第八話 意志と信頼と
プレッシャーは大きかった。恐怖なら尚更だ。
それでも逃げては駄目だと、清香は自分に言い聞かせた。
――私は勇者だから。
――私が逃げたら、たくさんの人達が魔物の犠牲になってしまう。
その想いが、清香を戦場へと走らせた。
恐い。
けど、自分が戦わなかったせいで誰かが死んでいく方が、もっと恐い。
「だから行かなきゃ」
――私が、行かなきゃ。
それが正しいことで、それが勇者のはずだ。
「勇者様……」
「キスリア、恐い?」
「恐くはないです。いえ、恐いは恐いですけど、それより勇者様が、思いつめた顔しているです」
言われて気付く。というか、自分の顔など気にしてる余裕なんてなかった。
「私は大丈夫だ。心配させてごめん、キスリア」
「いえ、勇者様は、わたくしが絶対に守りますです」
「ありがとう。頼りにしてるから」
「はい!」
二人で頷き合う。自分は一人じゃない。仲間がいる。城の外では他の兵士達も魔物と戦っているはずだ。
そう決意を固めて清香が城下町へ駆けつけた時には、街からは紅蓮の炎が幾つも上がっていた。
街の壊れる音。逃げ惑う人々や兵士達の叫び声。
心臓が痛い。
不安と恐怖が急激に高まっていく。
それでも前へ進む。
戦うために、この世界に呼ばれたのだ。
この時のために、訓練を積んできたのだ。
自分にそう言い聞かせている最中に、魔物が襲いかかる。
「新たな人間だー! 俺が狩ってやるぜ!」
背が低くて両耳の長い、緑色の肌をしたゴブリンだ。
大きめの棍棒を振り回しているためか、動きはそんなに早くない。
反射的に清香が後ろへ下がると、棍棒は空振り慣性に振り回されたゴブリンは隙を晒す。
「はぁっ!」
ここは戦場で、相手は魔物。迷っていたら殺される。そんな気持ちから、最初の一太刀は放たれた。
鋼が煌めく剣なのに、羽のように軽い。初めて抜いた時からそうだった。これが剣に選ばれるということなのだろうか。
袈裟斬りで、ゴブリンは二つに切り別れて倒れた。
剣は白く輝き血さえ付いていない。
けど、ゴブリンは中身と体液をぶちまけている。
「あ」
という一語を、繋げて吐き出す。
それは心からの叫びで、心の軋む音だった。
だけどもここはもう戦場だ。殺し、殺される場所だ。
仲間がやられたことにより逆上したゴブリンが、今度は三匹同時に襲いかかってくる。
悲鳴は止まらない。一緒に剣も出た。
一体目の首を落とし、同様する二体目の腹を裂く。棍棒を振り上げた三体目の両腕を断つ。
自分は今、殺している。
相手は魔物かもしれないが、人型で言葉を発する生き物だ。それを殺す罪悪感が清香の心を締め上げる。
身体は動く。これまで鍛えた成果もあるだろうが、それだけではない。生きるために、生かすために、誰かを殺す。
ついさっきまでこの国は平和だった。それを壊したのが暴れまわる魔物達。きっとこの光景はここだけではない。世界中で起きているのだろう。
自分勝手に人の生活を壊し、幸せを奪う。そんなのは許せない。
「てめぇ、てめぇが!」
「私が勇者だ」
腕を失い倒れるゴブリンの頭部に、命を終わらせる一撃。
吐き続ける言葉と共に、守りたいという勇気も、魔物に叩きつける。
それが清香を動かす勇気だった。
「クケェー!」
次の相手は、清香の背後から雄叫びを上げた。振り返る先には大鴉が黒く鋭い嘴を突き出し突撃を仕掛ける。
恐怖と興奮で息を切らせる清香は、意識外からの奇襲にとっさの反応が間に合わない。
「アギャアァ!」
清香が待ち構えた衝撃よりも先に、拳大の火球が大鴉を打ち付けた。
火達磨になった大鴉は地面の上をのたうち回りながら絶命する。
「勇者様、お怪我はありませんですか!」
「キスリア!」
大鴉を焼き捨てた少女、キスリアは一目散に清香の元へと駆けつけて無事を確かめる。
「ああ、私は大丈夫だ。ありがとう」
「良かった。勇者様はこれが初めての実戦なのですから、一人で無茶をなさらないでください」
「でも、今は無茶をしないと勝てないから」
勇者と呼ばれながら自分は弱い。身体も、心もだ。今だって、キスリアが助けてくれなければ、大鴉からの先制を受けるところだった。
「そうです。だから、“二人”で無茶をするのです」
「キスリア……。うん、行こう二人で」
「はいです! 二人で!」
二人の少女。勇者とその従者。
少女達は行く。
危険に晒される人達を、その理不尽から救い出すため、与えられた運命に背かず真っ直ぐに。互いを信じて突き進む。
ただし、
「フフフ、さて見つけたぞ、今代の勇者様」
「人間……?」
「邪神さ」
突き進んだ先にある壁が、全て突破できるものとは限らない。
●
僕と姫様は、二人で一寸先も確認できない闇の通路を走っていた。
僕にしては珍しく、姫様を守るという使命感に駆られていて、がむしゃらに前だけを見ていたのだ。
だが、それも長くは続かなかった。僕がまた魔物に恐れをなしたわけではない。それはむしろずっと恐れているのだけど、この通路で遭遇した魔物については、一目散に逃げ出せるくらいの余裕はある。
余裕という表現自体が間違っていると言われればそれまでだけど、あのナイアルラトホテップに比べれば、あいつらはただ恐いだけの存在だった。
僕が足を止めたのは、姫様のスタミナが尽きたためだ。よって、そこからはまた競歩ペースでの移動となった。
他の魔物が侵入している可能性を考えれば、やはり即刻城から脱出し外へ出ないとならないのだけど、肝心の姫様が守れなければ意味は無い。
しかし、一度ペースを緩めたことで好転したこともあった。
レイセルさんだけでなく、姫様もこの地下通路の構造を知っていると教えてくれたのだ。
これで暗黒の迷宮を延々に彷徨うという展開だけは避けられる。
「少し迂回せねばなりませんが、城から外に出ることは可能です」
「良かったです。これで後はレイセルさんが僕達に追いついてくれさえすれば」
たった一人で、魔物達に立ち向かったレイセルさん。彼女が無事に合流してくれるのを信じて、僕達は先へ行く。
「大丈夫です。レイセルは、一度やると言ったことは必ずやり遂げる子ですから」
「信頼してるんですね」
やはり姫様とレイセルさんの間には、姫と騎士以上の絆がある。僕にはそこまで信じられる友は前世にもいなかったので、純粋に羨ましかった。
「私、昔はかなり意地悪な子だったのです」
「姫様が?」
「ええ、あれはまだ私が十歳を少し回ったような頃でした」
姫様の子供時代なんて、それこそ小さい天使が無垢に人々に愛と笑顔を振りまいている姿しか想像できないぞ。
「当時の私は、寂しかったのです。父様と母様はいつも忙しくしておいででしたし、心を開いて話せる友達もいませんでした」
そりゃあ、一国のお姫様だもんなあ。家族以外の大人の多くは、下心なしで姫様に近付くのは難しいだろう。
「それで、私は誰かにかまって欲しくて、ついわがままを言ってしまっておりました」
「新しい靴が欲しいとか、あれが食べたいとか、ですか?」
「そうですね。それが叶わなければ、コックをクビにしようとしたり、出された食事に一切手を付けず部屋に戻ったりしていました」
思いの外暴君だった。クビにしようと、だよね。実際にはしてませんよね? なんだか恐くてそこまでは聞けなかった。
「そんなある日、私は好きなものが食事にないという理由から、護衛の兵士達がいる中で皿をひっくり返したのです。いつもならその後お父様達に怒られて拗ねてしまい、また意地悪をしてしまうという悪循環だったのですけど、その日は少し違いました」
「と言うと?」
「仕事を覚えるために、その場に同席していた見習いの騎士が、私の所に走ってきて、私の頬を引っ叩いたのです」
「普通に命知らずですね」
流れ的にそれが誰かは予想できるけど、あえて姫様に言ってもらうことにする。
「それが、レイセルと私との初対面でした。レイセルは、近辺の村が不作で苦しんでいるのに何てことをするんだって、私を怒鳴りつけました。私はびっくりして、そのまま泣き出しちゃいました」
見習いとはいえ、護衛がその対象を傷付けたんだから、場内騒然だろうなー。部外者としてなら少し見てみたい気もする。
「そこからはまあ一悶着あったのですけど、最終的に私は心から私を想って叱ってくれるたった一人の友達として、レイセルが大好きになりました。その友達がある日私に言ってくれたのです」
姫様はそこで最も美しい想い出を焦らすように、一呼吸置く。
「私はまだまだ未熟で見習いの騎士だけど、いつか一流の騎士として認められてフレヌチカを誰よりそばで守ってみせるって」
そしてレイセルさんはその約束を守り、守護騎士として姫様を守り続けてきたんだ。
「レイセルさんは、自分を貫き通して姫様を守っていたんですね」
叶わないや。本当あの人には、これまでもこれからも頭が上がりそうにない。そこでふと、僕もレイセルさんが無事戻ってきてくれると自然に信じていることに気が付いた。
「レイセルに勇者様。お二人が全力でこの国を守ってくれているのですから、きっと大丈夫です」
「ええ、僕もそう思います」
僕が姫様に同意すると同時に、すぐ先の天井が崩落してきたのだから。
もしかして僕は、この世界にとってバグどころか疫病神なんじゃないのかな?
「きゃあっ!」
僕はまたとっさの判断で胸の下に覆い隠すように姫を抱きしめ、後ろへ下がる。
崩れてきた天井の範囲はそんなに大きくはないけど、それでも耳ざわりに最悪な大音量と、倉庫以上の土埃が舞った。
そして、落ちてきたものは元天井だった瓦礫だけではないようで、その中から小さな呻き声も聞こえてくる。
「誰か、誰かそこにいるのですか?」
呻きは人の声だったようで、姫様が心配して声の主に言葉をかける。反応がないので、姫様にはここにいてもらい、僕が様子を見に行くことにする。
いつでも逆走して姫様と一緒に逃げられるよう気を配りながら、ホルスターからナイフを抜き、恐る恐るで近寄っていく。
そして、生唾を飲み込み確認した瓦礫の中央にいたのは見知った少女だ。
「お前……清香」
「勇者様なのですか!?」
光る剣を片手に握ったまま、世界を救う存在の勇者が満身創痍で仰向けに倒れていた。嘘だろ、おい。
「おやおや、早い対面になったな」
上からかけられた声に僕はさらなる絶望を味わう。黒い肌と銀髪の女、ナイアがそこでシニカルな笑みを見せていた。