血は争えないってやつ?
「ぃたい、いたいよ、おかあさぁぁぁぁん!!」
明かり一つ無い暗い部屋で少女の悲痛な悲鳴が上がる。
あまりにも悲痛な声に一目散に走ってきたのは、叫び続ける少女の母親だった。
扉が開けられ、部屋の中へ廊下の明かりが差し込む。
部屋からは膿と血が混じった酷い臭いが立ち込め、漂ってきた臭気に母親は一瞬えずいてしまいそうになったけれど気合いと根性でどうにか耐えて、少女の元に走り寄る。
布団の上でのたうち回る少女の体は、普通の人が見れば思わず目を背けてしまう程に酷い有様だった。
顔面はまるで重度の火傷をしたかのように赤く爛れ、肌はめちゃくちゃに掻きむしった後のように肌がボロボロで、絶えず血と膿が滲み布団を汚す。
なにより酷いのが体の内側。骨だ。異様に脆い少女の骨は、ほんの少しの衝撃でビビが入り、酷い時にはポッキリとまるでスナック菓子の様に軽く折れてしまう。
常に激痛に苛まれ、皮膚からは血と膿がずっと出続けて、どうして今生きていられているのか不思議で仕方がない。
(嗚呼、神様……! どうして、どうして、この子がこんなことに!)
こうなる前は近所でも評判の美少女だった娘は、今となってはそんな面影はどこにも無く。
毎日毎日痛みに泣き叫び、全身から血と膿を垂れ流して、一日に何回も体の骨が折れては悶えている。
こんな奇病なんて、聞いたことが無かった。
こんな奇病なんて、どんな医学書にも載っていなかった。
だから、藁にも縋る思いで夫の知り合いを頼りとある人物にかけ合った。
もしかしたらその人ならばどうにかできるかもしれないと、そんな希望をぶら下げられて。
「大丈夫、大丈夫よ、美優。今日、お前を治してくれる人をお父さんが呼んでるからね。だから、大丈夫。大丈夫よ……」
本当は大丈夫だなんて思っていないけれど。
こんな姿になってしまった娘が助かるだなんて、一欠片たりとも期待なんてできていないけれど。
(もしも、もしも、ダメだったなら……)
もう散々苦しんだのだ。
もう散々苦しめられたのだ。
せっかく、行きたい高校に受かったと喜んでいたのに。
せっかく、仲のいい友達と高校に行って別れる前に旅行しようと約束していたのに。
まだまだやりたいことも、やらせてやりたいこともあったのに。
全てできなくなった。
このままでは、娘のたった一度きりの人生がただ苦痛に苛まれ続けるだけのものとなる。
だから、もうどにもならないと言うのなら。
殺そう。どんな手を使ってでも、どれだけ娘と夫に恨まれることになっても。
必ずこの手で我が子を殺して、自分も死ぬ。
そんな、悲壮な覚悟を抱いきながら少しでも娘が楽になれればと、いつも通り鎮痛薬を投与しようとした。
「ああ、それもう意味無いよ」
後ろから声がした。
錆びたブリキ人形の様にぎこちない動きで背後を振り返る。
開け放たれた入り口に、見知らぬ女性が立っていた。
真っ黒な目はまるで硝子玉のように無機質で、可愛らしい顔つきをしているけれど全くの無表情のために、可愛いというよりも怖いという感情が先に立つ。
「どちら様ですか?」誰何の言葉は女性から放たれる異様な気配に出せず、ただのんびりとした足取りで娘に近寄る彼女を呆けたように見ているだけしかできない。
女性の白くほっそりとした手が悶え苦しむ娘の額に触れる。
そして何事か呟くと、今の今まで体を苛むあらゆる痛苦に泣き叫んでいた娘が突然ぴたりと口を閉じた。
「美優……?」
「………………ない、」
小さな、掠れた声が耳に届いた。
それは娘の声だった。叫び続けて、少し枯れてしまっているけれど確かに娘の、美優の声だった。
むくり。娘の体が起き上がった。
「あ、どっかの骨折れたまんまだから下手に動くと痛いよ」制止の声は遅く、小さな悲鳴を上げて娘はまた布団へと倒れ込んでしまったけれど。
「おかあさん」娘が、美優が自分を呼ぶ声がする。
ボロボロと涙をこぼしながらも、嬉しそうに笑いながら、おかあさんと。
その顔には、先程まであったはずの酷い火傷のような腫れは無かった。
「いたく、ない……からだ、ほねおれてるとこいがい、いたくない!」
「あ、ああぁぁぁぁ、美優! 美優!」
歓喜の声を上げ、上半身だけを起こした娘をそっと抱きしめる。
奇跡が、起きた。今この目で、自分は奇跡が起こるのを見た。
「感動してるとこ悪いんだけど、一旦どうにかなっただけでこのままだともう一回君の娘はこうなるよ?」
けれどそんな奇跡は、長くは続かないのだと。
起こした張本人に断言されてしまった。
*
六部殺し、というのを知っているだろうか。
わりとよくある怪談の一つで、ざっくりした説明をするととある村へとやってきた巡礼者、修行僧とかを村の人間が殺して持っていた金目の物を奪い取り、それを元手に家を繁栄させるけど後々何らかの報いを受けるっていう。
個人単体で何らかの報いを受ける場合もあれば、村ぐるみでやらかして村全体が不幸に襲われたりもするね。
んでまあ、今回湯車経由で来た依頼がこの六部殺しに近いやつだった。
「まあ大体君たちのお父さんが悪いよ」
「夫がですか?」
久しぶりにひっでえ痛みから解放され、軽くお風呂に入れたらすやぁとおやすみなさいしてしまった娘さんを綺麗な布団に寝かした後、居間でお茶を飲みながら軽く事情説明。
「君のね旦那さん、代々受け継いできたっていう神棚撤去しちゃったでしょ? それもちゃんとした手順踏まないで。だからまあ、丁寧に祀られてたおかげで大人しくなってたのが娘さんに襲いかかったんだね」
「ちゃんと、然るべき手順を踏まなかったせいで娘は……美優はあんなに苦しむことになったってことですか?」
「そうそう。奪った金品で作った財産築いて、さらにそれを元手にもっと財産増やしたから余計に怒ったんじゃない? あ、ちなみに娘さんがターゲットになったのは娘殺す方がダメージでかいって思ったからみたいだよ」
出された緑茶をずずっと飲む。あー、あったかいお茶がおいしぃ。
大晦日なのに仕事だし、ここちょっと田舎だから寒くてあったかいものが体と心に染みるわー。
「このまま放っておいたらまた娘は元に戻ると言っていましたが、それはまたどうしてですか? どうにかしてくれたんじゃないんですか?」
「んー? 一旦軽く説得して引いてもらっただけだよ」
ちょっと君殺した奴の子孫とお話しするから、ちょいと大人しくしててねって。
どうにもならんかったら、娘呪い殺していいって伝えてさ。
「旦那生贄にして、旦那とはきっちり縁切りしないと。この家からってか、この辺りから出て行った方がいいよ。じゃないと君の娘は死ぬまで苦しみ続ける羽目になる」
「夫を生贄にとは?」
「そのまんま。呪いの対象を娘ではなく、旦那に代える。そしたら君の旦那数日以内に死んじゃうけど」
「では、そうしてください」
「えっ、いいの!?」
していいんかそれ。流石に彼女たちの意思の確認も無くやるのはまずいかなって思って説明したんだけど、マジでやっていいんかそれ。
旦那を犠牲になんて〜とか言われるだろうなって思ってたのに。
いやまあ、やらんと娘は助からないから泣こうが喚こうがやるしかないんだけど。
そんだけ殺された奴の怒りと恨みは深い。
やっとこさ故郷に帰れるってところで毒盛られて殺されて、さらには濡れ衣まで着せられてちゃんと供養してもらえなかったから、余計に。後々流石にまずいってなった子孫たちが丁寧に祀り始めたけど。
んでちゃんと祀られてるわー、あと十数年こうなら許したるかーってところまできてたのに、きちんとした手順踏まずに神棚ぽーいされたから怨みが大爆発してるんだよね。
でも、でもさ。そんな即決する?
一人の命を奪うことになるんだけど。
「提案しといてなんだけど、本当にそれでいいの?」
「構いません。それで美優を救えるのなら。……今まで父親らしいことなんてしてくれなかった人です。貴方を呼んだのも、得体の知れない病気にかかった……正しくは呪いですけど、苦しみ続ける娘を放置しておくのは外聞が悪いからです。外にまで響いてるみたいですからね」
「あー。そーいう」
奥さんのキンキンに冷え切った笑みを見て大体理解した。
まあ、代々大切にしてたはずの神棚適当にポイッするようなど阿呆である。その性根もある程度お察しというもの。
「じゃ、離婚届けとか準備してね。あ、お金とか絶対受けとっちゃダメだよ。もし受けとったとしても、全部殺された奴が信仰してとこと同じ宗派の寺に寄付するように。連絡してくれたら教えるから」
「分かりました。どうかよろしくお願いいたします」
「はいなー」
というわけで、話はサクッと終わった。
生贄にされることになった旦那?
この話し合いの二週間後には不審死をしたと言っておこう。意外としぶとかった。
なんか思ってた以上に悲惨な死に方したから、ついでって感じで六部殺しとはま別のが、積年の恨みつらみも晴らすために襲来したっぽい。だから無駄に長生きしたんか。より苦しむように。
普段はめちゃくちゃ穏やかな人を怒らすと怖いよね、ほんと。
なお、娘さんは元気になったそう。お母さんも幸せそうで、ちょっと前に写真が来た。
依頼料も結構もらえたし、わたしもほくほくだ。
……まあ人を呪ったら穴二つだから、最期はどう足掻いても悲惨なものになるだろうけどね。
今が幸せならきっといいだろう。




