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短編集

『大っ嫌いなんだから。……でも離さない』

作者:

 クラスで席が隣ってだけで、毎日毎日「綾ちゃんおはよー!」って飛びついてくる。本当に春香はうるさい。

いつも笑ってて、いつも無防備で、いつも私の腕に抱きついてくる。犬みたいな女の子。


「だって綾ちゃんの匂い、落ち着くんだもん」


 平気な顔でそんなこと言う。

頭おかしいんじゃないのって、何回思ったか分からない。

でも、そのたびに心臓が変な跳ね方をするのは、たぶん急に抱きつかれるからびっくりしてるだけ。

……本当に、それだけ。


 今日も朝からだった。


「おはよー、綾ちゃん! 今日も一緒に登校しよ!」


 校門で待ち構えていた春香が、私の腕をぎゅーっと掴む。

制服の袖が少し捲れて、春香の細い指が直接肌に触れた瞬間、心臓がうるさく鳴りだした。


「離して。暑苦しいから」


 私は素っ気なく手を振り払う。

ちゃんと振り払ったはずなのに、指先の感触だけ、まだ腕に残ってる。


 でも春香はへこたれない。むしろ、もっとくっついてくる。


「えー? 綾、最近ちょっと冷たくない? もしかして私、嫌われてる……?」


 上目遣いで見上げてくるその顔が、ずるい。

瞳が少し潤んでいて、唇が震えてる。

そんな顔で見ないでほしい。ずるすぎる。


「嫌いじゃない」


 思わず小声で呟いたら、春香の顔がぱっと輝いた。


「えっ、今なんて……?」


「なんでもない! 聞こえなかったでしょ!」


 私は早足で教室に向かう。

後ろで春香が「待ってよー!」って追いかけてくる足音が聞こえてくるけど、無視した。

……全く、なんでこんなに胸がざわつくのか分からない。


 放課後。

私が一人で教室の掃除当番をしていたら、ドアが開く音がした。


「綾、一緒に帰ろ?」


 振り向かなくても、声だけで誰か分かる。

黒板消しを動かす手を止めないまま、私は短く答えた。


「……今日は用事があるから、先に帰ってて」


 嘘だ。用事なんてない。

ただ今日はなんだか、まともに春香の顔を見るのが怖かった。

目が合ったら、さっきの「嫌いじゃない」が、また勝手に口から出そうで。


 春香は少し黙って、それから静かに近づいてきた。


「……ねえ、綾」


 突然、制服の裾をそっと掴まれて、心臓がどくんと跳ねる。


「私、綾のこと……本当に大好きだから」


 声が震えてた。

いつものふざけた「好きー」とは全然違う、真面目な声。


「冷たくされても、離れたりしないから。

……だから、もう少しだけ、私のこと見ててくれますか?」


 ずるい。

こんなの、ずるすぎる。

そんなこと言われたら、もう誤魔化せないじゃん。


 私はゆっくり振り返って、春香の顔を見た。

泣きそうで、それでも笑おうとしてる顔。

今にも涙がこぼれそうなのに、必死で堪えている顔。


「バカじゃない」


 私が呟くと、春香の目から、ぽろっと涙がこぼれた。


「私だって……」


 声が掠れる。喉の奥が熱い。

それでも、ちゃんと言葉にしたかった。


「私は、春香のことなんか……大っ嫌いなんだから」


 そう言いながら、私は春香の手を、そっと握り返した。

さっき裾を掴んでいた指を、一本ずつほどいて、そのまま自分の指を絡める。


「……でも、離さないから」


 春香の顔が、泣き笑いみたいにくしゃっと歪む。

困ったように笑って、子どもみたいな顔で泣いてる。


 それを見て、私の胸が熱くなった。

もう、隠せないや。

私、この子のこときっと好きなんだと思う。

……多分、春香が思ってるより、ずっと。

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