28話 たぶんこの世に食欲に勝てる三歳児はいない。
カイルさんがぼーろをぼろぼろ食べている。
そんな思いがけない光景に、私が思いっきり笑ってしまうなか、彼は「貴族の子女としてよくないですよ」などと言うが、もう止めようがなかった。
「どうしたんだぁ、アイ?」
けん玉に夢中だったジェフも手を止めて、不思議そうに私を見ていた。
そんななか私はやっとのことで、呼吸を落ち着ける。
「それ、はまったの?」
そのうえでカイルさんにこう聞けば、彼は長く目を瞑ったのち、こくと首を縦に振った。
「……美味しかったものですから」
言葉は端的だが、たぶんかなーりハマっているのだろう。
そうでもなければ、わざわざ今隠れて食べる理由にならないしね。
きっとかなりのペースで食べてるね、うん。
「うわ、ボーロだ。いいなぁ」
それをジェフが見つけて、こんなふうに言う。
食べたい。その意思が明白に伝わってくる呟きだ。
「お渡しするわけにはいきません。屋敷にお帰りになられたら、もうお食事の時間です」
カイルさんは一度私こう言って、ボーロを包んだ袋を自分のポケットにしまおうとする。
「ちょっとでも?」
ただこう縋られると弱かったらしい。
観念したように、私たちにボーロをわけてくれる。
ちなみに、私もかなり嬉しかった。やっぱりお菓子は幸せをくれる。
おもちゃとともに、それを楽しんでいるうちに、クロウフォード家の屋敷につく。
そこからは二人の空間だったけれど、そのギャップを知ったおかげか、気は楽だった。
「これはどこでかったの?」
「……大通りの店です。味が一番よかったので。もっとも、あの時いただいたものが一番でしたが」
「あはは。じゃあ今度、サラさんにお願いしておくよ」
比較的気さくに会話を交わす。
そうしてリディアの屋敷が近づいてきたところで、
「……申し訳ありませんが、レイナルト様には黙っていていただけますか」
彼は私にこう頼み込んでくる。
うん、どう考えても、三歳児相手に持ちかけるべき話じゃない。
そもそも秘密にする、の意味さえ知らないのが普通だ。
ただそんな判断をできないくらいには、知られたくないのだろう。
別に言いふらすようなことでもない。
私はとりあえず素直に頷こうと思ったのだけれど、そこで一つ思いついた。
「じゃあかわりにひとつ教えて」
「……答えられるものであれば」
「ママは昔、なにかあったの?」
リディアには聞けないし、レイナルトに聞いても教えてくれないだろう、この話だ。
他の貴族の方も知っているくらいだから、王直属の執事である彼ならば知っているに違いない。
私の問いに、カイルさんは面食らったように目を見開く。
「なぜそのようなことを」
「この間、私のママが来ないのは、むかしのことがあったからだって。ほかの子のママたちがはなしてたの」
「……なるほど」
どう答えたものかと迷っているのかもしれない。彼はしばらく黙り込んでしまうが、ため息ひとつで口を開く。
「それについてはいつか、リディア様からお聞きください」
……まぁ予想通りのゼロ回答だ。
とくにこの場合、センシティブな内容になってしまうこともあるし、こればかりはしょうがない。
私がそう思っていたら、彼は「ただ」と言葉を継ぐ。
「ひとつだけ言えるのは、リディア公爵令嬢は、あなたのためを思って、参加されていない。そのように王子から聞いております」
「え?」
「自分があなたの交友関係に悪影響を与えないように……失礼しました。三歳児にお話する内容ではありませんでしたね。いつかきっと分かりますよ」
カイルさんはそう言うと、再びボーロを食べ始める。
もう私の前で隠してもしょうがない。そう、開き直ったのかもしれない。
そんななか、私は彼の言葉の意味を考えてみる。
そのうえで出てきた結論はーー
「わたしもたべる」
「ほどほどになさってください」
これ。
その、さくさくとした小気味いい音を聞いていたら、舌の上にじわぁと唾液が広がってきて、その優しい甘み以外は、なにも考えられなくなっていた。
たぶんこの世に、食欲に勝てる三歳児はいない。
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