三日目の試練・女王の詰め将棋
2041年5月、平和島。予選最終日。
連日の激走と、36歳という年齢の壁が、ついに健太を襲っていた。
「……っ、う……」
早朝のピット。健太は愛機『ハヤブサ』の点検中、激しい立ちくらみに襲われ、艇に手をついた。
マブイ酔い(異常振動症)。
低出力のコアマブイを限界まで絞り出し続けた反動だ。視界が二重になり、指先が微かに震える。
「あら。もうキャパオーバーかしら? 経理部の予算繰りみたいに、魂の残量も管理すべきだったわね」
冷ややかな声とともに、霧島麗華が歩み寄ってきた。
黒髪ロングをなびかせ、モデルのようなスタイルで立つ彼女からは、22,000超えのマブイが安定した波動となって放たれている。
「……霧島さん。……余計なお世話ですよ。まだ、決算までは時間がある」
健太は震える手で眼鏡をかけ直し、不敵に笑った。
「あなたのレースは、結局『執念』という名の博打。私には通用しないわ。今日のレースは、一手も動かせないまま詰ませてあげる」
第12レース:女王の結界
平和島の空は晴れ渡り、逆にビル風が鋭さを増していた。
1コースに霧島麗華。3コースに佐伯健太。
プロの世界の厳しさを教えるかのように、麗華は完璧な「ライン取り」で健太の進路を封じにかかる。
「……スタート!」
スリット通過。麗華の1号艇が、まるで定規で引いたような直線を描いて1マークへ。
健太も食らいつくが、マブイ酔いの影響で反応がコンマ数秒遅れる。
「終わりよ、おじさん」
麗華のターンは芸術的だった。
力でねじ伏せるのではなく、水面の流れと風を完全に支配し、他艇が入り込む隙を一切作らない「鉄壁の旋回」。
健太の3号艇が内を突こうとするが、麗華の引き波が完璧な障壁(結界)となって、ハヤブサを外へと弾き出す。
(……くそっ、ラインが……読まれてる……!)
第1マークを終えて、麗華が独走態勢。
健太は3番手。このままでは準優勝戦への進出は絶望的だ。
逆襲:社畜の残業代
2周目、第1マーク。
健太の視界はさらに霞んでいた。心臓が早鐘を打ち、マブイが底を突きかけている。
だが、その極限状態の中で、健太の脳裏に「サラリーマン時代」の記憶が蘇った。
(……締め切り直前の深夜2時。予算の1円が合わず、意識が遠のく中、何度も何度も帳簿を読み返したあの夜……)
あの時の「執念」に比べれば、この程度の眩暈は何だ。
健太はマブイの流量制限を**「解除」**した。
エンジンが悲鳴を上げ、艇体が激しく振動する。
「……これは、俺の『残業代』だ!!」
健太は麗華が絶対に「来ない」と踏んでいた、最も波の荒い最短コースへとハヤブサを突っ込ませた。
それは、麗華の論理的な将棋盤を、盤ごとひっくり返すような暴挙。
「な……ッ!? 正気なの!? そこで全開なんて!」
麗華が驚愕する。
健太は荒波に叩かれ、艇から放り出されそうになりながらも、0.1mm単位の微調整でハヤブサを御した。
麗華の「遅らせ差し」のさらに内側。
水飛沫の中に、ハヤブサの鋭い眼光が煌めいた。
決着:執念の1ミリ
ゴール直前。
先行する麗華の1号艇に、健太の6号艇が鼻差で並びかける。
判定は――。
「……同着!?」
平和島の掲示板に、1と3が同時に点滅する。
女王の完璧な計算を、おじさんの「死ぬ気の実地調査」が土壇場で捉えた。
レース後
ピットに戻り、健太は艇から降りるなり崩れ落ちた。
「……はぁ、はぁ……。……計算、合いましたか……霧島さん」
麗華はヘルメットを脱ぎ、悔しさに顔を歪めて健太を見下ろした。
だが、その瞳には明確な敗北感と、そして隠しきれない「戦慄」があった。
「……信じられない。あんな不合理な走りで……。あなた、本当に人間なの?」
麗華はそう言い捨てて立ち去ろうとしたが、立ち止まり、背中を向けたまま呟いた。
「……準優勝戦、楽しみにしてるわ。……あなたの『帳簿』が、どこまで保つのか」
その言葉には、女王が初めて認めた「ライバルへの敬意」が混じっていた。
一方、西貴斗や白石悠真は、健太の異常な追い上げに、もはや恐怖すら感じ始めていた。
「……よし、鉄。……次は、準決勝だ」
健太は駆け寄ってきた石原校長と鉄(の差し出した冷たいタオル)に支えられ、静かに闘志を燃やした。




