9 私は、このままがいい
蒼嵐の魔女と呼ばれた魔術師の一生は、進み続ける一生だった。
尊大にして曲がっていることを許せない質だった魔女は、各地で犯罪者や悪徳貴族と戦ったのだ。
中には勝利と言えないものもあったが、概ねどこでも成果を出し、強者として畏れられていた。
そんな魔女が仲間だった男性と結婚し、子をなして、そして夫に先立たれたのは比較的魔女が年を取ってからのことだ。
魔女は残された息子に、自分なりの愛情を持って育てたが、それは厳しすぎる愛でもあった。
息子が十になるかならないかというところで出奔。
以後、魔女は息子とかかわらない人生を送る。
一人になったことで、かつてほど苛烈ではないが、魔女としての人生をまた送り始めたのだ。
そんな二人が交わるのは、息子が聖女と呼ばれるとある女性と結ばれたため。
息子自身もあれから年月が経ち、見違えるほどまともで――そして自分にどこか似ている――青年になっていた。
そんな息子が、ある理由から母である自分を頼ってきたのだ。
そこまできたら、魔女としては受け入れるしかなかった。
なにせ、魔女自身が自分を頼ってくれたことに喜びを感じていたのだから。
だが、それからしばらくして息子夫婦は亡くなった。
事故だった。
魔女が気付いたときにはふたりとも息を引き取っており、そこには一人の赤ん坊だけが残されていたのである。
息子に子どもができたことは、知っていた。
それがまるでかつて夫に先立たれた時、残された息子と同じように、自分に残されるなんて魔女は思いもしなかったのだ。
体の弱かった夫はともかく、息子夫婦は至って健康で、到底自分より先に死ぬとは思えなかったから。
二度も大切な人達を失って、さすがの魔女も疲れてしまった。
息子夫婦が残した孫娘――アシェット、と生まれる前から夫婦は名付けていた――はもちろん育てる。
また息子のように家を飛び出してしまうかもしれないけれど、そもそも自分はもう長くないのだ。
どちらにせよ、限界までアシェットを育てることには変わらない。
ただ、それでも魔女はもはや、それ以上のことができなかった。
夫婦から、二人が何故ゴーレムを作ろうとしていたのか、までは知っている。
その実験は、今も続けることが可能であることも。
けれど、できなかった。
いや、ほそぼそと続けてはいた。
けれども昔ならためらうことなく実行できた危険な実験を、魔女は実行できなくなっていたのだ。
恐ろしいと、そう感じてしまったから。
今になって死ぬのが怖くなったかと、魔女は自嘲する。
ただそれ以上に、やっている暇がなくなったから、というのもあるけれど。
アシェットが固有魔術を暴走させたのだ。
こうなる時がいつか来るとは、思っていた。
固有魔術をアシェットが使えることは解っていたのだから。
ただ、使えるようになるのはもっと後だと思っていたから、物心がついてすぐに使えるようになるのは予想外だったが。
ただそこからの自分の行動は、今でも理解できない行動だった。
一度叱っただけで、その後アシェットに何のアクションも起こさなかったのである。
普段なら、祖母はもっと厳しくアシェットをしつけていたはずだ。
それなのに、アシェットが大人しく表面上は言うことを聞いているようにみえたから、という理由で躾を怠った。
何故か? 今でも、それはわからない。
結局アシェットは更に固有魔術を暴走させ、魔術制御を教える必要が出てきた。
そこから、アシェットは魔女の懸念もどこへやら、健やかに――そして怠惰に――育っていく。
ああ、いやしかし。
魔女の懸念とはなんだったのか。
どうして自分は、一度アシェットの躾をためらったのか――今でも、魔女はその答えを持っていない。
◯
「――さま、ばあさま」
ふと、声をかけられて目を覚ます。
――ああ、まだ生きている。
”祖母”が最初に感じたのは、そんな感情と――アシェットが視界に入ってきたときの安堵だった。
「……ばあさま、起きた。生きてるか、ばあさま」
「…………ああ、生きてるよ。ったく、あんまり耳元で騒ぐんじゃないよ、頭が痛い」
「あ、あ、直ぐに治癒魔術するから」
「――治癒魔術?」
アシェットの頭をぽん、と撫でるように叩くと、祖母は自分の体が普段と比べて快調であることに気付く。
これは――なるほど、アシェットが治癒魔術をかけ続けたのか。
あのバカみたいな魔力で、ひたすら起きるまでかけ続けたのだろう。
頭に載せた手をわしゃわしゃと揺らしつつ、祖母は起き上がった。
「まったく、無茶するね。他のやつが同じコトやってたら、今頃魔力切れで干からびてるよ」
「でも、それは……ばあさまに死んでほしくなかったから。私の治癒魔術なら、どれだけ死にかけでも死んでなければ直せるって、ばあさまいっただろ」
「――悪いね、そいつはあたしには効かないよ」
アシェットの手が止まる。
祖母が目を覚ましても、未だに治癒魔術をかけ続けていたのだ。
「治癒魔術は、身体を正常な状態に戻す魔術だ。だから怪我や病気みたいな正常じゃない状態なら効果を発揮する。でもね――あたしゃこれが正常なのさ」
「……それ、は」
「寿命ってやつさね。ま、もう九十も生きてるんだ、これが当然ってもんだよ」
「ばあさま、そんなに生きてたのか!?」
なんだ、知らなかったのかと祖母は苦笑する。
祖母も、そして息子夫婦も子どもができたのはかなり遅かった。
お陰で初孫のアシェットが育つ頃には自分は九十の老いぼれである。
そんな、当り前のことに驚くアシェットに、祖母は思わず苦笑した。
「だからかまやしないのさ。自然の摂理ってやつに反するのは、正しくない。だったらこのまま――」
「――――やだ」
「あん?」
そして諦めるようにこぼした言葉に、帰ってきた言葉は想定外のものだった。
「いやだ……ばあさまに、死んでほしくない」
「あんたね、そんなの無茶に決まって――」
「無茶でも! 私がばあさまに治癒魔術をかけ続けてばあさまが元気になれば、もう少しばあさまは生きられるだろ!?」
「……それは」
「私はいやだ……ばあさまが死ぬのもいやだ……だけどそれ以上に」
そして、涙を堪えた顔でアシェットは顔を上げる。
「私、ばあさまのこと何も知らない!」
「……!」
「ばあさまが何歳かも知らなかった! ばあさまからいろんなことを教えてもらったけど、ばあさまのことは何も知らない!!」
すがるように、アシェットは言う。
「だから、少しだけでいい。ばあさまが生きていけるだけでもいい」
それは――
「私は、このままがいい……!!」
祖母にとっては、考えても見ないことだった。
このままがいい。
それは、すなわち自分から停滞を選ぶということ。
先延ばしによって、現実から目を逸らすことだと祖母は思って生きてきたからだ。
でもそれは、最後までそうしなければ行けないということではない、と。
アシェットは、そう言っているように思えてならない。
アシェット自身が怠惰で、現状維持を好むことを祖母は知っている。
しかし、それ以上に。
最後くらいは、止まってもいい。
アシェットが、そう言っているように思えてならないのだ。
祖母はずっと、進み続けて生きてきた。
しかし、一度だけ足を止めたことがある。
アシェットへの躾を怠った時。
あの時まちがいなく、祖母は歩みを止めていた。
アレは――きっと、怖かったからなのだ。
アシェットという最後に残された孫に、見捨てられて人生を終えることが。
たとえアシェットが純粋な自分の孫ではなかったとしても。
「ああ、まったく――」
祖母は、気がつけばアシェットを抱きしめていた。
「……本当に、仕方のない子だね」
最後くらいは止まってもいい。
進み続けてきた自分の一生に、最後くらいは穏やかで、そして幸福な停滞があってもいいだろう。
アシェットは、そう言ってくれた。
だったら、アシェットもまた――停滞を続けてきたこの孫娘も、最初の一歩を歩まなければならないのだ。
無論、自分のように壮絶な人生を送る必要はない。
それでもアシェットが、明日を楽しくしたいと言ったのなら、その最初の一歩は絶対に――踏み出さなければ始まらないのだ。
その一歩を、進ませる。
祖母はそう堅く決意して、自分の最後の人生をアシェットに捧げると、そう決めた。




