第七話 回る運命と砕ける歯車
姫様は優しく、そして自分の立場を全うしようとする芯の強さを持っている。今回はそれがそのまま仇となってしまっていた。
国民が魔物に襲われ、父と母、そして国中の兵士達がそれに対して正面から抵抗しているのに、自分だけが逃げる。それが許容できないのだ。
「姫様、これは国王様からのご命令なのです」
「お父様が?」
「そうです。だからここはお逃げください」
レイセルさんが姫様の手を引こうとするが、姫様はそれに応えない。
「たとえお父様のご指示でも、私だけ逃げるなんて……」
「フレヌチカ、お願いだからここは私のお願いを聞いて!」
歯噛みするレイセルさんが、急に話し方を変えた。それに対してすら姫様は悲しそうな顔をする。
「ありがとうレイセル。あなたは私にとっては最高の騎士であり、親友よ。でも、私はフレアルド王国の姫なの」
きっと二人だけの時にしか見せないはずの関係さえ表に出して、姫様を安全な場所に避難させようとするレイセルさん。自分の立場から、大切な友人の言葉を聞くに聞けない姫様。
僕はまさに蚊帳の外で、故にここで一番冷静になれたのだろう。
「姫様、姫様はだからこそ、逃げないといけないのだと思います」
「もう一人の勇者様まで……」
落ち着いて聞いてください、と僕は前置きして話を続ける。
「国王様達が必死に戦っているのは、今この国を全力で守るためです」
「そうです。だから私だってこの国のためにできることをせねばなりません」
「その逃げることが、姫様が今一番やらねばならないことなんです」
「何故ですか!」
この先を言うとレイセルさんにすごく怒られるんだろうなと思うけど、言えるのは部外者の僕でもある。
「だって姫様、今は僕と一緒で役立たずじゃないですか」
「そんな、それは……」
姫様は言葉を詰まらせる。意外とレイセルさんが何も言ってこないけど、恐いから姫様だけを見ておこう。
「王様達は命懸けです。それもまさに言葉通りなのですから、この戦いが王国の勝利に終わったとしても、王様やお妃様が五体満足である保証はどこにもありません」
我ながら目茶苦茶不敬な問題発言をしている。
姫様は涙目で僕を睨み何も言わなくなった。ナイアルラトホテップとはまた別の意味で心臓が痛いが、これは話に効果があっての展開だ。そうでなければここまで言って、レイセルさんは無言を貫いているはずがない。
「王様が姫様だけを逃がそうとしているのは、戦いが終わった後のためです」
「終わった後……」
「戦いに勝って魔物を追い払ったとしても、被害は小さくないでしょう」
現に城にも魔物が侵入しているのだ。外の様子がどうなっているのかは、見なくても想像できる。
「国王様が倒れていたのでは、国民はこれからどうすればいいのか不安になってしまい、復興にも支障をきたします。その時、この国を引っ張る役目を負うのが、あなたなのです」
「その通りよ、フレヌチカ」
俯く姫様にレイセルさんが一歩前に出て、また手を取るために腕を伸ばす。後もう一押しだ。
「国王様達が今を守るなら、姫様が未来を守るのです。そのためにあなたは、たとえ恥だとしても逃げなければならない。あなたの死は、フレアルドの死です」
こういうものは言い過ぎくらいが丁度いい。僕のやるべきは、姫様の逃げるという選択肢以外を全て破棄させることなのだ。
「…………わかりました」
少し沈黙があった後、姫様がレイセルさんの手を握る。手と一緒に希望を繋いだように、レイセルさんに安堵の笑顔が浮かんだ。
「二人共ありがとう。私は必ず、生き延びてこの国を守りぬきます」
こうして僕達は城の地下へと降りることができた。通路は狭く三人も並べば動けなくなる。
またレイセルさんが何かを操作したのだろう。入り口が閉まり、光が失われ足元が見えなくなった。
「急ぐのに変わりはありませんが、ここからは走らず足元に気を付けて、絶対に私からはぐれぬようにお願いします」
「はい、わかりました」
「了解です」
レイセルさんが松明代わりとして剣に炎を灯した。通訳魔法で僕と話ができたように、レイセルさんは剣だけでなく魔法にも精通しているのだ。
レイセルさんを先導に、姫様、僕と続く。ここで一緒に逃げてる理由がいまいち不明瞭な僕でも、殿になって姫様の盾にはなれる。恐怖が極まったら人を押しのけ逃げるより、へたり込んでしまうタイプだとわかったしね。
「ありがとう」
「へ?」
地下を歩き出してレイセルさんが僕に礼を言った。なんのことだかわからず、ポカンとする僕。かっこ悪い。
「お前がいてくれたから、ここまで安全に逃げられている」
「そんな、というか僕こそ逃げる以外何もしてませんよ」
日本人特有の謙虚さではなく、単なる事実なので泣けてくる。さっきも泣いてたし。
「謙遜なさらないで下さい、もう一人の勇者様がいなければ、きっと私は未だに城内で駄々をこねていたでしょう」
「口下手な私では、あんな風に姫様を諭すことはできなかった」
思いもよらない褒め殺しが始まってしまった。あんなのとっさに思いついた内容を大げさに話しただけだ。
「僕こそ、姫様に役に立たないなんて言ってしまって、申し訳ありませんでした」
「いいえ、それは真実です。私は口では戦うと言いながら、無力な自分から逃げていただけでした」
「それは違うと思います。だって姫様はずっとこの国のために頑張ろうとしているじゃないですか」
この二人を見ていると、自分のためだけに逃走中の自分が、とても矮小に見えてしまう。
「それと僕を勇者と呼ぶのはそろそろやめた方がよろしいかと」
「どうしてですか?」
「だって、真の勇者は今この国のために剣を抜いて戦っている、彼女一人だけですから。死にたくないから逃げているだけの僕を、そう呼んではいけません」
もうつい一時間前までの虚勢すら消え去って、僕は自分を勇者だと考えるのを恥じてさえいる。人って悪い方にはあっさり変わるものだね。
「私にとっては、貴方も勇者様です。今だって私の道を照らして下さったではありませんか」
照らしたというより、追いやったと言うべきだ。逃げることは仕方ないのだから、そこに理由を付ければいい。これは、多様な価値観に生きている地球人の思考なのかもしれない。
「それに、お前が魔物の侵入を報せてくれたおかげで、穴の開いた場所を避ける脱出ルートを選べている。逃げたことだって無駄じゃない」
それはただの結果論だと思うのだけど、そこより気になる部分があったので聞いておこう。
「ルートって、地下通路への入り口は他にもあるんですか?」
「ああそうだ。この通りな」
炎に照らされた通路は二手に分かれていた。道順を知らない僕からすれば、ほぼ迷宮に近い構造だ。
「この通路は緊急避難用なのでな。出入り口が幾つか設けられている」
レイセルさんは右側を選択し、僕達は大人しくそれに付いていく。そんなことが数回続いた。
ああ、紆余曲折あったけど無事安全地帯へと逃げられそうだ。なんて安堵した時に限って、レイセルさんの足が止まる。そして警戒心を強めた厳しい口調で、レイセルさんが通路の向こう側へ告げる。
「そこにいるのは何者だ!」
「ウェーッヒャッヒャッヒャ……みぃつぅけぇたぁぜ」
炎から発される薄明かりの影からそいつらは現れた。鱗がびっしりと付いたトカゲみたいな男に、五十センチはありそうな大型のコウモリが二匹。さらに一歩引いた位置には紫色で人型のスライムが粘質そうなゼリーを歪ませて邪悪な笑みを作っていた。
「まさか、城への侵入だけでなく、地下通路まで見つけてくるとはな」
「ウェヒヒ。こっちにゃかなぁり気持ちわりいが、強力な助っ人がいるんでなぁ。変な触手を伸ばしたと思ったら、すぐさま地下室が在ることに気付いて、スイッチを見つけやがったぜ」
気持ち悪いと触手ですぐにあの黒い肉の塊が連想される。恐らく、その想像は間違い無いだろう。奴らは本来こっちの世界にはいないはずの存在で、魔王軍に加担しているのならゲストとして扱われていても不思議ではない。
「姫様、お逃げください。ここは私が食い止めます」
レイセルさんが剣を構えて、姫様の体を後ろへ隠すように前へと歩みでる。もうここでの戦闘は避けられない。
「逃がすわけねーだろうが。俺らの狙いは別にあるが、王族の首を取れば四天王様へのいい手土産になるからなぁー!」
「それこそ、この私がさせるわけないだろう」
「テメェらに拒否権なんざねぇんだよ、行きな!」
スライム男の号令一つで、巨大コウモリが二匹同時に突進をかけてくる。僕は体が反応するままに、姫様の肩を掴んで、こちらへ引き寄せ抱きしめて僕との位置を入れ替えた。
「的だよ」
レイセルさんは迫る魔物に焦ることなく、袈裟斬りで一匹を炎で包み切り落とし、そのまま返しの太刀でもう一匹を焼き払った。
「こいつ、意外にやりやがる」
「させないと言った」
あっという間に仲間が半分になり、トカゲ男が焦りを見せる。流石は姫様専属の魔法騎士、とんでもない頼もしさだ。そこらの雑魚モンスターでは相手にもならない。
けどリーダー格のスライムの方は、笑の造形は崩さず、トカゲ男をけしかける。
「あんな探索用の雑魚二匹がやられた程度で焦るんじゃねーよ。人間ごときにこの四天王直轄のエビルブロブ様が負けると思うか? おら、テメェもさっさと行きな」
「姫様、早く! お前はこれを持っていけ。もしもの時は頼んだぞ」
「は、はい! 行きましょう姫様!」
レイセルさんが腰に差していた短剣をホルダーごと僕に投げ渡す。焼け石に水と思うが、このまま丸腰で姫様を連れて逃げるよりはマシだろう。
僕は姫様の手を引っ張り元きた道を逆走し始める。
「レイセル……ここはお願いします!」
「生きて合流しましょう、レイセルさん!」
出口なんてわからない。それでも僕達は行くしかない。
レイセルさんはトカゲ男の爪剣で受け、逆に相手の腕を燃え盛る炎で焼きながら、言葉だけ僕達に応える。
「フレヌチカを残したまま、私は死なないさ!」
その言葉を信じて僕達は二人、闇の中を駆け抜けるのだった。