第百十七話 もう戻れない二人
人は、“過去へ戻りたい”わけじゃない。
あの時そこにあった感情を、失いたくないだけなのかもしれない。
真奈と別れたあとも。
レンは、しばらく昔の街を歩いていた。
冬の空気は冷たい。
でも。
胸の奥には、不思議と穏やかな熱が残っていた。
昔なら。
真奈と再会しただけで、もっと壊れていた気がする。
後悔。
執着。
寂しさ。
いろんな感情へ飲まれていた。
でも今は違う。
ちゃんと痛みはある。
でも。
“今の自分”を失うほどではなかった。
その時。
スマートフォンが震える。
美月だった。
レンは少し迷ってから出る。
「もしもし」
『あ、出た』
いつもの声。
少し安心する。
美月は続けた。
『今なにしてたの?』
レンは歩きながら答える。
「昔住んでた街来てる」
一瞬、沈黙。
そして。
美月が静かに聞く。
『……そっか』
レンは、なんとなく隠したくなかった。
だから。
そのまま言った。
「真奈と会った」
電話の向こうが静かになる。
レンは空を見る。
白い冬空。
美月は、しばらく黙っていた。
やがて。
小さく笑う。
『なんか、不思議だね』
レンが眉をひそめる。
美月は続けた。
『昔だったら、多分私』
『めちゃくちゃ不安になってた』
レンの胸が少し揺れる。
美月は苦笑した。
『“まだ好きなんじゃないか”とか』
『“戻っちゃうんじゃないか”とか』
『そういうの考えて』
少し間。
そして。
静かな声で続けた。
『でも今は』
『ちゃんと、レンの時間なんだなって思える』
その言葉が、胸へ静かに落ちる。
レンは歩みを止める。
昔の自分たちは。
“相手の全部を自分へ向けてほしい”恋をしていた。
だから苦しかった。
でも今は。
相手に、“自分以外の時間”があることを受け入れ始めている。
その時。
レンがぽつりと呟く。
「……戻れなかったよ」
美月が静かに聞いている。
レンは続けた。
「真奈と話して、ちゃんと思った」
「もう、あの頃の俺たちには戻れない」
冬の風が吹く。
苦しかった恋。
依存。
壊れそうだった日々。
でも。
だから今の自分たちがある。
真奈も。
レンも。
あの痛みを通って、変わった。
美月は、小さく笑った。
『そっか』
その声は、少しだけ優しかった。
レンは、ふと聞く。
「美月は?」
『ん?』
「戻りたいって思うことある?」
電話の向こうが静かになる。
長い沈黙。
やがて。
美月が、静かに答えた。
『……あるよ』
レンの胸が少し痛む。
美月は続ける。
『でも、多分』
少し笑う。
『戻りたいんじゃなくて、“失いたくなかった”んだと思う』
その言葉に。
レンは静かに目を閉じた。
人はきっと。
過去へ戻りたいんじゃない。
あの時、確かに存在していた感情を。
失いたくないだけなのだ。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、“戻れない恋”について描いてみました。
時間は残酷だけど、同時に、人を少しずつ優しくもしていく気がします。




