17話 無口執事とお喋りお爺とボートです
そのためには、できるだけボートとボートの距離を取ってほしいが……
そこは、勝手にうまくいった。
「……なかなか難しいな」
「えぇ。タイミングをしっかり合わせなければならないのがどうにも」
エレン爺とカイルさん、二人の息が合わないから、なかなか前に進まないのだ。
一方、リディアとレイナルトはといえば、すいすい岸から離れていく。
それを眺めているうちに、こちらのボートも一応は軌道に乗ってきたらしく、のろのろと動き出してくれた。
さて、問題はこの二人の間でなにを喋るかだけど…………。
「いやはや、なかなか気持ちいいものだなぁ。どうだぁ、アイ」
顔だけイカついものの、気さくなエレン爺が勝手に話しかけ続けてくれるから、意外と楽ではあった。
「うん。ゆらゆら」
「はは、あんまり派手に揺れると酔うから漕ぐ私たちが気をつけないとなぁ。カイル君は平気か?」
「えぇ、お気になさらないでください。この程度、どうということはございません」
「はは、さすがだな、王家の執事は。いや、クローヴィス王直属の執事は、といったほうがいいか」
いつもそばにいるのに、レイナルト直属じゃないんだ。
私は驚くけれど、湖面に目をやることで聞いていないそぶりをしながら、その話に耳をそばだてる。
「今は、レイナルト様の執事ですよ」
「はは、『今は』か。それはなかなか深みがあるなぁ。ということは今後、弟王子に配置換えされたりすることもあるのか?」
「…………いくら公爵様のご質問でも、それはお答え致しかねます」
「そうかそうか、構わないよ」
踏み込んではいけない話だったらしく、カイルさんは黙り込む。
が、そんなことではめげないのが、エレン爺だ。
「そういえばクローヴィス王は、この子に会うのは断ったそうな」
さらに危険地帯の奥へと踏み入れていく。
もしかすると、エレン爺はこれを狙ってボートに乗ったのかもしれない、と私はここで気づく。
なにせここは、逃げ場のないボートの上である。
やっぱりただの好好爺では、公爵家当主は務まらないのだ。
私にとっても気になる話だった。
まぁ本当の自分の孫でないから、興味がないのだろうことは、なんとなく察しつつも、耳を澄ませる。
「存じ上げない話でございます」
「ふむ、そうくるか」
「ただ事実を述べただけですが」
「まぁ構わないさ。君が二人やこの子に妙な真似をしなければね」
「……そのようなことはまったく考えておりません」
「今はそのまま受け取っておくとするよ。しかし大変なものだね、王家の執事は」
ここで会話が途切れる。
さすがのエレン爺も、続ける言葉が見当たらなかったらしい。
しばらく、オールがボートと擦れるキィという音と、水音だけが響く。
なんて気まずいの!
このままでは、まったく楽しくない地獄の時間がしばらく続くことになってしまう。
ここは私がどうにかするしかない!
そう思った私は、肩からかけていた小さなカバンの中から、包んでもらったボーロをいくつか取り出すと、それを手のひらに乗せて、カイルさんへと差し出す。
「……これは?」
「ぼろ。おいしいから! たいへんなの、よくない」
そのうえで無邪気さを装って、こう伝えた。
お菓子があればピリッとした空気も和らぐ。
そんな狙いもあったが、それだけじゃない。
たぶんカイルさんは、前世の私なんて目じゃないくらい、生活のほとんどが仕事で埋め尽くされている。
今だって彼にとっては、仕事の一環で、休まる時間などほとんどないはずだ。
そんなとき、ちょっとのお菓子があれば、身も心も少しは安らぐ。
私はそれを、身を持って知っていた。
……まあ前世の身体で、だけどね。
「いただけませんよ」
カイルさんははじめ、こう首を横に振っていた。
しかしそこで、エレン爺がこほんとわざとらしく咳き込み、
「それくらいは受け取ってもいいんじゃないか、カイル君。子どもが誰かにおやつをあげるなんて、そうそうないことだ」
こうたしなめる。
私はそれに大いに同意すべく、首を縦に振った。
そりゃあ本当は自分で食べたい。なんせ二歳児だし。今も、口の中には唾液が溢れてきているくらいだ。
早く取ってくれないと、誘惑に負けて食べてしまうかもしれない。
そんな私の手前、カイルさんは目を瞑り考えるようにしばらく黙り込む。
「……では、ありがたくいただきます」
そして、私の手のひらからボーロを一つつまみあげると、口の中へと入れた。
そして、左右に転がして少し、さくっとそれを噛む。
「……はじめて食べましたが、ボーロというのは優しい味がするのですね」
カイルさんはこう漏らす。
まぁ、カイルさんが甘いものを食べているイメージは一つもないから、それは解釈一致だ。
たぶん私の前世にいたら、毎日のように缶コーヒー(無糖ブラック)を飲んでいるタイプだし。
「はは、いいものを知ったな、カイル君。……して、アイ」
「爺、なに?」
「いや、できれば爺ちゃんも――って、いやいや、アイが食べるのならば、それは取っておいて欲しいんだが、なんというかなぁ。爺もいろいろ大変な日々を送っておってな」
……知略家っぽい側面が少し見えたと思ったら、これである。
たぶんボーロ自体はどうでもよくて、私からのおかしが欲しいのだ。
本当は惜しい気持ちもあったけれど、私はボーロをいくつか彼に差し出す。
さっきのカイルさんへの発言で、私を大事に思ってくれていることが伝わってきたし、そのお礼だ。
「おぉ、ありがとう!! なんていい子なんだ、アイは! よし帰ったら、何倍もおかしをくれてやろう!!」
「ほんと?」
「あぁ、ほんともほんとだ。爺ちゃんに任せておけ!」
……ちょっと孫バカすぎる気もするけどね。




