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2025年5月


ピーン ――― ―― ―


 うす紫のお香を線香立てに刺し、『おりん』を鳴らす。

 昔、お父さんの実家に行ったときに仏壇で目撃したおりんは、金属でできた分厚いお椀みたいだったけど、お母さんの仏壇のそれは、呼び鈴みたいな形をしていて、可愛く澄んだ音がする。


 お線香もラベンダーの香り。お母さんが好きだった花だそうだ。


「行ってきます!」

 私は八年前のお母さんの写真に敬礼する。写真の中のお母さんは、いつまでたっても若い。参考比較、ウチのお父さん。


 ラベンダーの香りを鼻から吸い込んだあと、その火を消す。火の元を点検し、カバンを持つ。お父さんはもうとっくに仕事に出かけている。洗い物は……帰ってからにしよう。


 家の鍵をかけ、エレベーターに向かう。

 そして、その途中……今朝はどうかな? と、隣の隣り、『今井』と表札の出ているドアのチャイムを鳴らす。


ピンポーン♪


 『はーい』

 「あ、おばさん、おはようございます!」

 『ナッちゃん、おはよう……ちょっと待ってね』


 私の名前は『甘夏』だけど、おばさんには小さい頃からナッちゃんと呼ばれている。

 ドアホンごしに、ちょっとあんたどうすんのよ、とやりとりしている声が聞こえた。


『あ、もしもし……』

「おっはよー、ハッサク」


『あの……ぼく、これからトイレなんだけど』

「ええ! 遅刻するよ……」


『先、行ってて』

「えー、大きい方?」

『あと十分くらい』

「しょうがないなあ……じゃあいいよ、下で待ってるからさ」


 先にエレベータ―で降りる。玄関の自動ドアが開くと、ちょっと湿ってるけど気持ちいい風が入ってきて私のショートヘアを揺らす。

 小学校の時はあまり気づかなかったけど、制服を着るようになってから、風の心地よさに敏感になった。

 五月の今ごろと、九月の終わりころの風。このありがたさ、ニブチンのハッサクには、きっとわからないんだろうなあ。


「お待たせ」

 スマホをいじっていたら、ハッサクが建物の入口に現れた。

「ほんとお待たせだよ! いつも言ってるけどさ、あと十分早く準備すればいいのに」

「いや別に待っててくれなくてもいいんだけど」

「なに、恥ずかしいの?」

「いやだって、もうぼくたち中二だぜ?」

「ふーん、回りの目とか気にしちゃうんだ……やっぱ中二病?」

「ちっ、中二病って……だいたい回りなんか気にしてないけど」


 そう。

 私たちは小学校に上がったくらいからずっと一緒だったので、今さら冷やかすようなクラスメイトはいない。通っている中学校の生徒は、だいたいこの赤羽台あたりに住んでいて、一緒に育ってきた顔なじみばかりだ。


「じゃあ、なんでよ?」

「……ぼくたちって、なんだろうね?」

「それって、なにか哲学的な質問でしょうか?」

「いや、そんなんじゃないけど」


 こんな話をしながら、アップダウンの多い通学路を歩く。彼はちょっと早歩き気味。遅れてきたくせに、スタスタと私の前を歩き、ときどき振り返って私を待つ。小さい頃からずっとそうだ。


 ハッサクのリュック型カバンについているキーホルダーが揺れる。

 尻尾の生えたコアラ? がマフラーを巻いている。

 変なヤツ。持ち主といいコンビだ。


「ねえ、ハッサク、それさー、小学校の時にもランドセルにつけてたけど、なんなの?」

 私が何度も繰り返してきた質問だ。どうせ、ちゃんとした答えは返ってこないに決まってる。


「よくわからない」

 ほら。


「いつ、誰にもらったの?」

「覚えてない」

 ほら。


「じゃあ、なんでつけてんのよ?」

「理由はないけど、つけてなくちゃって思って」

 中学生になってもわざわざランドセルからつけ替えるくらいだから、特別な思い入れがあってもおかしくないと思うけど。でも本人にもよくわからないらしい。なんなんだ、いったい?


 そのうち、クラスメイトの女の子たちが合流する。

 ソフトテニスのアケと、飼育係のトモと、放送委員のヒカリ。

 この子たちも、私とハッサクとはつきあいが長い。


 自然と話題が変わる。

 夕べ見たネット配信の動画とか、インフルエンサーの実況とか。

 そうするとハッサクは黙って先を歩く。

 彼はどうもネット関係は得意じゃない。将来理系志望のくせに……関係ないか。


「よう、ハッサク、今日は久々にいつものメンバーだな」

「なんだよカズヤいつものメンバーって? おまえもその一人だろ?」


 カズヤの家族は都営住宅からこの団地への移転組だが、やっぱりつきあいは長い。彼はハッサクのたった一人の友人だ。ともにアニメ好き、ラノベ好きでつながっている。その趣味はどっちもネットと相性がいいはずだけど、二人はなぜか『紙、現物』のアナログ指向。そういうところで意気投合しているみたい。


 男子、女子、体育会系、文化系、オタク……そんなバラバラなメンバーでバラバラに会話しながら、私たちは通っている松が丘中学校の門をくぐり、生徒玄関に吸い込まれていく。

 さっき、カズヤが『久々に』と言った通り、最近はこのメンバーで通学することも減っている。その原因は、ハッサク。彼に言わせれば、『アマナツとぼくはもちろん、みんな人づきあいが濃すぎる』らしい。私はぜんぜんそうは感じないんだけど。朝、ドアの前まで迎えにいっても『先に行ってて』とドアホン越しに断られてしまう。

 いつも顔を合わせているのにLINEの友だちにさせられたりグループにも入れられたりで、コミュニケーション量が多過ぎだと言う。

 ハッサクはもともと小さい頃からそんなに口数が多くはなかったけど、最近どうもその傾向が強くなってきている。


 私はそれがちょっと淋しい。ちょっと恐い。だってこんなに近くにいても、なんか距離を感じるんだもの。だからよけいに彼に構ってしまう。

 最近、時々彼が口にする『ぼくたちって、なんだろうね?』という問いに私自身もはっきりとした答えを持っているわけではない。というか、そういう風に問われるのがちょっと悲しい。


 私たちって、なんなんだろう?



「ちょっと、アマナツさん、聞いてる⁉」


 時は昼休み。

 いじいじ妄想から私を目覚めさせたのは、ソフトテニスのアケ。

 隣りにいるのは飼育係のトモ。放送委員のヒカリは、まさに昼休み放送のオンエア中。どこでどう覚えたのか、音楽リクエスト番組のDJとして、人気がある。


「うんうん聞いてるよ……でなに?」

「ほら、やっぱ聞いてないじゃん」

 簡単に私のウワノソラを見抜いたトモは口を尖らせながら繰り返す。

「今度の土曜にさ、ノスタワールド、行ってみない? って話」

「あ、ああそうだね」


 ノスタワールドとは?

 正式名称は「ノスタルジックワールド19XX」。

 赤羽駅の東側の「ダイキボサイカイハツジギョウ」? が終わり、ショッピングモールとエンターテインメント施設がゴールデンウィークにオープンした。その施設の目玉が、略して『ノスタワールド』だ。

 どんな施設かというと、日本の昭和の風景、古き良きアメリカ、開発が進む前の上海の下町、パリのカフェやシアター街など、二十世紀後半の世界各国のノスタルジックなシーンを再現したテーマパーク。それぞれのゾーンのテーマに合わせて飲食店もくっついている。

 赤羽という街がちょっとノスタルジック感があるので、再開発関係の偉い人がそれにふさわしい施設を造って、海外からの観光客も呼び込もうと決めたらしい。

 私たち、地元の中学生もいったいどんな施設なのか気になっている。クラスでもすでにオープン直後に行った子もいて、休み時間の話題のタネになっている。


「ねえ、アマナツ、行こうよ」

 アケの強引な誘いに私はちょっと困った。

「あの……実はその場所、先約がありまして」

「え⁉ ひょっとして、デート? ひょっとして、ハッサク?」

「……デートではないが、誘ったヤツは当たり」

「でも不思議よね、たいていそういう時はあの子、カモフラージュに私たちも誘うじゃん。カズヤのことも。ははん、やっぱガチのデートだ」


 先週、ハッサクにノスタワールドに誘われた時のことを思い出す。

「珍しいね。キミから私を誘うなんて」

「そ、そうかな? 割と普通だと思うけど」

「いやぜんぜん……それはいいとして、なぜ私と?」

「いやなんか、そうしてくれって言うんだ」

「え、誰が?」

「誰だかわからない」

「どこで」

「それもわからない」

 彼は、学生カバンにつけたキーホルダーを右手に持ち、それをちろちろと見ながら話す。


 しかもハッサクは、学校帰りに行きたいと言う。放課後デート⁉ 校則では、帰り道は塾や習い事以外、無用な場所に寄り道してはいけないことになっている。彼のお誘いは、ちょっと背徳感があってドキドキした。


 コアラのキーホルダーといい、ノスタワールドのお誘いといい、ちょっと解せないことがあるけど、最近私たちと距離を置きたいような素振りを見せているだけに、このチャンスは逃せない。チャンス! ……なんのチャンス?


 春休みにかなり強引に『すみだ水族館』にハッサクを誘った時のことを思い出す。

 ビッグシャーレというクラゲの大きな池をバックに、二人で並んで写真と動画を撮った。それをシェアしようと思って、インスタのアカウントを作ってと頼んだけど、すごく嫌がった。LINEでもいいじゃん、同じことできるんだからって。

 私、なんか一人で空回りしているんだろうか?


 幼稚園からつきあいのあるハッサクのご家族は、小さい時に母を亡くした私を気にかけ、面倒をみてくれた。仕事で忙しいウチのお父さんに代わって夕ご飯は毎日のように食べさせてくれたし、お風呂も一緒に入ったし――もちろんハッサクとではなく妹のミカンちゃんとだけど――お父さんの帰りが遅くなる時は、子供三人、一緒の部屋で寝かせてもらったこともよくあった。この二人とは兄弟姉妹みたいな感覚もある。


 私はその頃と変わらずハッサクと接してきたつもりだけど、彼は少しずつ変わってきている(変人にもなったような……)。

 だから、今度のノスタワールド行きは、彼の気持ちを確かめるチャンスなのかも。もちろんその勇気が私にあれば、だけどね。



 その週の金曜日の放課後。私とハッサクは赤羽駅のコンコースを抜け、駅の東側に向かった。再開発前には昔ながらの飲食店が並んでいたが、今は大きなビルと広場に変わり、整然としている。うちのお父さんは日本の原風景、おとなのテーマパークがまたひとつ消えてしまったと嘆いていた。


 ビルの一階にはノスタワールド専用のゲートがあり、その脇にあるチケット売り場で学生証を出して、中学生料金のフリーパス二千五百円也を買う。私たちにとっては、かなり痛い出費だ。でも、買ったチケットに印刷されているQRコードをスマホで読み取ると、閉館まで、どのゾーンでも自由に入れる。


「アマナツはどっか行きたいところある? ぼくは『日本の昭和ゾーン』を見れればいいけど」

「そうね……じゃあ、その前に『グリニッジ・ヴィレッジゾーン』に寄ってもいい?」

「ああ、いいよ」


 そこでは『ザ ダンシング ドリーム ミッドナイト マンハッタン』という長いタイトルのミュージカル風のアトラクションをやっていて、この間クラスで観に行った子がすごくよかったと言っていた。


 ダンスクラブのような建物に入ると、中は全部立ち見席で、もう会場の後ろまで人が並んでいる。

 二回目のブザーで客席の照明が落ちた。大音響で音楽が鳴り響くとともに、ステージ上がまばゆく照らし出される。

 スマホのガイドによると、このアトラクションはブロードウェイを夢見るダンサーの卵、『リサ』のサクセスストーリーだ。彼女はダンスの学校やクラブで出会う、個性豊かなダンサー達と競争し、時には友情を育み、刺激を受けあいながらブロードウェイを目指す。それは挫折と成長の物語であり、六十年代のダンスミュージックに合わせて、いろいろな種類のダンスが披露されるらしい。


 オープニングは当時の活気をほうふつとさせるクラブのダンスシーン。ネットで見たアメリカの古い映画で、こんなシーンがあったような。

 その後、主役のリサが厳しいオーディションを戦い抜くシーンが、技術と表現力を備えたダンスで演じられた。

 才能あふれる個性的なライバルたちが次々に登場し、彼女にダンスバトルをしかけてきた。実力派が分厚い壁となってリサの前に立ちはだかる。

 リサは挫折を繰り返しながらも挑戦し続け、ついにブロードウェイの舞台に立った。

 観客もステージ上のライバルダンサーたちも彼女に惜しみない拍手を贈る。ステージ全体が明るく照らされ、音楽が変わる。

 リサは顔を上げ、笑顔で前を向く。フィナーレでは、共に戦いながらも励まし合い、苦難を乗り越えてきたライバルたちと一緒に大団円のダンスが披露された。私でも聴いたことがあるようなロックンロール、ソウル、モータウンシャッフルに合わせて、ダンサーたちは思い思いに、あるいはシンクロし、リフト技で協力しあい、一つのステージを創り上げ、パフォーマンスが終わった。

 以上、スマホの解説を見ながらの実況レポートでした!


「いやあ、楽しかったね! 私も一緒に踊っちゃった」


 ダンスクラブの脇にあるハンバーガーショップに入り、特大のハンバーガーとポテトフライで腹ごしらえしながら、私はハッサクに感動を伝えた。

「うん、みんなダンスうまかったね。TikTokでよく見かける『踊ってみた』とは次元が違いすぎるよ」

「あれ? ハッサク、そんなの見るんだ」

「……うん。たまに、だけどね」



 ハッサクのお目当ての『日本の昭和ゾーン』は、グリニッジ・ヴィレッジのすぐ隣にあった。

 ネット動画で見たことがある『ALWAYS 三丁目の夕日』のように『夕焼け空、下町、人情』みたいなのをイメージしていたけど、だいぶ違った。『ノスタワールド』全体のコンセプトは、『19XX』。日本のゾーンのそれは、さらに時代が絞られていて、入口のカベには『JAPAN 198X』と大きく描かれている。つまり八十年代の日本の世界だ。

スマホのガイドによると、『バブル景気と崩壊の前、明るい未来を期待してワクワクしていたころのニッポン』の文化や出来事を紹介しているとのこと。ライトブルーやピンクの照明がゾーン全体の雰囲気を明るくしている。


 中に入ると、一人一人にヘッドフォン付きのゴーグルが手渡され、『席に座ってから着用してください』と注意を受けた。

「へえ、メタバース空間のアトラクションなんだ」

 ハッサクがゴーグルをいじりながらコメントを漏らす。アナログ志向の彼でもこれには興味があるみたい。まあ、理系志望だし、当たり前か……


 昔のSF映画なんかに出てきそうなタイムマシン風のシアターに入る。客席がほとんど埋まったところで上映のアナウンスがあった。


 まず目の前に現れたのは、動物たち。

 ウーパールーパーとエリマキトカゲ、それにコアラ……コアラは今も人気だけど、この頃にブームになったのか。エリマキトカゲが全力でこっちに向かって走ってくる映像は、リアルでちょっと怖かった。

 その次は、八十年代に完成した、いろいろな建造物。

 東京ドームとか、瀬戸大橋とか、横浜ベイブリッジとか。ドローンで撮影した、橋のてっぺんからの風景は、高い所が苦手な私にはしんどい。

 次は、原宿の歩行者天国の風景。

 踊っている人と、それを見物している人で道路が埋め尽くされている。踊っているグループは、衣装も髪型もド派手だけど、さっき見たグリニッジヴィレッジと違って、なんだか和風。

 自分の目の前で踊る人々の熱気が、この仮想の空間でもしっかり伝わってくる。音声の解説によると、『竹の子族』と呼ばれ、その中から一世風靡セピアなどのグループや芸能人が出てきて、テレビでも活躍したそうだ。


 そして、最後はアイドルのステージハイライト。

 松田聖子、中森明菜、小泉今日子、薬師丸ひろ子、森高千里、シブがき隊、チェッカーズ、光GENJI、少年隊といった歌手やアーティストのライブコンサートがコンピュータ処理され、ダイジェスト化されて仮想空間で再現されている。当時のアイドルの中には、今でも活躍中の人が結構いる。

 この人たちのコンサート風景は、よくテレビの特集番組『懐かしのナントカ?』で見たことがあるような気もするけど、メタバース空間だと、臨場感がハンパない。

 そして、今のアイドル達と比べるわけじゃないけど、みんな可愛い! カッコいい!


 ゴーグルを少しずらして隣に座っているハッサクの様子をチラッとうかがうと、ノリノリ・ニヤニヤしている。

 そうか。彼はこれがお目当てだったんだ……納得。



 私もハッサクも大満足してタイムマシン型のバーチャル・シアターを出た。

 その先は展示コーナーだった。展示台には80年代のグッズが並び、その背には説明用の大型モニターが置かれている。

 各コーナーに女性のスタッフがついている。心なしかおばさん……いやベテランのスタッフさんが多いような気がする。

 大勢の来場者が展示品を眺め、手に取り、スタッフの説明に耳を傾けている。


 ここでもハッサクの目はキラリと光った。


 ショルダーフォン。

 これがケータイやスマホの原型⁉ 肩にかついでたの? 重そう。デカすぎる。


 ラジカセ。

 当時の中学生から大学生まで、みんなこれで深夜放送を聴いたそうだ。私は時々ラジコで聴いている。


 写ルンです。

 現像された写真も展示されていたけど、なかなかソフトな仕上がりで味があっていいかも。


 ルービックキューブ。

 最近、AIのロボットが一瞬でこの立方体の全部の面の色を合わせるニュースを見たことがある。


 モノによっては『ご自由にどうぞ』と触らせてくれ、ハッサクはここぞとばかりにいじりまくった。


 そして、ゾーンの出口付近に『 WALKMAN 』と表示された展示コーナーがあった。

 そこに近寄ると、女性のスタッフと目が合った。この人もベテランっぽい。

 なぜだか展示台に近づく私たちをジーっと見つめている。



「いらっしゃいませ」

 他のスタッフさんもそうだけど、その女性は、タイトで光沢のある黒いスカートにちょっと胸元が開いた真っ赤なトップスを着て太いベルトを巻いている。それにロングヘア。

「この制服はひょっとして……」

 イケイケ感あふれるファッションは、テレビで見たことがあるような。

「そう、ワンレン・ボディコンというもので、80年代の後半、バブル期に流行ったものです……正直、この齢でこれ着るの、恥ずかしいんですけどね」

 そう言って胸元を手でおさえた。

「あの……、このコーナーはベテランのスタッフさんが多いみたいですけど、どうしてですか?」

 つい流れでつい聞いてしまった。聞いちゃいけなかっただろうか。

「ああ、それはですね、この時代に起きたことや製品なんかを知っている世代が説明した方が説得力あるんじゃないかっていうことで、私ぐらいの世代が多めに配置されております」


 なるほど。……まてよ、80年代って、今からえーっと、四十五年から三十五年前だから、当時十代後半だとしても、この人は今、五十代っていうこと? にしてはもう少し若く見える。


 ハッサクは、そのスタッフさんをぼーっと見ている。私と同じように年齢の計算をしているのだろうか。それとも、おばさま好き?


「ウォークマンが発売されたのは1979年で、1980年台になってから爆発的に売れました。当時、音楽は『部屋の中で聴くもの』というのが常識でしたので、外の景色の中で音楽が聞こえるオーディオの登場は衝撃的でした」

 スタッフさんは、自分の仕事を思い出したかのように、展示台を指し示しながら急に説明を始めた。


「え! スマホで聴けるじゃないですか?」

 私は驚いて質問する。女性は苦笑しながら答える。

「iPhoneが発売されたのは、2007年、その前にアップル社から出ていた携帯のメディアプレーヤーのiTunesは2001年の発売です」

「それ考えると、ウォークマンが1980年台からあったというのはスゴイなあ」

 ハッサクが感心して本体を手に取り、ボタンをあちこち、ポチポチと押している。

「これ、ここで聴くことはできますか?」


「……ええ、ご視聴いただけます」

 彼の質問にスタッフさんはなぜか少し言いよどんだ。

「ぜひ聴かせてください!」

 ハッサクのアナログオタクの血が騒いでるみたい。

「……わかりました。そんなにお望みなら」

 と、あまり乗り気じゃなさそうなスタッフさんのリアクション、


 女性は展示台下の引き出しを開けた。音楽のタイトルが書かれた透明のケースがずらりと並んでいる。

「これはカセットテープです。見たことはありますよね? この中からお好きな曲をお選びいただけます」


 ケースの背に書かれているのは知らないタイトルばかり。アーティストの名前は聞いたことがあるようなないような。

「あの、お勧めってありますか?」

 スタッフさんは少しの間、私をじっと見つめ、それからカセットテープを探し始めた。

 そして、ケースに金髪の女性が描かれたカセットを取り出した。


「シンディ・ローパーなんてどうですか?」

「どんな方ですか?」

「アメリカのシンガーソングライターで、80年代に多くの大ヒット曲を出しました。映画にも出演していて、親日家として知られていますよ。最近も日本公演に来ています」

「へえ、じゃあ、それ、お願いします」

 と、ハッサク。

「わかりました、ただ今準備します」

 そう言ってベテランスタッフさんは別の引き出しを開け、ウォークマンを取り出した。展示用と視聴デモ用は別らしい。


「この初期タイプは、音楽を二人で楽しめます」

 引き出しからスリムで軽そうなヘッドフォンを二つ取り出した。本体には二つの端子があって、よく見ると『GUYS&DOLLS』と書いてある。野郎とお人形さん? カップルのこと?

「このオレンジのボタンを押すと、お二人で音楽を聴きながら会話をすることもできます……さあ、どうぞ」

 私とハッサクにヘッドフォンを差し出す。受け取って頭につける。

 女性は再生ボタンを押す。


 やや軽快なリズムに乗って、しっとりとした歌声が響く。


「なんという曲のタイトルですか?」

 ハッサクがヘッドフォンをつけたまま、少し大きい声でスタッフさんに聞いた。


 少し間を置き、目を閉じて彼女は答えた。

「タイム アフター タイム」


 それを聞いてハッサクは目を閉じた。私も真似て目を閉じる。


 シンディ・ローパーが歌う英語の言葉の意味はよくわからなかった。でも、なぜかキーワードが日本語で響く。

 まるで、ベテランスタッフさんがアメリカのアーティストの歌声に乗せて、私の耳元でささやいているかのように。少し寂し気に。


   見失っても、また見つけられるの


   だいじょうぶ。時間は巻き戻るから


   何度でも。  

   あなたを待ってるよ。


   私はあなたを想ってる……。



 だいたい、そんな歌だよって、誰かがささやく。


 そして、私の意識は遠のいていった。


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