7話 結局あまあまです
食後になると、その使用人は私の服を着せ替えてくれる。
オレンジ色をした、かなり明るい印象のワンピースだ。
一応、赤子用の晴れ着なのだろう。
いよいよ、どういうことだと思っていたら、扉がノックされて、私の服や髪を整えてくれていたその使用人はびくっと跳ね上がった。
すぐに部屋の端へと引っ込んで、そこでぴしっと背を正す。
それを不思議に思っていたら、厳しい顔つきをした体格の大きな男性が入ってきた。
口元にもフェイスラインにもたっぷり蓄えた立派すぎるヒゲ、眉間に深く刻み込まれた皺に、睨みつけるような鋭い視線――。
明らかにただものではない。
というか、裏社会の人にしか見えない!
そう思っていたら、リディアとレイナルトが続いて入ってくる。
「お父様、この子がアイですわ」
そこでリディアが発した一言で、私は察した。
どうやら、この人はリディアの父親、エヴァン公爵らしい。
つまり、リディアの娘として育てられている私から見れば、祖父にあたる存在だ。
ゲームでは、シルエットとして表示されるだけで、リディアが断罪される際などに少し出てくる程度。
たしか、「どうしてこんなことに」なんてセリフだったが、声は当てられていなかったから、分からなかった。
「……なるほど、この子が」
見た目通りの渋い声で、彼は漏らす。
それから私の元まで来ると、顔をまじまじとのぞき込んでくる。
正直言って、怖かった。
泣いてはいけない。泣いたら機嫌を損ねてどうなるか分からない。
そうは思うのだが、その恐怖は一歳児には到底抗いがたく、目にはうるりと涙がたまってしまう。
「抱え上げさせてもらってもいいか?」
そこへ追い打ちをかけるように出てきたのがこの発言だ。
リディアが「いい?」と私に確認してくるのに、それとなく首を縦に振る。
というか、断わったらどうなるか分からないし、それしかできなかった。
力強く太い腕で、私は一気に抱え上げられる。
近くであの厳めしい顔を見たら、さすがに泣いてしまう。
私はそんなふうに警戒して目をぎゅっと瞑る。
が、しかし。
「かわいい~」
彼から漏らされた言葉はといえば、驚くほど気の抜けたものだった。
それで目を開ければ、さっきまでの鬼のような形相はどこへやら。
むしろ、ふにゃふにゃになった顔がそこにはある。
「とても愛らしい子じゃないか~。二人によく似て、聡明そうだ」
彼は興奮したように言い、後ろを振り返る。
「……私が拾って育てている子ですよ。私に似ることはあるかもしれませんが、レイナルトに似ることはないかと」
「そう言わないでくれよ、リディ。俺だって、それなりには貢献してきているはずだよ」
なんというか、拍子抜けだ。
普通のおじいちゃん、いや、なんならそれ以上の好々爺らしい。
二人のやりとりにも、朗らかに笑って見せる。
「はは、仲良くするんだ。実質、二人の子ってわけだね。うんうん、顔つきも瞳も、素晴らしいじゃないか。もっと早くに会いに来たかったなぁ」
その後に続いた話を聞けば、彼はこの一年間、地方貴族らの元をめぐる外遊に出ていたらしく、ろくに帰る時間も取れなかったらしい。
ただ、私を保護したという話はリディアからの手紙で聞いていたようで、ずっと会うのを楽しみにしてくれていたそうだ。
……なんて優しい世界。
私は彼の大きすぎる腕の中で、ほっと一つ息をつく。
そして余裕ができたがゆえに、大きなチャンスが到来していることにも気づいた。
このお爺は、明らかに二人をくっつけようとしている。
それはもしかしたら本音じゃなくて、次代の王たるレイナルトと自分の娘との婚約をより強固なものにしようみたいな。
戦略的な意図があってのことかもしれない。
が、目指す方向は私と同じだ。
今ならば、あの『秘技』を使ってもいいかもしれない。
恥ずかしさを振り切って、私は口にする。
「まま、ぱぱ」
と。
そう、これこそ懐にあっためてきた秘技だ。
レイナルトが私の「遊ぶ」発言を無理に、「パパ」と解釈してからというもの。
リディアからはやたらと『ママ』という言葉を刷り込まれ、レイナルトからはリディアの目を盗んで『パパ』という言葉を聞かされる。
どうやらどちらを先に言うか、競い合っていたらしい。
だから、私もそれに応えるべく、きちんと練習もしていたのだけれど、正式に披露するのは、こういう機会のときにと取っておいたのだ。
「……今、ママって」
「うん。パパとも言ったよ」
リディアとレイナルトは互いに目を見合わせて、嬉しそうに笑みを交わし合う。
よしよし、効果てきめん! これで少しはお互いを意識しあっちゃうんじゃない!?
と、私は一人で心の中で盛り上がるのだが……
「アイ。私は言えるか? お爺ちゃんだ。エレン爺と呼んでくれ」
空気を読まない、ふにゃふにゃ爺が一人いた。
練習をしていないし、言えるかどうかも分からないし。
が、その期待たっぷりの三白眼に見つめられたら、どうにか挑戦するほかない。
結果、
「じ」
という、あまりにも不完全な言葉を発したのだけれど、それだけで満足だったらしい。
私は高く高く掲げられて、「賢いなぁ」と褒められる。
それをリディアとレイナルトは二人で笑いながら見つめている。
思ったような結果にはならなかったが、これはこれでよかったのかもしれない。
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