18話 お弁当の時間です
ボートに乗っていた時間は、三十分ほどだった。
どうにか岸に辿り着くなり、私はボートから降りてリディアとレイナルトの元へと向かい、二人を見上げる。
「たのしかた?」
そしてこう聞けば、二人は通じ合うようにくすりと笑い合う。
これまでとも少し違う空気感だった。
これはもしかすると、共同作業で信頼関係が深まったかな? と私は一瞬思ったのだが……
「なかなか楽しかったよね、リディ」
「えぇ。しっかりスピードを出せた時はよかったわね」
「はは、たしかに。教えてもらって助かったよ」
意気投合していたのは、まるで違う方向での話だ。
リディアに至ってはもはや競技選手の感想である。
そう簡単に事はうまく運んでくれないらしい。
まぁなんとなく想像はできていたことだ。
二人きりでも、無言で漕ぎ続けていたわけじゃなかったのなら、よしとしたい。
「アイも楽しかったかしら?」
「うん。ボート、ゆらゆら」
「……はは、あの二人の息が合う気はたしかにしないね」
私はリディアとレイナルトと喋りながらに、気を取り直す。
なにも、これで終わりではない。
なんならピクニックはむしろこれからだ。
ボートはたまたま発生したイベントにすぎない。他にもいろいろな策は考えてあった。
私はさっそく二人の間で、両手を挙げる。
もちろん、バンザイのつもりじゃない。
「ママとパパと、手つなぐ」
仲睦まじい家族作戦である。
前世では、公園などでよく見た微笑ましい光景だ。
これは、親と子どもだけではなく、両親同士の仲もよくなければまずできない。
その状態を半ば強引にでも作り出してしまえば、相手のことを意識をしてしまうまずだ。
……あと普通に、私が繋ぎたかった。
二歳児らしさだろうか。
どうにも二人には、甘えたくなってしまうのだ。
「ふふ、いいわね、それ。アイが転ばないように支えてあげる」
「そうだね。背伸びさせないようにしないと」
二人は腰を曲げてくれて、歩きにくそうにしつつも、私に合わせてくれる。
「アイ。ママの名前は言えるかしら?」
「ママは、リディ。それでパパは、レイナ」
「おいおい、それじゃあ女の子みたいだろう」
とても平和で、温かい時間だった。
何度かはこのままひっそり、二人の手を繋がせてやろうかとよぎったりもしたが……
単純に私が二人の手を離したくなくなって、結局そのまま歩く形となる。
そのうちたどり着いたのは、開けた原っぱだ。
そこにはいくつかの木組みのベンチが据えられてあり、見晴らしがとてもいい。
周囲にはぽつぽつと花も咲いており、ピクニックするには最適な環境が整っていた。
「ここで休んでいこうか」
というレイナルトの提案に、みんなが頷く。
すると、命令を受ける前に、一番後方を歩いていたカイルさんがすぐに出てきて、持参していた荷物の中から布製のシートをその場に広げる。
それがずれないよう、釘を打ち込んだと思ったら、取り出したのはお香のようなものだ。
蚊取り線香みたいな見た目だが、少し違う気もする。
「あれ、なに?」
「あぁ、あれは魔除けかな。えーと、怖くて大きい、恐ろしい、こんなのがいるんだけど、それを遠ざけられるんだ」
頑張って私に説明しようと、レイナルトは両手を鉤爪みたいにしたり、歯をむき出しにしてみたりする。
が、そこまでやってもらわなくとも分かる。なるほどたしかに、あると安心の代物だ。
「準備ができました。どうぞ」
カイルさんは、さすがの手際だった。
しわ一つなくシートを引いて、地面に片膝をついた状態で言う。
「ありがとう、カイル。君もくつろいでいてくれて構わないからね」
「……お言葉だけ受け取っておきます」
カイルさんは立ち上がり、深々と頭を下げると、少し離れたところで立ったまま待機を始める。
本当に仕事命だ。あそこまでいったらもう、取り憑かれているのに等しい気もする。
レイナルトはそんな執事の姿を軽くため息をつきながら、しょうがなさそうに見つめたあと、私の前でしゃがんだ。
「じゃあ、お昼にしようか」
ついに、この時が来たのだ。
私は首を縦に振りながら、どくどくと高鳴る胸を抑える。
そして、視線を向けるのは、カイルさんによってすでにセッティングをされたリディアの持ってきたお弁当だ。
私は靴を脱ぐと、そそくさとその前に陣取る。
「なんだ? アイはよっぽど、お前の弁当を楽しみにしているらしいな。まぁ、リディアにはいいコックメイドをつけたからな」
などと、エレン爺は言うが、違う。
これは正真正銘、リディアが作ったものだ。
さすがに私が開けるのはよくない。
私が「はやく」とリディアに請うと、「楽しみにしすぎよ……」とリディアは照れ臭そうにしつつ、私の後ろに座って、その包みを広げる。
それを開くと出てきたのは、期待どおりといえば、期待どおり。
だが、知らなければぎょっとしてしまうような、一面茶色のお弁当だ。
もちろんすべて、クロケットである。小さなお弁当サイズのものがぎっしりと詰まっている。
彼女はあれからひたすら、このクロケットだけを作ることに集中し続けていたのだ。
他の料理は一つも知らない。
だから、こうなった。
これにはレイナルトも、エレン爺も、目を大きく見開く。
「…………リディア、そんなにクロケットが好きだったか?」
先に口を開いたのはエレン爺だ。
まぁでてきて当然の質問であるし、おかげでいい流れがきていた。
ここで、「レイナルトが好きと聞いたから」と言ってくれたら、確実に大アピールになる。
きっと意識してしまうこと請け合いだ……!
「あの、その……」
もしかするとリディアは今の今まで、私がどうしてクロケットをおねだりをしたのか、忘れていたのかもしれない。
思い出して照れくさくなったのか、彼女はもじっと腰を揺らしたのち、だんだんと俯いていく。
……この時点でもう、あまりにも可愛い!
悪役令嬢要素どこ。もうメインヒロインにしか見えない!
私としてはそう思っていたのだが、レイナルトはそうした照れには気づいていないようで、爽やかに笑いながら言う。
「そういえば、アイに聞かれた気がするよ。もしかして、それで持ってきてくれたのかい?」
なかなか鋭く、そしていい助け船だ。
リディアとしては、あとは「自分で作った」と言えばいいだけになっていた……のだけれど。
「アイが食べたいって言うからよ。今の今までその話は忘れていたわ」
と、照れ隠しの極致みたいな答えを導きだしてしまった。
まぁうん、しょうがない。いきなり超えるには、ハードルが高すぎたよね。
だからせめて、と私は口を挟む。
「ママ、作った。パパのため」
「……アイ、最後のは余計よ」
すぐに否定こそされてしまったが、少なくとも彼女が手作りをしてきたことは伝わっているはずだ。
「リディの手作りか。そうか、それは楽しみだね」
レイナルトはそう言うと、クロケットを一つフォークで刺して口にする。
それからすぐに、大きく首を縦に振る。
「うん、とても美味しいよ。少しハーブが効いているのもいいね」
「……それは、うちのコックメイドが入れるといいと言うから。アイも気に入っているわ」
「だろうね。ここまで料理ができるなんて、すごいな」
レイナルトは自然と誰かを褒められる人間だ。
それもあって、リディアもまんざらでもない顔をしている。
「いやぁ、まさかこれをリディアが……。あぁきっと妻が生きていたら感涙していただろうなぁ」
そんななかエレン爺もクロケットをつまんで、一人で本当の意味で感傷に浸っていた。
あまりにも浸りすぎて、クリームがぼてっとシートの上に落ちていることにも気づいていない。
私もクロケットをいただく。
とても美味しいが、もはや馴染のある味だ。
なにせ最近の私のおやつは、ほとんどこれだった。
あと晩ごはんにもこのクリームを流用したのだろう、グラタンやシチューがたくさん出てきたし。
「レイナルトは、どんなものを持ってきたの?」
「あぁ、それかい? えっと、言いにくいんだけどね……」
レイナルトは少し眉を落としながら、なんだか気まずそうだった。
そんな変なものを持ってきたのだろうか。
彼には逆に、リディアの好物を持ってきてもらうようお願いした気がするけど……
と、そこまで考えて私も気づいた。
レイナルトが自分の弁当の蓋を開ける。
すると、そこに並ぶのはリディアの好きな鶏皮揚げなどの、ザ味の濃い揚げ物メニューたち。
「……見ているだけで胃がもたれるわね」
「完全に同意するよ」
「はははっ、酒が飲みたくなるなぁ」
安い居酒屋のコースでももう少しバランス考えてある気がするね、うん。




