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第九話


 茂みってすごい。

 いきなり上から降ってきた人間二人に全体重をかけられたのに、文句も言わず落下の衝撃を受けとめてくれた。お陰であれだけの大立ち回りをしたにもかかわらず、アニタは無傷だ。

 この茂みは命の恩人だ。もう足を向けて寝れない。たった今下敷きにして寝ているが。


「茂み、ありがとう……!」

「何で茂みに感謝してんの」


 茂みへの感謝をアニタが噛み締めているところで、真下から声がかかる。声の主が真下にいるのは、茂みと同じく彼のこともアニタがたった今下敷きにして寝ているからだ。

 いつまでもこの状態では申し訳ないので、ごろんと横に転がって移動する。ちょうど茂みの上で二人川の字に寝ている状態だ。優しい茂みのことだ、もう少しだけなら寝ることを許してくれるだろう。


「……私、生きてるんですよね」

「俺には生きてるように見えるけど」

「トスイさんも生きてますか?」

「はァ? 死んでたら君は今誰と話してんの?」

「そうですよね。死んでたら話せないですもんね」

「……そうだよ」


 トスイの声が夜の黒と火の赤が混ざった空に溶けていく。

 それを合図に、よいしょっとアニタは起き上がる。それに(なら)うように、ひょいっとトスイも起き上がる。

 ついでに乱れた己の長い髪に手櫛で触れると、ひとつふたつと引っかかった茂みの葉が落ちてゆく。


「怪我は?」

「無いです。トスイさんは?」

「無い。歩ける?」

「歩けます」


 あまりにも淡々と当たり前のように尋ねるので普通に答えてしまったが、もしかしてアニタは今はじめてこの男に気遣われているのではないか?と謎の発見をしてしまった。……何だか変な感じだ。身体がフワフワする。


 いや、フワフワというよりフラフラする。それに何だか視界も狭い。目もチカチカするし、気の所為かトスイが二人に居るように見える。


(トスイさんが二人もいたら面倒くさそうだな……)


 そんな失礼なことを思いながら、アニタの視界は閉じた。




 ◇




 次に目を覚ました時、真っ先に目に入ったのは木目の天井だった。


「…………?」


 アニタは無言でガバリと起き上がる。流石に意識を失うのが三回目ともなると実に慣れたもので、冷静に周囲を観察した。


 部屋は清潔そうな、こじんまりとしたものだった。ベッドがいくつか並べられていて、アニタもそのうちの一つに寝かされていたようだ。すぐ側の開いている窓からは綺麗な青空が見える。どうやら今は朝か昼のようだ。

 もう少し外の様子を見たい。そう思ったアニタが窓を覗こうとベッドから身を乗り出した時だった。


「なに、起きたの?」

「ぎゃああああ!」

「声でか」


 いきなり聞こえた背後の声に、アニタの心臓はまろび出そうなくらいに跳ね上がる。

 どこかデジャヴを感じるやりとりだ。前回と同じようにワタワタと慌てた拍子にアニタはベッドから転げ落ちる――ことはなく、後ろから伸びてきた手に身体を支えてもらい事なきを得た。そのままグイッとベッドまで引き戻される。


「あ、ありがとうございます……」

「君さァ、いい加減ベッドから転げ落ちるのやめなよ」

「別に好きで転げ落ちてるわけじゃないです」


 前回も今回も、誰かさんがいきなり後ろから声をかけるからだ。本当にいつの間に来たのだ。ついさっきまで確かに部屋にはアニタしか居なかったはずなのに。もっと存在を主張しながら入室しろ。

 そう文句を言ってやりたいものだが、今は状況確認が先だ。


「それでトスイさん。ここ何処なんですか?」

「何処って、街の診療所だけど。君、自分が何でこんな所に居るか分かってんの?」

「うーん。たぶん?」


 倒れる直前のことは何となく覚えている。何だか身体がフラフラして、目がチカチカして、その後視界が真っ暗になったはずだ。おそらく過度な疲労と寝不足で限界が来てしまったのではないか。アニタがそう答えると、トスイがこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。


「違うよバカ。煙の吸い過ぎで倒れたんだよバカ」

「煙の吸い過ぎって、()()()()()になってたってことですか?」


 火事場中毒とは、火事の時にあがる煙を吸い過ぎると起こるとされる中毒である。最初のうちは頭痛や目眩に吐き気、眠気に見舞われる。さらに吸い続けると身体が動かなくなり、そのまま死に至ることもあるとされている。


「そー。煙吸うからもう喋るなって言ってんのに、ペラペラペラペラずっと喋ってたでしょ君」

「あの時はだって、トスイさんが気が触れたのかと思って必死だったんですもん」

「“ですもん”じゃないよバカ。腹立つ語尾使わないでくれる?」

「トスイさんだって、ちょいちょい語尾に“バカ”ってつけるのやめてくださいよ!」

「バカは事実じゃん」


 トスイが顔を(しか)めてこちらを見る。負けじとアニタもムッとして睨み返したが、ふとある事に気がついた。彼が笑っていないのだ。いや、今までも笑っていない時はあった。箒を折った時とか、宿で嫌味を言われた時とか。

 だが、それ以外では大抵ヘラヘラニコニコと、いつも薄っぺらい笑みを浮かべていたのだ。なのに、今はなんというか……普通の表情をしている。言動と顔が一致しているというか。これは如何に。


「うーん……?」

「ちょっと、話聞いてる?」

「えっ、あ、聞いてませんでした。すみません」

「…………」


 素直に話を聞いていなかったこと謝ると、とびきり嫌そうな顔をされてしまった。やはりおかしい。こういう場合はいつも笑顔でキッツイ嫌味を言ってきたのに。

 よっぽど「なんで嫌味言わないんですか?」と訊こうかと考えたが、これではアニタが嫌味を言われたがっている人になるなと思い直してやめた。大人しくトスイの話を聞くことにする。


 まず肝心のアニタの体調について。

 煙を吸い過ぎて火事場中毒になってしまったアニタだったが、幸いにも軽度なものだったらしい。しっかり新鮮な空気を吸わせて安静にしておけば、すぐに目を覚ますだろうと医者にも言われたという。


「私、どれくらい眠ってたんですか?」

「五、六時間くらい。夜明け前にここへ来て、今は昼前。宿の火事も朝には消火されたよ」


 無事に消火はされたものの、結局あの宿は全焼してしまったそうだ。火元は一階で、原因は従業員の火の不始末。死者は幸い出ておらず、怪我人も軽い火傷や煙を吸った宿泊客が数名いる程度だという。


 アニタ達以外の客はすべて一階と二階に泊まっていた。人が多ければ異常にも気がつきやすいし、騒げば薄い壁越しにすぐに周りにも伝わる。要は宿のボロい造りが早めの避難に貢献したのだ。

 それに比べて三階はアニタ達以外に客は無し、防音のための厚い壁で階下の騒ぎも聞こえにくい。加えて、階下の部屋に備え付けられた大量の藁と木で出来た手抜き家具のせいで火の回りも早い。あの宿で一番居心地のいい部屋は、あの宿で一番焼け死にやすい部屋でもあった。


「部屋にあった荷物も全部燃えたし、気に入ってた剣も失くしたし、なかなか最低な宿だったかな」


 そうトスイが話を締め括る。そんな食事の感想みたいなトーンで言う台詞なのかそれは。たまに目の前の男の情緒がアニタは分からなくなる。


「つまり今のトスイさんは、私と同じ文無しで丸腰ってことですか?」

「はァ? 君と一緒にしないでくれる」

「え、でも荷物も全部燃えて剣も失くしたって……」

「あんな最低な宿相手に、この俺が泣き寝入りするとでも思ってんの?」


 そう言ったトスイは懐から金を、腰から新しい剣を取り出した。当然アニタの顔は驚きに染まる。


「これ、どうしたんですか?」

「別に、宿の店主から金返してもらっただけだよ。剣は流石に同じのは無いから新しく買ったけど」

「……まさか、最初から返してもらうつもりで宿泊料を払ってましたか?」

「君にしては察しがいいね」


 トスイがこちらを見てニヤリと笑う。……わ、悪い笑みだ。この上なく悪い笑みだ。


「あんな卑しい商売してる宿なんだ。叩けばいくらでもホコリが出る。後はそれを宿の主人に伝えるだけ」


 その時ふと、アニタは昨日の真夜中にトスイが出かけていったことを思い出していた。あの時は他の事に必死で、彼が何処へ何をしに行っていたのか気にする余裕が無かった。だが今なら分かる。あの夜にトスイは宿を脅すための情報を集めに行っていたのだ。


「金に卑しい人間ってのはすごいよね。あの主人、宿が燃えてるってのに、ろくに客を助けようともせず金庫の中の金だけ持ってすぐ外に逃げたらしいよ」


「まあ金はほとんど俺に返してもらったけど」とトスイが付け足す。本当にこの男は用意周到というか、ちゃっかりしているというか。


「そういうわけだから、宿代は別に返さなくていいよ」

「えっ」

「それに汚い金でイイ思いするどころか死ぬ思いしてるしね。まあ俺達も報いは受けたんじゃないの」

「む、報い……」


 こんなカジュアルに自分が報いを受けたと話す人をアニタは初めて見た。そんな簡単に片付けていいのか。面食らうアニタをよそに、話はまだ続く。


「大体、君が言ってた()()()()()って何? 具体的にどうしようと思ってたの?」

「その、ひとつの箇所にあまり長居は出来ないので、日雇いの仕事を転々とするつもりでした。時間は少々かかりますが、他の出費を切り詰めてですね、」

「バカ。あの金額返すのにそんな悠長なこと言ってたら、未来に帰るどころか、すぐに五年経つよ」

「ゔ……」

「ずっと思ってたけど、君ってその場の勢いだけで行動しがちだよね。後先のことを全然考えてない」

「ゔぅ……」

「俺に殺されかけた時もあんなハッタリかまして交渉しようとするし、かと思えばあれは嘘でしたってバカ正直に言って謝ってくるし」

「…………」

「そういえば王都まで一人で行きたいからその(すべ)を教えてくれとも言ってたね。あの時は火事のせいで聞きそびれたけど、何を交換条件にしようとしてたの?」

「そのぉ、私の命以外なら何でも差し上げると……」

「別にいらない。もしかして目玉でも抉って食べると思われてる? 俺は化け物じゃないんだけど」

「ハイ……」


 グッサグッサと痛いところに言葉の刃がこれでもか降ってくる。嫌味が無くなったと思った少し前が嘘みたいだ。むしろ前の方がまだ優しかった気さえする。

 そして何より、どさくさに紛れて今回の交渉が決裂してしまった。他に条件としてアニタが差し出せるものはもう無い。ついでに言えば金も職も頼る当ても無い。

 世知辛すぎる己の現状を嘆いて、アニタは大きく溜息を吐く。すると上から、心底呆れ返ったような声が降って来た。


「……君さァ、“命を助けてやったんだから代わりに教えろ”とか俺に言えないの?」

「えっ」

「あの時、宿で俺がおかしくなったの見たんでしょ? だったらそれをネタに脅そうとか思わないの?」

「は、はあ」

「相手の弱味に付け込まなくてどうすんの? そんな間抜けな調子でこれから一人で王都まで行くの?」

「えぇ……?」


 何だ何だ。今はいったい何の時間だ。アニタにはちょっとよく分からない。突然ものすごい卑劣な交渉レッスンが始まってしまった。気でも狂ったのか。

 困惑しきりのアニタを置いて、トスイの冷血卑劣指導は続いていく。


「せっかく君が命張って見つけた弱味や売りつけた恩なのに、なんで利用しようと思わないわけ?」

「え……す、すみません」

「謝罪じゃなくて今必要なのは脅しだよ」

「脅し」

「ほら、言ってみな」

「……あ、貴方の命を助けた代わりに、私に王都まで行く術を教えなさい」

「脅しに聞こえないけど、まあ及第点かな」

「ありがとうございます」

「じゃあさっさと次の街に行くよ」

「はい! 卑劣師匠!」

「ぶっ飛ばすよ」


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