12話 【side:リディア】二人でお見舞いを。
アイが眠りについて少し、彼女がすやすやと寝息を立てるのを見てから、リディアはやっと少し力を抜くことができた。
いつのまにか張っていた肩を下ろして、長く息をつく。
それが思いがけず、隣にいたレイナルトのそれと綺麗に被っていた。
「とりあえずは、よかったよ。リディに連絡をもらった時は、どうなることかと思った」
「私もよ。本当にほっとしてる」
アイが熱を出して、気を失っている。
その情報が届いたのは、地方の貴族令嬢たちとの、懇親会に出ている時のことだった。
エヴァン公爵家は、クローヴィス王家との関わりが深いだけではなく、地方貴族とのパイプも持っているから、その力を維持してきている。
つまり、それなりに大事な会合なのだけれど、そんな報告を受けたら、会を中座して抜けてくるほかなかった。
母として、そうあるべきだと思ったのだ。
自分の母のことはもうほとんど記憶にないが、きっとそうあるべきだと。
同時、レイナルトへの使者も走らせる。
彼がアイを、リディアと変わらぬくらいの愛情を持って、大事にしていることは理解していた。
だから、報告する義務があると思ったのだ。
もし後から知ったならきっと、彼はショックを受ける。
いつもの貼り付けた笑顔で誤魔化しこそするが、恨まれてもおかしくはない。
そうとも思った。
実際レイナルトは、公務の途中だったらしいが、すぐに駆けつけてくる。
あとは二人でその容態を見守ってきた。
「悪かったわね、こんな時間まで。今から帰る?」
「いいや、約束したろ? アイが起きるまで、ここにいさせてもらいたいけど……。構わないかい?」
「それは構わないけど。あなた、明日の予定は?」
「午後からは政策会議に出る予定があるよ。王都内の治安が悪い場所についての話だったかな。リディは?」
「似たようなものよ。今日の会合を抜け出してきちゃったから、埋め合わせをする予定よ。もちろんアイの容体次第だけど」
どうやら同じような状況らしかった。
ならば、客人を優先すべきだ。
「湯浴みをしてきたら? まだ開けておくように言ってあるわ。自由に使って」
「リディから行くといいよ。俺はまだもう少し、ここで見ていたいから」
レイナルトはそう言ってから、「それに」と付け加える。
「リディの方が長い時間、付きっきりだったろ? それに、俺は男だし体力もあるからね。君の方が髪も長いから時間もかかる。ゆっくりしてくるといいよ」
レイナルトは爽やかに微笑んで見せる。
その笑顔は、完璧で非の打ち所がない。
嫌味な感じがなくて受け手はただただ好印象を覚えるような、『うますぎる』笑みだ。
だが、リディアは昔からこの表情がそこまで得意ではない。
表面だけを繕って、本心を誤魔化しているように、どうしても見えるからだ。
ただ、今のレイナルトの笑みは、もしかするとそれとは違う……のかもしれない。
一見、そこに大きな差はない。
その笑顔はやっぱり出来すぎていて、ぱっと見では作った笑顔との差はない。
ただ彼がアイに対して笑みを向けるときは、間違いなくそこに愛情が込められていると思う。
じゃあ自分に対するこれは、どうなのだろう。
それはやっぱり、他の人へ向ける王子らしい優等生な笑顔なのだろうか。
それとも、少しは違うものだったりするのだろうか。
そればっかりは、リディアにはわからない。
子どもの頃は、外に出ることさえ許されていなかった時期もあるし、恋人はおろか友人の一人まともにできたことがない。
だから判断はつかないが、少なくとも気を遣ってもらえること自体は、ありがたいことだ。
「……そう言うなら、お言葉に甘えるわ」
「うん、ぜひともそうしてくれ」
少なくとも、アイを任せておくことにはもう抵抗はない。
リディアは部屋を出て、風呂へと向かわせてもらう。
そうして湯浴みを済ませ、髪を乾かして戻ったのは、三十分ほどが経ってからだ。
「ごめんなさい、待たせたわね」
リディアは、こう言いながら部屋に入るのだが。
どうやら、眠ってしまったらしかった。
レイナルトは、アイのベッドの柵に突っ伏すようにして、浅い寝息を立てている。
「……なにが体力がある、よ」
なかなか、腰に負担がかかりそうな体勢だ。
この姿勢で寝られるのは、疲れている時だけだろう。
リディアはとりあえず、そのそばへと寄っていく。
するとそこには、まだ湯気の立つ紅茶が淹れられてあった。
横には、小さなクッキーも添えられてある。
「……これ」
と、リディアが呟いていると、開け放ちにしていた扉の外から一人の使用人が入ってきて、教えてくれる。
「リディア様にと、王子がご自身で淹れられたんですよ。クッキーもご持参のものです」
「……そう、そんなことが」
「ふふ。大切にされているんですね、リディア様」
大切にされる。
それは本心からか、それとも立場上の建前か。
もしくはさっきアイに「仲良く」と言われたからか。
とくにレイナルトは気が回るだけに、リディアにはやっぱりそれが分からない。
ただ淹れてくれた紅茶は甘さ控えめながら、きちんと美味しい。
こんなことまでできるのだから、さすが誰もに憧れられる王子様だ。
「本当はもっと甘いのが好きだけど」
と、リディアは意味なく呟いてみる、
考えてみれば、そんな話さえしたことがなかったから、しょうがないことだ。
リディアとて、レイナルトの趣味を問われても答えられない。
ただ今は、もう少し知ってみたい。
そんなふうにも思っていた。もしかしたら、アイの言葉を受けて、そう思っているだけかもしれないが。
リディアは砂糖を加えないまま、その紅茶をしっかり最後まで飲み終える。
それから使用人に頼んで持って来させたのは、毛布だ。
それをレイナルトの肩からかけてやって、自分も椅子の上で目を瞑る。
明日、アイが元気になっていますように。
それから、レイナルトの腰が無事でありますように。
そんなことを願いながら。




