29話 【side:レイナルト】悪かったよ
とある日の昼下がり。
その日、レイナルトはリディアとともに王都から少し離れた港町、ヨースにいた。
その目的は、港の開港記念日を祝した式典への参加だ。
これまで招かれたことはないイベントだった。
今回も元はといえば、親族である別の王子が参加する予定だったのだけれど、それがいきなり都合が悪くなったとかで、自分たちに回ってきた。
「……レイナルト。ちゃんとセリフは覚えてきたの?」
「あ、あぁ、心配しないでくれよ。ほら、ばっちり」
「インクが滲んでるわよ? 読めないけど」
「なっ。い、いや、大丈夫だよ。昨日、読み込んだからね」
もうリディアとの会話に、緊張感はない。
むしろ話したおかげで心が落ち着き、本番を迎える。
おかげで少し言葉に詰まる程度で、無事に挨拶を終えることができた。
その後は二人で、地元の領主などへの挨拶を行う。
ヨースはただの港町ではない。王都にも近いうえ、港の規模も大きく、そこで水揚げされた魚は王都の食を支えている。
そのため、かなり気を遣って接して、一通り終わって馬車で帰る頃にはすっかり疲れ切っていた。
そもそも最近は、建国祭が一年後に迫っていることなども重なり、いろいろと忙しいのだ。
だからついうっかりため息をついていると、リディアが言う。
「無理しすぎはよくないわよ。アイも心配していたわ」
「……はは、アイにまでそう思われていたか」
「子どもは意外と見ているものよ」
それは、レイナルトも思ったことがある。
とくにアイは、他の三歳児よりも鋭い気がしていた。こちらが忙しいときは気を遣って、「わざわざ来なくていいよ」なんて言ってくれるのだ。
と、そこまで考えてレイナルトは思う。
「もしかしたらリディが集まりに来ない理由も気づいているかもしれないね」
「どうしてそう思うの」
「この間、聞かれたんだよ。なんでも他の子の親が噂をしていたみたいでね」
「……そう」
リディアはそれを聞くと、軽く息をついて、目を瞑る。
今は話しかけないでほしい。
そんなアピールであることは分かっていて、かつての自分ならば絶対にその空気を読んでいた。
だが今は、少し違う。
「もしかすると、寂しく思っているのかもしれないね」
余計な一言なのかもしれない。
そう分かりつつも、口にしてしまう。
アイに話を聞いたときから、歯痒く思っていたのもあるかもしれない。
アイの母親は、リディアだけだ。
いくら自分が頑張っても、その寂しさはどうやっても自分には埋めてあげられないのだ、きっと。
リディアは足を組んで考えるようにしたまま、しばし黙り込む。
そんななかレイナルトはといえば、言葉を継ぐでもなく、ただ返事を待ってみる。
「……無理よ。あなたも分かるでしょう」
すると漏れ出てきたのは、この一言だ。
それがなにを指しているかは、事前に話を聞いていたから、知っていた。
リディアは、その『過去』のせいもあって、一部の貴族から敬遠されている。
実際、彼女との婚約が成立した時から、「危険だ」「おぞましい」と、周囲から何度吹き込まれたか知れない。
時を経て、その声はかなり目立たなくなってきたとはいえ、一度ついた印象というのは簡単には払えない。
中にはいまだに彼女を化け物のごとく恐れているものもいて、そうした人間は、公的な場以外で彼女と会うのを避けようとする。
だから、行かない。
万が一にも、アイが自分のせいで周囲から避けられてしまわないように、行かない。
それが、リディアから聞いていた集まりに参加しない理由だ。
納得感のある理由であり、レイナルトもそれを受け入れていたから、どうにか一人で送り迎えをやっている。
ただ、そのことが他ならぬアイを悲しませているのだとすれば、本末転倒である気がする。
「今度、一回でいいから来てみないかい?」
だから、レイナルトは勇気を出して、こう切り出してみる。
踏み込みすぎといえば、そうかもしれない。
表面だけ当たり障りなく、なにも波風を立てずにうまくやって、どこにも深く関わらない。
強さでも賢さでも優しさでもなく、立ち回りこそが王の資質である。
そんなふうに父から教えられてきた身としては、失言だ。
だがそう分かっていても、撤回したくはなかった。
だから、たっぷり返事を待っていると、
「……あなたは、分かってない」
リディアが言う。
「私のこの氷魔法がどれだけ恐れられているか、あなたは知らないのよ」
たしかに、伝聞でしか知らなかった。
それに、たとえ目の当たりにしていたとしても、彼女にしか、その感覚は分からないだろう。
自分も第一王子という唯一無二の立場だ。
分かった顔で近づいてくる人間はたくさん見てきたし、周りの人間がなにも知らないことも知っている。
ーーただ、それでも。
ずっと一人で抱え込んでいたら、ずっと囚われることになる、とも思う。
他人が作った檻の内側に、自分でもう一重、檻を作るようなものだ。それは一度作ると、簡単には壊せない。
そればかりか、どんどんと身動きを奪って、がんじがらめにする。
それを打ち破るためにも、まずは一歩踏み出してほしい。
そんなふうにレイナルトは思ったのだけれど、結果的には、それを飲み込んだ。
お前が言える話じゃないだろう。
そんな囁きが、耳奥にこだましたからだ。
どうやら自分自身も、がんじがらめらしい。
「そうだね、悪かったよ」
いろいろなものをすべて込めて、レイナルトは一つ謝る。
それにリディアも、「……ごめんなさい」と言う。
「はは、謝りあってもしょうがないな。それよりもらったお土産を少し食べないかい? つまみも貰ったんだよ」
「……いいわね、それ」
二人、話をしながら、間食をとる。
それは外から見れば、仲がいいように映るのかもしれない。
だが実態は、上辺のところでそれを演じているだけーーーーそんな気もした。




