第十二話
間違いない。あの周りを威圧するような厳つい背格好に、鋭い目つきと眉間に刻まれた深いシワが特徴的な不機嫌そうな顔。
幼い頃、あの容姿が怖すぎて伯母と一緒に実家の食堂へ来てくれるたびにギャン泣きしたからこそ分かる。間違いなくあれは伯父だ。アニタの伯父である。
「伯父って、君に縄抜け教えた騎士の人?」
「そうです! ほら、あの三人組の真ん中の一番背の高い人です!」
「……ふぅん。なんか全然似てないね」
「父方の伯母の旦那さんなので、直接の血の繋がりはないんです」
少々ややこしいが、アニタの父親の姉の配偶者という立場になる。姻戚というやつだ。
「というか、なんで伯父さんがこの街に……?」
「騎士服も着てないし、見たところお忍びって感じだね。伯父さんは城に仕えてる騎士?」
「そうです。本当なら王都にいるはずなのに」
「横の二人も同じ騎士じゃない? たぶん部下だね」
「伯父さんは騎士の中でもそこそこ偉い地位にいるらしいので、部下の方が居てもおかしくはないですね」
「なんで伯父のことなのにそんなフワッとしか知らないの?」
「向こうがフワッとしか教えてくれないんですよ!」
姪のアニタからは妻についての情報を根掘り葉掘り聞き出そうとするくせに。あの強面でドがつくほどの愛妻家なのだから、人は見かけによらないものだ。
「伯父さんとは九歳の時から月一の頻度で会って伯母の情報を巡って交渉してるので、見つかれば間違いなくバレます」
「どんな関係なのそれ」
「しかも私はその頃から髪型を全く変えてないです」
「変えなよ」
「後ろで三つ編み一本にまとめると楽なんですよ。……あっ、宿屋に入って行きました。街の駐屯所には行かないんですかね」
「たぶん表立って動けない任務なんだ。……でもわざわざ王城の、しかも高位の騎士をフリエラによこしてるのが気になるな」
「それほど重要度が高い任務ってこと何でしょうか」
「…………」
「トスイさん?」
「……とりあえず、今は別の通りを行こうか」
「そうですね。伯父さんと鉢合わせしたら困りますし」
トスイの提案に賛成する形で、アニタ達は進路から少し外れた通りに向かった。この街に滞在している間はあの宿周辺には近づかない方がいいだろう。というか、下手に会わないうちに早々にフリエラを発つべきなのかもしれない。
しかし、これはアニタが王都を目指す上でこれからもずっと付きまとってくる問題だ。
アニタの家族や友人はみんな王都に居る。つまり、王都に近づけば近づくほど知り合いと出くわす可能性は高くなる。その度にアニタは知り合いに見つかるかもしれない可能性を怖がって、先程のように隠れてやり過ごすしかないのだろうか。
そうするよりも、どう上手く立ち回れば相手に見つからないかを考えて動く方がよっぽど有意義なのではなかろうか。
「……トスイさん、伯父さんに見つからずにフリエラで働くのって可能ですかね」
アニタの言葉に、横にいたトスイは少し意外そうな顔した。
「へぇ。伯父に見つかる前に、この街を早々に発とうとは思わないんだ?」
「それは考えましたけど。隠れてやり過ごすより、上手く避けられるようになった方がいいかなって」
「ふぅん。いい心がけなんじゃない? 君にしては」
「最後の一言いらないです」
もっと素直に褒められないのか。まあ素直になったらなったで何か裏がありそうで怖いが。
兎にも角にも、アニタの考えは間違ってはいないらしい。どうしたら上手いこと伯父を避けて働けるかを考えていく。
「働くお店はやっぱり、裏通りの目立たない場所の方がいいですかね」
「いや、出来れば人通りの多い目立つ場所の店の方がいい」
「どうしてですか?」
「君の伯父さんの状況を考えてみなよ。人目を忍んで任務を遂行中の騎士が、わざわざ目立つ場所に足を運ぶ必要ないでしょ。それに裏通りは怪しい店が多くて、危険な目に遭いやすい」
「確かに、言われてみれば」
「あとは表に出る役割じゃない方がいいね。食堂なら皿洗いとか厨房を担当させてもらうようにしな」
「分かりました。あっ、じゃあ其処の食堂、」
「――待って」
「わっ!」
手始めにあの突き当たりにある食堂に突撃してみるか。そう考えて一歩踏み出したところで、いきなり後ろからトスイに腕を取られた。
たたらを踏む形で半ば強制的にアニタは立ち止まる。次の瞬間、右の角から勢いよく男が飛び出してきたから驚いた。トスイが引き止めてくれていなければ間違いなくぶつかっていただろう。
「クソッ! なんだアイツ!」
飛び出し男はそう吐き捨てると、肩を大変怒らせて去って行く。その上着が何故か少しはだけていて、露わになった二の腕に刺青がしてあるのが少し見えた。
(黒い輪っか……蛇の刺青?)
パッと見でしか分からなかったが、蛇が自分の尾を食べて円になっている感じだった。随分とシンプルというか、変わったデザインというか。五年前のこの街の流行りか何かか。
いや、とりあえず今はダサい刺青男の件は後だ。まずは横の男のファインプレーに礼を言わなくては。
「ありがとうございますトスイさん。よくあの人が飛び出してくるって分かりましたね。足音とかですか?」
「…………」
「トスイさん?」
「…………あの男、俺の知り合いかもしれない」
「えっ、そうなんですか?」
今日はお互いやたらと知り合いに巡り会う日である。
トスイは嬉しそうにするでも焦るでもなく、静かに男が去っていた方向を見つめている。
「……昔さァ、同じ刺青を右足首にしてる人間を見たことがあるんだよね」
「右足首?」
なんでまたそんなピンポイントな箇所の刺青を?
そう尋ねる前に、トスイは掴んでいたアニタの腕を離して歩き出していく。その顔は横髪に隠れてしまって、もう見えない。
「ちょっとあの男に聞きたいことがあるから、ここから別行動でよろしく」
「え? あ、はい」
「日暮れ前にまたここ集合で。変な店行かないでよ」
「行きませんよ」
それだけ注意すると、トスイは飛び出し男と同じ方向に去っていってしまった。そうしてその場には、アニタただ一人だけが残される。
「…………」
……これからどうしようか。アニタは手持ち無沙汰に辺りを見回す。とりあえず店探しを再開するべきか。
何となく気が削がれたので、さっき突撃しようとした食堂に行くのはやめた。ひとまずアニタは右の角を曲がる。
フリエラの街は今まで街と似てるようで少し違う。建物の背が高いのは相変わらずだが、壁の色は白が圧倒的に多い。その代わり、屋根はカラフルだ。
街の様子が少し落ち着いているように見えるのは、この辺りの人通りが少ないからだろうか。出店も大きい通りには結構あったが、こうして細い通りに入るとそれもほとんど無くなる。
(……やっぱり大通りに戻ろうかな)
言いようのない心細さを感じてしまって、アニタは大通りに続く道へと方向転換する。
そういえば、過去に来てからこうして一人になるのは久しぶりかもしれない。ぼったくり宿でホームシックになった時以来だ。それ以外ほとんどの時間はトスイと一緒に過ごしていた。
最初はイヤイヤ頼って、おっかなくて、少し近づいただけで殺されるのではないかと疑っていたのに。今や近くにいないだけで勝手に不安になってしまうのだから、アニタの心は随分と現金だ。
(……ちくしょう……)
抱きしめられても不快では無くて、悲しんでいると慰めてあげたくなって、辛くて苦しそうだと心配で、そばに居ないと無性に心細くなる。
そういう相手が出来たと同僚達に言えば、どんな反応をされるだろう。きっと昼休みには質問攻めにされること間違い無しだ。なんて答えようか、未来に帰るまでに考えておかなければ。トスイと何の接点もない、五年後の未来に帰るまでに。
(……五年後のトスイさんって、何してるんだろ)
会いたいなんて言えばきっと、鼻で笑い飛ばされるだろうなと思った。
◇
それからしばらく道を歩いて行き、アニタは大通り近くまでやって来た。すると、道の端で老人がうずくまっているのを発見して、慌ててすぐそばまで駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか⁉︎ どうかしましたか⁉︎」
「こ、腰を……腰をやってしまったネ……」
「腰? 腰を痛めたんですか?」
「ソウネ。ギックリって鳴ったネ」
話し方の癖が強いのが少々気になりつつも、アニタは老人に肩を貸して立つのを手伝う。老人は服についた土ぼこりを適当に叩いて払った。襟が合わせになった風変わりなその衣服は、前の街でも身につけている人を何度か見かけたことがある。
「ありがとネ、三つ編みムスメ」
「三つ編み娘……」
「男にいきなりぶつかられてネ。謝りもしないから服にしがみついたらそのまま引き摺り回されたネ」
「パワフル過ぎません?」
「犬ゾリみたいなものダネ」
そんなソリがあってたまるか。
……いや待て。引き摺り回されてでも服を手放さなかったということは、相手の衣服も相当乱れているのでは。
「……その犬ゾリにした人って、左腕に輪っかになった黒い蛇の刺青してました?」
「してたネ。知り合いカ?」
「いえ、さっきその人に私も角でぶつかりかけたので」
「犬ゾリにしてやったカ?」
「してないですね」
先の飛び出し男の服が妙にはだけていたのは、どうやら癖の強いこの老人が理由らしい。
「とにかく、どこか安静に出来るところに行きましょう。そこまで肩を貸します」
「すぐソコの店、ワタシの店だヨ」
「……あの店ですか? わ、分かりました」
示された先にあった店は、随分と派手というか個性的だった。壁や柱は朱く、黒緑の屋根は独特な形をしていて、明らかに周囲の建物から浮いている。
そして何より、店に掲げられた馬鹿でかい看板に「美味しい!」と書かれているのが気になる。まさかあれが店名か。
「あの美味しい店がワタシの店だヨ」
「何というか、だいぶ直球な店名ですね。食堂ですか?」
「そうだヨ。分かりやすいってよく言われるから気に入ってるヨ」
確かに食堂としてはこれ以上ないほど分かりやすいが、本当にそれでいいのか。内心首を傾げながらも、アニタはなんとか老人を店先まで連れて行く。
「あ、そこのイスでいいヨ」
「はい」
「フゥー、ヨイショ。助かったヨ」
店先のイスに老人を座らせ、アニタもふっと息を吐く。ついでに店の方を窓から覗いて見ると、中は暗かった。今は営業していないのだろうか?
そんなアニタの思考を読んだのか、老人が口を開いた。
「いま店はやってないヨ。従業員二人が新婚旅行でいないからネ。絶賛日雇い募集中だヨ」
「えっ! 本当ですか!」
「食いつきがすごいネ」
「私、ちょうど食堂の日雇いの仕事探してたんです!」
突然ちょうどいい雇い先が現れたのだ。食いつかない筈がない。この店は大通りに面しているし、少々目立ち過ぎるくらい目立っている。なにより変に拗らせた性格の伯父は絶対に「美味しい!」という店名の食堂に入らない。対・伯父避けで最適過ぎる。
「三つ編みムスメなら歓迎ヨ。腰の恩人だしネ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「まだ宿決めてないなら二階の従業員用の部屋も使っていいヨ。それからワタシのことは店長と呼びナ」
「はい! 店長!」
これは思わぬ収穫だ。雇い先だけでなく今夜の宿まで手に入れてしまった。やっぱり人助けはするものだ。
そうして無邪気に喜んでいると、ふと店長がこちらを指差してきた。爪が短めのその指先が自身に向いている意味が分からなくて、アニタは目を瞬く。
「店長? どうしました?」
「三つ編みムスメ、後ろに男いるヨ」
「後ろ?」
後ろ、と言われて反射的にアニタは振り返った。
最初に目に入ったのは、分厚い外套と黒い旅装だった。それから少し顔を上向けた先、濃い紫色の瞳と視線がかち合う。目が合った途端に、それがスッと弓形に細まった。
彼がこんな風に笑っているのを、アニタは何だか久々に見た気がした。
「トスイさん! いつからそこに⁉︎」
「今だよ。ちょうど用事が終わったところで君の姿が見えたから。待ち合わせる手間が省けたね」
「それは良かったですけど、気配を消して後ろに立たないでください」
「君が鈍すぎるだけじゃない? 現にこの店の御主人はすぐに俺に気がついてくれたよ」
そりゃあ店長とトスイは向かい合っている姿勢なのだから気づくのは当然だろう。馬鹿にしてんのか。
じっとり半目になったアニタを気にすることもなく、トスイは店長の方を見た。随分と穏やかで人好きしそうな笑みを向けているが、もしかして初対面の人にはいつもあんな風に接しているのだろうか。アニタには初っ端から適用外だったが。
「すみません御主人。何やらお騒がせしてしまったようで」
「アイヤー! 三つ編みムスメのカレシ、顔がいいネ。接客向きで欲しい人材ヨ」
「はは、それはどうも」
「カレシも日雇い志望カ?」
「俺は違いますよ。彼女の付き添いです」
「ならカレシも今夜はうち泊まって行くカ?」
「よろしいんですか?」
「今いない従業員二人。もうひと部屋空いてるヨ」
「それは僥倖。では有り難く」
アニタはたった今、ひとりの男が恐ろしいほどの早さで今夜の宿をゲットするのを目の前で見た。店長の「カレシ」呼ばわりをはっきり否定しないのも絶対わざとだ。分かった上で有効活用している。あと店長から顔採用のスカウトまで受けているのが微妙に癪に触る。
「部屋整えるヨ。ちょっと待つネ」
「あっ店長! まだ腰は動かさない方が良いですって!」
「もう治ったヨ。そこで大人しくイチャついてナ」
「い、イチャ……⁉︎」
そんなさらりと爆弾発言を投下して去らないでほしい。アニタが言葉に詰まっている間に店長は店の奥へと消えて行く。無慈悲に店先に取り残されてしまったアニタはカレシ(偽)の方を嫌々見る。
どうやらカレシ(偽)も丁度こちらを見ていたようで、ぱっちりばっちり目が合った。
「うわァ、すごい顔。そんな引き攣る?」
「逆にこれ以外にどんな顔しろっていうんですか。頬でも染めて恥じらった日には貴方、絶対馬鹿にするでしょう」
「……俺って、君にそんな風に思われてんの?」
「そうですよ」
アニタが力強く肯定すると、長い長い溜息を吐かれた。何だその「やれやれ……」みたいな雰囲気は。
ともかく素直に恥じらわずに正解だったみたいだ。咄嗟に奥歯をこれでもかと噛み締めて我慢しておいて良かった。危うくこの男に馬鹿にされるところだった。
「というか、貴方と私が恋人同士だと店長に思われてるんですけど」
「どうだろ。あれは分かって言ってると思うけど」
「と、いうと?」
「俺は不審者じゃないか軽く試されたってこと。あの時、君が俺のことを全力で拒否したり本気で怖がったりしてたら対応は今と全然違ってたと思うよ」
「実際、店の主人は俺をカレシって呼んだ時にさり気なく君の方を見てたし」と、トスイは付け足す。どうやらアニタの気づかない所で、店長の思いやりによる駆け引きがあったようだ。
「まー、君にしては、なかなかイイ雇い先見つけたんじゃないの。ちょっと目立ちすぎな気もするけど」
「うちの伯父さんが近寄らなさげな店名もポイント高いです」
「そうだね。たぶん俺も入らない」
「やっぱり、あの店名の素直さは性格が捻じ曲がってる人を自然と弾くんでしょうか」
「つくづく腹立つ女だね君」
トスイも腹立つ男具合では負けてはいない。軽口を通り越し、しょうもない舌戦が今火蓋を切るのか⁉︎……というところで店長が戻ってきた。タイミングバッチリである。
「二人とも、部屋用意できたヨ。こっちネ」
「はい。ありがとうございます店長」
「イチャイチャできたカ?」
「はは」
これ以上ないほど乾いた笑い声をアニタは真横から聞いた。
「……ねぇ、」
「ん? 何ですかトスイさん」
とりあえず店長の後ろに続こうとしたところで、何やらトスイが近づいて来た。耳元で囁かれたため、自然とアニタの二の腕とトスイの身体が触れ合う。
「もし今夜眠れなかったら、俺の部屋に来て」