最後の揺れ
002 最後の揺れ
薄暗く、無数の亀裂が走る金属の壁に囲まれた部屋。ボロボロの耐震スーツを纏った老人が、時代遅れの観測機の前に座っている。
時折、足元から低い地鳴りが腹の底を突き上げる。
23世紀初頭、地球は地獄を見た。ユーラシア、北アメリカ、太平洋。本来ならありえないはずの三つのプレートが、同時に悲鳴を上げた未曾有の大震災。
あの朝、俺は東京の50階建てマンションに、妻と子と共にいた。
妻がコーヒーを淹れ、娘は小学校の制服に袖を通していた。
最初は小さな揺れだった。怖がる子供に、俺は笑って言った。
「ほら、これくらいなら大丈夫だよ」
次の瞬間、世界が縦に、横に、斜めに引き裂かれた。
タワーは波打ち、家族は壁に、床に、天井へと無惨に叩きつけられた。
俺だけが生き残った。いや、奇跡ではない。十年前の事故で入れた義足が、揺れを吸収し、狂ったように踊る床の上で踏みとどまらせたのだ。
それから百年以上。人類は地球を捨て、火星やエウロパへと散らばった。
俺は自ら望んで、氷の海の下に潜る地震観測員になった。
ここでの仕事は、ただ揺れを記録することだ。
揺れるたびに思い出す。妻の最期の声、娘の小さな手の感触。
「お前の体はもう限界だ。全身の人工骨が悲鳴を上げている」
医者の宣告は冷ややかだった。観測員になる際に身体中の骨を人口骨に入れ替えている。あの憎らしい揺れを近くで観測するには生身では耐えられない。振動制御仕様の人口骨でないと数日で全身骨折となってしまう。
あぁ、俺の体の中のプレートも、地球と同じように動き続けているんだな。老いるということは、自分自身の内側で、ゆっくりと確実に大地震を起こし続けることなのかもしれない。
老人が立ち上がった瞬間、室内の空気が凍りついた。いつもとは違う、地響きというよりは咆哮に近い轟音。
壁の亀裂が、ビギィッという音を立てて大きく口を開ける。避難警報が鳴り響き、壁から海水が噴き出し始める。俺は動かない。観測機の最後のデータを、地上へ送らなければならない。
この百年間、俺が記録し続けたすべての「揺れ」を。
人類がどんなに引き裂かれても、それでも種を蒔き、家を建て、愛し続けた証拠を。
もし、この記録を聴く者がいるなら……年寄りの戯言だと思って聴いてくれ。
地震は、大地が「生きている」証だ。
俺たちも同じだ。
揺れながら、軋みながら、それでも立っている限り。
俺たちは、確かに未来へ繋がっているんだ。
さあ、来い。俺の、最後の大地震。




