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ふわふわ、鈴の音と共に 裏

 初めてその小さな命を奪った時の感触を、恐怖を、嫌悪を、感動を、恍惚を。

 忘れた日は、一日たりとてない。



 柔らかくしなやかな尻尾を握り、力任せに振り回して硬い床に叩きつけた時に響く悲鳴と絶叫。

 生殺与奪の権利を握られてしまった哀れな命の必死の威嚇、死の間際のか細い声。

 全てが気持ち悪くて、それでいて気持ちよくて。聞いていると落ち込んでいた気持ちが一気に上向きになる。

 息絶えたそれの、ぐちゃぐちゃになった汚くてグロテスクな顔を見るのが好きだった。



 そうした日々を長く過ごす内に、段々と満たされなくなっていった。

 悲鳴を聞いても物足りない。命の終わる音が呆気ない。



 イライラする。

 満たされなくて。気持ちよくなれなくて。恍惚に浸れなくて。

 イライラする。とても、イライラする。



 そんなある日、少しのスリルを求めて人目につきそうな場所で一匹殺した。



 みーみー。小さくてか細い怯えきった声を聞きながら、久しぶりに少しだけ悦に浸ることができながら、誰かに見つかってしまうかもという恐怖に少しだけ心を竦ませながら。

 腹を捌いて、取り出した内臓をばら撒いた。血の臭いに震え、母親が殺されたのに固まり縮こまって動けないそれが哀れで、可哀想で、薄汚れノミ塗れのその姿が気持ち悪くて。



 でも、足りなかった。全然足りなかった。

 満たされない。ちっとも満たしてくれない。



 分かっていた。気がついていた。そろそろ、もうこんなものを殺すだけでは、満足できなくなってしまっているということに。

 人を殺したい、捌きたい、その汚い姿を見てみたいという欲望が日々増しているということに。



 けれども足踏みしてしまう自分がいた。

 同じ姿のものを殺してしまうことに、ストップをかける冷静な自分がいる。

 そんなことをすれば捕まってしまうと。そんなことをすれば全部全部台無しになってしまうと。



 だから仕方がないと溜息一つ。



 みーみーと煩いそれらに狙いを定めて、持っていた凶器を振り上げ落とそうとした時、人の声が複数聞こえてきた。

 反射的に凶器を持っているのとは反対側の手でずっと握っていた肉塊を茂みの中に投げ入れて、その場から逃げ帰った。



 部屋の中に入って、壁に背をついてずるずると座り込む。

 あと少しだったのにという苛立ち。顔を見られていないだろうかという不安。

 ぐるぐる胸の奥で渦巻いて、気持ち悪かった。



 数日後、またあの場所に行った。

 だってちゃんと殺していないから。母親を殺されてしまった哀れな命を四つ、殺し損ねてしまっていたから。



 小走りで河川敷を歩く。

 記憶を辿りながら歩いて、そしてそこに誰かいた。



 背が高く、そこらのモデルが裸足で逃げ出してしまいそうなくらい綺麗な顔をした『男』だった。

 両手で段ボールを持っていて、そこから顔を覗かせる四つの塊。



 優しげな表情を浮かべながら、男が何事かを塊に向かって話していた。

 そしてどこかに向かって歩き出す。自然と、気配を殺してその後ろをついていく。



 男の向かった先は動物病院だった。

 あんな汚いだけのモノを拾って、わざわざこんな場所にまで連れて行ってやって。



 むかむかした。イライラした。

 それ以上に、ああコイツだと。この人なのだと、この人こそが求めていたものなのだと。

 やっと会えたと歓喜して、ようやく運命の人に出会えたとたいして信じていない神へと感謝の祈りを捧げる。



 自分が今までそこらの生き物を捕まえて殺すだけで満足していたのは、人間を殺すことに躊躇いを覚えていたのは、彼に出会うためだったのだ。

 彼に出会って、そうして殺すためだったのだ。



 どこまでも無惨に、残酷に、グロテスクに。

 あの綺麗な顔を潰して、長い手足を折って、苦痛と恐怖をたっぷりと味合わせて、殺すためだったのだ!!



 そうと分かれば準備をしなくては。

 人を殺すのならば、運命の人をこの手で壊すのならば、ただそこらの命を奪う時と違って入念に準備を整えなければ!



 衝動のままに殺したいと思う心をどうにか抑えつけ男の家を調べ、どう殺すか計画を練り、いざ実行に移そうとした日の深夜二時。

 愛用の道具を詰め込んだバッグを持って玄関の扉を開けようとドアノブに手を伸ばす。



 ――ちりん。

 鈴の音が聞こえた。



 ちりん、ちりん、ちりん。

 にゃーお。



 耳元に生温かい息がかかる。ゾワっと背筋が泡立つ。

 慌てて振り返るもそこにはなにもいない。視線をあっちこっちに向けたけれど、やはりどこにも見慣れた姿は見えない。

 気のせいか。そう思って扉を開けた。



「やあ、こんばんは」



 女がいた。

 肩までの黒い髪を指先でいじりながら、心底つまらなそうな顔をして立っている。

 どこにでもいそうな、町を歩いていたら普通にすれ違っていそうな、平凡な雰囲気を纏う女だった。



 なのに、どうしてだろう。

 その姿を見ているだけでぶわっと冷や汗が全身から吹き出し、ガタガタと体が震えだす。



 だめだ、これは、だめなものだ。

 何がだめかは分からない。けれも、だめだった。

 これは、だめなものだった。



「だ、誰!?」

「誰でもいいでしょ。君だって気にしてないでしょ」



 心底興味が無いというような声音だった。

 実際興味も関心も無いのだろう。こちらを見つめる黒々とした瞳は、ひどく乾いていた。

 どうでもいい石ころを見るような、踏み潰してしまった雑草をなんとなしに見下ろすような、そんな無機質さ。



 逃げろ。本能が警鐘を鳴らす。

 扉を閉めて鍵をかけ、部屋の奥に引き返そうとした。



 ぐちゅりと何かが潰れる音と、足の辺りに酷い痛みが襲った。

 傾く視界。衝撃が体に走って、そこでようやく自分が転んだのだと分かった。



「逃げられないよ」



 耳元で声がした。どこまでも冷たい、冷酷な響きをした女の声だ。

 女は扉の向こうにいるのに。



 それに続くように、部屋の奥から唸り声が響く。

 にゃーにゃーという、場違いに可愛らしい声も。

 ちりん。鈴の音が耳元でした。



「ひっ、ひっ、」



 痛みと恐怖に引き攣った声が聞こえてくる。自分の声だった。

 いつも狩る側にいたはずなのに、いつも奪う側であったはずなのに。

 今は狩られる側だった。奪われてしまう側だった。



 あの汚くて、気持ち悪い生き物たちと同じになった。



 そこでふと、自分の足を見た。

 痛くて痛くてたまらない足を見た。



 足があった場所は、真っ赤になっていた。

 真っ赤になって、所々変な塊と白い物が転がっている。

 足が、潰されていた。



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 絶叫が響いた。

 それをせせら笑うように聞こえる鳴き声と、怒りに塗れた唸り声。



「因果応報だよ。仕方ないね。猫の怨念は怖いから、どうしようもないね」



 必死に這ってどうにか声から逃げようとした時、ヒョイっと女の顔が覗き込んできた。

 なんの感情も浮かべていないその白い顔は、暗い部屋の中でも何故かはっきりと見える。



「たしゅ、たしゅけぇ……」

「なんで?」



 不思議そうに、理解できないというように、女の目が瞬く。



「友達殺そうとしてた殺人鬼をどうして助けなきゃいけないの?」



 それが、答えだった。



 ちりん。澄んだ鈴の音が鳴る。

 それが合図だったように、奪われる側でしかなかったモノたちが今、奪う側であったはずのものへと牙を剥いた。

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