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そして、人になった 4

「お前なんか奏ちゃんじゃないわ!! 奏ちゃんをどこにやったの!? わたしの奏ちゃんを返してよ!!」



 殴られた頬が痛かった。

 髪を振り乱し、血走った目で睨みつけてくる母親は全然知らない人間のようだった。

 昔から何かあるとヒステリックに泣き喚くことがよくあったけれど、今日のこれは様子が違う。

 人を殺すのも躊躇わなさそうな、そんな危うい雰囲気を漂わせている。



 女の子らしい格好じゃないことを怒られたり、髪を短くしてしまったことを叱ったり。その程度のことは予想していた。怒りに任せて叩かれることも。

 しかし現実は全くの別人だと思われ、こちらの言葉をまともに聞いてくれず、一切の加減無く本気で殴られて倒れてしまった。



 自分の気持ちにも、そして母親たちにも、きちんと決別をしようと勇気を振り絞って生家へと来てみればこれだ。

 まさか家の中にすら入れてもらえないだなんて全く考えていなかった。



「返してよ!! わたしの、可愛い奏ちゃん返してよ!!」

「マジでクソヤバ女じゃん、ウケるー」



 玄関に置かれていたおそらく父親の物と思われるゴルフクラブを振り上げた母親の前に、今回付き添ってくれた不動が割り込んだ。

 突然の闖入者に驚いたらしく、母親はびっくりした顔で数歩後退り、すぐにまた怒りに満ちた顔を浮かべ「あんた誰よ!?」と怒鳴る。



「わたしはその子の……えっと、付き添い役だよ。あと、その子は正真正銘君の娘である栗原奏だよ」

「嘘よ、うそうそうそうそ! わたしの奏ちゃんがそんな男の子みたいな可愛くない格好なんてするわけないじゃないっ!!」

「わかってるんでしょ本当は。認めたくないから嘘だって言うんでしょ。嘘だって認めなかったら、女の子らしくない子は自分の子どもじゃないって言い続ければ、栗原が元の自分の大好きなお人形に戻るって思ってる。ほんっとにさぁ、救いようの無い馬鹿だねぇお前」

「ひっ!」



 怒りで真っ赤に染まっていた母親の顔が一瞬で青ざめた。

 まるで何か恐ろしいものを見てしまったように怯えて、ゴルクラブを落としへなへなとその場に座り込む。



 自分からは不動の背中しか見えないけれど、母親には一体どんな彼女の姿が見えているのだろう?



 怯えきって、うろうろとあちこちに視線を彷徨わせていた母親とばっちりと目が合った。

 ハッとしたような顔をして、恐怖に塗れていた瞳に僅かな希望が宿る。



「ね、ねえ! あなた奏ちゃんなんでしょ!? さっきは酷いこと言っちゃってごめんなさい! あんまりにも違うからびっくりしちゃったの! びっくりしちゃって、思わず……ね? お母さんが悪かったから、その子にちゃんと説明して謝ってちょうだい」

「……?」



(……え、何言ってんのこいつ?)



 媚を売るような顔で、訳の分からないことを言ってきた。

 こちらはまったく悪いことなんてしていないのに、どうして母親の代わりに謝らなければならないのか。

 そもそもそんなお願いをする前に、殴ったことに対する謝罪が先ではなかろうか。



 すぅーっと、心の奥が冷える。

 さっきまで殴られた時と同じくらい胸が痛かったはずなのに、どうしてか今はちっとも痛くない。

 痛いのは殴られた頬だけだ。鉄錆の味がして、とても気持ち悪い。



 なんて身勝手なんだろうか。いや、身勝手というよりこれには人の道理が通じていないのではなかろうか。



「大丈夫栗原? 立てる?」

「あ、うん。大丈夫。ありがと」



 不動が振り返って手を差し出してくれる。その手を取って立ち上がり、未だ座り込んだままの母親を見下ろす。

 何かを期待している顔をしていた。それが叶って当然というような顔をしていた。



 それが、とてもとても気持ち悪い。

 切れた頬から溢れる血を飲み込んで、思わずうぇっとえずきそうになった。

 最悪な気分だった。口の中は切れるし、殴られた頬は痛いし、血を飲み込んだせいで気持ち悪いしで。



 早く帰りたくて、終わらせたくて。

 だから、すんなりと言葉が口から出てきてくれた。



「私は貴方の都合の良いお人形じゃないし、理想の二周目でもない。もうこれから先、私の人生に関わってこないで」

「…………えっと、なにを言ってるの?」

「貴方にとって私が娘ではないように、私にとっても貴方はもう母親じゃない」



 痛みは、無かった。

 苦しくも、無かった。

 捨ててしまうことへの罪悪感なんて、これっぽっちも抱けなかった。



 意外と自分は冷たい人間だったんだなと、心の中で己自身を嘲る。

 簡単に捨てることを選択できるような、そんな人間だなんて。まるで母親と同じだと。

 いらなくなったものは、簡単に捨てられしまう人と同じなんだと。



「さようなら。大好きだった、大好きだったんだよ、お母さん」

「かなで、ちゃん?」



 不動の手を掴んで、逃げるように走り出す。

 文句も言わずに不動は一緒に走ってくれた。

 走り疲れて止まってしまうまで。黙って付き合ってくれた。



 走って、走って、ようやく止まった場所は今手を繋いでいる彼女をちゃんと認識した場所。

 全部のきっかけになった場所。



「不動、一個お願いしていい?」

「なに?」



 上がった息を整えて、ずっと後ろをついてきてくれていた彼女を振り返る。

 真っ直ぐに真っ黒な目が見つめ返してくれる。自分を、栗原奏をちゃんと見てくれている。



 最初からそうだった。彼女は栗原奏を見ていた。

 女の子らしくしようと、女の子らしくなければと、上から塗り固めていたメッキではなく、その下にあるものを見て、見つけてくれた。



 だから、彼女がよかった。

 他の誰でもない、栗原奏を見つけてくれた不動涼子という少女がよかった。



「私と、友達になってください!」

「いいよー」



 あまりにも軽い了承に苦笑いしてしまう。

 予想していたことだけれど、あんまりにも軽すぎやしないかと。



 ぼやけた視界に映る彼女ののほほんとした顔に、どうしようもなく救われたのだ。



 *



 寒いなぁと思いながら目が覚めた。

 どうしてか足元に転がる掛け布団。来客用の布団で寝ていたはずの不動が、栗原の寝ているベッドで人の腹を枕にぐーすか眠っている。



 たぶん夜中にトイレか飲み物を飲もうと起きて、寝ぼけてベッドの中に入り込んできたのだろう。

 彼女が泊まったらよくあることだった。



「懐かしい夢を見たなぁ」



 昨日、出会ったばかりの頃の話をしたからか。それともアレから接触があったせいか。

 ちょっと苦くて、懐かしい過去の夢を見た。



 あれから自分の、栗原奏の人生が始まった。



 もちろん何もかもそう簡単に上手くことが運ぶなんてことはなかったし、実の両親との衝突は何度かあった。

 それでも心折れずにこうして生きていられるのは、やっぱり人のベッドで気持ちよさそうに寝ている彼女がいてくれたおかけで。



 あの頃はまだ色々と不安定だったのと、不動が今よりもずっと進んで幽霊の絡む事柄に首を突っ込んでいたから何度も怖い目に遭って。

 その度に離れた方がいいんじゃないかなと、実に恩知らずで薄情なことを考えたものだけれど。



 ちっとも目覚める気配が無い彼女の頭を腹から下ろして、額に軽く自分の額を合わせそっと静かに頬へとキスを一つ落とす。



「好きだよ」



 眠る彼女に囁く。

 届くことはない、届けるつもりもない、想いの言葉。



 不動涼子は人にも物にもあまり執着しない。

 だから、誰かと縁を結ぶこともあまり無い。結んだとしても、それは利害関係の一致から結ばれたもの。



 自分との関係もそう。

 少しの打算を混ぜ込んだ、綺麗な感情ばかりじゃない関係。



 たぶんきっと、それは彼女にとってなんの柵にもならないもので。

 もしもの時に、ほんの少しの心残りにすらならないもので。



 でも、それでいい。きっと、それがいい。

 いつか必ず自分は彼女に置いていかれてしまう。

 だって不動は、栗原奏のたった一人の大切な恩人(友達)は、いつだって先へ先へと進んでいくから。

 手を繋いで一緒に進んでくれるのは、気まぐれを起こした時だけだから。



 音を立ててしまわないようにベッドから静かに降りる。



 せっかく不動が来ているのだから少しだけ朝食を豪華なものにしようかなと、いつぞや買ったフランスパンを使ってフレンチトーストを作る。

 自分のは甘さ控えめで、不動のは少し甘めで。焼き上がったそれにバターを塗り、メープルシロップをかけて少しだけ胡椒を振った。

 これだけでは少し物足りないので、昨日の晩ご飯の余りであるポテトサラダとインスタントのコーンスープをマグカップに入れる。



「おはょー」

「おはよ。朝ごはんできたけど、とりあえず先に顔洗って目覚ましてきなよ」

「うぃー」



 できあがった朝食をテーブルへと並べていると、不動が起きてきてふわぁと大きなあくびをこぼし、ふらふらと洗面台の方へと歩いて行った。

 テーブルに朝食を並べ終え、スマホで少しネットニュースを適当に流し見ていたら彼女が戻ってきて、向かいの席に座った。

 二人揃っていただきますと手を合わせ、不動はさっそくフレンチトーストを食べて幸せそうに目尻を少し下げる。



 とても、幸せな時間だった。



「不動」

「んー?」

「ありがとうね」



 こんな時間を過ごせるのは、過ごせるようになったのは、全部彼女のおかげだから。

 自分が栗原奏として、生きていけるようになったのは彼女が見つけてくれたおかげだから。



「急にどした?」

「別に。なんか言いたくなっただけ」

「ふーん」



 いつか、君に置いていかれるとしても。

 いつか、君がいなくなってしまったとしても。



 この人生を、めいいっぱい生きていこうと。

 一人の人として、歩んでいこうと。



「ポテサラのおかわりいる?」

「いるー」



 そう、ひっりそりと誓った。

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