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がぶり億万長者

作者: ヘルベチカベチベチ

「馬に頭をかじられてえ。億万長者になりてえ。馬に頭をかじられるような億万長者になりてえ。馬に頭をかじられてえ。億万長者になりてえ。馬に頭をかじられるような億万長者になりてえ。馬に頭をかじられてえ。」

 ペラペラに傷んだ段ボールを地面に敷いて、その上に酒を飲んで居座り、丸一日を過ごすような人の話だ。私はその聞き手役になり、最近はこんなことばかりして、一日が終わっていくのだった。

 背後から私に声をかけるのがいた。

「おい、アンタ。そんな奴の話、まともに聞くだけムダだぞ。ソイツもそろそろ更生施設送りだろうからな。だからよ、どうせ暇ならオレに付き合えよ。とりあえず歩いて話でもしようぜ。」

 まったく覚えのない男がそこに立っていた。外見は、フォーマルだかカジュアルだか判断が付かない、灰色の服を着ていることだけが特徴で、他はごく普通である。男の誘いを断る理由などなく、私はその横を付いていくことにした。

 私たち二人は、ある街のはずれにある、青く濁った運河に沿って歩いた。コンクリートの堤防には、そのギリギリの高さまで氾濫の跡が残り、細かい粒が反射して光っていた。腕時計やスイカの残りや痺れたカラスが流れていく上を、三輪車をコックピットに取り付けた玩具のボートが通り過ぎると、急に日が暮れた。

 鉄橋を渡っている途中から、私はこの男との間に流れる沈黙が気になり始めた。出会ってから、会話がまだ一度もない。では、自分から話題を提供しよう、という考えには私はならない。向こうが話しかけて来たのだし、向こうから話しだすだろう、そう思って、私からはあえて喋らず、男の動きがあるのを待ち続けた。

 待つうちに鉄橋を渡りきり、駅を中心に広がる街中へ突入し、それからも沈黙が破られることはなかった。そしてやっとのことで男が喋り始めたのは、Y字路にある赤十字新聞配給所を過ぎようというとき、軒の並ぶこの通りを突風が吹き抜け、自転車置き場でバタバタとドミノ倒しが起きた。男はその騒音に突き動かされるようにして、私に質問を投げかけたのだった。

「アンタの整理番号はいくつだい。」

 整理番号。頭に種類別がなくそう言う場合、この辺りでは更生施設の整理番号ということで通っている。段ボールで酒を飲むアイツもそうだったが、かといって私やこの男が酒依存に陥っているというわけではない。

「私は、たしか三〇五番。」

「ふーん早いな。オレは五七三。昨日もらいに行ったんだ。もう何回も入っては出てを繰り返してるけど、どんどん新しいものにハマっちまってよ。今回はカニにハマった。」

「カニって、あのカニ? カニにハマってるんだ。」

「そう。あれがもう美味いなんてもんじゃなくてな。日に三杯は食う。でも高級品だろ。経済的に厳しくなってきたんだ。オレも金持ちだったら良かったんだけどなあ。アンタは何にハマってんの。」

 特に躊躇することもなく答えた。

「私は死体焼き。ずっと火葬場で働いているんだけど、少し前から仕事の分だけじゃ満足できなくなってきて。」

「変態かよ。」

「別にそんなんじゃ。なんていうんだろうな。こう気分が上がるわけでも下がるわけでもないんだけど、焼いているとすごく満たされるというか……はあ、好きな理由をがんばって説明すんの本当きらい。私が頭悪いからだろうけど、すごくイライラする。」

「そう。理由なんて何でもいいけどさ。」

 男は軽く頷きを繰り返し、さらにこう続けた。「アンタみたいに結構深刻そうなのにハマってる奴、オレ初めて会ったかも。オレの周りはさ、なんかカニとかタイヤとかタンポポとか、そんなんばかりだ。他にも、寺って言うのもいたな。」

「テラ?」

「そう。お寺をしばらく眺めていれば治まるみたいなんだけど、あんまりにも態度が酷いからって、この間お坊さんに追い回されたんだってよ。」

「それって依存関係なくその人が悪いんじゃないの。」

「いいとこ突くな。オレもその通りだと思うよ」男はそのまま歩いている方へと目線を切り替えた。「ん、あれ何だろうな。」

 男の言うその先を見ると、人の行列ができていた。邪魔にならないよう道の端に並んでいて、そこに何があるのか、列は立体駐車場の中へ吸い込まれている。ああいう行列を見かけると、私はとりあえず並ぶ質だけれど、この男はどうするだろうか。

「並ぶ?」「ああ、そうしようか。」

 二つ返事だった。

 列の最後尾につき、私たちの後ろにもさらに人が並んでいく。前が進むことはない。またしても男は黙り込んでいる。列に並ぶ人たちはお喋りが絶えない。二人から四人組が多く、一人で来たようなのもちらほら。私は目に付いた人を指さして、それを男に教えてみた。

「あれみて、和柄のアロハシャツ着てる。かっこいい。」

「本当だな。」

「かっこよくない?」

「かっこよくない。」

 せっかくの会話はここでお互い力尽きてしまい、私たちはまた黙った。きっと、列に並びながら話すから、良くないのだと思った。上手くいかないのは、周りの会話が聞こえてきてしまうからで、単純に気が散るし、私くらいの自意識過剰であれば話している内容やなんかを比べてしまって次の言葉もスラスラ出て来なくなる。そんな性格が、私はもちろんこの男にも共通しているのである。

 それならば仕方がない。二人で並びながら各自で突っ立ってみるのも、そもそも私たちは他人同士なのだから難しいことじゃない。あそこで、自販機でアタリを引いたジョガーがもう一本のやり場に困っている。野良猫三匹がマンホールで焼き肉をしている。空は暗いのになぜか雲の形がハッキリと見える。「白人、また嘘ついた」会話がの断片が聞こえてくる。

「入場開始しまーす。」

 列の続く立体駐車場の中から聞こえ、その声によってついに前が進み始めた。順番に危険物の検査をされたあと建物に入るよう促され、階段を下って地下へ行く。そこでまた順番に入場料を払ってドリンク引換券を貰い、さらに奥へ行くと、なるほどここはクラブだった。仄暗く光る色つきライトが客同士を溶け込ませ、先に入場した人たちは早くも革のソファ席について、缶に口をつけながら談笑している。他にもカウンターで立ち飲みする女子二人や、壁にもたれかかってスマホをいじっているおひとり様、DJスペースに行って踊り狂っている五十おばちゃんとそれを遠巻きに見ながら引き気味にしかし体は揺れている人等、過ごし方は様々であるがいずれにしろ何かしらドリンクは欠かせないらしかった。

「私たちも何か飲もう。」「ああ、そうしようか。」

 開場したばかりだから、列が注文カウンターにもできていて、また私たちはその最後尾についた。みるみる前は進み、メニューに何があるかも分からないまま自分たち順番になってみると、ここで悩んでは後ろに並んでいる人たちに悪い気がしてしまって、良く選びもしないで写真に一番大きく出ている缶のやつを注文した。列を抜けて、すぐに開けて飲んでみるが、これが何の種類の酒かも分からない。私が詳しくないせいもあったろうが。

「これなんだろうね。スッキリしてておいしい。」

「さあ。でもたしかにうまいな。」

 周りもこの缶を持っている客がほとんどだった。その全員が後ろに気を遣ったわけではないにしろ、気を遣ったなりに買った酒がおいしいもので、私は変に温かい気持ちを覚えた。軽くでも酔えば、センチメンタルに陥った。

 私たちは缶を持ったままDJスペースに紛れ込み、民族音楽系のエレクトロが終わりかけのタイミングだった。初めて聞いたようなジャンルだったから、次はどんなのをかけるのだろうと期待していると、

「国歌斉唱!」

 DJがヘッドフォンを頭から外すなり投げ、そう叫んだ。そうして流れた曲はたしかに国歌で、倍速もかけていなければ何のアレンジもない。クラブの雰囲気とは似ても似つかない厳かな音色がフロアに響くと、ミラーボールがオーディエンスの顔を照らして回り、私たちは国歌を真剣に歌った。なんとも不思議な、宗教の方法ってこういうことなのだろうと思った。

 この国歌斉唱を最後に、DJが交代するという。私たちは一度フロアから出ようと、人の間をかき分けてなんとか抜けることができた。しかし無事では済まず、私の靴が片方、誰かのこぼした酒でびしょ濡れになってしまっていて、男の方も、飲んでいないはずなのに缶の中身が消えたと騒いでいる。

「そんなに飲みたいなら私の靴いいよ。はい。」

 濡れた方の靴を床から離して差し出すと、男はそれを蹴り返して、「嫌だね。オレは酒だけは器で飲む派なんだ」もう一度注文カウンターに向かった。

 カウンターから戻って来た男とミニテーブルを挟み、私はそれに肘をついて前にもたれた。男は目の前で音をぐびぐび立てながら、買って来た缶の酒を体内に流し込んでいる。

「かはあ。さっきの国歌斉唱、中々やばかったな。」

「あれね。頭がぼおっとしたよ。」

「最近の国内情勢と見比べて、オレはなんだか腑に落ちたよ。愛国心がついに、サブカルに返り咲いたんだな。」

「うん、そうかもね。それよりさ、もう出ない?」

「ああ、そうしようか。」

 男は二つ返事の次に缶の中身を一気に飲み込み、こうして二人そろってクラブを出て行った。階段を上るあたりから感づき始めてはいたが、やはり外は恐ろしく静かである。バイクが通ろうが大声の通行人がいようが、却ってそれが静寂を引き立ててしまう。スピーカーの大音量に慣れた耳では、妙に寂しい時間が流れるのだった。お互い疲れも追いついて来て、また黙り合った。

 歩いているうちに、素面というか、ハッと今までのことを思い返すような冷静さが背筋を通い、私たちはいつの間にか大通りに出ていた。それに気が付くと、死体焼きのことばかりで頭が占領されてしまい、無性に焼きたいこの衝動に、自分でもまばたきの頻度が増えているのが分かったし、首の後ろが痒くて、さっきからどうしても手を回して掻いてしまう。

「なあ、アンタ。もう焼きたくて仕方なくなってるんだろう。見りゃ分かるよ、イライラしちゃって。」

「え? うん。」

「でさ、話変わるけど、さっきからオレたち、つけられてるの気づいてる?」

「全然。」

「施設の奴らだよ。バレないように振り向いてみろ。」

 医療用白衣の上に、ペストマスクと黒い中折れ帽を被った二人組が後ろから、迷いなく私たちに付いて来ていた。あんな恰好をする奴は、施設の職員以外にいない。

「多分番号的に、アンタのことを迎えに来たんだと思うんだけど。もう捕まっても悔いはないのか。最後に一体くらい、焼きたくないか。」

「最後にね……。」

 棺に入れる火葬も好きだが、網目状に穴の開いた鉄板に寝かせて、その穴から噴き出した炎が徐々に包んでいくのもいいし、戦争映画なんかで見る、大量にベルトコンベアで運んで山みたいに積み上げ、それに着火して一斉に燃やすのも憧れがある。死体焼き依存を絶つための施設なのに、入ってからのことを思うと死体焼きの夢はどうしても尽きなかった。

「たしかに。せめて最後に一体。」

「そうだと思った。走るぞ!」

 男は私の手を握ると、そのまま全力で駆けだした。途端に私は転びそうになったが、なんとか持ちこたえ、ちょっとずつ足の回転も安定して男に追いつくようになった。男が私に合わせたのかもしれないが、とにかく私たちは、施設の職員に圧倒的な差をつけて撒くことができた。

 走って逃げるうちに街を抜け、行きに渡った鉄橋を過ぎ、青く濁った運河に沿って息を整えつつ歩いた。逃げてきた道をどれだけ振り返っても、追手の気配はない。

「逃げたって意味ないですよ。」

 声が聞こえたのは運河の方だった。見ると、堤防に四本の手がついて、ペストマスクを被った二人が姿を現した。船の近づく気配も、泳いで水を掻く音もしなかったのに、これは一体どういうわけだろう。二人の羽織る白衣は、アイロンをかけたばかりのようにシワ一つすらない。

「そうです。早く施設に入って、あなたの依存症を回復しましょう。」

 職員の二人は堤防を乗り越えて陸に上がると、こちらの様子を伺いながら歩みを寄せてくる。それに対し男は逃げる素振りも見せないで、煽るような口調で言い放った。

「何が依存症回復だ。そんなペストマスクなんて付けて、今やガンの時代だろう。中学生のセンスじゃないんだから。ダセえよ。いくら装着する命令なんだとしてもな、まさか一回くらい上司に異議は唱えたんだろうな。」

 男はよっぽどあのマスクが嫌いなのだろう。そう吐き捨て、私にはその物言いが聞き捨てならなかった。

「ペストマスクいいじゃん。カッコいいじゃんか。まったく分かってないね。」

「アンタ、それマジで言ってんのかよ。ああそうか、なるほどな。死体焼きにハマってるとか和柄がカッコいいとか、なるほどなるほど分かった分かった。アンタは悪い奴じゃないが、そういうことだ。全部わかったよ。」

「そっちこそ、人の趣味に文句つけるのやめたら。」

 男と私は追い詰められているにも関わらず、二人でこんな不毛な言い争いを始めた。だがそれは向こうの職員の二人にも例外でないようだった。

「ソイツの言う通りだ! このペストマスクは、百パーセント、自分の好みで付けていますよ。」

「おい、お前それ冗談だよな。」

「冗談じゃないですよ。この無感情な目に鳥のくちばしみたいな……。」

「おい、そっちの男。お前とは気が合うみたいだな。」

 片方がペストマスクを外して、地面にたたきつけた。私はそれを拾い上げて装着し、

「要らないならちょうだい。ペストマスクカッコいいよね。」

「カッコいいですよ!」

 いつの間にか四人ともごちゃ混ぜ、対立の構図は、ペストマスク擁護派と反ペストマスク派で睨み合いとなり、二勢力の間を砂ぼこりが舞った。カラスかーで夜が明けて、近所のベランダからタバコを一服するのが四人の耳に朝を告げると、先制攻撃を仕掛けたのは私たちペストマスク擁護派、戦いの幕は切って落とされた。

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