1984年12月
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12月20日(木)
ハッサクからアマナツへ
池袋の学習塾、せっかく調べてもらったのに、まだ決められなくて、冬期講座の申込締切に間に合わなくなっちゃってごめん。
全然ちがう話だけど、24日の終業式の日、秋葉原に買い物に行きたいんだけど、つきあってもらってもいいかな。
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12月21日 金曜
甘夏からハッサクへ
塾のことはいいよ。ハッサクは頭いいから、行く必要ないかもだしね(ちょっと皮肉?)。その時は私一人で行くから。
24日、一緒に秋葉原行ってもいいよ。アケたちに聞いたら、どうもこの時代のアキバはハッサクみたいなアニヲタが行くとこじゃないみたいだよ? オーディオとか電気製品ばっかり売ってるんだって。
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12月24日。
終業式のあと。
学校から持って帰る荷物はそんなに無かったので、そのままハッサクと秋葉原に向かった。
平日なのにクリスマスイブのせいか、秋葉原は人通りが多い。元の世界で友達と何度か行ったことがあったけど、その時の景色とはだいぶ違う。クリスマスイブの割にはちょっと地味。それに、なんか街全体がタバコくさい!
『電気街』と呼ばれているだけあって、電気屋さんの店頭に『カラーテレビ大特価』とか『ワープロ、マイコンの新機種登場!』とか書かれた紙がベタベタ貼ってある。
2025年のココなら、今日みたいな日は、サンタコスの女の子がズラッと並んでてもおかしくないのに。
ハッサクはお目当ての店を決めてあるらしく、人混みの中をスタスタと歩いていく。ときどき振り返り、私がついてきてるか確かめてくれる。
大通りの信号を渡って『サトームセン』と看板が出ている建物に連れて行かれた。階段でオーディオコーナーのフロアに上がる。そこは、大小のステレオセットがズラリと並び、レコードプレーヤーのコーナーもある。その階の真ん中に、まわりとはちょっと違う雰囲気の売り場あった。かなり人だかりもできている。
『WALKMAN』
これは……そうだ、この世界に来る直前に音楽を聴いたカセットプレーヤー。展示台に何種類か色違いのウォークマンが飾ってあるけど、ノスタワールドにあったのとちょっと違う。もっと小さくなっているような気がする。ハッサクはそれをひとつずつ手に持ち、眺め、ボタンをいじっている。特にヘッドフォンを気にしているみたいで、ヘッドバンドの部分を伸ばしたり縮めたりして自分の耳にあてている。
「ねえ、今日の買い物ってそれ? 高いんじゃないの?」
「うん、クリスマスのプレゼント。お年玉も父さんから前借りしてね」
「それ、ハッサクが使うの?」
「ぼくと君。いっしょに使おうよ……実は、これ買っちゃうと、他にプレゼントを君にあげる予算もないし……」
そう言ってハッサクは少し頬を赤くした。
しばらく展示のウォークマンを物色したあと、アナログオタクはのハッサクは、そばにいたお店のスタッフの人に声をかけ、なにやら質問したり、話を聞いたりしている。
「お買い上げ、ありがとうございます」
どうやら買うものが決まったようだ。ハッサクは財布を出しながらレジに向かった。お店のロゴが入った大きな手提げ袋を受け取り、私の方に戻って来た。どうやら売り物の製品は、展示品とは別に、レジのカウンターの後ろに置いてあるらしい。
それから彼は、ちょっと預かっててと、私に手提げを渡し、ポケットから紙を取り出し広げた。地図が書いてある。
「その地図、誰に書いてもらったの?」
「父さん……あ、ここからすぐだ」
「まだ行くところがあるの?」
「うん、もう一軒だけ」
そう言って私から手提げを受け取ると、階段に向かった。振り返り、私がついてきてるか確かめる。
ハッサクが指さした建物の屋上には『レコード 石丸電気③』と大きな看板がついていた。
入口の案内図で売り場を探してエスカレーターに乗る。
彼が探していたのは洋楽のコーナーだった。フロアを見回し、壁際に進む。棚にはぎっしりとカセットテープが並べられていた。
「えーっと……これかな? あ、あった!」
ハッサクはカセットの背表紙をくまなく探していたがアーティストの『C』 のところでお目当てのテープを見つけたようだ。
「ほら」
と言って彼が見せてくれたテープは、『シンディ・ローパー』。ノスタワールドで見たのとまったく同じケース。
ウォークマンを買って、シンディ・ローパーのカセットテープを買ったのは、ひょっとして……
その後、昭和の秋葉原の街を少し歩いた。メイドカフェやアニメショップらしきものは見当たらなかったけど、ゲームセンターはあった。そばに寄ると音と光の賑やかさは今のゲーセンと変わらない。二人で一回ずつ『パックマン』をやってみたけど、可愛いクラゲみたいなのに挟まれて二人ともすぐにゲームオーバーになってしまった。
お腹が空いたから、なにか食べようということになったけど、マクドナルドみたいなファストフードのお店は無く、目に止まった『インドカリーの店 ベンガル』というカレー屋さんに入った。ちょっと辛かった。
いいよ、今日はすごい出費したでしょと断ったけど、買物につき合ってくれたお礼だからと言って辛口カレーとラッシーをハッサクがおごってくれた。
山手線に乗って帰路につく。上野方面は空いていた。手提げ袋を床に置いて座っているハッサクにピタッとくっつく。他意はない。電車の中がスース―してて少し寒かっただけ。
「あのさ、ハッサク」
「?」
「ひょっとして、あっちの世界に帰ろうとしてる?」
「やっぱ、わかった?」
「そりゃわかるでしょ! だって、ウォークマンとシンディ・ローパーだよ」
「そうだよな」
「……思うんだけど、それを伝えたくて私を秋葉原まで連れて来たんでしょ?」
「まあ」
「……で、いつ帰ろうとしてるの?」
「このあと、赤羽に帰ったら」
「え⁉……急すぎる!」
電車がガタンと揺れる。進行方向を見ると、前の車両が、さらにその前の車両も右側に曲がってクネクネしているのが見える。
黙っていたハッサクが口を開く。
「アマナツは、こっちの世界の方がいいよね……お母さんがいるし」
「なによ急に? そんな、決めつけないでよ……でも、正直、わからない」
「ぼくはさ、ミカンがいない世界に耐えられない。今すぐにでも帰りたい」
「そうだよね……それはすごくわかる。……で、ハッサク。君は私にどうして欲しいと思ってるの?」
「正直一緒に帰って欲しい……でもそんなこと頼めるわけ……ないだろ?」
「……どうして頼んでくれないの?」
「そんなむごいこと、できない」
西日暮里から人が多く乗ってきて、これ以上この会話を続けることはできなかった。
私たちは池袋に着いても、赤羽線に乗り換えてもお互い黙ったままだった。
〇
赤羽駅の改札口を出て、団地がある高台に向かう。
私もハッサクも、そろそろ決めなくちゃいけない。
"ひとことだけ言えるとしたら、『運命』に従ってもいいんじゃないかなって思います"
オールナイトニッポンの中山みゆきさんの言葉を思い出す。
「ねえ、ハッサク」
「?」
階段を上りかける彼に声をかける。
「ここでさ、グリコじゃんけん、やらない?」
「え⁉」
「覚えてる? 小さいころ、初めてハッサクに声をかけてもらった時のこと」
「え、覚えてない……やっぱ覚えてる……ごめん、やっぱ覚えてない……」
「……まあ、いいわ。三本勝負よ」
「勝負してどうするの?」
「ハッサクが勝ったら、二人で2025年に帰る」
「……アマナツが勝ったら?」
「私はここに残る。君は未来に帰る」
「二人でここに残るっていうのは、ないの?」
「ない。だってそれなら君がミカンちゃんに会えないじゃない」
「ぼくが勝ったら、君はお母さんがいない世界に帰らなくちゃいけないんだぞ。それでもいいの?」
「……それでもいいと思う。だって、もともといなかったんだし。その暮らしに戻るだけだよ。ちょっとめんどくさいけど、朝夕のごはんとお弁当は、私とお父さんとでかわりばんこに作ればいいんだし」
「そういう問題じゃないだろ?」
木枯らしが吹いて、階段に落ちていた枯葉を持ち去っていった。
「ほら、じゃあやるよ!」
私はハッサクの背中を押しながら階段を上がり、持っていた荷物を階段の脇に置いた。そしてもう一度一番下まで降りる。
「さいしょは グー、じゃんけん、ぽん」
「ぱいなっぷる」
「じゃんけん、ぽん……あ、負けた」
「じゃんけん、ぽん、やった! ち、よ、こ、れ、い、と」
「じゃんけん、ぽん……あ、また負けた」
「グリコ」
「じゃんけん、ぽん!……あ! また負けた」
グリコ、チヨコレイト、パイナップルと言葉を発したのは、ほとんどハッサクだ。
私は三戦して一回も勝てなかった。
そりゃそうだよ。学校帰りにアケ達とグリコじゃんけんをやって、こっちの世界で一回も勝てたことがなかったんだから。
勝負がつき、ハッサクにショルダーバッグと手提げ袋を渡す。
「アマナツ、本当にいいの?」
「うん、いいよ。これがハッサクと私の運命なんだし……それに、本当にうまくいくかどうか、まだわかんないでしょ」
「……ごめんな」
「なにも謝ることないでしょ!……で、今夜のいつ? 今でもいいけど」
「それはちょっと……元の世界に戻る前に、お父さんとお母さんの顔を見といた方がいいんじゃない? だいたい今夜はクリスマスイブだし」
「あ、忘れてた。お母さんとお父さんの顔を見たら、気の迷いが出ちゃいそう……でもやっぱり、その方がいいかな」
「じゃあ、真夜中、十二時ごろ抜け出せるかな」
「おう、いいね。なんだか不良娘みたい……で、どこ集合?」
「あの公園のベンチあたりで。暖かい格好してきて」
団地の敷地に、ブランコと動物がユラユラ揺れる遊具だけの小さな公園がある、そこのベンチは、少し人目につきやすいと思うけど……まあいいか。どうせここからいなくなるんだし。
家に戻ると、帰りが遅いわね、といつものようにお母さんにチクリと言われ、チキンとケーキつきのいつもより豪華な夕ご飯を食べ、クリスマスプレゼントに万年筆をもらい、お風呂に入った。いったんパジャマを着たけど、このままだと寝てしまうと思い、普段着に着替え、ラジオのスイッチを入れた。
クリスマスイブの今夜は『ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』という特別番組をやっている。音の出る信号機を増やすための募金をパーソナリティの方が呼びかけていた。
液晶時計のアラームをセットしたいところだが、寝るのが早いお母さんやお父さんを起こしてしまう危険性が大。
勉強机の椅子に座り、ラジオに耳を傾ける。でもいまひとつ集中できない。
私がここからいなくなったら、その後この世界はどうなるのだろう? 私がいたことなのど、お母さんもお父さんもすっかり忘れてしまって『元に戻る』だけ? それとも私に似た誰かが、どこか別の世界からやってきて私の代わりにお母さんとお父さんの『娘の座』に収まるのだろうか? 今夜プレゼントしてもらった万年筆は誰が使うんだろう……どうもピンとこない。ひょっとして、あの『ノスタワールド』の中でのメタバース空間の体験が、今でも続いているだけなのかも……いや、それにしてはリアルすぎるし。映像も、感触も、匂いも……基本的に1984年は、タバコ臭い。
だいたいこの半年の経験が『仮想』だったなんて、悲しすぎる。私は机に突っ伏し、寝ないようにしながらも、考えるのをやめた。
〇
暗闇の中、手探りでドアの鍵をそっと開け、ドアノブを回し、そっと鍵をかける。とたん、ひんやりとした空気に包まれる。
『甘夏、いまごろどこへ行くんだ!』と、いつお父さんの声が追っかけてきてもおかしくないと思えた。とにかく気を抜かず、階段を降り、ミニ公園に向かう。
街灯が一つだけ灯っている公園のベンチに人影があった。ハッサクもご両親に見つかることなく、そして思いとどまることなくココに来られたようだ。私が手を振る前から、顔をあげてこっちを見ている。
そばに寄ったら、少し移動してベンチのスペースを空けてくれた。なぜか学校のショルダーバッグを抱えている。
「なんでバッグを?」
「いやその、ウォークマンを落としたら壊れたり大きな物音を立てるかも知れないと思って。だからこれに入れてきた」
「なるほど」
バッグの横には、多摩動物公園の帰りに私が差し戻したエリマキコアラのキーホルダーが街灯に照らされ、揺れている。
ハッサクはバッグの中からウォークマンとヘッドフォンを取り出す。すでに製品が入っていた箱から本体は取り出され、カセットテープもセットされているようだ。
「これ、電源は?」
「乾電池。もちろんセットしてあるよ」
「手際がいいね」
「ここに来るまで、けっこう時間があったし……じゃあ、やろうか」
「ちょっと待って」
「なに?」
「ノスタワールドでは、ヘッドフォンが二つあったじゃない。これは?」
「ああ、今のタイプはヘッドフォンジャックが一つだけなんだ」
「えっ、そしたら二人で一緒に聴けないじゃない?」
「うん、しかたがないから代案を考えた……これ、けっこう伸びるんだ」
ハッサクは、二つのヘッドフォンがついているヘッドバンドを伸びるだけ伸ばした。
「そして、こうする」
ハッサクは私にピタッとくっつき、顔までもくっつけた。そしてヘッドフォンを目いっぱい広げ、片方のスピーカーを私の左耳に、もう片方のスピーカーを自分の右耳にあてた。ギリギリだ。
ヘッドバンドは頭の上に持ってくると長さが足りないので、二人の後ろの首筋に持ってきた。
「えっ! わっ!」
私とハッサクは頬を寄せ合って一つのヘッドフォンを着けている! 真夜中にこんなことをしているのを人に見られでもしたら!
「これだとスピーカーが耳にあたる場所がいまいちだけど、なんとか二人で聴ける。ちょっと我慢してくれる?」
我慢もなにも……だから、これを買う時、電気店でヘッドフォンをしきりにいじっていたのか……
「本当にこれで大丈夫?」
「ものは試し」
「そんな適当な……」
「じゃあ、再生ボタンを押すよ」
「わ、わかった」
タイム アフター タイム。
少し前に『ノスタワールド』で聴いた音楽のイントロが流れる。それにシンディ・ローパーの悲し気な歌声が加わる。
私は目を閉じる。
多分、ハッサクも目をつむっている。
彼の冷たい頬の感触が伝わってくる。
あの時みたいに、意識が遠のくのを待つ。
……でも、そうなる前に『タイム アフター タイム』が終わり、次の曲が始まってしまった。
ハッサクの頬が離れた。
「おかしいなあ」
そう言ってウォークマンのボタンを押して巻き戻す。
もう一回、聞き直す。
でも結果は同じだ。
ハッサクはもう一度テープを巻き戻した。
多分これって、やっぱり……
三度目の『タイム アフター タイム』が始まる時。
私はヘッドフォンを耳から離した。
ヘッドバンドを縮め。
ハッサクの頭にヘッドフォンをかけ直し。
スピーカーを彼の両耳にぎゅっと押しつけた。
「アマナツ! なにするんだ! ダメだ! そんなことしたら、君が戻れない!」
ハッサクがヘッドフォンを離してしまわないように、私は彼の頭を両腕と胸で抱えた。
「やっぱこれ、両耳ではめて聴かないと魔力を発動しないんだよ」
「それ、どんなゲームだよ!」
「時空を旅する勇者のゲーム」
「ダメだ! 離して……離せ!」
「いいの。これで……ミカンちゃんが待ってるよ。早く帰ってあげなよ」
ジタバタするハッサクを渾身の力で締めつける。
「む、胸のふくらみが……」
「……音楽に集中して」
「……あとから君も来るんだ、必ず」
「うん、わかった」
そして。
私は、そうせずにはいられなかった。
ハッサクにキスをした。
そのくちびるは、冷たかった。
まもなく。
ヘッドフォンから漏れてくる音が消え、
そして、
私の腕の中は、空っぽになった。
ベンチの上に残ったのは、私と、ショルダーバッグだけ。
あと、もう一つあった。
バッグにぶら下がっている、エリマキコアラのキーホルダー。
ハッサクのヤツ、計画が甘いなあ。
でも、これも運命なんだろうなあ。
ミニ公園の入り口に人影があった。
パジャマの上にカーディガンを羽織った女性。
寒そうに両腕を抱えている。
お母さんだ。
私に近づく。
「甘夏……こんな真夜中、こんな寒い中で、いったい何を?」
それに答えることは、できなかった。
私の隣に腰かける。
着ていたカーディガンの片腕を脱ぎ、私にかけ、抱く。
「黙って一人で出ていかないでね」
「……うん、わかった」
細くて柔らかい腕に顔をつける。
「ごめんなさい」
「なんで謝るの?……まあ、普通謝るか」
お母さんの顔は街灯に照らされ、少し微笑んでいた。
「勝手にどっかに行っちゃ、ダメだからね」
「……うん、わかった。行かないよ…………もう、どこにも行けないの」
お母さんはそれ以上何も聞かなかった。
寒いからお家に帰ろうねと言われるまで、その胸の中で泣いた。