2026年4月
「ブホッ! イテッ!」
誰かがぼくのベッドの上にドスンと乗った。
犯人はミカン以外に考えられないが。
「どこへやった?」
「な、なんの話?」
「アタシのボールペン……アーニャの」
「え、知らないよ?」
「いや、犯人は絶対、おにいだ……アタシの部屋でこないだ『これ、いいな』って言ってカチャカチャやってたじゃない」
「……そうだっけ?」
「これから家宅捜索を開始する」
「おいおいちょっと待て、勝手にうら若き男性の部屋に入ってひっかき回すな」
妹はベッドから僕の勉強机に移動し、ノートやらマンガやらごちゃごちゃ積んであるものをひっくり返し始めた。
「ほら、あったー!」
「……それはよかったな」
「よかったな、じゃないだろ、犯人のくせに! だいたいアタシ今日、入学式なんだよ。これがないと学校に行けないじゃん」
「おう、入学おめでとう! わが松ヶ丘中にようこそ」
「オニイもそろそろ起きたら? アタシを学校まで連れてってくれる約束でしょ?」
「そんな約束したっけ?」
「した」
「母さんは?」
「入学式に間にあうように行くって」
そう返事しながら、ミカンはぼくのリュックにつけてあるキーホルダーをいじっている。
「それ、欲しい? あげてもいいよ。入学祝いに」
「いらない、こんなキモイの。入学祝いならもっと可愛いの、買って……ほら早く起きな」
そう言うとバタンとドアを閉め、出て行った。
〇
ぼくはミカンを連れて、団地の歩道を歩く。
道の両側に植えられた桜の樹からハラハラと花びらが舞い落ちる。
その花道の先で男女の中学生が待っていた。アケとトモとヒカリとカズヤだ。
三年生のクラス替えで四人とは別々のクラスになってしまったけど、何せ幼稚園からのクサレ縁なので毎朝こうやって一緒に学校に行く。
「ミカンちゃん、入学おめでとう!」
「制服かわいー! 似合ってるうー」
「入学式、新入生の挨拶するんだって⁉ すごーい、優等生!」
「ありがとうございます、ハイ、がんばります!」
『なんだよ、いい子ぶって。家庭内の悪行を全部ばらしてやろうか?』
ぼくが妹にそうアイコンタクトすると、『やれるものなら、やってみろ』と迎撃ビームを送り返してくる。
登校グループにミカンが加わった。
でも、そこにいるはずの女の子の姿はない。
ぼくは2025年に戻った。そこは以前と何も変わらなかった。妹はちゃんといたし、団地は建て替えた後の新しい建物だったし、中学の名前は、前と同じ松ヶ丘中だ。
でも、ぼくの家の隣りの隣りの表札は、『小日向』ではなく『佐久間』だった。団地中どこを探しても、学校のどこを探しても『小日向 甘夏』の名前は見つからなかった。
ミカンに聞いても、母さんに聞いても、父さんに聞いても、アケやトモやヒカリやカズヤに聞いても、『そんな子知らないよ、寝ぼけてんじゃないの?』という同じリアクション。
なんでぼくだけが憶えていて、みんなの記憶には残っていないのだろう?
それに、あのウォークマンを使ってアマナツは戻ってくると言ってくれたのに、なんでここにいない? やっぱり気が変わったのだろうか。
1984年の頃とは全く景色が変わってしまった赤羽には、彼女を探す手がかりはもうなにもないと思えた。
あとは……あそこだけ。でもそこに行くのが恐くて、どうしても足が向かなかった。
ぼくとアマナツが、2025年の世界から消えた場所、『ノスタルジックワールド19XX』。
午前中の入学式で下校となるその日、ぼくは団地を抜け、赤羽台トンネルの階段を降り、赤羽駅のコンコースを抜けて、再開発エリアに向かった。
〇
入場券を買い、各国のアトラクションには目もくれず、日本の昭和ゾーン『JAPAN198X』の中の展示コーナーに直行する。
一番奥のウォークマンの展示スペースに、その人はいた。十か月前と同じように。
若いカップルに液晶モニターを使って、にこやかにウォークマンの歴史を紹介している。
「……1983年には、カセットテープのケースと同じ大きさの製品が発売されました……」
そう。まさにぼくがクリスマスイブに買って、今の世界に戻ってくる時に聴いていたものだ。それにはヘッドフォン端子が一つしかない。
一通りのプレゼンが終わり、カップルがその場を離れた。
説明していたベテランのスタッフさんが、モニターの画面を切り替え、展示台の脇に戻ってきた。
ぼくは学校のリュックを上げ、キーホルダーを見せる。
その人はそれに気づき、口を小さく開けて驚いた。
ぼくが近づくと、再び笑みを取り戻し、目を細める。
あの時は気づかなかった胸に着けているネームプレートを見る。
『小日向』。
「お帰りなさい」
「やっぱり、君だったんだね」
「いつわかったの?」
「つい最近……もっと早く気づけばよかった」
「こんなおばさんになってちゃ、わかるわけないよね」
「……」
ぼくは、そのあとの会話をどう続けていいか迷った。
「元気だった?」
「うん」
「お母さんとお父さんは?」
「今も元気だよ。父の生まれ故郷の仙台に住んでる……私も一度そっちに引っ越した」
「そうだったんだ」
そして、これを聞くべきかどうかも迷った。
「アマナツ」
「?」
「なんであの後、追っかけて来てくれなかったの?」
「私もこっちに帰ろうと思ったんだけど、ウォークマン、消えちゃってた。ハハハ……アレ、ハッサクと一緒にタイムトラベルして未来へ飛んでったわけじゃないんだね」
「そうだったんだ……ごめん。気が変わったんじゃないかって、君を疑ってた」
「まあそう思うよね、普通……今さらいいよ」
「でも、過ぎちゃった時間は取り戻せない」
「そんなのいいよ。私だって無駄に生きてきたわけじゃないんだから……それに、本当に戻る気があれば、また試してみればよかったわけだし……ウォークマンとテープを買って、君がやったみたいにね」
「どうして、そうしなかったの?」
「やっぱり、ハッサクが言う通り、気が変わってたのかも……うまくできっこないよねって言い訳して……だから、私の方こそ、ごめんなさい」
「ぼくはなにも君を責められない。だいたい、すべての原因をつくったのは、ぼくだ」
「でも、こうやってハッサクは私に会いに来てくれた」
「ありがとう……できれば、君から会いに来てほしかったな。僕の居場所、わかってたわけだし」
「いやいや! 仙台から東京に戻って来た時、ちゃんと赤羽台に行ったんだよ。エリマキコアラを返しに……でも、ちょっと早すぎたかな。小っちゃいハッサクに『おばさん、誰?』って言われたもん」
「うわ! そうだったんだ……そっちもごめん」
平日の昼過ぎ、展示コーナーは閑散としていてる。
アマナツはウォークマンの展示台の脇にあるハイカウンター席にぼくを座らせ、隣りに腰かけた。
「あの時、ぼくがここでウォークマンを聴いてみたいって言った時、なんで君は、ぼく……ぼくとアマナツを止めてくれなかったのかな? しかも、シンディ・ローパーを勧めた。こうなることがわかっていたのに」
説明スタッフさんは少しの間、黙った。
「それも謝らないとね、ごめんなさい。理由は二つあって。一つは、私のエゴ……君たちが1984年の世界に行ってくれないと、私が消えてしまうと思ったから」
「えーと……確かにそうなるよね……で、もう一つは?」
「それは、私が経験して知っていたから」
「?」
「1984年に素敵な時間が待っていることを。私とハッサクが過ごした、忘れられない思い出……私はそれを胸に、今まで生きてきた……そして、また会えた」
「もっと早く会いたかった……」
「ハハハ、私がおばさんになる前に?」
「いや、そういうことじゃなくて」
「『私がオバさんになっても』って曲が出た時、君はまだ生まれてなかったよね。それ聴いてほしかったな」
「?」
「フフフ、冗談よ」
そう言ってワンレン・ボディコン制服の女性はさびしそうに微笑んだ。
「話が変わるけど、ぼくがこっちの世界に戻ってみたら、君は家族ごと消えてしまっていた。ひょっとして1984年の世界では、ぼくはもちろん、ぼくの家族もいなくなっていたのかな?」
「うん、気がついたら、今井家はいつのまにかいなくなってた。そして誰もそのことを気にしてなかった……私以外に」
「不思議だ、いったいどうなっているんだろう?」
アマナツは立ち上がるとウォークマンの展示台に近づき、製品を手にとった。
「不思議よね……でも私、この仕事を始めてから、こうじゃないかなって思っていることがあるの」
「?」
「カセットテープ」
「?」
「巻き戻して再生できる」
「え?」
「この不思議な現象、うまく説明できるかわからないけど……パラレルワールドみたいに、ハッサクや私がそれぞれの世界に何人もいるわけじゃなくて、存在するのは一人だけ。たった一人のハッサクが時間を巻き戻して、もう一度やり直すの。その世界をちょっとずつ上書きし直しながらね」
「なるほど」
「アナログ好きなハッサクにはピッタリなお話でしょ、あはは」
「そうか……そういうことなら」
「どうかしたの?」
ぼくが動かなくちゃ、いけないんだ。
「アマナツ、またウォークマンでシンディ・ローパーを聴かせて欲しい」
「ど、どういうこと?」
「ぼくは、もう一度1984年に行く。君に会いに行く」
「そ、そんな……だってまた同じ世界に行ける保証なんてないよ?」
「うん、でもきっと大丈夫だよ……というか、行かなくちゃいけないんだ」
「どうしてなの?」
「だって、シンディが……そして君が教えてくれたじゃないか?」
「なんて?」
「『何度でも あなたを 待ってるよ 私は あなたを 想ってる』……って」
「……確かに。その通りよ」
「君の運命は、ぼくが変える……ぼくたちで、変わろう」
「ありがとう……わかった」
このコーナーの説明スタッフであるアマナツは、ぼくのためにウォークマンとシンディのカセットテープを用意してくれた。
それを受け取り、ぼくは。
二〇二六 マイナス 一九八四 イコール 四十二
彼女をギューッと、四十二年分抱きしめる。
肩に涙を感じた。
腕をほどいてアマナツを見つめる。
「さびしい姫様を助けに行かなくちゃ」
「……うん、アスベル君を待ってる。あっちの世界で、私が」
ぼくは、巻き戻す、
シンディの『タイム アフター タイム』のテープを。
そして、
ボタンを押した。
再生。
(了)
※作中にシンディ・ローパー氏の楽曲に触れておりますが、直訳ではなく、ノスタワールドのガイドスタッフの言葉としてアレンジしております。