は、すぐに曇る。窮地に再び駆けつけてくれたレイセルさんは、あまりにズタボロと化していた。体中傷だらけで、額から流れた血で顔の半分近くが赤く染まっており 息も絶え絶えだ。

 いつ倒れても不思議でない姿で、だけどその気迫は別れた時以上だった。


「おやおや、こいつは少し面白くなってきたな」


 地上からナイアが嗤う。

 そんな声などまるで聞こえてないかのように、レイセルさんはトカゲ男を切り捨て、エビルブロブと姫様の間に割って入る。


「これで地下に残る敵は貴様だけだ!」

「ウェヒヒ、そうみたいだなぁ」


 その勇ましい姿に僕は見入っていたけど、仲間が一人やられても手を出そうとすらしなかったのは、エビルブロブの余裕からとしか思えなかった。


「皆が立ち向かっているのに、私だけ寝ているわけには行かないな……!」

「お前……」


 レイセルさんの気迫に呼応したかのように、もう一人、この絶望的な戦いに立ち上がった者がいた。


「勇者様!」

「ほほう、回復魔法で少しは持ち直したか?」

「ああ、お前を倒せる程度にはな」


 嘘だ。清香の容態だって、レイセルさんとさして変わらない。立っているのだって辛くて仕方ないはずだ。

「チェンジ・アスポート!」


 その魔法が聞こえると同時に、僕の景色は一変して地下から地上に戻っていた。いや、移動させられたのだ。地下でと同じ距離間のまま、レイセルさんと姫様、そして清香も地上へと移っている。


「わたくしだって、まだまだ戦線離脱とは行かないです!」


 この呪文を唱えた張本人とおぼしき少女キスリアが、高らかに戦闘続行を宣言した。レイセルさんや清香に比べると幾らかマシではあるが、彼女だってとても浅いとは言い難い傷を負っているのは見て取れる。


「キスリア、あなたまでそんなボロボロになって……」

「姫様、ご無事なようで何よりです」


 キスリアは弱々しくも、気丈に微笑んでみせた。やはりキスリアもあの二人と同じ気持で、ここまで戦ってきたのだ。

 彼女だって恐くないわけがない。だって、ここには、地上には黒い混沌がいるのだ。ただ在るだけで、人の心を蝕むナイアルラトホテップが。


「ここは私達が命に変えても死守します。だから、姫様はどうか魔物のいない所へ」


 キスリアと清香も、レイセルさんと同じく姫様を守るために、勝ち目のない戦いを挑むつもりだ。


「君もだよ。姫様は頼む」

「清香……」

「ようやく、普通に呼んでくれたな。最後の最後で嬉しいよ」

「最後とか、いうなよ……」


 どうしてだよ。どうしてお前達は、そんな死にそうになってまで戦えるんだ? 痛いだろ? 恐いだろ? どこからそんな強さが沸いてくるんだよ。

 敵と立ち向かうのに最も大事なのは心の強さ。この三人はまさにそれを証明するように敵に挑む。

 でも、それだけじゃ駄目なんだ。


「ウェヒヒ、おいおい逃げられるとでも思ってるのかー?」


 たった一匹で地下に残されていたエビルブロブが、その身体を伸ばして天井に張り付き、ここまで一気に上がってきた。

 エビルブロブとナイアルラトホテップが姫様と僕を挟んでおり、それを守るかのようにレイセルさんと清香が前に出ている。相対するのはさっきまで戦っていた相手と同じだ。キスリアは勇者の向かい側にいて、こっちはナイアーラトテップと挟む形だ。


「場所と人数が変わっただけで、お前達が絶体絶命なのは何も変わらないな」

「だからどうした魔物共、私達は諦めない」

「そうだ、たとえ相手が誰で何人でも、私は勇者としてこの国を守ってみせる!」


 レイセルさんと清香は、どちらと声をかけるわけでもなく、同タイミングで動き出した。


「炎熱斬!」


 レイセルさんはまた剣に炎を纏わせて、エビルブロブとの間合いを縮めた。対するエビルブロブは両腕を伸ばして応戦する。

 一気に距離を詰め襲い来る腕を切り払うため、レイセルさんが剣を横振りにする。だが人間ではあり得ない、関節を一切無視した駆動で、エビルブロブはひらりと剣を躱してしまう。

 エビルブロブの腕はそれだけでは終わらなかった。さらに伸長された腕はレイセルさんの後ろへ回り込み、今度は指が尖角化され、さらに引き伸ばされる。


「うおお!」


 レイセルさんが振り向き指を迎撃しようとするが、指はまたも剣の隙間を通り抜け、レイセルさんを突き刺した。


「がふっ!」

「レイセル!」


 腕を、身体を、足を。

 握力を失って、剣がするりと手から離れる。これで抵抗する手段まで失ってしまった。近接戦タイプのレイセルさんじゃ、あの伸縮自在の軟体は相性が悪過ぎるんだ。


 しかも、圧倒的に不利なのはレイセルさんだけではない。

 清香も勇者の剣で切りかかるが、ナイアーラトテップは右腕の触手を四本指に変えて易々と受け止めてしまい、左の触手を鞭のようにしならせ清香へ打ち付けた。


「フレイムブリット!」


 清香に気を取られている隙を狙ったキスリアが、ナイアーラトテップのコントローラーと思われるナイアを直接狙い、火求を打ち込む。

 だがそれも、ナイアーラトテップから新たに伸びた腕に握りつぶされてかき消されてしまう。


「そんなぬるい炎では、ナイアルラトホテップは火傷も負わんよ」


 腕はそのまま伸びて、キスリアの身体を掴んでさらに加速。後ろの大木へと突撃した。


「あっぐう!」


 手が離れて、また吸い込まれるようにナイアルラトホテップの体内へと戻る。押し付ける力が途絶えたキスリアの身体は力無く地面へと落ちた。


「私とナイアーラトテップを焼き尽くしたいなら、紅い神格でも連れてくることだ」


 こっちは相性どうこうだけでなく、力の差が圧倒的だ。清香やキスリアの攻撃ではかすり傷一つ追わせることさえできない。いや、あいつが相手ではレイセルさんを入れた三対一でさえ返り討ちになるだろう。


「ほんの小手調べで倒されてしまうとはな。これでは手加減のしがいもない」

「く……そっ!」


 小手調べだけで胸の鎧に罅を入れられた清香は、悔しそうに拳で地面を叩く。意志だけでは、何もできない。それは勇者であっても同じだった。


「ウェヒヒ、ずいぶんと脆い最後の抵抗だったぜ」


 どちらの攻防もあっさりと決着し、僕と姫は動きようもなかった。いや、動こうとすれば少しくらいは逃げられたかもしれない。

 僕達の足がここに縛り付けられているのは、やはりナイアーラトテップに対する、圧倒的な恐怖心だった。

 僕だけでなく、姫様の手もずっと震えている。三人が倒され非力な僕達では太刀打ちどろかまともな抵抗だって許されない。


「逃げて……姫様」

「ああん? こいつはまだ立ちやがるか。しつけえなぁおい!」

「どうして……」


 清香は、また立ち上がった。あらゆる希望が絶たれたこの戦いで、どこからそんな力が沸いてくる? お前に残るものは何なんだ?


「まだ、終わってない。私は、戦える」

「そうか、なら、戦えなくしてやろう」


 ナイアーラトテップの右腕が手から触手へ。直進するそれは確かに清香の顔を捉えていて、だけど、目標に触れることは叶わなかった。

 清香に触れる数十センチ手前で、彼女の身体が動いたからだ。それは清香の意志ではなかった。


「何……?」


 初めてナイアに動揺が生じたのを見た僕は、清香を突き飛ばし代わりに触手で首を締められながら、心の中でざまあみろと笑ってやった。

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